表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/12

俺日:梅雨特別編!~濁った心もこの雨で洗い流せればこんなにも美しい~

 どうも、こちらの[俺日:季節特別編!!]ではお久しぶりです。本樹にあと申します。

 今回の季節特別編は、なんだと思います?

 作者の誕生日? どうでもいいですね。

 七夕? いいえ違います。

 海の日? あらやだおじいさん、それは去年もやったでしょ。


 というわけで、今回は『梅雨』です。

 個人的にはめっちゃノリノリで執筆したので、それが伝わってくださると幸いです。それではまた。

 6月下旬。梅雨の真っただ中。

 梅雨っていうのはつまるところ雨がよく降る時期のことで、毎年ブレなく訪れるその天候は、春から夏に変わるための通過儀礼といっても差し支えないと思う。

 夏の暑さと、雨による湿気過多の夢のコラボレーションにより織りなされる、ジメジメとした、まるでかいた汗を大量に吸ったあとのシャツなみに肌に張り付いてくる嫌な蒸し暑さ。

 繁殖するカビ、ヨレヨレになる漫画雑誌、生乾きな洗濯物。

 梅雨を生きるものは、それらの障害に数ヵ月程度だが耐え忍ばなくてはならない。

 ましてや、台風や大嵐、雷雨や豪雨などにみまわれる確率が一段とアップし、川の増水や土砂災害にも繋がる、年間の中である意味もっとも危険な時期。それが梅雨なのだ。

 こんな梅雨を喜ぶ変わり者といえば、ハスの葉に揺られながら合唱を始めるカエルさんか、マイペースにのんびりのろのろと自由気ままなお散歩をするカタツムリさんか、今俺の目の前で土砂降りをガラス戸越しに眺めては『ふぉおおおおすごいんヨ! ナイアガラの滝なんヨ!』とテンションが限界突破している宇宙人の、計お三方ぐらいだ。




 俺日:梅雨特別編!

 ~濁った心もこの雨で洗い流せればこんなにも美しい~




「カイ! カイやばいんヨ!? 窓の外見るんヨ! くっそ土砂降りなんヨ! あっそだ、カイ! 早くシャンプーハット持ってくるんヨ!!」

挿絵(By みてみん)

「行水する気かお前は!」


 毎日丁寧に拭き掃除をしている窓ガラスに容赦なく手垢や指紋をベタベタとスタンプしながら大はしゃぎしているのは、見た目美少女の宇宙人、エメリィーヌ・ジョセフ。

 喋り方に「~~なんヨ」とつけるちょっと変わった喋り方をしている彼女は、何度も言うように宇宙人なのだ。

 だが宇宙人らしいことといえば、彼女の私物である勾玉を介することにより超能力が使えますよってところだけで、あとはもうほぼ普通の人間と大差ないちょっとお転婆な女の子。

 そんなエメリィーヌがなぜ俺の家にいるかというと、理由は単純。自分の惑星――コッカコラ星から家出してきた際に、偶然俺と感動のザ・ご対面を果たし、そのままの流れで居候させてあげているというわけ。

 好物はカラアゲ。

 好きな色は緑。

 好きな言葉は朝食昼食お夕食。

 それが彼女、エメリィーヌという存在だ。

 

「むっ、ちょっと待つんヨ! ウチがいつ「朝食昼食お夕食」などというちょっと語呂の良い言葉が好きだと言ったんヨか! ウチはそんな食いしん坊キャラじゃないんヨ!」


 なんかめっちゃキレてきた。

 俺のこの無意識に考え事を暴露してしまう癖、何とか直したい所存である。


「まぁまぁエメリィーヌ落ち着けって。どうだ? おやつ食うか?」


「おやつなんヨか!? それは是が非でもいただくんヨ!!」


「やっぱ食いしん坊じゃねえか」


 戸棚の奥から一口サイズの大福餅が3つほど入った駄菓子をエメリィーヌに見せてやると、まるで飢えた野犬のごとき速さと身のこなしで彼女はそれを俺の手から奪い取った。

 ちなみに“おやつ”などといっているが、現在の時刻は午後1時をちょっとすぎたぐらいなので、おやつの時間にしてはやや早めである。

 しかし、我が家には時間に関してさほど決まりごとがあるわけでもないので、そこは緩い感じでやっているわけだ。


「もぐもぐ……いやーしかしツユってすごいんヨね~。毎日毎日よくもまぁ飽きずに降るもんなんヨ。カミナリ様はお仕事熱心な人なんヨかね?」


「ははは。ユニークな発想だな」


 もぐもぐと駄菓子をほおばりながら、窓の外を眺めるエメリィーヌ。

 やはり子供というのは、想像力が豊かなのだろう。事あるごとに発せられるエメリィーヌのユーモアあふれる発言には、その都度感心するばかり。

 俺は、こういう想像力や好奇心を経て子供は成長していくんだなと思うので、エメリィーヌがそういう発言をしたときは、名一杯付き合ってあげると決めている。

 だから、というわけではないが、俺はエメリィーヌの隣に腰を下ろすと、先ほどの会話に混ざった。


「なぁエメリィーヌ知ってるか? 雷様ってのはさ。実は良い神様なんだってさ」


「マジなんヨか? でもヘソとかとられるってなにかの絵本で読んだことあるんヨが……」


「それはな、雨が降ると寒くなるだろ? そんな中、腹を出していたら腹を壊しちまう。だから雷様は、自分が悪者になって、ヘソをとっちまうぞ! って嘘をついて、子供たちにお腹をしまわせようとしたんだ」


 まぁ嘘だけどな。

 実際は雷様がそう言ったんじゃなく、周りの大人たちが子供を躾けるためについた作り話なんだろうが……。

 こっちの方が夢があっていいじゃない。ちょっと盛ったっていいじゃない。泣いた赤鬼みたいにさ、ジーンと心に響く話に改編してもいいじゃない。

 子供には夢を持ってもらいたい。そう思う事の何がいけないのか。

 子供の想像力は自由なんだ。だから、その想像力のきっかけを俺たち大人が作ってあげなくちゃ。少なくとも、俺はそう思う。


「へぇ~。じゃあ雷様はヘソがほしいわけじゃなくて、子供たちが風邪をひかないように願ってくれているんヨね?」


「おう」


「ということは、雷が鳴っている時にヘソを出していても別にどうもしないという事でもあるんヨね?」


「……ま、まぁな」


「なるほどなんヨ! そうと決まればカイ、水着出すんヨ水着! あ、あとシャンプーハットも!」

 

「だから行水する気かって! というかお前の水着べつにヘソでるタイプのヤツじゃねえだろ!」


「ちっちっち、甘いんヨ。ヘソがでないならヘソのところだけハサミで穴開ければ万事解決なんヨ」


「なんも解決してねえから! むしろ出費がかさむという悲劇起こってっから!」


 ヘソの部分にだけ穴が開いた水着なんてみっともなさ過ぎて着せられない。もしそんなイタズラをしようものなら、新しい水着を買うしかない。

 だから出費もかさむし俺の心もすさむ。


「出費がかさむ……? はっ! つまりヘソの部分に穴をあければ新品のものが手に入るというわけなんヨね!? そして新しくもらったヤツにもまた穴をあければ、どんどん良いモノがてにはいり、最終的には豪邸が待ち受けているという寸法なんヨか!!」


「どんなわらしべ長者だ! 延々と新品の水着のヘソ部分に穴をあけ続けるとかもはやそれ単なる嫌がらせだから!」


「さっそく穴をあけて新しい水着を頂戴いたすんヨー!!!」


「いたすな!!!」


 水着が閉まってあるタンスまで一目散に駆け出したエメリィーヌをなんとかとらえ、無駄な惨劇を阻止した俺。

 まったく、子供ってヤツはなんて残酷なことを平気でしようとしやがるんだ。

 道々に咲く野花だってまるで雑草のごとく平気で引きちぎるし、砂場にアリの巣が存在すれば無意味に水攻めにするし。

 近所に柴犬がいればおじゃる丸みたいな眉毛描くし、水たまりがあれば長靴とか運動靴とか関係なしに飛び込むし。

 つくづく、呆れるばかりだ。

 いったい何を考えているのか? もしくは、何も考えていないのか?

 子供の好奇心ってヤツは、とことん面倒で理解不能なものらしい。


「さっきと言ってることが違うんヨ」


「聞いてんじゃねえよ」


「なら喋るんじゃないんヨ」


 喋るなと言われても気づかぬうちに喋ってしまうわけだから、俺にはどうしようもできない。

 だったら俺が不可能に近いことを頑張るよりも、周りが俺に合わせるのが筋ってもんじゃないだろうか。


「なんかむちゃくちゃ言い出したんヨ」


 やれやれ……と呆れ口調のエメリィーヌ。

 なんで俺がほとほと愛想つかされなくちゃならないんだ。


「そんなことよりカイ~」


 唐突な閑話休題。


「ツユってなんでツユって言うんヨか? 雨が雨じゃなくてめんつゆだから?」


「もし仮にそれが正しかったとしたらお前は一体どうしたいんだよ」


「流しそうめんするんヨ」


「空から降るめんつゆとか絶対に腹壊すだろ」


「ウチはそういうの気にしないタイプなんヨ」


「気にしようぜ!」


「ウソウソ。十中八九冗談なんヨ」


一二いちには本気なのかよ!」


「なんて、十中八九冗談というのも十中八九冗談なんヨ」


「本気度広がっただけですけど!?」


 十中八九冗談というのが十中八九冗談だという事は、20%が本気で80%は冗談だったのが、さらに20%本気で80%冗談になったわけで、要するに最初の十中八九冗談というのが20%冗談という事になり、最終的にエメリィーヌの言った言葉の八割以上は本気という事になる。……あれ、ならないかな。どうだろう。わからない。俺にはわからないよ父さん。数学は苦手なんだ。


「なにをブツブツ言い始めたんヨか。アホなんヨか?」


「元をたどれば全部お前のせいだ!」


 冷ややかな視線を送ってきてくださる心優しいエメリィーヌに、俺は大変な憤怒の念を抱いた。

 ったく、なんで俺が頭おかしくなったみたいな目で見られなきゃいけないんだ。これはいっちょ俺が上の立場だってことをわからせてあげる必要があるな。

 エメリィーヌは居候している身でもあり、年下だという身でもあり、身の回りのことをすべて俺にしてもらっているという事実も存在する。ゆえに、そこまでやってあげているのだから俺の言う事は二つ返事で了承するのが当然のことわりというものだろう。

 というわけで。


「いいかエメリィーヌ。お前は立場というものを理解した方がいい。日頃飯作ってやってるのは誰だ? この家に住まわせてやってるのは誰だ? わかったらもっと俺に敬意をはらえ。うやまえ。びろ。かえりみろ」


 まさに外道。

 そんな言葉が俺の脳内にデカデカと表れ始めたが、そんなことは些細な問題だ。

 きっとこれで、エメリィーヌも自分がいかに傲慢な態度を示していたか気づくだろう。


「……カイ、それは本気で言っているんヨか?」


「本気も本気! むしろこれが本気じゃなかったら何が本気なのかってくらい本気だ!」


 今の俺は最高に調子に乗っていた。


「そうなんヨか……」


 そんな俺に愛想でもつかしたのか、ひとたび大きくため息をついたエメリィーヌは、少しだけ不機嫌な表情をし始める。

 そして何を思ったのか、エメリィーヌは俺に向き直ると、


「カイ、ウチが言う事でもないかもしれないんヨが、ひとつだけ教えておくんヨ」


 意外や意外、ご立派にもさとしてくるではないか。


「確かに、カイはウチにめちゃくちゃ良くしてくれるんヨ。ご飯だって作ってくれる。なんだかんだ言ってもオモチャだって、ゲームだって、お金に余裕があるわけでもないのに買ってくれてる。感謝してもし足りないんヨ」


「そうだろうそうだろう! 俺ってば超優しいだろ!」


 豪快にガハハと笑って見せる。

 褒められたことに照れてしまったのを誤魔化そうとしたのは内緒。


「でも!! それらはカイが優しいからしてくれたことじゃないんヨか!?」


 “ひとつ教えといてあげるんヨ”からの“質問”。

 教えるとか言っておいて、まさかの教えを乞うという斬新な行動に出たエメリィーヌさんに少しばかり動揺してしまう。


「カイは、ウチに何かをしてほしいから優してくれるんヨか!? 言う事を聞いてほしいから優しくするんヨか!? ……ウチが、ウチが何もできなかったら……カイは何もしてくれないんヨか!?」


「……その心は?」


「つまり、ウチが言いたいのは、人に優しくするのに見返りを求めてはいけないという事なんヨ。ああしてあげたんだからこうしろ。そうしてあげたのになんで言う事をきかないんだ。……なんて、そんなの、全然優しさじゃないんヨ! ただの交換条件なんヨ!」


 お、おぉう。


「そんな見返り欲しさにする優しさなんて、ウチはいらないんヨ!! そんなことされるぐらいなら、ウチはこの家を出ていくんヨ! そうしたら土地勘が全くないウチはヨッという間に迷子になって、あとはもう事故に遭うなり誘拐されるなり路上で行き倒れるなりコロ助なりなんヨ! それでもいいんヨか!?」


「よくないですね、はい。……ん? コロ助?」

 

「ということは、例えばウチが家を飛び出したとして、カイは絶対にウチのことを探してくれるはずなんヨ」


「まぁ、うん。探すだろうな。コロ助ってなんだ」


「じゃあ聞くんヨが、それはウチが心配で探してくれているんヨか? それとも、探さないと自分の評判が落ちるからだとか、探すことによって何か自分のためになる状況だったから、ウチを探してくれるんヨか?」


「いや普通に心配だから探すだろ。今日みたいに雨がゲリラ豪雨レベルの日とかだったら特に心配になるわな」


「でもさっきカイの言っていたことは、『わざわざ探してやったんだから俺を敬え』って言っているのと同じだったんヨ」


「なんだソイツ屑じゃねえか」


「ぶっちゃけクズなんヨ」


「それは俺が悪かったな。謝る」


「いやいや、わかってくれたならウチは大満足なんヨ」


「あぁ。良くわかったぜ自分の身勝手さがよ……。ところでお前、さっき話の流れの中でさり気なくシャレみたいなこと言ってなかったか?」


「ん? おかしいんヨね。ウチはコロッケだなんて一言も言ってないんヨ」


「そうだな。確かに言ってない」


 おかしいな……空耳かな?


「とにかく、ウチが言いたかったことは、見返りを求めるくらいなら何もするなってことなんヨ!」


 そういうと、フンと鼻を鳴らしたエメリィーヌ。

 エメリィーヌの話を聞いて、俺は自分がどんなにクソみたいなことを言っていたのか理解できた。そしてそれと同時に、エメリィーヌが歳の割にむっちゃくちゃしっかりしているという事を、改めて思い知ることとなった。

 要するにエメリィーヌが伝えたかったことというのは、優しさを伴う行動は、無償で行うもの。というわけだろう。

 優しさからくる行動であっても、そこに見返りを少しでも求めてしまったら、それはもはや善じゃなく偽善。エメリィーヌの言葉を借りれば、もはや交換条件という事になってしまうのだ。

 そんな当たり前のことを、俺はエメリィーヌに教えられる形になってしまった。

 子供の想像力は無限大だなんていうけれど、本当に子供ながらにいろいろ考えているんだなと感心するばかりだ。

 ほんと、エメリィーヌはすごい。


「まぁでも? だからと言ってエメリィーヌが何もしなくてもいいという事にはなりませんよなぁ?」


「ちっ」


 今舌打ちが聞こえましたよエメリィーヌさん。

 その『誤魔化されなかったか……』みたいな悔しそうな感じの表情やめろ。


「誤魔化されなかったなんヨか……」


 せめて言葉には出すな。


「やれやれ……」


 エメリィーヌが真面目なことを言い出すときは、体外その裏でなにか悪巧みしていることが多い。

 そのもっともらしい理由に思わず納得しそうになるのだが、そんなものに騙される俺ではないので、ほぼ確実に俺は彼女の企みを看破するのだ。

 それがエメリィーヌと俺との、ちいさな駆け引き。というかミニゲームみたいなものだ。


「誰がミニゲームなんヨか」


「すまんすまん。聞こえてたか」


「ばっちり聞いちゃったんヨ」


 まぁ今のはわざと喋ったんだけどな。


「あ、そうだカイ。ゲームといえば今日はコトネたち来ないんヨかね?」


 こんな子供に『ゲームといえば』で連想された琴音ことね

 本人が聞いたらなんて思うか……、たぶんむしろ『おっとエメリィちゃん! そんなに褒めても何も出ないよ!』的な感じでノリノリになるだろうな。うん。


「さすがにこんな雨の中来ないだろ。来たらただのバカだぞ」


「それは言えてるんヨね」


 あはははとあがった二人の笑い声も、雨の音でかき消されてしまう。それほどまでに、今日は悪天候だった。

 テレビをつければ、やれ川の増水による浸水なり、やれ土砂災害なりで、聞いていて気持ちのいいものではないニュースばかりがよく目立つ。

 そんな台風にも似た大雨が、今現在俺の住む町周辺に近づいてきているのだから、そりゃ豪雨にだってなるというもの。

 現に今だって、槍のように鋭く降り注ぐ大粒の雨が雨どいにあたるたびベコベコとまるでドラム缶がつぶれるような音が鳴り響き、強い風に窓はがたがたと音を立てている。

 普段なら結構人通りが良いこのあたりも、今では人どころか車すら見当たらない。

 挙句の果てには、俺の自転車は強風でひっくり返り、雨ざらしになるのを防ぐためにつけていた自転車用のカバーはまるで渡り鳥のように見事に大空へと羽ばたいていき、それらの被害に迅速に対応を試みた俺は結果ずぶぬれになり、午前中の中途半端な時間からシャワーをくぐる羽目になったのもほんの数十分前の出来事だった。


「あのカバー……2千円ちょっともしたのにな……」


「まだ落ち込んでたんヨか!?」


 エメリィーヌが呆れ交じりに驚くのも無理はない。

 なにせ、今の今まで見事にショックを受けていた俺は、エメリィーヌに延々と慰めてもらっていたのだ。

 真っ白に燃え尽きる俺の気分を紛らわせるためと、実際そう感じたという理由から、ガラス戸に張り付き『ゲリラ豪雨なんヨ!』と大興奮していた彼女のおかげでなんとか気分転換をすることができて(というかするしかなかった)、今に至るという感じである。

 なのでエメリィーヌからしてみれば、何時間も慰めてようやく気を持ち直してくれた俺が再び落ち込み始めるというプチ悪夢の再臨を体験しているのだ。

 情けない話だが、それがわかっていてもなお俺は立ち直れそうにない。

 今回、大雨が近づいているという事で、つい前日専門店に足を運び購入した自転車用カバー。

 中学のころからお世話になっている我が自慢の自転車を守るための防具を安いものにしてたまるかという心意気で、選びに選び抜いて購入した高級な装備が、いざその時になるとものの数分で仕事を放棄し、自由を求めて大空へとフライアウェイしていったのだ。ショックを受けない方がどうかしている。


「山空、エメル。お茶が入ったぞ」


「おぉ、キョウヘイ! ナイスタイミングなんヨ!」


 三つの湯呑ゆのみを丸いお盆の上にのせ、彼はそれを運んでくる。

 さきほどエメリィーヌが俺の家に居候しているといったが、実はもう一人居候しているのだ。

 それが彼、鳴沢なるさわ 恭平きょうへい

 銀髪で黒縁眼鏡のイケメン青少年と言えば聞こえはいいかもしれないが、その中身は手の施しようがないレベルのド変態。

 三歳以上、中学生以下の女の子が大好きな、いわゆるロリータコンプレックスという性癖の持ち主。

 当然、7歳らしいエメリィーヌも彼のストライクゾーンの範囲内なわけだが、『真のロリコンは小さい女の子を傷つけるために非ず』という謎の迷言のもと、意外と普通に仲のいい関係でとどまっているのが今の現状だ。

 ところで、彼の特徴スキルはそれだけにとどまらないのをご存じだろうか?

 そう、彼は銀髪イケメン眼鏡の変態ロリコンというだけでは収まらず、なんとオタクでもあるのだ。

 アニメ、ゲーム、音楽など、様々な分野に通ずるハイスペックオタク。

 そしてもちろんのことそのオタク街道にも迷言が存在し、『真のオタクはジャンル差別をするべからず』とのたまうだけあり、ロリッロリなアニメやゲームだけを贔屓目で見るという事はオタク道に反するらしい。

 しかし、二度目になるが、まだまだ彼のスキルはそこだけではとどまらなかったりする。

 ロリも好きだが、二次元が好きな彼。

 そんな彼の夢は、二次元の世界に入り込むことと、永遠に年を取らない人間そっくりのロリ型アンドロイドを作ること。

 その二つの夢をかなえるために、幼いころから研究に研究を重ね、今ではちょっとした摩訶不思議な発明品を手製で制作することが可能なレベルにまで発展している。ある意味天才といえよう。

 オタクでメガネな凄いヤツ。それが鳴沢 恭平こと――オメガの実態だ。


「エメルエメル。実はこのお茶に使ったお茶っ葉なんだけど、僕が研究に研究を重ねた少し特殊なお茶っ葉を使ってるんだが……ちょっと試しに味見してみてくれないかな? あっ、体には良い影響しかないから安心してね」


 俺は恭平のことをオタクでメガネな事からオメガと呼んでいるのだが、そんなオメガはエメリィーヌのことをエメルと呼んでいる。

 そんなことはさておき、エメリィーヌにだけでなく俺の目の前にも差し出されたこのお茶は、どうやらオメガのお手製のお茶っ葉を使用しているらしい。

 制作した本人が人体には害がないと言っているから安全なのは確かなんだろうが、『試しに』という言葉を使っている以上、ただ健康になれるお茶というわけでもなさそうだ。

 何度も言うように彼は小さい子を大切にする人徳高いポリシーの持ち主で、そんな彼がエメリィーヌ(小さい女の子)にそのお茶を差し出しているところから見ても危険なものではないのはわかる。

 だがそれでも、どんな効果が表れるのかわからない以上やはり不安は拭えず、俺はそのお茶を頂きかねていた。


「いただきますなんヨ!」


 しかし、疑ってかかっているのはどうやら俺だけのようで、素直なエメリィーヌは怪しむ素振りすら見せずにそのお茶を平らげよる。

 温かいお茶を一気に飲めるのは、『僕の可愛い可愛いエメルがお茶をこぼして火傷しないように』というオメガなりの心遣いゆえのモノだろう。


「どうかな? エメル、今どんな感じ?」


 飲み終わってすぐのエメリィーヌに何かをうかがっているオメガ。

 そのことから、おそらくオメガがお茶に施したものは、即効性が期待できるモノなのだろう。

 いったいどんなとんでもない効果が飛び出すのか。関係のない俺にも、少しばかり緊張が走った。


「……う~ん。別にどうもしない感じなんヨが……あれっ? なんか眠くなってきたような……」


 そう呟くや否やフラフラとおぼつかない足取りで、ソファの上にバタンと倒れこんだエメリィーヌ。

 その様子を余すことなく目撃してしまった俺は、あまりの驚きに声にならない悲鳴を上げながら硬直するほかなかった。


「フフ……フフフ……大成功だ!!」


 薄気味悪い笑みを浮かべると、オメガは恥も概念も目撃者たる俺に誤魔化すことさえも忘れ、堂々と犯罪者に成り果てた。

 なにが心優しいロリコンだ。

 なにが小さな女の子は傷つけないだ。

 どれもこれも、全部嘘っぱち。すべては今日という日のために作り上げた上っ面だけのデタラメじゃないか。

 きっと彼は、寝かしつけたエメリィーヌに、容赦なく襲い掛かるに違いない。

 吸血鬼が人間の血を吸うように。

 飢えた肉食獣が獲物に喰らいつくように。

 まだ何も知らないような女の子(エメリィーヌ)に、彼は非道を働くに違いない。

 見損なったぞオメガ。お前がそんな簡単に裏切るような奴だったなんて思いもよらなかった。

 しかし不幸中の幸い。俺はまだこの睡眠薬入り(?)のお茶には手を付けていない。だったら俺が、オメガからエメリィーヌを守るしかない。

 それに、こんなヤツでもオメガは俺の友達だ。

 友人が誤った道に逸れようとしているのなら、それを正してあげるのも友達の仕事だと思う。

 だから……。


「歯ァ食いしばれ……このド変態がぁぁぁ!!!!」


 狙いは左の頬。それも、危険性を考慮し眼鏡にあたらないぐらいの位置だ。

 俺は腕を振りかぶると、思いっきり殴りかかってやった。

 しかし。


「フッ、遅いよ山空」 


 なんということでしょう。

 まるでピッチャーの目の前に飛んできた野球ボールをキャッチングするかの如き正確さで、彼は俺の握り拳をいともたやすく受け止めた。

 そんな彼の口元はずっと変わっていないものの、しかし確実に余裕さが感じ取れた。

 オタクのくせに運動神経や反射神経は無駄に鋭い。それも彼の特徴の一つだという事を、この時初めて思い出す。

 そして俺も俺でまた、中学高校と帰宅部を貫き通してきた反動か、長年の運動不足がたたり動きが鈍くなっていることにも、この時初めて気づいた。


「クソがっ……!!」


 目の前の親友すら殴ってあげられない自分の弱さをうれえていると、かすかにガチャリと玄関のドアが開閉する音が聞こえた。

 我が家に勝手に不法侵入してくる輩といえば俺の知り合いの誰かという事になるが、正直いろいろ畳み掛けられすぎて頭が混乱している時に来られても苛立ちが募るだけ。少なくともこの状況を落ち着かせるまでは、誰にも会いたくなかったのだが……。

 当然、ドアの音は俺の聞き間違えなどという都合の良い展開もなく、俺たちのいるリビングのドアは、無情にも訪問してきた誰かの手によって開かれてしまった。


「うーみん先輩、いきなりで失礼だとは存じているのですが聞いてくださいよ~。実はですね、ここに来るまでの間に徳川の埋蔵金の謎が――ってあれ? 先輩たち……いったい何を?」


 もう振り向かなくてもわかる。

 常に『ですます口調』を用いた喋り方で、開口一番に俺のことをフィンランドを舞台とした妖精たちのいる谷に住む昔懐かしのアニメキャラみたいなあだ名で呼んでくるのはアイツしかいない。

 白河しらかわ ゆき

 俺と一つ違い(いわゆる後輩)で、俺に好意を寄せてくれているらしい高校生の女子。

 目の前の腐れメガネを“手の施しようがない変態”と称するならば、彼女は“とめどない変人”という称号が似合うと思う。それくらいにマイペースで天真爛漫な子なのだ。

 普通にしていれば基本真面目な子なのだが、なにかスイッチが入るとそりゃもうありえないくらい人の話を聞かずに暴走をはじめる。そうだな、妄想力過大女子とでも覚えてくれればほぼ間違いないだろう。

 そんな、時たま扱いが面倒だとさえ思わせてくれるユキが、今まさに面倒くさい状況の時に、一周まわって面倒と感じるほどに内容の気になる話をしながらご入室してきてくださったのだ。パニックになるのも仕方のない事だと思う。


「……先輩?」


 色々なことが起こりすぎてぐるぐると渦巻いている思考の中、俺は状況を把握しきれていないであろうユキに現在の出来事を説明し、エメリィーヌをこの場から遠ざけてもらえるように試みる。


「ユキ、逃げろ!! 変態が変態だった!!」


「へ? どゆことですか?」


「雰囲気で理解しやがれ! お前の目は何のためについてるんだ!」


「ふふふ、そんなの、ユキの王子様であるうーみん先輩のカッコイイお姿を見るために決まってるじゃないですかぁ~。って、何言わせるんですか王子先輩!」


「お前が勝手に言い出したんだろ! 王子とか照れるからやめろ!」


 そんな女子から素直にカッコイイだの王子様だの言われると、そりゃあ俺だって気恥ずかしいに決まっている。悪い気はしないけどもね。というか王子先輩って誰だ。


「さて、改めて伺いますけど、うーみん先輩は眼鏡先輩とお相撲中って解釈でOKです?」


「全然OKじゃないですけど!?」


 ちなみにユキの言う眼鏡先輩というのはオメガのことです。はい。


「じゃあどういう状況なんですか? そういえば先ほど眼鏡先輩が眼鏡先輩になったと仰ってましたけど……」


「違えよ! オメガがオメガになったんじゃなくて、変態が変態になったって言ったんだよ!」


「まんま同じじゃないですか」


「マジだ!!」


 ユキに言われて気づいた。

 俺たちの中では、もうすでに『変態=オメガ』みたいな公式が出来上がっている。

 という事は、『変態が変態になった』といってもユキからしてみれば『オメガがオメガになった』と言われているのと同じだし、たとえ『オメガが変態になった』や『変態がオメガになった』でも、やっぱり『オメガがオメガになった』ととらえてしまうのだ。なぜなら、オメガといえば変態であり、変態といえばオメガであり、むしろ“変態”という単語も変態へんたいではなく変態オメガみたいな感じになってしまっているのだから。

 まさか変態の奇行を他人に伝える際にこのような障害があるとは……。

 さすが変態。とんだチート野郎だぜ。


「あっそだ、ところでエメちゃんは……あぁ、お昼寝しちゃってるんですね。せっかくエメちゃんに食べてもらおうと思ってお家で――」


「マドレーヌなんヨか!?」


 エメリィーヌが起きた!!


「あっはい。マドレーヌ焼いてきましたのですが……エメちゃん良くわかりましたですね。それとおはようです」


「フッフッフ、ウチ程の使い手となれば中身を知らなくても匂いでどんな感じの食べ物かわかってしまうんヨ。あっ、おはようなんヨ!」


 いったい何の使い手なんだよ。


「さっすがエメちゃんです! 伊達に大食らいキャラやってないってことですね!」


「キャラとか言うなんヨ。素なんヨ、ウチは」


 突然ワイワイと会話を楽しみ始める二人ののびやかな雰囲気にやられ、気づけば俺も、オメガに掴み掛っていた手を放していた。

 見た感じ、エメリィーヌはいつも通り元気そうだった。

 オメガのお茶にやられて変な症状が出たりだとか、性格が変わったりだとか、目が覚めたら体が大人になってしまっていただとか、そのくらい摩訶不思議なことが起こってもおかしくなかったため気張っていたのだが、エメリィーヌからは全然そんな雰囲気は見られず、些細な兆しですら見当たらない始末。

 思えば、最初にオメガも『健康上問題はない』的な事を言っていたし、もしかしたら俺が一人で空回りしていただけで、本当に何も起きないのかもしれない。

 が、しかしそれだとオメガの放った『フフフ……大成功だ!』という悪役めいた台詞の説明がつかないため、一概に安心とも言い切れない。

 飲んだ瞬間眠りについたエメリィーヌ。それは少なくとも睡眠を促進する効果があったってこと。いわば睡眠薬だ。

 こんな小さい内から睡眠薬に耐性ができてしまっては、それこそ不眠症になったりなんてことも考えうる。やはり害がないとは言い切れなかった。 


「……なぁオメガ。オメガのお茶ってさ、どういう効果があったんだ?」


 いろいろ考えても俺には分からない。

 だったらもう、本人に聞くしかないだろう。

 あのお茶はいったいどういう効果で、どんな意図があって作られたのか。

 事と理由次第では、オメガをぶん殴ってやらなくてはならなくなるから。


「どうなんだ? オメガ」


 どんな返答でも受け止める覚悟を固めた俺の質問に、オメガは特に隠すつもりもなかったのか、意外にもあっさり答えた。


「疲労回復効果だ」


 疲労回復……つまり、文字通り日頃溜まった疲れを取る、ってことだろう。

 たしかに、その効果なら『身体に害はない』というオメガの言葉にも頷けた。


「なるほどな……。でも、だったらなんでエメリィーヌは突然寝ちまったんだよ。それにお前、大成功だって言ってたじゃねえか。ありゃいったいどういう意味だ?」


 もしその疲労回復に睡眠不足を解消する効果も含まれているのなら寝てしまった理由はうなずけるものの、エメリィーヌが寝入った直後、オメガがあのセリフを発した理由は全然説明がつかない。

 いったい、どういうことなのか。


「エメルが寝てしまったのは察しの通り睡眠促進の効果だよ」


「でも、それならあんな急に倒れたりするもんなのか?」


 まるで支えをなくした棒倒しの棒みたいな勢いで倒れてたぞ。


「う~ん、それに至っては僕も良くわからないのだが……おそらくエメルがたまたまその効果をより受け付けてしまう体質だったのだと思う。個人差ってヤツだ」


「……じゃあお前が『大成功だ』って言った理由はなんだよ?」


 返答次第ではぶっ飛ばす。


「それは単純だよ。なんか山空が僕のことを死んだ親の仇みたいな目で見てくるから、ちょろっとジョークとして演技をしたまでだからね」


 よし、歯をくいしばれ。


「へぶゥッ!?」


 腹を殴られ膝から崩れ落ちていくオメガを横目に、色々と整理してみることにする。

 オメガが使用したお茶っ葉は、疲労回復効果のあるお茶っ葉だった。

 エメリィーヌが突然倒れてしまったのは、その疲労回復の中に含まれる睡眠促進効果をエメリィーヌが人一倍受け付けてしまったから。

 それを見たオメガが含みのあるセリフを言い放ったのは、いつものような軽いジョークだったのだが、それを俺が真に受けて大げさに考えてしまった。


「――と、つまりはそういうわけでいいんだな?」


「パーフェクトだ……ぐふっ」


 腹部を押さえながら、まるで生まれたての小鹿のようにおぼつかない足取りで立ち上がるオメガ。

 殴った自分が言うのもあれだが、大丈夫なのかお前。


「歯をくいしばれとか言っておいて全然関係ない腹部に何の躊躇もなく一発入れちゃう山空に敬意を表するほかない……ごはっ」


「あ、いや、それについてはその……すまん。そこまで考えてなかった」


「大丈夫だ……僕は普段から殴られ慣れているからね……ててっ」


 たしかに、お前いつも琴音にセクハラしては制裁されまくってるもんな。


「でもお前……それ言ってて悲しくないか?」


「自分でもわからないんだが……なぜか琴音ちゃんに殴られると、興奮するんだ」


「理由は至極単純。お前が変態だからだ」


挿絵(By みてみん)

「ぼ、僕は変態ではない!!!」


 伝家の宝刀、『僕は変態ではない』が飛び出たところで、俺はユキたちの方に視線を移した。

 オメガのヤツ、なぜか知らんが頑なに自分が変態と認めたがらず、あくまでも自分は一般人だと言い張るのだ。もう相手にするのも面倒というものである。


「……? ちょっと先輩! なにユキの顔ジッと見つめてるんですか~! 肉食系ですか? ウェルカムですよ!」


 目があった瞬間わけのわからない発言をしてきたユキに、俺は優しく微笑んでおく。


「ちょ、やめてくださいよ。ユキがなんか憐れまれるようなこと言ったみたいじゃないですか」


 みたい、じゃなくて言ったんだよ。


「……って、ユキお前なんかビチョビチョじゃね?」


 よく目を凝らしてみると、ユキのいたるところから水が滴り落ち、我が家のカーペットに染みを作り出していた。

 気づけば、先ほどユキが歩いてきた廊下にも、なんか水分の足跡みたいなのがついている。

 白い生地に黒いストライプの入ったワンピースは水で濡れ、張り付いた部分から肌色を透かしていた。

 まぁ……その……なんというか。目のやり場に困るというかね。うん。とりあえず何があったんだお前。


「先輩? なんで顔背けるんです? あっ、さてはユキが魅力的過ぎて照れてますですね! とうとう先輩もユキの色気に気づいたというわけですか! やったね!」


 本人は服が透けていることに気づいていないのか、とても上機嫌なご様子。

 というかこの子、いつ会ってもテンション高いな。


「あーその、あれだ……なんといいますかその……色気に気づかされたといいますか……現在進行形で見せつけられていると言いますか……」


 意識するたび、どんどん顔が熱くなる。

 服が透けているという事は、当然ユキがその……服の下に着用していらっしゃるであろうそれも見えているわけで……。

 とにかく、女性免疫のない俺には刺激があまりにも強すぎる。


「……? 先輩? ホントどうしちゃったんです? せんぱ~い?」


 自分の有様に気づいているのかいないのか。

 個人的には気づいていてわざと見せつけている方より、まったく気づいていない天然なパターンの方が“純”な感じがしてどちらかというと好みだが……って、そんなことはどうだっていい。

 とにかく今は、ユキに自分が今あられもない姿だという事を意識してもらう必要があるわけだ。といっても、直接『ちょ、おまっ、服が透けて下着とか見えちゃってるよ(笑)』みたいな発言をするのは個人的に少しばかり抵抗がある。

 そして、もしユキが自分の惨状に気づいていないだけの天然な子だとしたら、というかもうほぼ百パーセント気づいてないんだろうが、もしそうだとしたら気づいた瞬間とても恥ずかしい気持ちになってしまう事だろう。

 いつもは大胆な発言が多いくせして、ユキは意外と繊細な部分が多い。きっと羞恥のあまり泣き寝入ることになるのは目に見えている。

 だからあまり彼女を傷つけることなく、それなりに、ほんわかと、なんの気なしに教えてあげられればそれがベスト。

 よし、そうと決まれば実行に移すべし。

 そんなわけで、俺はユキとの対話を試みた。


「あー、その、あれだ。ユキ、お前は水をつかさどる神なの?」


 遠回りしすぎてわけのわからないことを聞いてしまった。


「へ? どうしたんです急に?」


 当然、ユキにもまったくもって伝わってない。


「あぁいや、そのずぶ濡れだからさ……何があったのかなぁって」


 そんなことを言いつつも、今俺は両手で顔を覆いユキに背を向けている状態です。

 どんだけ耐性ないんだ俺は。


「え? あ、あぁなるほどです。実はですね、ここだけの話、外雨ヤバめでして」


 ここだけの話じゃなくても十分存じ上げております。

 そのせいで俺の自転車のカバーが……やべっ、思い出したらちょっと涙出てきた。


「んで、雨だと一日中家にいるだけでやることなくて退屈じゃないですか~」


 そんなユキの言葉に反応したのは、ユキが焼いてきたらしいマドレーヌを口いっぱいに頬張っていたエメリィーヌ先輩だった。


「ふぁしふぁみいふぃみふぁむんもへ。うふぃも……」


 何を言っているのか全然わからん。


「ちょ、エメちゃん。口にものを入れたまま喋っちゃだめですよ。お行儀悪いです! ちゃんと飲み込んでから喋ってください」


 ユキの指導を受け、エメリィーヌは素直に口の中のものがなくなるまで大人しくなった。

 そういえば関係ないけど、エメリィーヌお前、さっき昼飯とおやつ食べたばかりだよな。しかもその昼飯、米7杯ぐらいぺろりと平らげてなかったか? 化け物かよ。どうなってんだお前の消化器官。そして大丈夫なのか我が家の今月の食費。

 そんな俺の心配をよそに、エメリィーヌはごくんと口の中のものを飲み込むと、『げふぅ』と軽くげっぷを放出し、話し始めた。


「確かに、一理あるんヨね。ウチも暇で暇で退屈していたところだったんヨ。……って言いたかったんヨ」


「なるほどです」


 いや、エメリィーヌお前本当に退屈してたのか? めっちゃはしゃいでたよな。少なくともシャンプーハットかぶって走り出そうとしてたよな。もうある種の暴走族みたいなことしようとしてたよな。


「……で、まぁ退屈を持て余して部屋でマンガ読んでたんですけど……」


「へぇ、ユキも漫画とか読むんだ」


 少し意外だった。

 なんというか、ユキには漫画よりもエッセイ小説みたいなのを読んでいそうなイメージがあったためだ。まぁ一番読んでそうなのは絵本だけどな。


「ちょ、先輩はユキをなんだと思ってるんですか」


「妄想女子」


「それだとなんか電波な子みたいじゃないですか!」


「そうそう! まさにそんな感じ!」


「顔を覆いながら何をグイグイ傷つけてくれるんですか先輩は」


「ぶっちゃけこれお前のせいだからな!?」


 というか早く気付いて! もうさすがに腕も疲れてきたから!


「白河さんはどんなマンガ読むの?」


 黙って俺らのやり取りを聞いていたオメガが、このタイミングで割って入ってくる。

 ユキは高校生なのでロリコンなオメガの恋愛対象外のはずなのだが、やはりオタクゆえ漫画の話に興味は尽きないのだろう。

 とりあえず、オメガがユキと話をしている間、俺は落ち着きを取り戻すため心頭滅却でもしていようと思う。

 心頭滅却すれば火もまた涼し。

 心を空っぽにすれば、煩悩に翻弄されることだってない。熱くなった顔を鎮めることだってわけないのだ。

 だからオメガ、頼む。会話を広げてくれ!!


「そうですねぇ、少女マンガ系が多いですかね。あ、でも熱い展開とかも大好物ですので、少年漫画も結構読んだりしますですよ。最近では『もちもち』っていう恋愛マンガが胸熱ですね! あ、知ってます? 少女漫画と少年漫画の良さを一つに凝縮したような素晴らしいお話なんですけど……」


 なんだその漫画。柔らかそうだな。


「あぁ、その漫画なら僕も既刊分すべて揃えているよ。“もちもち”は略称で、正確には『もちつつもたれつつ』というタイトルだろう?」


「それですそれです!」


 おいおかしいだろう。そのタイトルでその略称はおかしいだろう。普通略すなら「もちもた」だろう。なんでもちもちさせちゃったんだよ。最後の“ち”どっから湧いて出てきたんだよ。


「舞台はよくある現代から異世界にタイムトリップしてしまうファンタジーもの。主人公は育ちの環境から困っている人に無償で手を貸す優しい心の持ち主で、ひょんなことから異世界に来てしまう。そこでは魔法が流通していたが、主人公は『肩を貸す』という魔法しか使えない。その後、元の世界に戻るには魔王を討伐する必要があると知った主人公は、旅の途中で主人公と同じく微妙な魔法しか使えない個性的な仲間たちと共に、互いの短所を互いの長所でカバーしあいながら魔王討伐を目指す――そんな世界観が織りなす、笑いあり、涙あり、恋愛ありの冒険活劇物語で、第一巻の初回発行時にはなんと――」


 のっぺりとした口調で淡々と説明するも、その声色は徐々に弾みを含んだものに変わっていく。

 どうやらユキが好きだといった漫画はオメガも大好きだったようで、自分の好きなものを語れる相手が見つかったことで若干テンションが上がっているのだと思う。

 ただそのことについては一つ難点が存在し、オメガの癖なのかはわからないが、好きなものの話になると途端に口数が多くなるのだ。

 要はぺらぺらと相手が興味のない事まで自分のペースで喋りまくってしまうということ。

 本人からしてみれば楽しいオタトークなのかもしれないが、ユキのような一般的な普通に漫画を楽しんでいただけの子からしてみればオメガのそれは正直関わりづらい部分になってしまい、結果オメガは腫れ物扱い。多少興奮を抑えれば得ることのできたトーク仲間をみすみす手放す結果となるのだ。

 ちなみにこれは補足になるのだが、オメガがみすみす手放した第一号ってのが何を隠そうこの俺なのです。

 頑張って彼の話を聞いてあげようとした時期もありました。しかし延々と、時間にしてほぼ丸1日も熱弁されては、こちらとしても『なんかよく知りもしないのに好きとか言ってスミマセン……』みたいな気持ちになってくるわけで。

 さらにタチが悪いのが、話をしているオメガはすごく楽しそうなのだ。そのせいで、聞いている方もなんか途中で話をさえぎるのも申し訳ないかなみたいな気を遣っちゃって、結局ストレスになってしまうのである。

 要するにオメガは、人との距離感を保つのが苦手なのだと見受けられる。

 そんなオメガに迫られたユキ。果たしていったいどういう反応をするのか気になった俺は、意を決して眼前を開放し、二人の方に視線を向けた。


「――それでその作者というのがまた一際異彩を放っていて、それが担当編集の目に止まりこの作品を作り上げることができたわけだが、実はその間に、聞くも涙、語るも涙なサクセスストーリーが展開していてね。それというのが――」


 まだ熱弁している。

 いったいどこまで語れば気が済むのか。

 おそらくユキからしてみれば、『作者? 担当編集? サクセスストーリー? そんなもの興味ない!』みたいな感じになってしまっていること請け合いだ。

 俺は二人(というかオメガが一方的に)話している漫画のことは知らないけど、ユキのヤツ、これが原因でその漫画のことが嫌いになったりしなきゃいいんだけどな……。


「あ~、キョウヘイのオタクスイッチが入っちゃったんヨ……これはもうロマンティックが止まらない並に止まらないんヨ」


 二人の会話を横で聞いていたエメリィーヌもまた、俺と同じくオメガに延々と好きな作品について刷り込まれた被害者なのである。

 当初、オメガの影響でアニメや漫画にドハマりし、時にはそれのアニメなどに出てくるキャラクターの口調をマネしたりして俺を困らせていたエメリィーヌだったが、オメガの一件で『日本のエンターテイメントはワケワカメ』という意識を植え付けられてしまい、無情にも早めのアニメマンガ離れをするに至ったのである。

 オメガのせいで、ニワカな自分を後ろめたく感じいつしか倦厭けんえんするようになってしまった俺。

 オメガのせいで、面倒くさいものだという意識を植え付けられいつしか興味も薄れてきてしまったエメリィーヌ。

 そんな二人だからこそ、今のユキの気持ちを理解してあげられるのだ。

 ユキは優しいからオメガの話をずっと笑顔で聞いてあげているけど、内心は『なんか面倒なことに……』ともがき苦しんでいる事だろう。

 だからユキ、切り出しにくいかもしれないけど、嫌なら断ってもいいんだぞ! というか断った方がいい! 頑張れ!


「カイ……ウチ達はただ見守ることしかできないんヨか……? このままだとユキもキョウヘイも傷つくことになるんヨに、黙って見ていることしかできないんヨか……!?」


 悲しげな表情を浮かべながら、エメリィーヌは俺のそばまで寄ってくる。

 そんな彼女に、俺はかける言葉が見つからなかった。

 ユキが話を中断すればオメガが傷つき、だからと言って耐え続けているとユキが傷つく。

 この状況で、二人とも悲しまずに場を収める方法なんて……今の俺には思いつかなかった。


「無力なんだよ……俺達は……」


「世知辛いんヨね……」


 なにかを達観した俺たちは、ただことの成り行きを見守った。

 気づけば、ユキの服が透けていることなんて気にならなくなってきていた。

 そしてそれからどのくらいが経過しただろうか――とうとう、オメガとユキとのやり取りに、終止符が打たれたのだ。

 そしてそのキッカケは、彼女に訪れた一つの症状だった。


「――っくしぇい」


 そう、クシャミだ。

 たった一度のクシャミ。それが、周りの声が聞こえないほど熱中して雑学の披露に励んでいた彼の鼓膜を揺らした。

 そしてそのちょっとの振動が、彼を急激に変えた。


「――それでその時のアシスタントさんが――って、よく見たら白河さんずぶ濡れじゃないか。あぁ、この雨の中ここまで来たのだから当然か。風邪引いてはマズい。すぐにシャワーでも浴びてくるんだ。着替えはそうだな……僕のコレクションの中に確か白河さんに合いそうなコスプレ衣装があったはずだ。それを用意しておくから、恥ずかしいかもしれないが我慢してほしい。お風呂から上がったら温かいココアも飲めるようにしておくよ。バスタオルは洗面台の下の扉に入っているからそれを使って、濡れた服は洗濯機に入れておいてくれればあとは適当に乾かしておく。寒かっただろうに……話を聞いてもらっちゃってすまなかった。早く温まってくるといい」

 

 イケメンである。

 まさにイケメンの所業。

 かつて、彼がこんなにもロリじゃない他人に優しくしたことがあっただろうか。

 普段自分勝手で相手のことなんて二の次だった彼が、他人にここまで気を使ったことがあっただろうか。

 そう、俺らは今、奇跡の軌跡を目の当たりにしているのだ。

 ユキが漏らした一つのクシャミが、彼の話を中断させるどころか『話を聞いてもらってすまなかった』とまで言わせ、その後オメガのとった優しい行動により、今までの長話で少しずつ蓄積されていた彼女のストレスも、一気に好意に変換された。

 さらに、透けてしまい見えてしまっていたユキの下着の存在も、彼女本人に悟られることなく、シャワーを浴びるという自然な流れで解決したのだ。

 まさに、誰一人とて悲しい思いをせずに済んだのである。


「あ、ありがとうございます眼鏡先輩っ! じゃああのお言葉に甘えて、うーみん先輩も、お風呂場お借りいたしますですね!」


「お、おう」


 ぺこりと頭を下げてきたユキに、返事をかえす。


「うむ。ゆっくりしてきてくれ。あ、例の着替えは浴室の扉の前に置いておく。なるべく普通の私服に見えるようなものを選んでおくから、安心してほしい」


「はい。行ってきますです!」


 軽く敬礼のポーズを見せると、ユキは浴室のある洗面所へと消えていった。


「凄いんヨ……」


「……あぁ」


 キッカケは彼女のクシャミ。

 それが大きな効果をもたらした。

 それは狙いだとか細工だとか何一つない、純粋なキッカケ。

 そう彼女は。


 ――クシャミで未来を変えたのだ。


「……さて、と。山空なにしてるんだ? 早く彼女の服の洗濯と温かいココアの準備をした方がいいぞ。あ、あと庭のテントの左の引き出しに服、入ってるはずだから適当なの引っ張って渡しておいてあげて」


「俺がやんのかよ!!!」


「当たり前だろう。なんで僕が女子高生オバサンのために動かなくちゃならないんだ? ま、そういうわけだから。僕は溜まっているアニメでも見るために部屋にこもるとするよ。じゃあね~エメル~」


「じゃ、じゃあね、なんヨ……」


 さも常識だろうみたいな立ち振る舞いのまま、オメガは言うだけ言ってとっとと二階へと消えてしまった。

 い、いや、まぁね。いつものことなんですけど……今日だけは言わせてほしい。


「……お前、マジか!?」


 この時ばかりは、アイツは一回全国の女子にタコ殴りにされればいいと、心の底から思いました。


「……やれやれ、なんヨね」






 梅雨特別編 完

 ~おまけ~


海「えーとたしか、ユキの着替えは庭にあるオメガのテントに入ってすぐ左のタンスだったな。……お、なんかいっぱいあるぞ?」


エ「ユキにはどの服を渡すんヨか? 早く選ばないとお風呂から出てきちゃうんヨが……」


海「そうだな……個人的にはこのメイド服とかユキに似合うと思う。……あ、いや、まてよ? この一昔前のセーラー服も似合いそうだ。いや、それよかこのチャイナ服とかナース服なんてのも捨てがたい……。あっ! なんだこの服は!? 布面積が圧倒的に少ないだと!? けしからん、これにしよう!」


エ「なるほど、カイは変態だったなんヨか」


海「えっ!? あっ、いや、違ッ!! 冗談だって!! あっ、えっと、ほ、ほら! 本当はこの服にしようかなって!!」


エ「うさみみ水着……なんヨか……」


海「へっ? ……わっ!? な、なんだこれ!? くっそ!! なんでこんなもの持ってんだアイツは!!! っておい、待てって! 違うんだって!! なんだその顔は!! ちょ、どこに行くんだエメリィーヌ!! 誤解だ帰ってこい!! エメリィイイイイイッヌ!!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ