アオとバズーカ
次話です。
島での暮らしは今思えば本当に刺激的だった。私は生活には慣れるというか、物心ついた時点で島にいたため、一切の戸惑いも無く周囲の環境に適応していたが、海と森に囲まれた家で多くの虫と鳥と共に生活していた。
保育園に通っていた頃は両親に車で送り迎えしてもらっていた。贅沢だなぁと思うかも知れないが、島にはいわゆる幼稚園バスのようなものはなく、さらに家からの道のりも遠い上にアップダウンの激しい坂も多かった。そのため小学生にも満たない子供にとってはなかなかにしんどいコースだった。
最初の頃は泣きじゃくったものだ。親が私を保育園の先生に預けるとまるで、今生の別れかのように私は身振り手振りを使い行かないでくれと大泣きしながら懇願していた。当時の先生と親はさぞ困っていたことだろう。まぁそれも通うことで次第に無くなっていったが。
保育園での友達は重要だった。なんせその友達たちが同じ地域の学校に進学し、一年生で一学年たった一つしかないクラスにみんなして入るのだ。知らないやつなどいなかっただろう。
小学校は保育園同様行き帰りを車でしてくれることもあった。だがそれは次第に雨が降ったときや体調が悪いときだけになり、行きだけ車(時々歩き)で学校に登校し、下校は歩いて帰っていくようになった。学校から家は大体4kmほどで、歩いて通えない範囲ではない。
不思議と辛さは無かった。帰りは帰り道が同じ友達たちと遊び呆けながら帰っていたためむしろ楽しかった。学校近くに住むじーさんの家でスルメの干物を催促したり、よくかくれんぼや鬼ごっこをしながら帰った。野原のようなところでシロツメクサを使って何かを編んで遊んだし、夏になれば学校の水着を着たまんま帰り道の海で遊んだりもした。それ以外にも野生で安全なゴキブリを投げ合って遊ぶという通常考えられないこともしたし、かくれんぼして猫のミイラ死体を発見してその場で泣きながら逃げたこともあった。
そんな自由奔放な島で、私の親父は自然公園で自然教育や自然保護のような仕事をしていた。その仕事のため我々一家、親父、お袋、私の3人はこの島にやってきたのだ。さらに私が3歳の頃に妹が生まれ4人家族となった。
私の家は海風を防ぐ防風林がまるでジャングルのように繁りに繁った森の中にあり、出入り口以外全てを囲まれるようになっていた。近所はお隣さんが一軒だけで、すぐ近くに廃墟のホテルが佇んでいた。よくそのホテルにあった、水が空になっていたプールに侵入して、25mプールの中で友達や親父とサッカーをして遊んだものだ。
そんな立地条件であるため夜は非常に暗い。街灯は近くに無く、あるのは我が家とお隣さんの明かりのみであった。
今思うとこのような自然にとても近い場所に家があったからあのフクロウたちが来たのかも知れない。
あいつらが来たのは本当に唐突だった。あの時は確かまだ梅雨が抜けきらない時期だった。親父がいつも通り夕方に帰ってくる。だがいつもと違いダンボールを抱えて帰ってきた。
「何それ?」
お袋がそのダンボールを覗き、すると少し興奮した声色で私と妹を呼んだ。私たちはダッシュで近づき同じくダンボールを覗き込む。
そこには身を寄り添うようにくっ付く2羽の小さいフクロウがいた。
「あまり手を出すなよ」
親父はフクロウたちを覗く私にそう注意する。それでも私は興味津々でそのフクロウたちを見つめ続けた。それは私にとってまさに未知との遭遇で、こんな興奮はカマキリの卵の孵化以来だった。
親父から詳しい話を聞いたのは夜飯を食った後だった。
どうやら道路工事中にシイノキの大木を、巣の存在に気付かずに切り倒してしまい、そのときに親フクロウは逃げ、生まれて間もないこの2匹が道路に落っこちてきたらしく、そのまま親父の職場に届けられたというのが事の顛末だった。そのため親父が巣立てられるようになるまで、このフクロウを保護することになり家に連れてきたのだ。
「じゃあ鳥かごが必要ね」
「鳥かごは職場から持ってくるよ。たぶん何かしらあったと思うから」
「このフクロウ飼っていいの?」
「放すけど、ちょっとの間だけね」
私はうれしさのあまりはしゃぎ回った。あのころ自然の開発や保護という言葉を理解できず、私はとりあえず、いつか自然に帰すペットが来たというような解釈でいたのだ。今思えば我ながらアホだなぁと思う。
改めて2羽のフクロウを見る。子供だからか幼いなという感想を持ったが黄色い虹彩と黒目をしていた。睨むようなその眼が野生の生き物が持つ特有の力強く、気高い印象を私たちに送り続けてくる。一切眼を離せなかった。
このフクロウの兄弟はアオバズクという名前のフクロウだと親父は言った。その頃私と妹は二匹のフクロウの名前をどうしようかと悩んでいた。
あーでもない、こーでもないとみんなで試行錯誤しているうち、私は親父が言ったアオバズクという名前に謎のインスピレーションを受け、一匹を「アオ」と命名した。
アオは2羽いるうちの背筋をピンと伸ばし右側から兄弟に若干寄り掛かられ、まるで弟を護る兄貴のようなフクロウだった。こちらを幼いながらも猛禽類としての鋭い目つきでこちらを見つめてくるようなやつだった。
結局それで一匹の名前が決定してしまった。
もう一匹は「バズク」がなぜか「バズーカ」と聞こえてしまったため、そのままバズーカと命名した。
こっちはアオとは対照的でなんだか引っ込み思案な弟といった感じのフクロウだった。眼をクリクリと動かし、アオにくっ付いてこちらの様子を伺う。どちらかと言うとバズーカのほうが愛嬌がある感じだ。
家族もこの奇天烈な名前に納得し、2羽はこのようにして名前を得た。
今度は餌やりである。これがなかなか難航した。2羽とも体重はだいたい140gで痩せすぎというわけではなかったが、差し出す肉を食べようとしなかったのだ。恐らくこちらを警戒していたのだろう。私はピンセットで掴んだ肉を何度も2羽の前に出す。
「食べないよ」
「ちょっとびっくりしてるんだよ。貸してごらん」
そういって今度は親父がピンセットで肉をやる。それでも食べないため手馴れた手つきで親父が無理矢理2羽に肉を食わす。
「食べないで弱るのが1番危ないからな」
親父の職業がなんだったかを思い知った瞬間だった。
後日親父が仕事仲間のおっさんと一緒に金属製の大きな檻のようなものを軽トラに乗せてやってきた。当時の私の身長より少し小さいくらいのものでアオとバズーカの体には不釣合いなくらい大きいものだった。止り木と水を檻に入れ2羽を移す。これが彼らの当面の家である。
こうして我が家に一時的ではあるが新たな同居人が入ってきた。外屋根の下、洗濯物を干すスペースの一角を間借りする彼らは、アオバズクのアオとバズーカと名づけられた。
ここから我が家で忘れることの出来ない、フクロウとの同居生活が始まったのだ。
海潜りてー