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「何で見ず知らずの男と一緒に住んでいる?!」
「だーかーらー! もう何回も説明したでしょ? 解術するために――」
「それはわかっている! そうじゃなくて俺が言いたいのは――」
長身のレクスにも劣らず大柄な狼――カイは、紫の瞳でサラの後ろに立つ魔族をちらりと見遣り、大きく舌打ちをした。続けざまに何か言おうとしたが、少し視線を落とすと、銀の毛並みの頭をがしがしと右手で掻いた。
苛立った時によくやる癖だ。
やっぱり怒っちゃった。
サラは想像していた通りの兄の反応に溜息を吐いた。
レクスに同居しようと提案した時、過保護な兄に何と伝えるかが一番の問題だった。どんな事情があろうとも異性との同棲を素直に了承するわけがない。でもレクスに会って、彼の人となりをみてもらい、きちんと説明すれば何とか許してもらえるかもしれないと思っていたが、最悪な結果に終わりサラの目論みは大きく外れてしまった。
二週間前に夕食を一緒に食べる約束をしていたため、仕事を終えて騎士服を着たままで来てみれば、妙な気配がする。
見知らぬ魔族の男がサラの口を押さえている光景に、思わず窓から飛び込んだ、というのがカイの言い分だった。
「一応騎士なんだから、もう少し冷静な対応を心掛けた方が良いと思うけど」
「大事な妹が魔族に襲われかけているのに冷静になれるか!」
「襲われていないし――」
冷静で優秀だと評価されている兄のこんな姿を見たら、騎士団の人達はどう思うのだろうか、と一抹の不安を覚える。
「もう一度言うけど」
レクスという名前は記憶がないので自分がつけた仮名であること、一週間前から一緒に住んでいること、自分がレクスとの同居を持ちかけたことなど、無駄を省いたわかりやすい説明を繰り返した。それでも不機嫌で不服そうな兄を尻目に、サラはレクスを仰ぎ見た。
「紹介がだいぶ遅れましたが兄のカイです。これでも騎士です」
ちょっと過保護気味なのは彼女がいなくて暇だからです、と真面目に説明し、またカイに怒られた。
レクスはサラをじっと見つめている。何も言わないし表情にも変わりないが、サラにはレクスの疑問が手に取るようにわかった。
カイを兄だと紹介すると大抵の相手は同じ反応を示す。
人間族と獣人族(他種族)の血が混ざれば「異種混血」と呼ばれ、それぞれの種族の特徴を持つ。しかしサラは人間族の純血種、カイは獣人族の純血種であり異種混血ではない。二人に血の繋がりはないと一目でわかる。
サラはいつものように説明を淡々とそらんじた。
傭兵だった獣人族のカイの父が瀕死の重傷を負った際、治癒術師だった人間族のサラの母に命を救われたことがきっかけで二人は再婚をした。サラには年の離れた三つ子の異父弟妹がいるが、再婚当時、互いの連れ子だった六歳のサラと十二歳のカイに血の繋がりはない。
他種族間の子連れ再婚は珍しいらしい。今まで同じ構成の家族を聞いたことがない。好奇心や不快感を顕わにする人も少なくなく、そういう反応には慣れることはできない。けれどサラは両親や家族が大好きだし、誇りに思っている。
ふと、レクスはどう思うのだろう、と気になった。
魔族は伴侶を一人と決めている。もしかしたら両親のことを不快に思ったり理解してもらえなかったりするのでは、と不安がよぎる。しかしレクスはあっさりと「そうでしたか」と微笑んだだけで終わった。
サラは頬を緩めて胸を撫でおろしたが、どうして自分がこんなにもほっとしているのか、理由がわからなかった。
だから自分の頭上で金色の瞳と紫色の瞳が激しく火花を散らしていることには全く気付けなかった。
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どうしたら違う種族で兄妹の関係になれるのか。レクスは口喧嘩を始めた二人を無言で眺めていた。
人間の純血種であるサラに獣人族の特徴は一つもない。兄と呼ばれている男――特有の紫色の瞳を持つ二足歩行の狼――は獣人族の、狼族の純血種だ。
サラと、兄とよばれている男は異種混血ではないのに、どうして兄妹なのか。
彼女が他種族に、魔族である自分にも隔たりがないのか、前から疑問に思っていたことも併せて今回の彼女の説明で納得できたが、血の繋がらない男がサラの傍にいるのは気にいらない。
兄というならば仕方ないが、違う立場で邪魔になるのなら排除するだけだ。
向こうもそう思っているだろう。
敵意を隠そうともしない紫の瞳をレクスは真っ向から受け止めた。
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カイは楽しみにしていたサラの食事にありつけなかったことと、正体不明の男が住んでいることに苛つきながら帰路についていた。
サラが頑固だということは知っているが今回に関しては特に頑なで、何を言っても首を縦に振らなかった。
こうなってしまうと埒があかない。今日は仕方なく折れることにした。
ふて腐れながらもカイはレクスという男のことが頭から離れないでいた。
サラを見る限り、誑かされたり脅かされたりしているわけではないようで、それはせめてもの救いだった。
ただ、サラはあの男の異様さに気付いていない。傍にいたから口には出さなかったが、何かがおかしい。
魔族は端麗な容姿と他の種族を凌駕する強さを兼ね備えた種族だが、あれはその中でも桁外れだ。騎士という仕事柄、個体数の少ない魔族とも会う機会が多いからわかる。
あの時、サラに近寄ろうとして鼻先をかすめた剣の軌道は、獣人の優れている動体視力を以てしても後れを取っていた。無傷で避けられたのは、悔しいがあいつが本気ではなかっただけだ。
サラの説明では力や魔力も呪術で封印されているらしいが、その状態であの強さなら、封印が解かれた時にはどうなるのか。想像するだけで全身の毛が逆立つ。
今のところサラに対しては従順なようだが、それが本心なのか欺いているのかはわからない。ただし、サラを傷つけるようなことがあれば、どんな理由であれ容赦はしない。
少し調べてみるか。
職権濫用という言葉は、サラに対してだけカイの辞書から消える。
変なものを引き寄せ、仕事のことになると周りが見えなくなる頑固で優しい妹が心配でしょうがない。
またあんな怪我でもしたら――。
はっとして己の掌に視線を落とした。当然そこには何もない。
忌々しく舌打ちするとその手で頭を掻いた。
これが兄妹愛なのか別の感情なのかそれとも負い目なのか、未だに判断できずにいるカイは、深い溜息を吐いた。