俺日:エイプリルフール特別編!その3~嘘つきな俺と素直な宇宙人~
エイプリルフールはネタにしやすくて執筆が捗りますが、肝心のエイプリルは3日前に終了していました。
時の流れって残酷ですね。
今年も来たれり4月1日。エイプリルフール。
エイプリルフールというのはつまり、嘘を吐いて良いとされている日。
もちろん、残酷な嘘や、笑えない嘘なんかはちょっとモラルに欠けるが、簡単かつ最後にアハハと笑えるような、そういう嘘ならオールオッケー。
そんなエイプリルフールは、この俺、山空 海が毎年楽しみにしているイベントの一つでもある。
我が家には、とても素直で良いリアクションをしてくれる宇宙人さんがいる。そのリアクションの素晴らしさは、海外から留学してきた外人さんと同レベル。
もし忍者のコスプレでそいつの前に行けば、「オゥ! ジャパニーズニンジャ!」みたいなリアクションを取ってくれるだろうし、忍者じゃなく侍のコスプレだったとしても、「オゥ! ジャパニーズサムライ!」って言ってくれるだろうし、お寿司のコスプレをしても「オゥ! ジャパニーズスシ!!」などというオーバーな反応を見せてくれるだろう。
要は、それぐらい言動が面白い宇宙人ってことだ。
しかして世の皆様は、いきなり宇宙人とか言われても信じきれないだろうが、意外なことにこれは嘘じゃない。
ある日、親友と一緒にサイクリングに出かけて道に迷ったら空から降ってきた。
そんな経緯のもとで知り合った、正真正銘の宇宙人さんなのである。
まぁ、そんなことはさておき。
いきなりだが今俺は大変興奮している。
今の時間は明朝6時。不健康生活万歳な俺にしては珍しく健康的な起床時間。
どれもこれも、今日というイベントを待ちわびていたからこその功績だ。
昨晩、俺は計画を練った。
計画というのは、先程説明したエイプリルフールの日に、これまた先ほど説明した素直な宇宙人さんにどういう嘘をつくか、という企みだ。
信じやすく、オーバーリアクションな宇宙人さんには、否応なしにそのレスポンスに期待値を高めざるを得ない。
そんな、宇宙人の反応を最大限に引き出すにはどうすればいよいか。
昨夜必死に考えて、この俺に舞い降りた解。それは――。
――細かい嘘をいっぱいつく!
俺日:エイプリルフール特別編 その3
~嘘つきな俺と素直な宇宙人~
「おはよっす! エメリィーヌ!」
鼻歌交じりに階下のリビングに到着した俺は、珍しく早起きした俺よりもさらに早く起床していた例の宇宙人、エメリィーヌに元気に挨拶をする。
エメリィーヌ。
正式には、エメリィーヌ・ジョセフ。
何度もいうように宇宙人な彼女は、見た目は完全に人の子。宇宙人要素などほぼ無に等しい。
けれども、子供ながらにして容姿端麗という熟語がとてもふさわしいと言えてしまうほど整った顔立ちをしている。
天然もののウェーブがかかったセミロングの髪は輝かしい金で彩っており、その前髪から覗くあどけなさ万点の瞳は、さながらエメラルドのように美しい。
小さくまとまっている鼻と、あざとさを匂わせる唇、一度触れば病みつきになってしまいそうなほどに柔らかい頬、それぞれが主張し合っているのにもかかわらず、全体的にまとまって神がかり的な愛嬌となって落ち着いている。
が、しかし。
神様のお気に入りを疑わざるを得ないぐらいに完璧な容姿を持った彼女だが、そんな外見に騙されちゃいけないのはもはや説明するまでもないこと。
口を開けば「なんヨなんヨ」という謎の言葉とともに、我が家の食費を大幅に増幅させているフードファイターっぷりを遺憾無く発揮し、俺を絶望の淵へと追い詰める。
そのほかにも、イタズラ悪知恵お手の物。
注意をしようものなら、「お前年齢サバ読んでんじゃねえの?」と言いたくなるぐらい冷めた理屈を俺に叩きつけてきたり、かと思えば7歳の年相応な無邪気さを垣間見せたりと、なんていうか自由奔放なその姿はまさに宇宙人って感じだ。
コッカコラ星とかいう巧妙なステマみたいな名前の惑星から家出してきた彼女は、彼女の私物である勾玉(緑色)を用いることによりなんと超能力者に早変わりしだす。
なぜそんなエメリィーヌが俺の家にいるのかというと、家出したため行く宛もないということで、なぜか居候し始めることになった。許可した俺も俺だが……。
度々、俺も「コイツは自分の生まれ故郷である惑星に帰らなくていいのだろうか」と疑問に思ったりするけれど、俺自身エメリィーヌとの同居生活が楽しく感じているため、その疑問を彼女自身に問いかけることはなかった。
そんなこんなで、ほんともう、わけのわからないことばかりで毎度毎度俺を驚かしてくれる彼女だが、今朝も今朝とてとても不可思議な行動に出やがっています。
具体的にどういうことかというと、なんかテーブルの上で、俺に向かって土下座をしている。そりゃあもう、目を見張るような美しいフォームのヤツ。
そんなエメリィーヌに困惑しながら、俺はとりあえずもう一度挨拶を試みる。
「お、おはよう、エメリィーヌ」
「ごめんなさいなんヨ」
挨拶よりも謝罪が返ってきて、俺はますます狼狽える。
コイツは何をしている?
一体何をやらかした?
そんな不安と疑問がぐるぐると頭の中を遊泳して、混乱しすぎて軽く吐き気の症状まで現れた。
もしかして、エメリィーヌなりのエイプリルフールのネタ? だとしたらお見事だ。俺は見事に釣られているよ。
自ら謝罪をすることによって、俺に「なぜ謝罪をしているのか」を考えさせて、また何かをやらかしたんじゃないかと勘ぐらせ、不安という不安を全面的に仰いでくる。
それを見越してした行動ならば、賞賛に値する。お前はたった一言だけで、俺をここまで追い詰めた。
だが……こっちもやられっぱなしじゃプライドっていうもんがあるからな。そっちがその気なら……俺も行くぜ。
「はーっはっはっは!!!!」
俺は高笑いをする。
エメリィーヌが「うわ、ビックリしたなんヨ」と顔を上げながら声を漏らしていたが、そんなことはどうでもいい。
「流石だよ、エメリィーヌさん」
「エメリィーヌ“さん”!?」
「実にシンプルで……効果的だ。俺も思わず崇拝するレベル」
「意味がわからないんヨ!! なんでウチ崇められたんヨか!?」
「……だがしかし、俺も元祖の嘘つきとして負けていられないんでね」
「その称号初めて聞いたんヨ」
「わりぃがエメリィーヌ様……ここは大人しく俺の嘘に蹂躙されていただくぜ!!」
「もうどこからツッコめばいいのかわからないんヨ」
次第にヒートアップしていく俺と、徐々にクールダウンしていくエメリィーヌ。
頭にクエスチョンマークを踊らせているエメリィーヌは、訝しげな表情を浮かべながらテーブルから降りて、絨毯のうえに腰を下ろした。
けれど、俺はそんなエメリィーヌに一瞬の隙も与えない。
どんどん「嘘」という名の戯言で彼女をまくし立てていく。
「昨日買い物の帰りに100円玉を拾った!!!」
「急にどうしちゃったんヨか!?」
「もちろん嘘だ!!」
「なんでそんな無意味な嘘をつくんヨか」
「昨日近所の子犬に餌を与えた!」
「人んちのペットになにしちゃってるんヨか!」
「これももちろん嘘!!」
「怖い怖い! もうワケがわからなすぎてカイのことが不気味に思えてきたんヨ!!」
「昨日ガリガリくんが当たった!!」
「なんでさっきから“昨日”だけに巻き起こってるんヨか!」
「お腹を壊した!!」
「当たったってそういう意味なんヨ!?」
「すべからく嘘だ!!」
「もうやめてくださいなんヨごめんなさいなんヨウチが悪かったなんヨ!!!」
ズバババッ、と、先ほどと比べると荒々しい土下座を何度も披露するエメリィーヌ。
何が起こったのか理解が追いつかないらしく、目をぐるぐると回している彼女とは裏腹に、俺はとっても夢心地だった。
いやぁ、起床してからまだほんの数分しか経ってないのに、もうこんなに嘘をついてしまった。
普段、こんなに嘘をついてたらぶっ飛ばされるかぶっ殺されるかのどちらかだが、今日というエイプリルフールは話が別。
最終的に嘘だと自供すれば、ドッキリの時の「ドッキリ大成功、バンザーイ!」みたいに全て笑って許される。
こんなに堂々と嘘をついて、尚且つ誰もが笑って受け流してくれるエイプリルフール。いっぱい嘘をつかねば損というものである。
もちろん、逐一ツッコミを入れてくれるエメリィーヌにも感謝の心は忘れない。
もしこれがツッコミじゃなくて「うぜえ」の一言だったら、多分俺は心に一生癒えない傷を負うことになっていただろう。
俺のハートはDVDディスクの記録版の部分並に傷つきやすいのだ。
「はぁ、いっぱい嘘ついたら腹減ったなぁ。どうだエメリィーヌ。飯食うか?」
「ごはんなんヨか!? 食べるんヨ! お願いしますなんヨ!」
“飯”という単語を聞いた瞬間、エメリィーヌは目の色を変えて、土下座のままその場で飛び上がった。
その状態でどうやってジャンプしたし。
「よっし、じゃあ作るかぁ! って言っても、ベーコンと目玉焼きのヤツしかできないけど」
「ウチにとってはなんでもご馳走なんヨ!」
「はは、そっかそっか。じゃあ作るわ。目玉焼きベーコン」
「シェフ、そこにポテトサラダをつけてくれると美味しさが際立つんヨ」
「シェフに指図したのでエメリィーヌさんのモーニングメニューは卵の殻になりました」
「頑張ればイケそうなんヨ」
「マジかお前!」
「ウソなんヨ」
「騙された!!」
流れるように嘘をぶっ込んでくるエメリィーヌ。
さすがは嘘つき師範代。絶妙なホラを吹きやがるぜ……!!
「いつからウチはウソつき師範代とかいう不名誉な称号いただいちゃったんヨか」
「あれ、俺今喋ってた?」
「モンのチロなんヨ」
「それを言うならモチのロンだろ。なんだモンのチロって。そんな言い間違い初めて聞いたわ」
今の会話からもわかると思うが、実は俺には困った癖がある。
それが、無意識のうちに考えていることを喋ってしまう、というものだ。
喋んないように意識して頑張ってみても、今度は表情に出てしまってわかりやすいとかなんとか。
つまり一言で言えば、俺の広辞苑にプライバシーという単語は記載されていないのである。
悲しいぜ。
「ふふふふ~ん……ふふふふ~ん……」
鼻歌交じりに、俺は冷蔵庫を開ける。
すると昨晩の記憶通り、そこには卵1パックと、10枚入りで1パックのヤツが3パック付いたお徳用パックの特売ベーコンが綺麗に冷蔵されていた。
他の材料はもれなく何もなく、あるのは徳用ティーバックで作った麦茶のみ。
この状態だと昼飯は何とかなっても夕飯が間に合わなくなってしまうので、お昼を過ぎたら近場のスーパーにでも買い出しに行くことになるだろう。
「ふふふふ~ん……ららら……ちゃららら……!! ありのぉおおおお!!! ままのぉおおおお!!」
「ヒドく音痴!!!」
鼻歌からの歌唱力を披露したらドストレートに批判された。
「失礼だなエメリィーヌ巡査部長」
「なんなんヨかそのナゾの称号シリーズ」
「俺ってテンション上がると名前の最後に役職を設けたくなるんだよ」
「厄介な気分上々なんヨね……」
「まぁ嘘だけどな」
「所狭しとウソを並べるなんヨ!」
やれやれと呟き呆れを表現しながら、エメリィーヌはせっせとテーブルの上を台ふきできれいにしている。
朝食をご馳走になる準備を惜しみなくしてくれているその姿に、思わず笑みがこぼれた。
「あ、そういえばキョウヘイが見当たらないんヨけど~」
フライパンに油を引いてそこに卵を落としていると、不意にエメリィーヌがそんなことを言い出す。
「そういや見かけねえな。おーい! オメガー? いねえのかぁ~!?」
家中に聞こえるように大声で問いかけてみるも、返事はない。
こういう時は、体外どこかへ出かけている時だ。
オメガが無断でいなくなったりするのは実はよくあることで、さして焦るような事柄ではない。
「どうせまたどっかで萌え萌え言ってるんヨ」
「だな」
オメガこと、鳴沢 恭平。それが今、話題に上っている人物の名だ。
彼はエメリィーヌと同じく俺の家に居候しているのだが、コイツはエメリィーヌと違い宇宙人ではなく正真正銘の人間で、バリバリの日本人だ。
ただし、性格がちっとばかし人間離れしている。
というのも、彼は一言で言うなれば、“変態”なのである。
下は3歳児から、上は中学生までの女の子が大好きな、いわゆるロリコン野郎。
人工的な銀髪がよく似合うくらい容姿は群を抜いてイケメンなのだが、残念なことに変態であり、オタクでもある。
トレードマークの黒縁メガネのレンズ越しに毎日毎晩アニメ鑑賞を嗜んで、果ては二次元の中に飛び込める機械や一生年の取らないロリータアンドロイドを発明するのが将来の夢だと語っていた彼は、発明能力に長け、未来のネコ型ロボット顔負けのおもしろおかしい珍な発明品をいくつも作り出している。
オタクでメガネなド変態。
そんなオメガがいないとなると、我が家は今日は平和だということになる。
そして、我が家が平和となると、俺も気分が楽になる。
別にオメガのことを鬱陶しく思っているわけではないけど、たまにはこういう静かな朝もなかなか乙なものだ。
「おーい、エメリィーヌ!」
「なんなんヨか~?」
呼びかけると、トテトテと俺のそばまで駆け寄ってくる。
「飯、これ出来たから持ってくの手伝ってくれるか?」
「断る理由がないんヨ!!」
ビシッと敬礼をして、頼もしい返事を返してくれた。
部屋の掃除とかおつかいとか頼んだら問答無用でガンを飛ばすくせに……飯のことになると人が変わったようにテキパキと動きやがる。
まぁ、子供らしいといえば子供らしいからいいんだけどさ。
「カイー! 早くいただきますするなんヨー!」
目玉焼きと焼いたベーコン、そして炊きたての白米。
それらが旨そうに装われた平たい皿をテーブルに並べ終えたエメリィーヌは、すでに食卓に着座している。
よくよく見ると、その両手には子供用の短い箸が一本ずつ握られており、ドラムスティック替わりにしてテーブルをカタカタとリズミカルに殴打していた。
やめなさい、お行儀が悪いですよ。
「その前に、お前手ぇ洗ったのか?」
「しまった! 逆転サヨナラ満塁ホームランを打った人ごっこしてから手を洗っていなかったんヨ!!」
なにそのごっこ遊び。ちょっと気持ちよさそうだな。
なんて、呑気な感想を思いながら、俺も手についた油や卵の粘りなんかを水道で洗い流す。
そして、食卓に鎮座して洗面台に駆け出していったエメリィーヌの帰りを待った。
その後すぐに戻ってきたエメリィーヌは、洗い終えたらしいその手の平を俺に突き出してくる。
「お待たせなんヨ! ウチの手、キレイなんヨか?」
「おう、キレイキレイ。四十代のお肌って感じ」
「とてもショックなんヨ」
「嘘だよ。深海のマリンスノー並みにキレイだ」
「プランクトンの死骸に喩えられてもひたすらビミョーなんヨ」
「お前詳しいな」
コイツのこういう知識はどこで身につけてくるのか。
大方、情報源はテレビや書物からなのだろうが、最近の世間的なニュースとかもたまに俺より詳しくてビビることが多々ある。この前いきなり「アベノミクス」がどうのこうの言い出した時はガチで焦ったし。
「さてと……シェフ、今日のメニューは何なんヨか~?」
事務的なイントネーションで俺に問いかけてくる。
俺が毎週欠かさずに視聴している料理番組をエメリィーヌなりに吸収したらしく、最近では飯を食う前に必ずメニュー名を確認してくるようになってしまった。
毎回毎回、料理名もないような素朴な一般家庭料理の名を答えさせられる身にもなって欲しいものだが、俺も俺でその都度適当にそれっぽい名前を考えて発表するのが楽しみになってきてしまったので無下にすることすらできずにいた。
というわけで、もう一度今回の朝食の確認をしてみる。
目玉焼きと、ベーコン。それと白米。いたってシンプル。
ここに味噌汁でも付けば完璧な俺好みの朝食になるのだが、あいにく味噌が尽きていたため、今回は見送りとなってしまわれたのだった。
この朝食、一般的に言えば「ベーコンエッグ」というジャンルになるのだろうが……。
もうちょっと趣向を凝らした料理名の方が、愛着も湧いて気分も健やかになれるというもの。
一見シンプルで面白みのない料理だけれど、だからこそ、料理名だけは高級料理店に引けを取らないレベルにしてあげたほうが食材たちも喜び狂うってもんだ。
そんなわけで、本日のモーニングメニューはこれだ!!
「お客様、こちらは《目玉焼き ~特売のショルダーベーコンを添えて~》でございます」
「☆三つなんヨ!!」
「料理名だけで三ツ星評価された!!」
随分単純な料理評論家だった。
そんなこんなで、食事を済ませ、後片付けをこなしていく俺たち。
エメリィーヌは本当に何を食べても美味しそうに食べてくれるので、見ているこっちも気分がいい。
めちゃくちゃ大食いだけど、何かを食べている時のあの無邪気な笑顔を見ると、ついおかわりを装ってきてあげたくなってしまう。
いっぱい食べてくれるからどんどん食べさせてあげたくなる俺は、きっと栄養管理士には向いてないんだろうな、と一人静かに思ったりして。
食べ方も子供の割には比較的綺麗で見苦しくないし、おいしいおいしいとオーバーなぐらい素直に感想を述べてくれるエメリィーヌは、きっとグルメリポーターが性にあっていると思う。
料理を作ってくれた人に、またご馳走してあげたいと思わせる。エメリィーヌの魅力の一つだ。
「……? なんでウチの顔ジーッと見てるんヨか? まさか顔に食べ残しが!?」
「なんでもねーよ。食べ残しもついてない。強いて言えば左耳が取れかかってるぐらいか」
「左耳が!? ええええ、えらいこっちゃなんヨ!!! ちょっとカガミ、カガミ見てくるんヨ~~!!!」
俺の嘘を間に受けて、エメリィーヌは狼狽えながら一目散に駆け出していった。
どんだけ面白いんだよ、アイツ。
「ぎゃああああ!!!! ホントに取れてるんヨぉおおおお!!!!!」
ふいに、洗面所の方からエメリィーヌの悲鳴が家中に響き渡った。
「ホントに取れてたの!?」
まさかとは思いつつも、急いでエメリィーヌの元へ駆け寄った。
洗面所のドアを開けると、まず目に飛び込んできたのは、ムンクの叫びみたいな表情をした、鏡に映ったエメリィーヌの姿。
そして、そこに映った彼女の左耳は、“パックリとちぎれていた”。
「な、なんだよ……コレ……」
そう声を漏らすと、俺が後ろに居ることに気がついたのか、エメリィーヌは「ヒィ!」と小さく悲鳴を上げて体を跳ねさせた。
それを目にした瞬間、俺の脳裏にある一つの疑いが浮上する。
そして、その疑問を順を追って思い返してみると、あるひとつの解にたどり着いた。
「か、カイ……」
錆び付いたロボットのように、ぎこちない動作で俺の方に顔を見けるエメリィーヌ。
しかし、俺のピントはエメリィーヌではなく、目の前の鏡に合っていた。
そっか、だから、エメリィーヌは“土下座”なんかしてたんだ。
今朝、俺は顔を洗わなかった。
いつもなら朝起きて一番最初に顔を洗う習慣がついていたはずなのに、今朝はスッキリと目が覚めたため俺はそれを怠った。
だがエメリィーヌは、起床した俺がいつものように洗面所へ向かったと思うだろう。
だから、エメリィーヌは深々と頭を下げていたんだ。
思い返してみる。
エメリィーヌは、早く目が覚めた俺よりも、さらに早く起きていた。
そして、今日はなぜだかオメガもいない。つまり、エメリィーヌは朝っぱらからずっと一人で暇だったはずなんだ。
そして暇だった彼女は――そう、遊んだ。
本人も言っていたことだ。「逆転サヨナラ満塁ホームランで打った人ごっこ」というマニアックなごっこ遊びで時間を潰した。
じゃあ、そのごっこ遊びをするに従って、何が必要か。
野球のごっこ遊びなのだから、当然、バットを用いるはずだ。
そして、ホームランを打った人っていうことは、きっとそのバットを思いっきり振ったに違いない。
その振り切ったバットがこの現状を起こしたのか、それとも振り切って塁に出る際にバットを放り投げたからこの有様になったのかはわからない。
事の真意は定かではないけれど、でもこれだけは確かに言える。
エメリィーヌの足元に転がっている金属バット。
そして、ヒビの入った洗面ガラス。
床には僅かにガラスの破片が散らばり、割れた鏡に写りこんだエメリィーヌの左耳は、亀裂のせいであたかももげているかの様に演出していた。
「……エメリィーヌ」
「は、はいッ!!」
ガクガクと膝を震わせ、ガチガチと奥歯を鳴らし、ジワジワと涙がエメリィーヌの目に溜まっていく。
そんな彼女に対して、お慈悲の気持ちがわずかも出てこない俺は、おそらく鬼だろう。
真っ青な顔したエメリィーヌの緑色の瞳に写りこんでいる鬼の俺は、きっと文字通り鬼の形相に違いなかった。
今朝は今朝とてエイプリルフール。
しかし、俺の有頂天に差し掛かった激憤は、嘘偽りなんかじゃ決してない。
そして、彼女の焦燥感も、決して嘘ではないのだろう。
だがしかし、この世に情け容赦など存在しない。
ですからエメリィーヌさん。ご覚悟あそばせ?
「……なーんてな」
「ヨ……?」
俺は放っていた怒気を抑え、緩やかな表情に戻した。
エメリィーヌは怒られると思っていたらしく、素っ頓狂な声を上げる。
「エメリィーヌ、お前はちゃんと俺に謝った。自分で反省した。だったらもう俺から言うことは何もない」
「カイ……!!」
「怪我は、なかったか?」
俺は微笑みながら、エメリィーヌに手を差し伸べた。
その俺の手を、エメリィーヌも満面の笑みでつかみ返す。
俺の手よりも、一回りも二回りも小さい手。少し力を入れれば、簡単に折れてしまいそうなぐらい柔らかい。
そんな彼女の手を優しく両手で包み込み、俺は言った。
「ぬかったな小娘」
「ヨ?」
一変。俺は再び怒りの気を身に纏う。
「な、なんヨ!?」
俺の心中を察し、逃げようとジタバタと抵抗するエメリィーヌだが、力の差は歴然。俺に腕を掴まれた彼女は、もはや金魚鉢に住まう金魚も同然だった。
「家の中でバットを振り回した挙句……ガラスを粉砕。何のケジメも無しってわけにゃあイカンだろうぜエメリィーヌさん」
「だ、騙したんヨか!? ウチを!!」
「あぁ……その通りさ」
「ひ、卑怯なんヨ!!」
「……卑怯?」
ふふふふ……ふははははは!!!
面白い。実に面白いよエメリィーヌ。
この俺に“卑怯”という単語など通用しないことぐらい、日頃の付き合いでわかるだろう。
それに、なんてったって今日はそう……。
「エイプリルフール、なんだよ……!!」
騙されるほうが悪い。
嘘をついていいと定められた日に、嘘をつくことのなにがいけないのか。
むしろ文化に従順な行動を起こしたのだから、褒めてもらいたいぐらいだ。
「ズルいんヨ!! 狡いんヨ!! ウチは……ウチは……!!」
キッと、エメリィーヌは俺に鋭い視線を向ける。
しかしその目からはボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちているので、もはや威圧感というよりかは愛くるしさしか感じられなかった。
無抵抗な幼女を言葉攻めにしている。
絵面だけ見れば即通報レベルなのがなんとも言えないが、正直なところ俺とエメリィーヌにとっては、こういう言い争いも日常茶飯事。いつもの光景で、別段重要視するほどの問題でもなかった。……なんか常日頃から不埒を働いてるみたいな言い方になったけど気にしないでくれ。
要は喧嘩するほど仲がいいってやつだ。
それでも、ここまで体を緊張させているエメリィーヌはそうそう見ないが。
「カイは……ちゃんと謝れば許してくれる人なんヨねって思ってたんヨに……!! ガッカリなんヨ!! 拍子の助なんヨ!!」
おいコラ新しい単語作んな。なんだ拍子の助って。「承知の助」と「拍子抜け」が融合しちゃってるじゃねえか。
不意打ち過ぎて思わず笑っちまいそうだったぜ!!
「何を笑っているんヨか!!」
思わず笑ってたっぽい。
しょうがない、怯えるエメリィーヌをもっと弄りたかったけど……ここらでネタばらしと行くか。
「ゴメンなエメリィーヌ、実は嘘なんだ」
そう、別に俺は怒っちゃいない。いや、ガラスをぶっかいたことに対して多少の蟠りはあるけれど、エメリィーヌはそれを素直に謝ったのだから責める必要はもうどこにもないのだ。
次から気をつけてくれればいい。それで終わりでいい。むしろ怪我がなくて本当に良かった。
……だが、このガラスの修理代を親父に交渉するのは俺であるからして、ゆえにちょっとしたイタズラ心も込めて、怒っているふりをしてエメリィーヌを戸惑わせてみた次第である。
そして、ナイスなリアクションのエメリィーヌも見た。これが見たかったからこその嘘だ。これ以上騙し続けてもお互いにいいことはないだろう。
嘘は程々でやめておく。これもまた、エイプリルフールならではのルールだ。
「だからエメリィーヌ。安心してくれ」
「ウソ……だったんヨか……?」
さっきから俺に嘘をつかれすぎて混乱しているのだろう。
白黒させたエメリィーヌの目からは、たまった涙が零れ、一筋だけ頬を伝う。
「ちょっと残酷な嘘かなとも思って躊躇したんだけどさ。まぁここはエイプリルフールのご愛嬌ってことで。許してくれな?」
「え、じ、じゃあ……カイは怒ってないんヨか……?」
「あぁ。怒ってない。というか俺が怒ってたらこんな回りくどいことしないで、問答無用でお前が楽しみに取っておいたオヤツを貪り食っている。お前に見せつけるように、灰汁どい顔でバリバリ、ムシャムシャと」
「タチが悪すぎるんヨ」
たしか今日のエメリィーヌのオヤツはポテトチップス(メソポタミア味)だったはずだ。
味の想像がつかなすぎて試しに買い置きしておいたのだが……、パッケージが群青色で、なおかつチップスにかかっているパウダーも同系色の色という、なんとも食欲を失せさせる体に悪そうな色合いゆえ、なかなか手を出せずにいたのだ。
なので、今日のオヤツの時間はその毒見をエメリィーヌにしてもらい、旨いようなら俺も分けてもらおうという算段だったのである。
ちなみにエメリィーヌはこのオヤツの存在をまだ知らない。
「いやぁ、でも迫真の演技だったんヨ! ウチすっかり騙されちゃって……目つきとか特にカタギの者じゃなかったんヨ!」
「そうそう、俺の顔はヤクザレベル……じゃねえよ! はっ倒すぞ! たしかに笑いはしなかったけど顔は別に演技してねえわ!」
「おぉ! その顔なんヨ!」
「地顔だよバカァアああああ!!!」
俺だって傷つくときは本気で傷つくんだぞ。
いくらエイプリルフールだといっても、その嘘は俺のついた嘘と比べてもその威力は数倍……いや、数百倍はくだらない。それほどの残酷な嘘だぞ。以後気をつけるように。
「え? 別にウソじゃないんヨ?」
「嘘であって欲しかった!!!」
「エイプリルとか抜きで、カイは罪人顔なんヨ! だから安心するんヨ!」
「お前……それ褒め言葉だと思ってるんならとんだ逆効果だからな」
「そんなこと思ってないんヨ」
「思ってて欲しかった!!!!!」
もうやだよこの子……!!
仕返し? これってもしかして仕返しなの? 最近の子ってこんなに残酷なの……? やられたら倍返ししなきゃ気がすまないの? 某半沢さんの魂でも受け継いでるの……?
これだからゆとり世代は!!
「残念ながらもうゆとり教育は終焉を期したんヨ」
「とても素晴らしい吸収力!!」
日本の……というか地球の文化や情勢を把握しててもあなた意味ないでしょう!! なんでそんなに吸収してるの!? 将来雑学王でも目指してるの!?
「ちなみにゆとり教育制度が実施されたのが2000年代……つまり平成12年頃だったんヨが、ゆとり教育になってから明らかに学力の低下が見られたことがきっかけで、数年後の2010年代……つまり平成22年初期の頃に廃止が決定したんヨ。まぁウチの星にはそもそもゆとり教育なんていうモノは存在しなかったんヨし、そもそもゆとり教育だろうがそうじゃなかろうが、最終的に学生さん当人たちの努力次第ってことになると思うんヨし……。どんな教育法でも努力する人は出来るし、頑張らない人は出来ない。それが理だと思うんヨ」
「もうめっちゃ吸収した挙句自分の見解まで見出しちゃってんじゃん! もうスポンジじゃん!!」
なんかとても負けた気分になった。
「って、キョウヘイが言ってたんヨ」
「オメガかよ! ……いや、どちらにせよオメガが言ってた発言を丸々暗記できてるお前もすげえよ!!」
「いや、これはキョウヘイが言ってたことを自分なりに解釈して独自のアレンジを加えてあるんヨ」
「優秀な弟子みたいな発言してんじゃねえよ!」
否が応でもこんな小娘に劣等感を感じせざるを得なかった。
なんで俺は自分の家でこんな蚊帳の外みたいな感情を覚えなきゃならねぇんだよ……。
「……それよりも、カイのウソは随分と手が込んでるんヨねぇ」
割れた鏡を見つめながらエメリィーヌが何か言ってる。
「ここの割れた部分なんか特に現実味が満載で……あ」
言いながら、エメリィーヌは無邪気にガラスのヒビを人差し指でなぞらえた。
その指からは、血が出ていた。どうやら切ったらしい。
「え? えっ? エイプリル? えっ?」
切れて血がジンワリと出てきた自分の人差し指と、割れた鏡、そして俺の顔を順番に見比べるエメリィーヌ。
おいバカ。お前は盛大な勘違いをしているぞ。
「エメリィーヌ、俺が怒っていたのは嘘だが、そのガラスの惨状自体はマジだぞ」
「え? ……じゃあこのガラスは……」
「そう、リアルだ」
「じゃあ、この指のキズも……?」
「紛う事なきトゥルーだ」
「そ、それもエイプリル……?」
「ノンエイプリルだ」
「ぴ、ピギャーーー!!」
なんの悲鳴だそれは。
「ごごごご、ごめんなさいなんヨーーーー!!!!」
自分のしでかした罪が偽りの罪だと思い込んでいたエメリィーヌは、嘘ではなく真実だという現実を前にして再び土下座を放った。
そんな彼女の必死な姿を見て、「コイツ面白いな」という感想しか出てこない俺は人間失格なのだろうか。
「もう顔を上げろよ。怒ってないって言ったろ?」
そう言いながら、エメリィーヌに手を差し伸べる。
そんな俺の言葉を聞いて、半信半疑なのか、エメリィーヌは恐る恐る顔を上げて俺の様子を確認する。
そして。
「ひぃいいい顔が怖いーー!!! 絶対怒ってるなんヨぉおおお!!!」
「ば、ばっかやろう!!!!! 地顔だっつってんだろぉおおおお!!!!」
完全に不意打ちだったエメリィーヌの発言に、俺のガラスのハートも粉々になった気がして……。
胸が張り裂けそうなぐらいキツいダイレクトアタックだったので本当に裂けてやしないだろうかと鏡を見やると、そこに映った俺の心臓部分は、見事にヒビ割れていたのだった――――。
俺日:エイプリルフール特別編 その3 完
~おまけ~
海「ほらエメリィーヌ。オヤツのポテトチップス、メソポタミア味だぞ~」
エ「なんなんヨかその味!? チグリス川とユーフラテス川、二つの大河にはさまれた土地で栄えた古代文明風の味ってことなんヨか!?」
海「どんだけ吸収してるんだお前!!」
エ「ヨ? ウチはダイソンじゃないんヨ」
海「それは“吸引力”の変わらない掃除機だよ!」
エ「え? じゃあ鹿児島とかそのあたりの」
海「そりゃ九州だ!」
エ「うおっ!? なんなんヨかこの青いポテトチップス!!」
海「面白いだろ。食ってみ? ぜったい旨いから。食ったことないけど」
エ「匂いが! 泥水みたいな匂いがするんヨ!」
海「ほら、食えって。なんなら食べさせてやるぞ? ほら、あーんして」
エ「ちょ、ちょっとウチ食欲が……」
海「うるせえ! 食え!!」
エ「イヤ、イヤなんヨ……!! ぴ、ピギャーーーーー!!」
海「だからなんの悲鳴だそれ!?」
ポテトチップスは美味しかったようです。