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~タイム アフター タイム~ 吾輩は、1984年のイケネコである。  作者: 舟津湊


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9/9

2026の目覚め

「翔馬君、いいもの見せてあげるよ」

 とある十一月の午前。

 ボクがロビーラウンジの床拭きを終えたところで洋平さんが声をかけてきた。

「こっちに回ってきて」

「ボクが入ってもいいんですか?」

「ああ、構わないよ」

 フロントのカウンターの内側に入るよう促す。お金を扱う場所なので、若女将や番頭さんチーム以外は、普段そこに入らないのが暗黙のルールになっていた。カウンター上の白猫のユキさん(多分、2026の真白さんだ)は、われ意に介せずという感じで毛づくろいをしている。


 洋平さんは、レジの引き出しを開けた。そこにはピカピカの新札が綺麗に並んでいる。

「銀行で交換してきたばかりなんだ」

 ボクと一緒に住み込みバイトでここに雇われた洋平さんは、早くもお金の扱いを任されている。


「えーっと、福沢諭吉さんに、新渡戸稲造さんに、夏目漱石さんですか」

「そう、新紙幣。正直言うと、新渡戸稲造は誰だか知らなかったけどね」


「確かボクの時代は、万札は、栄ちゃんだったかな」2026の世界の真白さんが一万円札のことをそう呼んでいた。

「え! エイちゃんってひょっとして矢沢永吉?」

 いけない! 独り言のつもりだったけど、洋平さんにしっかり聞かれていた。

「違いますよ、渋沢栄一という人」

「……そうか、それは納得だ。君がいた時代では、さらに新しい紙幣に変わっていたんだね」

「あ、夏目漱石、知っています『吾輩は猫である』を書いた人」

「さすが『猫だけに』、よくご存知で!」

 洋平さんはそうおどけて言った。2026年の新紙幣のことをボクがうっかり話してしまったので、夏目漱石をネタにしてごまかしたつもりが、ヤブヘビだった。


 彼がレジの引き出しをカシャンと閉めた時を見計らい、ボクは聞いてみた。

「あの、洋平さんはボクが前言ったこと、信じてるんですか?」

 少し間が空く。


「ああ、君が未来からやって来たっていう話?」

「はい……途方もない話ですよね」

 彼はカウンター上の白い猫をちらっと見遣って返事をした。

「いや、私は信じているよ。それにね真白さん……若女将がそっと教えてくれたんだ。『未来のアタシ自身』も一緒に来てるって」

「そうだったんですか」

 ボクはユキさんに近寄り、そっと背中を撫でた。


「ウォークマン、貸すよ。ヘッドフォンも二つ揃えたし」

「え?」

「帰るんだろう? 元いた場所に」

「は、はい……できれば」


 ウォークマンを借りること。それはここの世界にサヨナラすること。

 だから、ためらいがあり、なかなか口に出せなかった。洋平さんが助け船を出してくれた。


「後で布団部屋……君の部屋に持って行ってあげるよ」

「あ、洋平さんの部屋に受け取りに行きますので」

「じゃあ、昼の賄いの時に渡すよ」

「ありがとうございます……あの」

「なんだい?」


「もう一つお願いです」

「?」


「お体を大事にして、毎年健康診断はしっかりと受けてください」

 ボクは言わずにはいられなかった。

 白猫のユキさんが耳をぴくっと動かした。


 少しの間、洋平さんは虚空を見つめていたが、ボクに向き直った。

「ああ、心がけるよ……ありがとう」


 時雨庵の玄関を出て、ボクは芸術的な木造の建物を見渡した。

 元いた世界のそれよりも、ちょっとだけ新しくて、でも静かな佇まいは変わらない。

 源さん、キクさん、板場の方たちに仲居さんたち。

 2026の世界でも元気に働いている人もいるし、もうそこに姿がない人もいる。

 ケヤキのカウンターの上には、白猫のユキさんの姿もない。彼女の居場所はボクが受け継いでいる。


 寒い風が庭木をゆすり、色づいた葉が落ちる。

 掃除しなくちゃ。


 1984の春から秋の間。

 人間の時間でいえば、あっという間。

 猫時間でいえば、しばらくの間。

 みんなと一緒に過ごしたこの場所、この時間が名残惜しく、愛おしく、ボクの胸をなにかが優しく締めつけた。


 〇


「ニャー」


 その日の夜。

 ボクの寝室兼布団部屋のドアを少し開けておいた。そこからユキさんが入ってきた。


 あの時、真白さんがそうしてくれたように、ウォークマンをコンセントに繋ぎ、ユキさんの耳にヘッドフォンを被せ、自分の頭にも装着し、『青銀の箱』についている再生ボタンを押した。


 布団にうずもれて横になっているボクの胸元に、ユキさん、いや真白さんが寄り添う。


 小気味よいリズムが続き、やがて女性の切ない歌声が聞こえた。


 真白さんは安心しきって目を閉じている。

 ボクもそれに倣う。


 #エピローグ


 チュンチュン。


 あー朝か。


 片手を上げ、まじまじと見る。それは黒い猫の手。

 傍らの真白さんは、もう目を覚ましていた。こっちを見て微笑む。

 心なしか、1984に出かける前よりも、元気そうで若々しく見えた。


 〇


 ボクと真白さんが戻った元の世界では、歴史が二つ、変わっていた。


 一つ目、キツネ目事件。

 それは未解決事件だったらしいけど、ここに戻ってみたら、犯人が特定され、事件の全容が明らかになっていた。

 時雨庵を脅し、捕まった犯人は末端の実行役だったみたいだけど、彼の自白によって、組織は丸裸にされ、主犯格が逮捕された。


 二つ目、洋平さんが(前よりも)少し長く生きたこと。

 彼は十年前に亡くなっていたはずなのに、それが三年前に変わっていた。七年多く生きたことになる。

 ボクがここに来た時は十年以上前だけど、残念ながらボクの記憶には、洋平さんと一緒に過ごした時間があった、という風には上書きされなかった。


 真白さんは『旦那はね、ちゃんと君との約束を守ってくれたんだよ、ありがとう』とボクの頭を撫でながら言ってくれた。でもひょっとしたら、彼女から1984の真白さんに、なにかしら『申し送り』があったのかもしれない。それに、七年という時間が、長いのか短いのか、猫のボクにはよくわからない。


「私の中の『あの子』はね、洋平さんをしっかり選んだ。そしてあの世にも連れ立ったの……この体から離れて……だから、今でも二人は一緒。大丈夫よ。心配しないで」

 自分の胸に手を置き、少し淋しそうに真白さんはボクにささやいた。


 こっちの世界に帰って来てからしばらくすると、真白さんは娘であり若女将でもある、楓さんを自分の部屋に呼んだ。

 ボクは真白さんの膝の上にいる。


「楓、あなたに頼みがあるの」

「なによ母さん、改まって?」

「先代の大女将、つまりあんたのお婆ちゃんがそうしたように、アタシも名ばかりの大女将になるから、時雨庵をよろしく頼むわ」

「え! ちょっとまだ早くない? 」

「アタシなんか、今のあんたよりもっと若い時からココを任されたんだから。全然問題ナシ!」

「そんな……だって母さん、まだまだバリバリ働けるし……それにさ、最近前よっか元気そうだよ?」

「でしょ? だからこそ、今のうちに楽しみたいのよ。第二の人生を、第二の恋愛を」

「はあ? なにそれ……まさかその年で再婚でもするつもり?」

「しないわよー、ねえ?」

 そう言ってボクの背中を撫で、そしてささやく。

「それからね、この子も『時雨庵の猫番頭』は引退よ」

 カエデさんの表情には『?』マークが浮かんだままだ。


「さあ、二人の時間を楽しみましょう。残されたわずかな時間を」


 〇


 真白さんはそれを実行した。


 彼女はボクをキャリーケースに入れて連れ立ち、思いのままに日本全国、様々な場所を巡った。


 白い砂浜の海辺の別荘。

 高原のリゾート地。流星群が恐いくらいはっきり見えた。

 全国各地の温泉。もちろんペットと入浴可の宿。

 夏目漱石にちなんで、道後温泉にも行ったけど、残念ながらペットは不可のため、周辺のペット可の宿泊施設に泊まり、建物の外観だけを見物した。

 その他にも、離島、北海道の大草原、地方都市の美術館など、これでもかっていうぐらい旅をした。

 時雨庵を任されていた頃は、彼女にとって旅行は夢のまた夢だったらしく、その反動が出たみたいだ。


 黒猫を連れた老婦人。

 人々にはそう見えたかもしれない。


 でも、違うんだ。

 真白さんとボクは、1984の世界のままの二人。


 彼女は、本当に若くて綺麗で。

 ボクも、若くてイケメン(だと思う)。


「ねえ、せっかくこうやって若い姿でいられんだから、お願いがあるの」

「なにかな?」

「ウェディングドレスを着てみたい」

「えっ、け、結婚式⁉」

「『なんちゃって』婚……洋平さんとの式は、湯島天神様で白無垢だったから」

「わ、わかった」


 二人で選んだ場所は、軽井沢の石の教会、内村鑑三記念堂。教会といっても、それらしい建物のない、石でできた不思議な空間。

 スカートを引きずらない丈のマーメイドドレスはシンプルなデザイン。オフショルダーの首や肩に美しい黒髪が揺れる。星空の下、彼女の名前どおり真っ白なウェディングドレスを身に纏い、黒タキシードのボクの腕に手を回して回廊をゆっくりと歩く姿は、ただただ美しかった。


 時を超えて旅をしてきた女(ひと)の美しさだ。


 それからも、二人で手をつなぎ、海の音を聞いて、星空を眺め、草原を渡る風の音を聞き。

 夜は裸になって心ゆくまで愛し合った。


 〇


 そんな二人だけの旅を続けて三年。

 さすがにボクたちは遊び疲れ、時雨庵に身を落ち着けた。


 真白さんの和室の前の縁側。

 春の柔らかい陽射しが樹木を照らしている。

 彼女は柱にもたれ、ボクを膝の上に乗せ、優しく撫でてくれた。


 思い出す。

 十数年前、初めてここ、時雨庵にやって来たときのことを。

 確か、あの日もこんな陽気だったんだじゃないかな。


 ボクはまだ、ほんの赤ん坊猫で、さみしくてピーピー泣いていた。

 そんな様子を見て、真白さんは優しく抱きあげ、言ってくれたんだ。

 泣かなくていいんだよ。これからアタシがずっと一緒にいるからって。


 真白さんがどこからひっぱり出してきたのか、脇に置いた小さなラジカセ。

 聴こえてくるのは、シンディが1984 の世界に誘(いざな)ってくれた、あのメロディー。


 でも……ボクたちはもう、どこにも行かない。

 時空の旅行はもうおしまい。


 真白さんがボクを撫でる手が止まった。


 見上げると、目を閉じて少し微笑んでいる。


 ボクも、もう眠るとしよう……一緒にね。



 Time after Time。


 以前、ボクはこの言葉の意味をもっと知りたくて、真白さんにスマホでググってもらったことがある。


 何度も何度も。

 時を超えて。

 過去に回帰して。

 永遠に。


 そうだよ。

 これは、キミとボクのための言葉。


 もう一度だけ、

 庭の景色と真白さんの顔を見て、ボクはまぶたを閉じた。


 ありがたいありがたい。


 おやすみ。


 (第二部 了)



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― 新着の感想 ―
舟津湊様 たまたま猫ちゃん好きということと1984年というところに惹かれて読ませて頂きました。 短編でありながら、人物像がしっかり描かれていてとても面白かったです。 クロちゃんと真白さんの愛に泣けち…
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