今「真実の愛」とおっしゃいまして?
とある異世界の「真実の愛」に纏わる歴史と異世界不思議発見なお話
少しグロ注意?視点がコロコロ変わりますのでその旨ご了承してから御拝読願います
[フランツィスカ視点]
「私はフランツィとの婚約を破棄したい」
不意にそんな言葉をかけられたのは、穏やかな日差し指す初秋の頃だった
「えっ…ディベルゲ様…?」
国内の貴族籍を有する子息令嬢が通う学院内の茶会用の個室にて、フランツィスカ・ヘデラは幼い時分から決められていた自身の婚約者であるディベルゲ王子から言われた予想もしていなかった言葉に
「今…何と…?」
気持ちを落ち着かせてから処理しようとしてみたが、無意識に考える事を拒否してしまう
「自分でも我儘な事を言っているのはよく分かっているんだ」
フランツィスカの動揺など目にも入っていないとばかりに、ディベルゲは手に持ったカップの中身が揺らめいているのただ眺めている
「だけど私はもう「真実の愛」を見つけてしまったんだよ」
「え…」
カップの中でたゆとう温かな茶の揺らめきの向こうに、何かが映っている訳でもないのにディベルゲはそれをジッと眺めて呟いた「真実の愛」という単語を聞いて、フランツィスカは半ば脳天を殴られた気分になっていた
「ほら、先日特進クラスに編入してきたシュリンゲ男爵家のアンゲラ嬢は覚えているかい?」
「ええ…」
フランツィスカは記憶の中に存在するであろうアンゲラ嬢の情報を思い出そうとしたものの、集中力は切れ切れになっていくばかりで落ち着かない
「昨日、図書室で初めて彼女と話をしてね」
「はぁ…」
ディベルゲの声は信じられないほどに明るく軽やかだったが、フランツィスカは逆に微かにだが指先が震え始め、持っていた茶菓子用の小さなフォークを落としそうになり、何とか動揺を誤魔化しつつ半ば生返事のような言葉を返していたが、茶会相手のディベルゲは気にもしていないようだ
「彼女は平民だったが故に苦労してきたのに明るく健気な子でね…その時に私は気づいたんだ」
茶菓子がのった皿の脇へとフォークを添え戻しながら、フランツィスカはどんどん嫌な予感で思考が阻害され、息が詰まりそうな気分になっていく
『彼女こそ私の「真実の愛」だと気づいたんだよ』
ディベルゲから不躾に放たれたソレは、フランツィスカの心臓を一瞬だけ止めた様な気がした…が、それでも聞き間違いか何かと思い直し、最後の希望を捨てきれずに彼女は真剣な声で問う
「ディベルゲ様、今「真実の愛」とおっしゃいまして?」と
*
「緊急の案件が発生致しました、早急に話し合いの場のご用意をお願いします」
ディベルゲとのお茶会を終えた後のフランツィスカが行動は速く、自分と実家が持ちうるあらゆる権限を使ってディベルゲの両親とコンタクトを取り、次の日には相談の場を設けた
「ディベルゲ様は先日私とのお茶会の場にて「真実の愛」を見つけたと言っておられました」
用意された相談の場にてディベルゲの両親を前にし、真剣な声音で言い切ったフランツィスカの表情は固い
「そんな…あの子が…ディベルゲが…?」
「おお…何てことだ…神よ…」
フランツィスカの発言を聞いたディベルゲの母、エーヴァ王妃は「信じられない」とばかりに溜め息を吐き、ディベルゲの父、ルートヴィヒ王の方は一言だけは何とか呟いたものの次の言葉は出なくなっていた
「私も最初は信じられませんでしたが…でもはっきりと言っておりましたわ」
今にも現実逃避しそうなディベルゲの両親である王と王妃を現実世界に引き留めるように、フランツィスカは言葉を重ねてくる
(ええ、まるで熱に浮かされたかのようにあの方は「真実の愛」だと言っておりましたとも)
敢えて口にはせずに先のディベルゲとのお茶会の事を思い返す
窓からの日差しを逆光にして、彼ははっきりとそして夢見がちな声で、自身とアンゲラ嬢の仲を「真実の愛」で結ばれていると言っていたのだ
「アンゲラ嬢と図書館で話しただけで、お二人は「真実の愛」が芽生えたと言っておられましたわ」
惚気ると言うよりは、いっそ酒を飲まずに泥酔していると例えた方が正しく感じるくらいにディベルゲはフランツィスカとのお茶会の席で
「いかにアンゲラ嬢は可愛らしく勇敢で健気で賢く素晴らしい女性なのか」
「そんなアンゲラ嬢に惹かれて、アンゲラ嬢の方も私を憎からず思っていて」
「私達は「真実の愛」に目覚め愛し合う事を誓い合った」
とどうかしていると思うくらいに彼は一方的に語り続けていた
たった30分程度のお茶会の間で呆れるほどに「真実の愛」に浸りきった恋人達の話を胸やけしそうなくらいに聞かせた自身の婚約者であるフランツィスカをすっかり失望させ、呆れさせ、諦めさせていったのだ
「ディベルゲ様ご本人があんな言葉を言ってしまったからこそ、私はお二人に報告致しました」
暖かな秋の午後の日差しが落ちるテーブルの上には、甘い香りを放つ焼き菓子が人数分置かれているが動く気配は一向にない
「そうね…信じたくはないけど、ここで真実から逃げても状況は良くならないわね」
エーヴァ王妃の方は緩やかに一呼吸した後、いつもの冷静さを取り戻し
「すまないな…私は突然の事でつい動揺してしまったようだ、フランツィスカよよくぞ報告してくれた」
ルートヴィヒ王は顔色は悪いものの、施政者然とした表情で姿勢を正す
目の前の二人の意識が話し合いの場に戻ってきたのを確認した上で、フランツィスカは話を続けていく
「この様な事態になってしまわれた事について不敬だと分かった上で伺いますが、ディベルゲ様はあの言葉の意味は分かっておられたのでしょうか?」
「当然だ、あの言葉は容易に言ってはいけない言葉だとディベルゲには幼い時分から教えている」
「だからこそあの子の婚約者は慎重に選定し、ヘデラ侯爵の同意も得た上で他に比べられる者がいない程に素晴らしい貴女を婚約者にしようと決めたのです」
「身に余る光栄なお言葉を…ありがとうございます」
目の前の大人がフランツィスカからの問いに真剣で誠実な返答をしてくれたので(彼女の心はそれなりに疲れていたが)少しだけ癒された心持ちになって微笑みを返す、が
「…しかしそれならばどうしてディベルゲ様は何故あのような」
その微笑みの向こうでフランツィスカは「真実の愛」という言葉を聞いてからずっと消えない疑問を呟く
「国が滅ぶ前兆の言葉を簡単に口に出来たのかしら」
テーブルの向こうに佇む大人二人の存在を一瞬だけ忘れ、フランツィスカは思考の海へと潜るしかなかった
*
「真実の愛」
フランツィスカの婚約者であったディベルゲがお茶会の席で簡単に言ってのけたその言葉は、古今東西例が漏れることなくこの世界に数々の悲劇を生んできた言葉だ
この言葉の威力は凄まじく、たった一度でも自分達は「真実の愛」で結ばれたと気づいた若い恋人達は。一様に後先も考えずに
「自分達は「真実の愛」を見つけた(落ちた、結ばれたetc)」
などと悲劇を生む言葉だと知っていても知らなくても、周囲へと宣言しそこからは二人の運命は急転落下していく事が決まっている
周囲の反対を押し切りながら恋人達は「真実の愛」から始まった様々な悲劇に巻き込まれていき、数年もしないうちにおおよその恋人の片割れは亡くなるか最悪二人共死んでしまう
稀にどこから湧いてきたかも分からない力で悲壮的な運命全てを強引に乗り越えて、二人共生き残り賞賛される事例も稀にあるが、それでも悲劇の幕が閉じる頃には揃って恋人達は満身創痍で、かつては妄信していた「真実の愛」の言葉すら忘れるくらいに疲弊しきっている
なのに現実は生き残った恋人達には優しくなく、最初は恋人達を遠巻きにしていた者達が手の平を反すように、まるで神話時代の英雄や聖女達の伝説のように世間から救国の神輿として担ぎ上げてくる
戦いや悲劇の傷を癒せる平和で安穏とした愛を育む日々どころか、まともな日常生活すらまとも営む事すら出来ない状態になっていたりもした
悲劇を乗り越えている間は皆々から完全に無視されていたのに、平穏を取り戻したら今度は英雄扱いに周囲に対して人間不信になって…
と憔悴するだけの日々のせいで、当然二人の愛の結晶である「子供」なんて存在は夢の夢、一過性の賞賛の後に残るのは傷つき老いて寂しい二人組が残るだけと言う、どうあがいても凡その「真実の愛」で結ばれた恋人達は碌な事にならないわけだ
例えば「真実の愛」の言葉から始まる悲劇の一番最近の事例を言うと
今から120年前、現在フランツィスカ達が住まう王国の西隣の領地で起きていた
その悲劇が記された書物を紐解けば
[事例1]
「私達は「真実の愛」で結ばれているのだ!」
と、当時の隣の領地の有力貴族だった公爵家の跡継ぎが(自身に幼い時分より決められていた瑕疵一つない婚約者が居たにもかかわらず)どこで知り合ったかも分からない美しい平民の女性と恋に落ち、二人の間にあるのは「真実の愛」だと周りに宣言した事から始まっている
当然、夢現の中にいる様に「真実の愛」の言葉に酔いしれる二人の交際を周囲から猛烈に反対された
しかし「真実の愛」に狂ったまま衝動に踊らされるように二人は迷わず駆け落ちを選び、その道行きで突如発生した獣のスタンピートに巻き込まれ二人共揃って亡くなってしまう
そこから二人の不幸がまるで他へと伝染するように、二人の血肉を食らった獣が人の味を覚え、付近の村や街を次々襲うようになり、最終的に力を付けた獣の群れに隣の領地の首都も壊滅状態になって…そのまま地図の上からその国の名前が消えたのだ
結局その120年前に国一つ滅ぼす程に大量発生した獣の大群は、隣の領地のそのまた向こうの国に住んでいた若い男女によって討伐されて収束したのだが
その男女二人もまた許されぬ仲であったのに「真実の愛」と宣言し、それまで住んでいた国を飛び出していた二人だったのだ
当然味方がいない中でたった二人だけで荒れ狂う獣の群れに対抗し難かったはずだ
だが何故か二人は、逃げようともせずに嬉々として立ち向かい続け、長い奮戦の上で男の方は死んでしまったが、残された女が最後の獣一匹を殺しきり、国一つ滅ぼした獣の群れの討伐は何とか終わったという記録が残っている
[事例1 了]
そんな事例が過去に幾度もあったからこそ、お茶会でディベルゲが悲劇を呼ぶ言葉を簡単に口にしたという報告を耳にした時、彼の親であり今日のこの日まで愛しながらもディベルゲを時代の王にするべく教育してきた王や王妃達はこの上なく嘆いたのだ
*
(国…いや世界の危機は「真実の愛」からいつも始まっている)
そう思ったフランツィスカも当初は
「何をそんなバカバカしい事を…」
と考えたかったのだが、各国に残る歴史書や伝聞が連綿と「真実の愛」から始まった悲劇や武勇伝を記録しているのだ
(最悪国がいくつも消えていきかねない事態になったと思う方が建設的ね)
国や世界の危機の前兆かの如く、交際が許される立場になかった一組の男女が「真実の愛」だと宣言した時点で、最悪な事態は既に始まっているのだろう
何度文献を掘り起こしても、結ばれぬ二人の「真実の愛」が産む悲劇を証明するかのように、恋人達は共に困難へと立ち向かう事例しか書かれていない
試練に打ち勝つことで二人と国の存続を許され皆から寿がれるか、二人共敗れて国と共に不幸な結末を迎えてしまうかだけなのだ
当然先の「真実の愛」に結ばれた二人が悲劇に負ければ、今度は別の許されざる男女が一組「真実の愛」を宣言し、二人はその試練へと立ち向かっていく…を繰り返し、最終的に幾組かの恋人達を犠牲にして終わった脅威もある
そんな風に「真実の愛」を踏み台にして幾多の亡国の歴史は何度も繰り返されてきた
数々の歴史書の中でも最も最悪な事例として、「真実の愛」を宣言した男女が何組も困難に打ち負けては何度も「真実の愛」に結ばれた恋人達が発生しては困難に挑んで…を繰り返して、最終的に国が三つ消えてからようやく人類滅亡の危機が去ったと言う記述もあった程に「真実の愛」に纏わる事件は、解決の為の易い流れを与えてはくれないようなのだ
(だからこそ資料をを見る限り120年前の最新の「真実の愛」の時ですら、当時の人達は「真実の愛」の言葉そのものを危険視していたはずだった)
それを立証するように、最新の「真実の愛」の悲劇が起きた120年前までは存在し、「真実の愛」の悲劇に巻き込まれて滅んでしまった亡都内の図書館や本屋跡地の瓦礫の下からは「真実の愛」から始まる悲劇的な恋愛や亡国の話が書かれた本が多数見つかっている
(「真実の愛」の教訓にした教本もあったのにそれでも「真実の愛」を謳う恋人達は生まれている)
更に言えばこの国の学院の資料室からも「真実の愛」に関する書物がいくつもあり、それらから数々の教訓を学んできた大人達や賢い若年層も「真実の愛」を忌避している
故に年頃を迎える子を持つ大人達は「真実の愛」の言葉を恐れて、自由恋愛の芽を潰すように早いうちから子供に婚約者を宛がう事で、子供達が終生穏やかな人生を送れるようにするのだが、まるでその健気な願いが込められた行いをあざ笑うように、ここにきて悲劇の前兆とも言える「真実の愛」と叫ぶ恋人達が一組生まれてしまったのだ
(当代で…よりによって王子であるディベルゲ様が「真実の愛」と言ってしまうなんて…)
「真実の愛」を恐れるのは子がいる大人達だけではない、当然年頃の者達だって我が身を滅ぼすような面倒事には巻き込まれては堪らないとばかりに、事前に用意された婚約者と静かな愛を育むようになるものなのだが
(あの時のディベルゲ様は「真実の愛」に対しての恐れが感じられ無かったのよね…)
婚約破棄されたお茶会で見せたディベルゲ王子の様子からは過酷な未来を憂うような気配はなく、むしろ明日の予定を楽しみにする子供の様な無邪気さが感じられていた
(あの方は「真実の愛」に纏わる悲劇に対して恐怖を感じないのかしら?)
次代の王になるべくそれなりの教育を受けているからこそ、亡国の兆しになりかねない「真実の愛」に纏わる教育を受けているはずで、「真実の愛」の悲劇は真実を知れば知った分だけ恐ろしいと感じる類のモノだとフランツィスカは考えている
(恐怖より興味が勝ると言う事はあるのかしらん?)
そんな疑問と同時に、市井で流行っていると噂されるとある薬の存在を思い出し
(まさかあの噂の薬のせいで…?)
胸に去来した嫌な予感にフランツィスカの心神がグッと重くなりそうになったが
(あの薬に関してはお父様かお母様から正式にご報告される事だわ)
噂程度しか情報を持ち得ていない自分がいたずらに騒いで噂の薬の件を伝えるより、既に件の薬を入手して検査し、現在も搬入経路を照査している両親からの報告の方が政治的効果が高いだろう…と意識を切り替えた時、テーブルの向こうからも
「ここにきてディベルゲが「真実の愛」と言い出すとは考えてもいなかった…」
「でもフランツィスカとの婚約を破棄するだなんて…何だかあの子らしくないのよね」
というルートヴィヒ王とエーヴァ王妃の声が聞こえて、彼女は意識を思考の海から現実へと戻すと
「私も思うところがございましたので、ディベルゲ様より婚約破棄と「真実の愛」の発言があった後に「真実の愛」について再度調べてみたのですが…」
ディベルゲがアンゲラ嬢との関係を「真実の愛」だと宣言してしまった以上、通例に倣い亡国の危機が発生する確率が高くなっている
最悪この国に残された時間は想像より少ないかもしれないと判断した彼女は
「ディベルゲ様は国を防衛する為だけに「真実の愛」の理想の片割れとして選出されたのではないかと私は考えております」
と彼女の推論でしかない言葉を言ってのけた
「「え…?」」
当然今は政治的権力すら持ち得ていない若い令嬢からの言葉に、王達はあっけをとられる
「文献から見るに、過去の「真実の愛」と宣言されてきた恋人達は、数々の国や世界の危機から逃れる為に今は姿無き神々がご用意された防衛の為に選出された男女…の様な気がしてならないのです」
(今はもうお姿こそ現すことはない方々となってしまわれたのだが)遠い遠い昔、この世界は天上世界の神々により見守られていたという神話が今でも各国に残っている
その神々が地上世界から離れ、神の威光が地上から消え去った後もこの世界で幾度と起きるであろう危機から守る最後の術で用意されたのが「真実の愛」で結ばれた恋人達…だと考えると、フランツィスカは妙に腑に落ちる様な気分になるのだ
「「真実の愛」が亡国の危機を起こすのではなく、危機が起きるから「真実の愛」で結ばれた恋人達が選ばれると貴女はおっしゃるの?」
「はい、あくまで推論でしかありませんが、私にはそう思えてならないのです」
王妃からの言葉にフランツィスカは頷いて返す
「そう…かもしれないな、そういう理由でもなければあの子の急な心変わりは、到底納得出来るものではない…」
王子と同じ内容のカリキュラムを王太子時代に受けてきた王も思う所があるのだろう、フランツィスカからの発言に対し考え込んでいる
「文献を調べた限り歴史上の「真実の愛」で結ばれた恋人の片割れは基本的に身分が高い者で、もう片割れは身分は低くとも秘められた高い能力がある者という法則がありました」
「確かに思い出す限りはそうでしたわね」
エーヴァ王妃は今まで嗜んできた「真実の愛」の史実やそれらをモデルにした恋愛作品を思い出したのであろう、フランツィスカの発言を聞いて頷いている
「身分の高い片割れが権力を使って亡国の危機に対する情報を集めてその対策を事前に準備し、身分が低い片割れが「聖女」や「勇者」という称号を得て秘められた高い能力でもって危機に直接対処したと言う記録が大半だったのです」
立場や持ち得る能力が違う二人が「真実の愛」でお互いを認め合い、自分が出来ない事は片割れが対処し合って危機を乗り越えている話ばかりで、立場だけは男女の入れ替わりこそあったが例外はほとんどなかったのだ
「ディベルゲ様はこの国の未婚者の中で最も尊き立場のお方です、だからこそ「真実の愛」という神々が生み出した防衛機構の内の「身分が高い片割れ」として選ばれた…と私は考えてしまうのです」
「何と…ディベルゲが…そんな理由で…」
「故にディベルゲ様が元平民であったと言われるアンゲラ様を相手に「真実の愛」を見出したとなれば、この国の危機は近日中に発生すると思います」
「やはりそうなるか…」
「私も若いうちの戯言だったら…と思いたいのです…けど…」
フランツィスカが割り出した予想を聞いて
「…そうだな、歴代の王達も「真実の愛」に絡む案件に真剣に対処してきたからこそ、この国は何度も危機より救われてきた、ならば我々も今回の危機に対処せねばなるまいて…」
ルートヴィヒ王は何かを諦めたように同意を示すと
「ディベルゲが…でも…そうよね」
エーヴァ王妃の方も戸惑いながらも最後ははっきりと同意を示した
一人息子で王太子であったディベルゲを「真実の愛」の片割れとして、差し迫ってくる亡国の危機の前に差し出さなければならない事実に肩を落としながらも、国の最上位にいる者として二人は厳しい判断を下すしかないのだから
(お辛いお気持ちでしょうね…)
と、フランツィスカは察するしか他はない
「長年ディベルゲの婚約者に其方を置きながら、この様な形で婚約破棄させる事になりすまなかった、息子に代わり謝ろう」
本来は謝るべき立場にはいない王からの謝罪に、フランツィスカの背筋には冷や汗が落ちていく
「こればかりは誰であっても防げない事ですし…陛下が謝られる事ではございませんわ」
本来なら政略的契約である婚約をディベルゲの一方的な意思のみで破棄したのだ、王からの謝罪も受けるべきかもしれない
が、事態はその程度では終わらない
(「真実の愛」の呪文を唱えてしまった恋人達はもう二度と元の婚約者の所へは戻らない、それがこの世界における確かな真実だもの)
フランツィスカの中にはもうディベルゲや王妃候補の地位に対する未練は残っていない
(どうにかしてこの国難をやり過ごさないと…)
それどころかこれからの災難に備えようとする意識ばかりが思考を割いている
「長年貴女を婚約者として縛り付けておきながら、こんな形で破棄させるだなんて」
「婚約破棄については既に納得しておりますわ、だからエーヴァ様どうかお気を病まずに…」
「フランツィスカは本当に昔から優しい娘ね…本当にもったいない事を…ねぇ、ルートヴィヒ様」
「分かっているさエーヴァ、フランツィスカよ長年の制約の詫びにもならないかもしれないが、どうかここで其方の願いを一つ言ってくれまいか?」
「そ、そんな…恐れおおい」
幼い時分より王太子ディベルゲの婚約者として凡庸な令嬢以上の教育を詰め込まれておきながら、結局は平民出のアンゲラ嬢との「真実の愛」のせいで、ディベルゲと結ばれることが永遠に出来なくなったフランツィスカに対し、ディベルゲの両親である王夫妻は負い目を感じているのであろう
「当然ヘデラ公爵家にも相応の慰謝料は払おう、これは私達の誠意なのだどうか受け取ってほしい」
「そうでございますか…」
実家のヘデラ公爵家宛の慰謝料とフランツィスカ個人宛の詫びは別と聞いた彼女は静かに思案した後に、願いを口にした
「この国からの影響が薄く遠い国にて数年程留学しとうございます」と
[フランツィスカ視点:了]
*
[フランツィスカの実母、ヘデラ公爵夫人視点]
「ルートヴィヒ様ったら、本当に昔から早急な方だとは思っていましたけどねぇ…」
耳に入っているであろう母親からのボヤキを聞き流しながら娘のフランツィスカは馬車窓の縁に頭をのせて、晩秋に種が蒔かれた麦畑が遠くまで広がる景色をぼんやりと眼に映している
「こんなにも急に貴女の国外留学が決めてくるなんて、本当に驚いたわ」
向かいで座っているヘデラ公爵夫人つまりはフランツィスカの母親は、外をだらしない体勢で見ている娘に向かって呆れたように独り言を呟いていた
ガラガラと港に続く街道を進む豪華な馬車列にはヘデラ公爵家の者達や大量の荷物が積まれている
そしてフランツィスカだけでなくヘデラ公爵夫人も娘同様に旅行用の軽装を纏っていた
事の始まりは丁度一か月前、秋の収穫祭の直前で
「ディベルゲとフランツィスカ・ヘデラの婚約は破棄する。そしてフランツィスカには約数年程、オセイアン公国へと留学させる」
とルートヴィヒ王より王命が下った、そして同時に
「未成年のフランツィスカを留学させるに辺り、保護者であるヘデラ公爵をオセイアン公国大使として任命する」
と続いた、実質ヘデラ公爵家の数年単位の国外追放である
王命を受けたヘデラ公爵家は、直ちに王国内で所有していた土地を(秋の収穫の後に)王家へと返上し、その間必要のない屋敷や家財は一斉処分して現金化し、手元に残した財産、家財を荷馬車で一気に運びだして、港に停泊しているオセイアン公国行きの船へと詰め込みを済ませている
現在は最後の荷物であるヘデラ公爵の家族や執事長など必要な人員を連れて大移動中なのだ
「まぁ…そのおかげでトーマスの療養が進むとは思いますけどね」
オセイアン公国は王国の南に位置する海洋の先にある国で、現在の政情は平穏、温かく穏やかな海に囲まれた非常に静養に向いた土地だと聞いている
ヘデラ公爵夫人は前方を走る別の馬車内で、夏の終わり頃に体を壊し今も横になっているであろうヘデラ公爵家の嫡子であるトーマスの姿を思い描きつつ、馬車の窓に額を付けているフランツィスカの米神をそっと指先で触れた
「まったくフランツィったら…貴女はいつだって無茶をし過ぎよ」
「お母様…」
「国の憂いもトーマスの療養先も家の安全も全部一人で何とかしてしまって…」
「全部タイミングが良かったのですもの、ついでにですわ」
「まったくこの娘は…」
まるで子供の様につんと拗ねた様な表情をするフランツィスカの横顔を見て、ヘデラ公爵夫人は眉根を下げて微笑んで
「でも貴女がそう思うのもしょうがないのよね…この国は既に荒れていて…何をするにももう手遅れすっかり私達の手を離れてしまったのだもの」
フランツィスカが只々見つめている穏やかな晩秋の景色を眺めながら
(そろそろ膿出ししないといけない時期がきただけ…とはいえねぇ?)
ヘデラ公爵夫人は自身の娘とディベルゲ王子の婚約が破棄される直前に発生していた事案を思い出す
あれは今年の夏の終わり
「母上、これが多分噂の薬物だと思います…どうかご検分を」
と言って通常より早い時間に学院から帰ってきたトーマスは自身の口から吐き出したのであろう、微かに濡れている小さな小さな丸薬をハンカチに包んで、ヘデラ公爵夫人の前へと差し出してきて
「少し飲んでしまいました、2,3日ほど人払いを…」
そう言いながらトーマスはフラフラの状態で自室へ一人戻っていくのを、ヘデラ公爵夫人は黙って見ているしかなかった
(これが平民街で使われている媚薬「真実の愛」)
ハンカチに包まれた小さな小さな桃色の丸薬を一頻り眺めてから、何かを振り切るように頭を振りヘデラ公爵夫人は居間を出る
(いくら私に薬の心得があるからといって、簡単にこんなモノを飲んでくるなんて本当に困った子)
社交界で見せる優雅さはどこへとばかりに、急ぎ足で自身が管理している屋敷内の研究室へと歩を進めつつ
「我が身を大切にしない者は二、三日ぐらい嫌な思いをすれば良いんだわ」
とか何とか口では息子のトーマスに向けた文句を独り言のように呟きながらも、頭の中では彼が服用したという薬の効果や成分を想像していた
貴族や豪商がお忍びで利用する平民街の高級娼館で使われている媚薬、俗称「真実の愛」は当然只の薬に過ぎない
昔から人々に恐れられつつも未だに密やかな憧れが消えやしない「真実の愛」に纏わる恋人達をなぞって名前が付けられただけの媚薬の一つだ
それは目の前にいる異性に対し、僅かな動悸と体温の上昇、そして性欲と代謝の増進を促し、ほんの少しだが常習性も確認されている作り手すらほとんどいない秘薬で、その現物が今夫人の手の内にあるのだ
(平民街の薬物が学院内で流行っている…という噂は本当の様ね)
その日学院に行っていたトーマスがコレを持ってきたという事は、とうとう貴族令息令嬢が通う学院内へ件の媚薬が現在進行形で流入しているのを証明したも同義であった
(あの娼館の門外不出の薬だと聞いておりましたのに…)
媚薬「真実の愛」は平民街のとある老舗高級娼館における言わば隠し玉で、上客と娼婦の情交を円滑に行う為に使用される薬である
この媚薬が作れる薬師がいる娼館は一件のみで、門外不出のこの薬があるからこそ歴代オーナーが全員平民でありながらも王都で老舗として長らく運営し、今や貴族も利用する高級娼館とまでなった店だ
「真実の愛」には健康を害さない程度のごく僅かな常習性効果があると言われ、必要以上に薬や情欲に溺れさせない程度のしかし複数回服用しても同等の媚薬効果を体感できる物らしく、それがあるからこそその高級娼館は安全に行為そのものを楽しめる場所として高位貴族から豪商の旦那衆まで幅広く切れずに客が取れているのだとも聞いている
(一粒だけでも十分に効くはずなのにどれだけ盛られたものか)
トーマスは確保した一粒の丸薬以外を「飲んだ」と言っていた
最終目的である情交すらままならそうなくらいにフラフラだったのだから、きっと相当数の媚薬が茶菓子か何かに仕込まれていたはずだと考える
(まったく学院内の媚薬の流通ルートを知りたいからって、あの子ったら本当に無茶をして…)
学院内の風紀を乱している薬の流通に関係しているとみられる生徒に辺りを付けて、都合の良い言葉をかけて近づくなりしてコレが入った食品を受け取り目の前で口にしてから、こっそりと吐き出して入手したのだろう
(旦那様に似て正義感だけで変なところで動くのだもの、本当に困ったものだわ)
未成年どころか大の大人ですら身長や体重、健康状態など事前にかつ入念に調べた上で慎重に服用しないといけない代物のはずで、処方する者どころか投与出来る者ですら件の老舗高級娼館内にしかいない秘薬のはずなのに、今や媚薬「真実の愛」はたった一人に何粒も投与できる程度には大量に、そして杜撰に、未成年が通う学院内で流通しているのが発覚したわけだ
(いよいよ子供が通う学院すらキナ臭くなってきましたわね)
娘のフランツィスカが学院の中等部に入った頃から
「どこかキナ臭い空気が流れてきている」
と、先に学院に通っていた長兄のトーマスが言っていたが、学院内のキナ臭さの原因の一つは間違いなくこの秘薬が流出が関わっているだろうとヘデラ公爵夫人は辺りを付けている、が
(まぁ…あの子も効果を分かっててコレを服用したのでしょうし、せめて解毒薬ぐらいは早めに処方しましょうか)
と割り切って、研究室に辿り着いた夫人はハンカチの中にある小さな小さな桃色の丸薬を、成分分析用の小皿の上にのせて慎重に割るしかなかった
(薬の流通経路の証拠集めや主犯の洗い出しは学院運営の皆様と国政を担う旦那様方のお仕事だわ、とりあえずこの件は旦那様が帰って来てから報告ですわね)
そして夫人が薬の件を帰宅した夫であるヘデラ公爵に報告し、幾日かかけてその丸薬の成分を調べ上げて、体を張って媚薬を入手したトーマスに投与する為の解毒剤を作成している最中に
今度は娘であるフランツィスカがディベルゲ王子から婚約破棄の提案されたのだ
(図書館でシュリンゲ男爵家のアンゲラ嬢と話をしてから「真実の愛」を見つけた…ねぇ)
トーマスが学院で媚薬を入手した事により、シュリンゲ男爵家のアンゲラ嬢が学院内の媚薬の流通に関与しているのは既に把握はしていたが、まさかヘデラ家の娘と王子の婚約破棄という形でヘデラ公爵家に仇成してくるとは想定していなかった
(これはこれは…木っ端役人風情が現王家とウチに対する宣戦布告してきた…と言った事かしらねぇ?)
フランツィスカからの婚約破棄の第一報を聞いた夫人は、シュリンゲ男爵家は養女アンゲラを通じて学院内で公爵家令息トーマスを媚薬で篭絡させようとしただけでなく、ディベルゲ王子をも薬漬けにし意のままに動かそうとしたと判断している
しかも食事が出来る食堂や茶会室ではなく、飲食物の持ち込みが出来ない図書室でディベルゲ王子は媚薬「真実の愛」を薬のままの状態で服用したはずだと検討を付けた時
(多分ディベルゲ王子はアンゲラに進められるがまま、自らの意志で媚薬の「真実の愛」を飲んだのでしょうね)
あの年頃と言うのは凡そ親世代に反抗するもので、ディベルゲ王子も年相応に若者らしくルートヴィヒ王やエーヴァ王妃の教育方針に何かと噛みつくようになってきたとは聞いていた
そんな親の手を離れようと静かに反抗的になってきたディベルゲ王子の下に、アンゲラ嬢を介して現在の政情に対してささやかな不満を持っていた者達が言葉巧みに近づき、禁忌の名を冠する「真実の愛」の媚薬を勧めたのだろう
(好奇心は猫をも殺すというけれど、ご自身のお立場ぐらいは熟考ぐらいはして欲しかったわ)
若きディベルゲは現状に対して不満を抱えていた
安寧な国政を営む両親に進められるがまま用意された優秀な婚約者の存在
マンネリ化した王政や国政に対して微かに何となくで不満を持ちつつも、変わらず王家を担ぎ上げてくる貴族達の思惑
「真実の愛」という禁忌の言葉を冠しながら、平民街の一部ではごく普通に安全に利用されている媚薬
そして自身の中でどうあがいても落ち着かない不満ばかりが燻る反抗期という年頃
(王子が禁忌を口にする要素はいくらでもあったようですし)
それら全部を目の前に差し出された環境下で、何となく不満めいた感覚を拭えないまま表向きは平和な世界のままで、若者特有の反抗心や好奇心、そして性欲、それら全部に翻弄されてディベルゲ王子は媚薬「真実の愛」を口にしてしまった
その薬からなる真のリスクすらも考えずに
(本当に「真実の愛」というものは、偽りのものであっても厄介なものですわ)
例えディベルゲ王子が口にした「真実の愛」の薬が、過去より数々の悲劇を作り出してきた「真実の愛」の事象とは違う「まやかし」のものであったとしても、王子であるディベルゲが好奇心のままにそれを求めてしまったら「まやかし」のそれは本当に「真実の愛」になってしまう
(王は既にディベルゲ王子を見限っているのでしょうね)
アンゲラより与えられた「真実の愛」の薬の効果に浮かされるがまま、ディベルゲ王子は長年正妃教育を受けてきた婚約者のフランツィスカとの婚約を破棄し、自身の足元にあったはずの王太子としての盤石な布陣を自らの手で瓦解させてしまっている
もしディベルゲ王子がアンゲラからの「真実の愛」という言葉に惑わされずにフランツィスカを傍に置いていたら、長らく国の中枢を担っていたヘデラ公爵家はこれから先の十数年はディベルゲ王子を後援し、王に成った暁には一家総出で彼の施政の手伝いを続けただろうに…
(だからこそ安易な色仕掛けに惑わされ失格と見なされた王子にこれ以上力を付けさせない為に、力あるヘデラ家から距離を取らせたのね)
易く「真実の愛」に溺れる程度には意志薄弱な王子の国政関与でこの先数年数十年と国内が荒れてしまう…くらいなら今すぐディベルゲ王子から力を排除するしかない
(王はヘデラ公爵家という不相応な力をこれ以上ディベルゲ王子に宛がってはいけないと判断なされた)
そんな王の思惑を察していたフランツィスカは、これ以上ヘデラ家の力をディベルゲ王子に使わせない方便として、ヘデラ公爵一家全員を伴せた自身の国外留学をルートヴィヒ王に願いでて、物理的な関与そのものが出来ないようしてきたわけだ
(そしてフランツィスカとディベルゲ王子が距離を取っている間に、彼から別の人間へと頭をすり替えるおつもりなのだわ)
ルートヴィヒ王の方もヘデラ公爵が王国政情から離れている間に、これまでヘデラ公爵を軸に組んできたディベルゲ王子の政治体制を一旦瓦解させてから、別の者に次代の王を継がせるべく動く予定なのである
(多分、ルートヴィヒ王の妹君がご子息様を王太子にするおつもりなのでしょうね)
ルートヴィヒ王の妹君はヘデラ家とは別の公爵家に降嫁しており、そこで二児の男子を産んでいる
一子目が生まれたのが随分後だったこともあって、まだ学院の中等部には在籍しておらず婚約者も決まっていないらしい
…と社交界での情報を擦り合わせつつ、ヘデラ公爵夫人は次の王太子候補に当たりを付ける
新しい王太子候補の後援体勢が整えば、後はいよいよディベルゲ王子の手の内から権限のほとんどが取り上げられるだろう
(王太子としての教育しか受けてない方にとって臣下の習いは屈辱そのものでしょうね)
王に至れるはずだったのに「真実の愛」のせいで梯子を外された王子
王妃に成り代わろうと「真実の愛」の秘薬を使って王子に近づいたのにも関わらず結局王家に属する事すら出来ない元平民の娘
(歴史的に見れば生易しいくらいだけどそれでも「真実の愛」で結ばれたお二人にとっては辛い状況ね)
過去の歴史が物語るように、これからディベルゲ王子はアンゲラ嬢と共に「真実の愛」の試練を受ける
王国の最高権力者で王子の父親であり味方であったはずのルートヴィヒ王の思惑、実質的な後援者だったヘデラ公爵家の後援放棄によって
(だとすればただの「まやかし」であるはずの媚薬「真実の愛」こそが、彼らにとっては本当の「真実の愛」の悲劇のきっかけになりえますわね)
と夫人が考えていた時、それまで黙って窓の外を眺めていたフランツィスカが「あっ」っと小さな声を上げた
「あれが海なのね」
「想像より広いわ」
「あんなに遠くて小さくしか見えないのに、とても広いって分かるのが凄い…」
窓ガラスの向こうの丘と丘の隙間から小さく見えたのであろう青い海を、幼い子供の様に目を輝かせて呟いているフランツィスカの様子を見てヘデラ公爵夫人はほんの少しだけ後ろめたくなる
(フランツィスカには一度だって領地の海を見せてあげる機会を用意出来なかった)
王都で生まれ、物心が付く前の幼い時分には王子の婚約者の枠に入ってしまったフランツィスカは、ずっと王城にて正妃教育を、実家の公爵家では淑女教育をと、王城と実家を行き来するだけの人生を送ってきたのだ
(王都…いいえタウンハウスと王城と学院しか知らないで、この娘はここまで大きくなったのね)
彼女が物心が付く前には婚約者候補の一人となり、絵本をある程度一人で読めるようになった頃にディベルゲ王子の婚約者になったせいで、ヘデラ公爵家が有する領地にある
(毎年愉快で楽しい日々を送れる程の所)
の海に面した崖沿いのヘデラ家所有のカントリーハウスですら、娘のフランツィスカだけは一度も見る暇すら無かった事をヘデラ公爵夫人は思い出していた
(この留学期間ぐらいは長い休暇だと思ってこの娘には好きな事をさせましょう)
茶色の畝が続く麦畑のみだった景色に次第に人家も見え始めている、もうしばらくすれば港街の入口にある門を潜り抜け、賑やかな港町と共に今は丘に挟まれて小さく見えるだけの海も相応に大きく見えるようになるはずだと夫人は検討をつける
(はてさて王子と元平民の娘との「真実の愛」はどうなる事でしょうね)
遠く離れた王都に思いを馳せた時、馬車の中にも海の香りが含まれた風が入ってきた
「不思議な香りが風に混じってきたわ」
と、フランツィスカが生まれて初めて嗅いだ海の香りにはしゃいでいるのを、咎めるでもなく心静かに眺めながら、夫人は娘とヘデラ公爵家に訪れた束の間の平和を享受する事にしたのだった
[フランツィスカの実母、ヘデラ公爵夫人視点:了]
*
[フランツィスカ視点]
「本当に「真実の愛」って怖いものね」
一家総出で海を渡ってオセイアン公国に留学したフランツィスカは、その日も世界最古の書庫と呼ばれるオセイアン公国の中央図書館の一室にいた
(ここには他にはない「真実の愛」に関する資料がたくさんあるわ)
恋愛物語などの棚だけでなく、神話系統の資料が並ぶ棚にも「真実の愛」に関する書物を見つけたフランツィスカは静かに溜め息を吐く
本来なら公国の国民ではないと利用できない施設のはずだったが、留学前にルートヴィヒ王からオセイアン公国に一声かけていたらしく、ヘデラ一家は利用出来ないがフランツィスカのみ勉学の為という事で(施設外への本の持ち出しは禁止の上で)図書館施設の利用は許すと通知された為、以来フランツィスカは学業の合間に図書館へと足しげく通っている
(王国にいた時も思っていたけど、予想以上に「真実の愛」の事象はその時代の政治経済に絡んでいるのね)
やはり「真実の愛」に纏わる恋人達の片割れが最も身分の高い者が多いせいか、どうしても事象発生時のその国の政情の影響が色濃く出ている事が分かる
更にはどこかの物好きが書き留めていたのだろう、歴代の各国で発生した「真実の愛」の事象を年表にしたものを見つけた時は、その発生件数の多さに酷く驚いたものだ
「それにしてもここで最古の「真実の愛」の記録が読めるなんて思わなかったわ」
フランツィスカは小さく呟いて、神話系統の棚に並んでいた一冊の資料をもう一度めくる
王国にいた頃は「真実の愛」がいつ頃から発生したのかついぞ知りえなかったが、オセイアン公国の国立中央図書館には「真実の愛」の起源を記した最古の「真実の愛」の資料の写しが存在していて、それを見つけたフランツィスカは迷わずその資料を手にしていた
(流石は「一番最初に神々が降り立ち、最後に神々が去った地」と言われるオセイアン公国…)
「真実の愛」に関する事象の起源が、まさか1500年以上前の神々が地上を見捨てた神話に直接関係していると思っていなかったフランツィスカは、手の中の書籍に書かれていた内容を一通り目を通した後、静かに顔を上げて指先で目頭を押さえたまま疲れたように溜め息を吐く
(まさかかつて地上を見守って下さっていた神々が、「真実の愛」で結ばれた恋人達のせいで現在の姿無き神々になられたなんて思ってもいなかった…)
王国で「真実の愛」について調べていた時には「真実の愛」の事象にはまるで人知を超える力で律されているかの様に、いくつかの法則性が毎回発生していると気づいていたフランツィスカだったが、まさかここオセイアン公国にきて、古い文献を調べ始めてからは
(「真実の愛」からなる悲劇は本当に神々の最後の思惑で発生している事象)
なのだと思い知ってしまい、少しだけ冷や汗が落ちた
(「神々」と「聖女」の物語なんて只の神話だと思っていたけど、まさかこんな現実的な形で神々の神秘が今に残っているだなんて…これは随分と当初の予想を超えてきたものね)
確かにフランツィスカは王と王妃への報告会にて「真実の愛」を謳った恋人達は、危機から世を守る「防衛機構」の一部に成りえているのではないかと推論を述べてはいたが、実際オセイアン公国に来て資料を読みふけった今になっては姿無き神々が用意してきた「真実の愛」と名を借りた「防衛機構」はそんな生ぬるいものではないと分かっている
(本当に…本当に1500年前までは神々からこの世界を見守られていた、そして最古の「真実の愛」の恋人達の行いのせいでこの地上世界を見捨ててしまわれていた…)
姿無き神々から想像以上に壮大で、予想以上に入念にセッティングされた罠を仕掛けられたような気分になって、フランツィスカの精神は正直落ち着かないままだ
(これが公式見解としてオセイアン公国の公文書と言う形で残っている上に公表までされているなら、確かにオセイアン公国内の「真実の愛」の悲劇が他国より少ないのも納得できるわ)
公国に住んでいたかつての物好きが、過去に世界中で発生した「真実の愛」の事象のほとんどが記録された年表を作る程にオセイアン公国は「真実の愛」に関する資料が豊富で身近にある国で
なのに建国からゆうに千年を超えているはずにもかかわらず「真実の愛」に纏わる悲劇が世界で最も少ない国で
それが南の海洋に浮かぶ小大陸に存在するオセイアン公国なのだ
(地上に住まう人の世を守っていた聖女を失望させて、天上世界より地上を見守っていた神々を怒らせたのが、最初の「真実の愛」だった…か)
さっきまで読んでいた本の表紙を指先でなぞりながら、フランツィスカは本の中身を静かに反芻しながら、乱高下する気持ちを落ち着けていく
[今は姿無き神々について]
遥か遠い遠い昔、今から1500年以上も前、天上世界より神々に見守られたこの地上には、神々から与えられた神秘で溢れていた
程度の差はあれど、道具を使わずに火を起こしたり、日照りが起きるより先に水の恵みを与えたりと、かつての人間達は自身の体内に秘められた「魔力」で「魔法」なる神秘を起こす事が出来ていた
…と同時に只の獣や植物すらも「魔法」が使えていたようだ
「魔力」を有し「魔法」を行使出来たそれら獣達は、人間達から「魔獣」と呼ばれ大陸や海洋、空を問わず生息しており、人類の生存圏を常に脅かしていたそうな
(人間より知恵無き獣であっても、それらが持ちうる体のスペックは人間以上だったのは、神秘で溢れた太古の昔でも変わらなかったらしい)
それらがか弱い人間を捕食しようと「魔法」を使ってくるのだ、その当時の人間達はきっと生きた心地がしなかったであろうと思う
そんな人類側が断然不利な環境だった地上世界にて、力ある「魔獣」らを差し置いて街を作り繫栄し文明を起こす事が出来たのは、神々の姿によく似ているのに力弱き人間達を憐れんだ神々が、天井世界より遣わした「聖女」という人の形をした上位存在が常に地上に据え置く事で、「聖女」の御身に宿った強大な力で生存圏を脅かす「魔獣」らから人間達を守っていたからこそ滅びることなく繁栄出来ていた
ところがそれが覆されたのは約1500年ほど前
ある日突然、神々は地上世界から「魔力」と「聖女」を取り上げて、天上世界へとお戻りになられ、地上世界には「魔力」を失った人間と獣達が残される
以来、今も変わらず天上世界には神々はおられるが、地上世界ではもう今は姿無き神々と呼ばざるえなくなった
[今は姿無き神々について:了]
…とここまでが王国内でも伝わっている太古の神秘時代と呼ばれるの神話
そしてフランツィスカがオセイアン公国にて初めて知ったのは、神々が地上を見捨てるに至った真実だった
*
[最古の「真実の愛」の事例]
神話の時代、天上の神々より与えられた「聖女」の力で守られていたおかげで、人間達は安全な生活基盤を維持しつつ自由恋愛を楽しみ、それで培われた愛の末に子が生まれ次代を繋げる生を謳歌していたそうだ
しかし「聖女」によって人類の生存圏はある程度は守られていると言えど、どんどん人が増え続けていけば、いずれはその防衛ラインを超えてしまう
そして人が増え防衛ラインを超える度に、人の命は「聖女」の守りの手の内から零れ落ちていき、ある時から守れる人数より死んでいく人数の方がずっと多くなってしまった
人を守るための使命を持って生まれてきた「聖女」はそんな人間達の不幸な状況を嘆き悲しんだ
生まれてきた命を全部を守れる力が欲しいと願いもしたが、その時点で既に神から与えられた力を限界まで引き出していた状態で、これ以上の力の行使は無理だとも同時に理解もしていた
何せ「聖女」がそれ以上の力を得てしまうと、地上に生まれた人類以外の命の全部を消し去って、人類だけが生き残る世界になってしまう
「聖女」が地上世界の生態系を破壊する者へと至らないように、神々は彼女にそれ以上の力は決して与えはしなかった
しかし最後の慈悲として、たった一つだけ地上世界のどの生物にも与えていなかった権限を神々は「聖女」に与えていた
そのたった一つの力は同時に地上世界への最終決定権でもあり、地上に住まう生命が天上世界の神々の支配圏から離れる事を意味する事になる
人間の命を守る「聖女」与えられた地上世界で唯一の力、それは
「地上世界から神々からの贈り物である「魔力」を全て神々へと返還する力」
だった、もしそうなれば生存圏を脅かす「魔獣」だけでなく、人類からも「魔力」は消える
地上からは神々の神秘は消え、各々が持つ体と知恵のみで生きていく事になる、当然「魔力」からなる「魔法」でで支えられてきた人類の文明は衰退の一途を辿るしかない
故に人間と同じように自由恋愛や政略結婚で「聖女」の命を次代の「聖女」へと繋いできた歴代の「聖女」達は、その決定権を行使する事だけは幾年と代を重ねても躊躇してきたのだ
しかし1500年の「聖女」の時になって、「魔力」行使による人類生存圏の臨界点をいよいよ超える事になる
「魔力」をつけすぎた「魔獣」達が人類の生存圏を殲滅しかけたのだ
地上世界の「魔力」の天秤は完全に「魔獣」側へと偏っている
「魔力」はもう人類を消し去る力でしかない状態になっていた
そうなって初めて「聖女」は、力強き「魔獣」から人類を守るために神々より与えられた最終決定権を発動する事を決める
しかしそうは決めても「聖女」には力の行使を躊躇する懸念が一つだけあった
それが政略的婚約でありながらもそれまでの運命を共にし、愛を育んできた国の王子と力が無くなった「聖女」が最後の死ぬ時まで共にいられるのか?と言う懸念だった
この時代の「聖女」は只の人類では持たぬ程に強大な「魔力」を有していたが為に、その時代の最高指導者の次代の子と政略結婚する事が多くなっていて、当然の様にその時の「聖女」も国の王子と政略結婚の為の婚約していた
最初こそ政略的な関係であったとしても「聖女」は守るべき人類以上に、それまでの波乱な世で互いに背中を預けて力を合わせながら共に生きた王子を愛している
しかし「魔力」をつけすぎた「魔獣」から王子や人類の未来を守るには、「聖女」は人類を守るお役目と共に地上世界の全ての「魔力」を天井世界に返さなければならない
その瞬間から「聖女」は只の人になり、それまで愛を育んできた王子との政略結婚は意味を為さなくなり、離れるきっかけになるかもしれない
それを「聖女」は恐れていたが、状況は「聖女」の思惑を待ってくれない
悩んだ末に「聖女」は婚約者である王子に問うた
「もし私が「聖女」ではなく只の人になっても私を愛してくれますか?」
それに対し婚約者であり、人の世を守る旅を共にしてきた王子は答えた
「君が「聖女」だから愛したのではない、君だったから愛したのだ、だから君が「聖女」で無くなっても私は最後の時まで君を愛していきたい」と
その言葉を聞いた時「聖女」は只の人になることへの躊躇は消え、地上に蔓延る「魔力」を神々に返還する事を決め、「魔力」を天上世界に返還する権限を行使した
たった一人で「聖女」は地上世界の全ての「魔力」を抱えて天上世界へ赴き、神々に謁見し地上の「魔力」を返還した事で地上世界には「魔力」が消え去り、只の獣と人間となった生き物達が残され「魔力」に侵された世界は平穏を取り戻す
約1年に渡る天上世界での「魔力」返還の儀を終え、地上世界に帰ってきた元「聖女」を待っていたのは、腹が大きくなった顔見知りの女を傍に侍らせた王子の姿だった
「「魔力」の行使が出来ぬ只の女など、これからの世を指導していく私には相応しくない」
「「聖女」様と王子を結んでいたのは人を守る力を得る為だけの「偽りの愛」というものよ]
「悪しき力「魔力」がこの世界から無くなった今、これからは「偽りの愛」ではなく「真実の愛」で結ばれた今の妻とで人の世と新しい命を守っていく」
「魔獣」達から必死に人の世を守り続けてきた元「聖女」に対し、悪し様に罵ってくる王子の隣に侍る顔見知りの女は、元「聖女」と王子が住まう国の貴族の娘で、貴族籍こそ有していたがそれでもかつての「聖女」よりは随分と身分が低い女だった
人の世を守りきったのに礼も褒章もなく、酷い暴言と事実だけを投げつけられ城から追い出された元「聖女」は、市中の民衆から王子らについて詳しい事情を聞き歩く
そうして元「聖女」の耳に入った真実は
・顔見知りの女と王子は随分前から婚約者の「聖女」に隠れ、お互いの恋を「真実の愛」と謳いながら自由恋愛を育んできたという事
・「聖女」以外の周囲の人間達はそれを知っていたが「聖女」の威光を最後まで得るべく「真実の愛」と呼ばれていた二人の不義を決して表沙汰にはしてこなかった事
そんな環境の中で王子と女の「真実の愛」にとって「聖女」こそが一番の脅威だった
しかし「聖女」が有していた権限が無くなり、同時に地上世界には人類の平穏が訪れ「聖女」の存在そのものが要らなくなる
「聖女」が只の人になった事を確認した途端、かつての恋人達の秘密の逢瀬は「真実の愛」と言う新しい人の世の愛の形として美化されて公表されたのだ
「長らく育まれた愛が結ばれた事、嬉しゅうございます」
「ご結婚おめでとうございます」
「「真実の愛」バンザーイ!」
只の女になってしまった元「聖女」の前で、貴族だけでなく民衆までもが王子と顔見知りの女の「真実の愛」と人類の平穏を愚かながらにも大いに寿いだ時、守ってきた世界から切り捨てられた元「聖女」は呟くしかなかった
「ああ…私裏切られたんだ」と
「あの時の未来には自分の居場所が無いんだ」と
新しい「真実の愛」を謳った一組の恋人達の存在が喜ばれ、それまで人の世を救ってきた「聖女」だった只の女を裏切った事実だけが地上に残る
そうして守ってきた者達に裏切られた元「聖女」は恋人達を恨み、恋人達を祝う人間達を恨み、力を利用するだけで利を返さない地上世界の人間社会そのものを恨んで死んだと記されている
「真実の愛」で結ばれた王子と女の婚儀以降、人間社会では元「聖女」だった只の女の姿を見る事がなくなり、それまで長らく続けられてきた「聖女」の献身を忘れきった人類も王子達に倣うように「真実の愛」を謳い
「「魔獣」がいなくなったこの世界で穏やかに文明を育んて行くだろう」
と地上世界に残された人類のほとんどは思っていた
が、「聖女」を裏切った人類に対し地上世界の現実は甘くない
脅威であった「魔獣」やその力の礎になる「魔力」が地上から無くなっても、何故か幾度も人類社会に試練が起きるのだ
地震、洪水、日照り、冷夏、疫病…「魔力」も「魔獣」も関係ない様々な苦境が絶えず地上世界で発生し、何度も何度も人類を追い詰めていく
「真実の愛」で寿がれた王子が王になり、その治世が始まってもそれらは変わらない
むしろ「聖女」が居た頃は僅かとはいえ人間も「魔力」が使えていたのに、今はそれすらも無いので試練に対し対処の一つも出来ないのだ
地震で崩れた大地を直す地の「魔法」
洪水を起こす雲を押し流す風の「魔法」
日照りで乾いた畑を潤す水の「魔法」
冷夏で育たぬ作物に熱を与える火の「魔法」
病気をたちどころに癒す治癒の「魔法」
どれだけの「魔力」でそれまでの人の世は守られていたのか、「聖女」が「魔力」を神々に返還するのを恐れていた本当の理由を思い知るには十分すぎるほどの試練が起きてしまう
対抗する術もないまま、どんどんどんどん数えきれないほどにそれら試練が王子が治める国だけでなく、人間社会そのものに襲い掛かってきた
そうして度重なる試練に蹂躙され十年も経たないうちに、かつては「聖女」が住み暮らしその後は「真実の愛」で結ばれていたはずの一組の夫婦が治めていた大国が無くなりかける時が来た
一つの大国が瓦解しかけたその日、天上より大いなる神々からの声が地上世界全土へと響きわたる
「天上に住まう我々は、地上でのお前達の行いをずっと見てきた」
「遠い昔に遣わした「聖女」の行いと約束と決意を」
「「聖女」との約束を裏切り「聖女」の行いと決意を蔑ろにしてきたお前達が謳う「真実の愛」とやらを」
「故にお前達にはもう我々の加護の形である「聖女」は贈らぬ」
「元より「魔力」が無くともお前達が住まう地上の世界には幾多の試練があった」
「故に天上より何度もお前達の所へ「聖女」を通じて試練に対抗できうる「魔力」を贈っていたのに」
「地上から「魔力」が無くなろうと「聖女」が地上にいれば数多の試練に立ち向かう術はあったのに」
「お前達は「真実の愛」とやらを謳って尚も地上に残ろうとした「聖女」ごと我々の誠意を裏切りおった」
「これからは我々や「聖女」の力に頼らず、お前達が謳う「真実の愛」とやらで試練を乗り越えるが良い」
「天上に住まう我々はもうお前達を見守らぬ、地上世界に「聖女」は現れぬ」
と言った瞬間
あーはははははは
あらあらうふふふ
くすくすくすくす
いっそ凶事とも思えるような、天上からの幾多の軽快な笑い声が一頻り響いた後に
「さて「聖女」裏切ったお前達が謳う「真実の愛」とやらは、どれほどに素晴らしい喜劇を地上に生み出すのであろうな」
嬉し気に語る言葉を最後にし、プツン…と糸が切れるような音がした後に世界はもう一度沈黙する
それこそが天上世界の神々達からの人類に寄越した最後通牒となった
哀れな人間達が住まう地上世界を長らく見守ってきた神々は、「魔獣」だけに限らず地上世界で起こりうる全ての試練に対抗せしめんと、人類を救うべく「魔力」と「聖女」を送り出してくれていた
それに対して最後の砦になりうる「聖女」に対し、酷い裏切り行為を行った人間達の愚行を見て、天上世界に住まう神々は怒りを覚えていたのだと、その時になって初めて人類は思い知る
「神々は地上から「魔力」を返還し使命を果たした「聖女」も取り上げた上で、世界からは「聖女」という形をした神々からの最後の神秘の加護は消え去る
地上を見捨てて天上世界へとお籠りになってしまわれて以来、この世界には神々は姿を現さない
その上で…「真実の愛」を謳った恋人達が治めていた国が一つ消えた」
人の世を守っていた「聖女」と天上世界の神々を裏切り、不貞で培った愛を「真実の愛」と称して謳ったかつての王子が治めた大国が滅んだ後に、建国されたのがオセイアン公国
オセイアン建国のきっかけになるとある亡国が産んだ教訓を残すべく、神々の贈り物である「聖女」を「偽りの愛」と騙って捨てた、亡国の王に成った王子と貧民が如き精神を持った女の裏切りが込められた「真実の愛」の顛末は全て書き記し、オセイアン公国が続く限り後の世まで伝承しよう
同時に神々が最後に残した人類への最後の希望であり、罰であり、呪いであり、喜劇の一つになりうる数々の「真実の愛」を謳う恋人達の顛末もここに余さず記録していくのだ
[最古の「真実の愛」の事例:了]
…という訳だ
*
「『かつて人の世を救ってきた「聖女」を「真実の愛」と言う形で裏切ってしまったこの地上世界に住まう人類は、もはや一組の「真実の愛」を謳う恋人達を、人類への試練への生贄として差し出さねば生き残れない』…か」
教訓めいた言葉で締められた本の末尾を思い出しながら、フランツィスカは小さく呟く
(怒れる神々は地上世界を見捨てた時に最後に残したのは「真実の愛」からなる喜劇の幕開けだった…とはね?)
神秘的で見た事が無い素材で作れた表紙の本に書かれていたのは、この地上には元から幾つもの試練が内封されていて、人類がそれに遭遇した時に「真実の愛」で結ばれた恋人達が生贄として漸く対抗出来うる…という神々からの最後の加護を得た時の話で
そんな神々からの最後の言葉を知るに辺り、人間にとっては悲劇的であり英雄的でもある「真実の愛」が生み出すシナリオは、地上世界を見守る事も止めた神々からすれば、勧善懲悪的で非常に滑稽な喜劇でしかないと意味するものであった
「地上世界に元からあった多大な試練に人が立ち向かう為に最後に残された「真実の愛」こそが、怒れる神々が許した人類の「防衛機構」だったのなら、「真実の愛」で結ばれた恋人達が悲劇的な結末になりやすいのは当たり前だわ」
天上に住まい神秘の力を行使出来る神々ですら、この地上で起きる有象無象を「試練」と例えたくらいに箱の地上は過酷らしい
そんな過酷な地上に居ながらにして、力なき人間が生きていくこと自体困難極めるのはしょうがないというもの
(こうなると「真実の愛」と謳ってしまったディベルゲ様達はもう試練への生贄になるより他は無さそうね)
あの方は学院の図書室内でアンゲラ様から勧められた媚薬を口にしてから愛し合っていた事を、正当化する為だけに「真実の愛」という単語を使ったのかもしれない
しかしそこにどんな理由があろうと無かろうと、天上におわす今は姿無き神々達はきっと、この地上世界で発せられた「真実の愛」からなる喜劇を今も待ち望んでいらっしゃるはずだ
(怒れる天上の神々はきっと、この地上で謳われてしまった「真実の愛」を余さず拾い上げるのでしょうね)
そうやって、この建屋の中に静かに詰め込まれてきた過去の「真実の愛」の一つ一つの中には、軽々しい気持ちで「真実の愛」を謳ったせいで悲劇に巻き込まれてしまった恋人達だって相当数はいるはずなのだ
(一瞬の気の迷いや都合が良かったから使っただけであってもこの地上で「自分達は「真実の愛」で結ばれた」と言ってしまったら、取り返しがつかない事になる気がしてならないもの)
実際穏やかな令嬢だと言われているフランツィスカとて、この本を読んで漸く
(「真実の愛」のせいでディベルゲから婚約破棄をされ、長年の努力や親愛を無下に扱われた事を、時が過ぎた今になっても時々悔しくなる)
…と思ってしまう事を素直に受け入れたのだ
例えそれが最古の「真実の愛」のせいで全てを失った「聖女」の比ではないとしても
(「聖女」の時と違って、私は家族や王夫妻がディベルゲ様達の不誠実さに対して怒りを表して下さった)
令嬢としてほんの少しだけ瑕疵がついただけの自分でも悔しいと思い、身内達は憤りを感じてしまったと言うのに、かつての「聖女」の方はそれ以上に己が命と立場と愛情全てを、人間社会全体より蔑ろに扱われてしまっている
心無い恋人達の「真実の愛」と名を借りた不貞行為を始め全てに対して、「聖女」はやりきれないほどに沢山の怒りや諦めを抱いたのだろう
(そして天上の神々はどれだけ怒り狂ったのだろう…?)
…とフランツィスカは他人事ながら恐怖を感じざる負えない
(この地上には今は姿無き神々がおっしゃられるほどに試練が大量にあるらしいのだから、今回「真実の愛」を謳ってしまったお二人が悲劇的な結末になるのは決まったようなものでしょうね)
そんな感想を心にしまい込みながら(重そうな見た目をしながらも思いのほか軽い)本を手に持ってフランツィスカは席を立ち、本棚にそっと本を戻してから図書館を出た
(そうしていつかディベルゲ様とアンゲラ様の「真実の愛」の顛末もあの年表に記され、資料に書き込まれて、一冊の本となってあの本棚に収まる日が来るのだわ)
そう思いながらフランツィスカは振り返って、背後に佇む中央図書館とその屋根の向こうに見える青空を眺める
(天上の神々よ、どうかあの御二方の「真実の愛」も本物になりえますように)
空に向かってフランツィスカは静かに祈り、そしてまた一歩一歩と大階段を降りていく
「待たせたわね、帰りましょう」
そして図書館の入口に併設されたカフェに待たせていたメイドを引き連れて、オセイアン公国にて用意された屋敷へとフランツィスカは帰って行ったのだった
[フランツィスカ視点:了]
*
[ディベルゲ元王子、現ディベルゲ公爵視点]
「ヘデラの領地の一部をくれてやると父上はおっしゃってはいたけど」
長年婚約していたフランツィスカを誰に相談するでもなく自分の意志一つで婚約破棄したせいで、何故か廃嫡されただけでなく今や王籍すら外されて、一代限りの公爵位を賜ったディベルゲと準男爵の家の子となったアンゲラは婚約を結んだ後に、揃って王都からを国の端に飛ばされる羽目になってしまった
「アンゲラは確かに「真実の愛」をくれたと言うのに…」
あの学院での図書室でアンゲラ嬢と知り合ってからは、それまで両親や大人達が忌々しげに口にしていたまやかしの「真実の愛」とは別物で本物の「真実の愛」を私達は今も手にしていると言うのに、三年経った今でも両親達はそれの良さを分かってはくれないのだ
当然私は素晴らしいアンゲラ嬢と「真実の愛」を得て結ばれたからこそ、アンゲラ嬢を王妃に据え、国政を担うつもりでいたのだったが、父上達はその一切を許してはくれないまま、こんな辺鄙な所へ来たわけだが…
「なんだ思ったよりは作りの良い屋敷ではないか」
元は国外追放を言い渡されたヘルデ公爵家の持ち物で、辺境の地にある広いカントリーハウスを譲られるとは聞いていたが、いざ来てみれば美しい海が良く見える岬にその屋敷はあって景色込みで思ったよりもそんなに悪くない環境であった
「強いて難を言うなら庭が無い事くらいか…」
カントリーハウスだろうと、タウンハウスだろうと規模の差はあれど貴族が所有している大概の屋敷には塀に囲まれた庭園があるものだが、この屋敷だけは比較的狭い岬の縁に建てられているせいか、塀や庭が無く街道から直接細い石畳みの道が屋敷の表玄関へと繋がる作りになっているのだ
「まあ…しばらくの間は庭師が用意できないから、今のところは庭が無くとも良いだろう、何せこの景色が庭の代りをしてくれているし」
そう言いながらふと屋敷の後ろを見に行けばそこには広大な青い海が広がっていた
「風が気持ちいい…それに穏やかで暖かい」
すぅっと深く呼吸をしてから、王都では見れないほどに素晴らしい海が眼下に広がっていて、それを庭園を造る以上の価値がここにはあると思い直してから屋敷へと入っていく
「多少は古い気がするが、うん悪くない趣味だな。埃もないし」
屋敷の表玄関をくぐるとヘデラ家が管理していた時に使われていたと思われる備え付けの家具が相当数綺麗な状態で残っているのが見える
流石にかつては壁に飾られていたであろう歴代の当主や夫人達の肖像画は外されているが、それでも他の建具に関してはキッチリと住み込みの者達によって管理されているようだ
「うーん、でも本当はあっちで使っていた家具も私は持ってきたかったのだけどなぁ…」
王家が用意した婚約を不意にしたのが相当に癪に障ったのか、使っていた家具などを王城から持って行く事を止められていたのだ
「あの屋敷には住むうえで必要な物らは全て揃っている、家具も住み込みの者も全部だ」
と父上は言っていたけど、確かに到着したその日からまともな生活がおくれるのなら、前まで使っていた馴染みの人間や家具の一つや二つなくても問題は無い
(それにあそこに帰れる日が近いしな)
表向きには父上は穏やかな風体を保っているがその実公には出せない程に苛烈な性格を隠し持っている
しかし母上ならば父上の収まらないそれを穏やかに諫められるからこそ、王命に背いて勝手にフランツェスカとの婚約を破棄した事で発生した怒りもそのうち収まる日が来る
「父上の怒りを全ておおさめ下されば、二年も経たぬうちに私達が王都に帰る日も来るだろう」
と予想しているのだ
更に言えば王都で何か良からぬ事をしていたらしいアンゲラ嬢の元養父であるシュリンゲ男爵や他の者達も、この地を治める任に一年着いた後はすぐに許されて任を解かれているからこそ、こうしてヘデラ家が国内を去ってから三年目になって上長が空いた領地を治める為だけに自分達がこの地に赴いている
今のところは任を解かれたシュリンゲ男爵や他の家も表向きの為政や王都での社交界には戻ってきてはいないが、処罰からまだ1年か2年しか経っていないのだ、単に今は自分が見えない別の辺境の地でその手腕を発揮しているだろうと思えば、そんなに気になるわけでもない
「何だかんだで母上は私に甘いからな、父上への説得が終れば私は王都に返されるに決まっている」
ここの領政も代官に任せれば良いと言われているので、今は謹慎を兼ねた景勝地での休暇だと思ってここでの生活を楽しもうと思っている
「それにしても決まった一晩だけは住み込みの者達全員に暇を出せ…とは随分と変な事言ってきたな…」
出発前の謁見の時に父が言っていたのだ
「秋の満月のだけは屋敷の者達に暇をやって、ディベルゲとアンゲラのみで屋敷にて過ごすように、念の為に前日には人を送って確認するからな」
…と
「本当に不思議な事を言う…でもまあ、一年の内の一晩だけなら気になるでもないだろう」
せっかくだからアンゲラ嬢と水入らずにゆったりと二人きりで過ごす晩もあって良いだろうなと思いながら、ディベルゲは崖の傍の屋敷でしばらくのんびりと過ごす事にしたのだった
それからしばらく時が経ち、海風が爽やかだった夏が終わり、涼やかに感じる秋を迎えた頃に王都から一人の男が書類入れを大事そうに抱えて、ディベルゲ達が住まう海の傍の屋敷へ来訪する
男が書類入れから王命用の紙を玄関前で掲げれば、書類の文言を確認した屋敷の執事長は屋敷の主人に確認もしないうちに王都から来た男を屋敷の中に引き入れた
「明日が満月の晩になります」
と王都からの客人を迎えようとしたディベルゲの顔を見るなり、まだ玄関先であるにも関わらず男はすぐさま王命が書かれた書類を見せつけてくるのだ
『秋の満月の晩、屋敷の召使は全て回収した上でディベルゲ及びアンゲラのみ屋敷に残せ』
と、確かにその紙には現王の筆跡で書かれているのが分かったが、やはり何度考えても意味が分からないその王命にディベルゲは頭を捻るしかない
「前から思っていたけど、この王命は一体何の意味があるんだい?」
「王命以上の事には「答えるな」と上から言われております」
とけんもほろろにディベルゲからの質問を突っ返した王都から来た男は
「それでは当初のご命令通りに明日の夕方までにはこの屋敷内の召使達を回収致しますので」
素っ気ない返事を返されたことに二の句が告げなくなったディベルゲに対し、今後の予定を告げると
「皆様は外出の準備を進めて下さい」
付近にいた執事長を始めとした召使達に屋敷中に届くような大声で号令をかけた
すると屋敷の主人であるはずのディベルゲの声を聞くよりも早く、執事長達は手持ちの仕事を終えるか止めるかして普段とは全然違う動きを始めるのだ
外の物干し場に干されていた洗濯物の一度回収した後、物干し場そのものが片付けられ、先ほどまで干されていた洗濯物は屋敷のベランダへと干され始める
同時に外置きされていた箒などの道具、搬入されていた備品や食料なども残らず屋敷の中にしまい込まれ
馬車や荷車も車屋の奥へと仕舞われ、馬丁が馬小屋から馬を出しどこかへ連れて行くのが玄関広間の窓から見える
換気用に開けていた天井裏や使われていない部屋の窓は次々に閉じられていき
そうして手の空いている者達からどんどん炊事場に行って調理の手伝いを始めているようなのだ
「ま…まるで籠城戦の様でないか…?」
この地は戦争などいつ久しく行われていない王国の内にあるはずなのに、まるで王太子教育での騎士教本で読んだような、屋敷そのものを封じていく作業を殺伐とした雰囲気で黙々と行っている召使達に、ディベルゲは只々息を飲むしかない
「これはどういう事ですの?」
普段と打って変わった召使達の動きに驚いたアンゲラも、それまで居た自室からディベルゲや王都から来た男がいる玄関へとやってきて質問を投げかけたが、屋敷の主人や女主人の動揺など気にしないとばかりに召使達の動きは一切変わらない
玄関広間にて王命が記された書類を片手持った男は
「ディベルゲ様、アンゲラ様お二人が召使達が明日一晩外出する為の準備を妨害するようなら、王命に反したと思って処断せよ…と承っておりますので、どうかご容赦の程を」
とだけ言い詳細については何一つ答えてくれないのが、余計に焦燥に駆られる気分になる
(たった一晩だけだろうに…どうしてこんな…)
(私…たち…どうなるの…?)
二人が呆然としているうちに屋敷中に香ばしい料理の香りが流れてくる、まだ飯時でもないのに
玄関広間にいる主人達はその光景を見る事はなかったが、炊事場はまさに戦場の様だ
屋敷で一番大きな大鍋にどんどん切られた具材が入れられ、そのうちに冷めても美味しいスープがなみなみに作られていくし
いつも柔らかなパンが焼かれる竈には保存用の固いパンの生地が焼かれている
塊の肉は片っ端からローストされ保存容器にのせられ
生野菜は端から火を通し、果物は砂糖で煮詰められジャムとして瓶詰めされた
たった二人分の一晩用とは思えない大量の保存食が今炊事場で作られていると知ったら、それこそディベルゲ達は困惑を通り越して混乱したのかもしれないが、運よくそれを知る機会はなかった
普段だったら客人に茶を出してくれるメイドすら今に限っては炊事場で作業をしている為、茶の一つも出ないままその日は夕方を迎え、王都からの男は
「明日も確認に来ます」
と一言申してから、宿がある近くの村に戻って行く
そして夕食として二人の前に出されたのは、昼間の作業は何だったのかと思われるような
焼かれたばかりで丁度良いレア肉
生野菜のサラダ
柔らかいパンに冷たいデザート
ついさっき出来立たばかりを思わせるような普段と何ら変わりのない食事ばかりだったので、不思議に思ったディベルゲとアンゲラはもう一度
「昼間は一体何を作っていたの?」
「一体、明日の晩には何があるんだい?」
給仕をしていた執事長に聞いたものの
「王命の為お答えする事は出来ません」
と答えるだけ
昼間の狂乱は何だったのかと頭を悩ませるような雰囲気のまま、その日の食事を終え、体を洗い身を整えて寝るまでの間も、傍に居た召使達に再三質問をしてはみたが、帰ってくる返事は執事長の言葉と何ら変わらず、何も分からないまま二人は秋の満月の前日を終えるしかなかったのだ
そして迎えるは王命として何度も話題に上がっていた、秋の満月の日の昼間
屋敷の玄関には昨日と同じく王命片手に男が来ており、今日に限っては騎士二人も脇に添えている
「では王命により本日は全ての召使達を回収を行います」
と男が大声で号令をかけるなり、屋敷中の召使達は己が荷物を抱えて玄関広間に集まってくる
「湯あみに関しては本日は中止となります」
「お着替えはお一人で着替えられる服をドレッサー室の一番前に置いてあります」
「お食事は一階の食堂に全て準備しております」
「窓には全て雨戸と鍵がかかっております」
「裏口は既に鍵と閂がかかっております」
口々にそう言うと召使達は一人一人、男が持つリストと本人確認しながら屋敷を出て行く
当日になっても事情はよく分からないままだが、それでも何か差し迫った雰囲気を感じていたディベルゲは
「この屋敷の主人は私なのだが…」
と言いながらリストを片手に何やら話し込んでいる男や執事長に声をかけようとしたが、男についてきた騎士がそれを遮るように間に入ってきたので声をかけられないまま
「明日戻ります」
「失礼致します」
次々にそう告げると召使達や執事長は道の向こうで何台か止められていた乗合馬車に乗り込んでいく
「それでは回収を終えましたので、ここで失礼致します」
「今晩ここで一体何が起きると言うのだ!」
屋敷全ての召使達の名が書かれたリストを片手に、男も屋敷を退出しようとしたので、いよいよ事態がおかしい方向に動いていると思い至ったディベルゲが質問を投げかける…と
「今晩、月が出ている間はしっかりと玄関に閂をかけて、お二人がちゃんとこの屋敷に閉じこもってさえいれば何も起きませんよ」
そんな答えの様で答えですら無いような返答が帰ってきた
「閂…?いつもであったら鍵をかけるだけでも良いだろう?」
閂は夏の激しい嵐の時に暴風で扉が開かないようにする為の物で、屋敷の奥に見えるはずの凪いだ海面からは今晩嵐が来るようなことはないとディベルゲは思う
「ええ普段通りでしたらそうでございましょう、しかし今夜だけはここに恐ろしい嵐が来るやもしれませんので、御身が本当に大切だとお思いならば、どうかちゃんと玄関に鍵と閂をかけてからお休み下さいませ」
男はそう言って振り返りもせずついてきた騎士達と共に、最後に残っていた馬車に乗ってあっと言う間に去って行ってしまったのだ
「御身が大切なら閂って…今夜ここに賊でも押し入るとても言うのか?」
小さくなっていく馬車を見送りながらディベルゲはそんな冗談めいた言葉を吐いた、が当然返事なんかない
屋敷内のあまりの静けさに気づいて、ふと振り返れば雨戸が無いバルコニーの大窓からも見える水平線へ沈もうする赤い太陽
雨戸が付いた窓は既に召使達の手により閉めきられ、バルコニーから見える赤い夕陽だけが室内を照らしていて薄暗く…少しだけ今まで味わった事の無い不穏さを感じていた
「とりあえず玄関は閉めよう」
何気なく玄関の扉の取っ手に手を添えた時
ー鍵と閂をかけるようにー
終始不遜な対応をとっていた男が口にしていた言葉を思い出す
(なあに、私とてそれなりに騎士の訓練を受けているんだ)
何となく男に対して癪に触っていたディベルゲは、フッと鼻で笑ってから一応は玄関の扉だけは閉じようとしたものの、閂どころか執務室に置きっぱなしだった鍵を再度玄関に持ってくる気にすらなれなかったせいで鍵すらかけずにそのまま閉じた
そして暗くなってきた室内を明るくしようと近くのランプを片手に持って玄関から離れたのだった
「少し早いが夕食をとろう」
昼食以降からその時までメイド達から世話をされなかった為に、客人が来ようと自室に引きこもっていたアンゲラ嬢へ部屋の外から声をかける
「ディベルゲ様…」
と、恐る恐るとばかりに非常にゆっくりとした歩みでアンゲラ嬢は自室から出て来た
「アンゲラ…?」
しかしアンゲラの雰囲気が普段と随分違う
成人してからはずっと結い上げていた髪が今日だけは惜しげもなく下され、服は品は良く生地も上質な素材が使われているが、それでも装飾が極力まで減らされた比較的簡素な装いだったのでディベルゲは素直に驚いた表情を見せる
「一人ではいつもの服が着れなかったので、事前に用意された服に着替えたのです」
昼に着ていたドレスのままだと寝る時に支障が出るからと言われ、召使達がいるうちにアンゲラは湯あみが行われ、寝間着同然にも見える今のドレスに着替えさせていたらしい
「なるほど、だからさっきまで部屋から出てこれなかったんだね」
「はい、やはり普段とは違うとはいえ、この様な格好で部屋を出るのははしたないですよね?」
いつもの服なら可愛らしくも淑やかに見えるはずのアンゲラが、今に限っては補正下着に隠されていた体のラインが素直に現れる服になっている為、どことなく煽情的な雰囲気を感じてしまう
肌をほとんど露出していない装いのはずなのに、何故か無意識にディベルゲは生唾を飲んだ
「いやそんな事は無い、今日は普段と違うのだからしょうがないんだ。それに君はいつでも美しいと思うよ、うん」
「そうでしょうか」
と不安そうに言いながらアンゲラは薄く軽い生地で作られたスカートの軽く摘みながら、自身の服装を眺めるような仕草をした時に、寝室用の一人でも履きやすいルームシューズに包まれた足先がチラリと見えた瞬間、ディベルゲは思わずドキリと心臓を鳴らす
「今はこの屋敷には私とアンゲラしかいないからね、私が良いと思えたら大丈夫だよ」
「確かにそうですね、ふふっ今夜は私達二人っきりでしたね」
さっきまで心の大半を埋めていた、得も言われぬ不安を押し流すようなアンゲラの慎ましい笑顔を見てディベルゲもつられて笑顔になる
(そうだ…私達はもう婚約している)
フランツェスカとの婚約破棄以来、ずっと自分やアンゲラの身辺が騒がしかったせいで、学院を卒業しちゃんと婚約が決まってから今日までずっと、二人だけで落ち着いて話す機会が少なかったのだと気づく
まだ結婚前なのに、どこか初夜めいた雰囲気を感じたディベルゲは体の奥で沸き上がった熱い感覚に気づいた
(私達はもう「真実の愛」で結ばれ合っているんだ)
学院の図書室でアンゲラから渡された「真実の愛」を口にしてから、一度だけ触れた唇の柔らかさを思い出す
(学院にいた時もだが、卒業してから一度もアンゲラと二人きりになれなかったせいで…)
そう思ったら今すぐにでもアンゲラの腕をひいて寝室に押し入ってベッドに…と
(いや、夜は長い)
あらぬ興奮を抑え込んでからディベルゲはニコリと微笑んで
「少し早いがまずは食事にしよう」
「あら?ディベルゲ様がご用意されたのですか?」
「いや、召使達が屋敷を出る前に食堂に準備していったようだ」
「準備がよろしいのですね」
「昨日の騒々しさはは今夜の準備をしていたかららしいよ」
「ああ、なるほどそれで…」
「昨日も今日も午後のお茶が飲めなかったのですね」…と言いながら苦笑するアンゲラの手を取る
先ほどまで二人の間に微かに流れていた不埒な雰囲気は消えて、うやうやしくも親し気にアンゲラをエスコートしながらディベルゲはのんびりと一階にある食堂へ歩を進めたのだった
*
テーブルの中央には薄く切られたローストビーフが皿の上に山の様に積まれている
保温機にのった大鍋からは温かなスープの湯気が立ち上り
大量のマッシュポテトには茹でた卵がいくつも添えられ
蒸された野菜の隣には、瓶に入った様々なドレッシング
日持ち用のパンの傍には深皿に入ったバター
チーズ、ナッツ、サラミ、リエット、ドライフルーツにクラッカー
様々な焼き菓子、瓶詰された各種の果物ジャム
それらが全部、皿やカトラリーと共に食堂のテーブルの上に置かれているのだ
壁際の別のテーブルにはグラスやカップが並べられており、ワインクーラーの中にワイン瓶がいくつか氷が詰められている
その隣には保温機の上にお湯が入ったポットとティーセット、保冷機には果実水や只の水が入った水差しが置かれていた
「これは中々に…」
「凄い…ですわね」
王宮での晩餐や社交界のパーティでも見かけないスタイルの料理の量と盛り付けのスタイルを見て二人は言葉を無くす
「なるほど、召使がいなくては給仕そのものが出来ないからこその苦肉の策でこれか…」
「自分で好きな分だけ盛って食べなさい…ってことかしら」
「まあ…そうなるだろうね」
朝夕の二食分とはいえ、到底二人分とは思えない程の大量の食事に、二人は思わず顔を見合わせてから、プッと子供の様に吹き出した
「何か悪い事をしてしまいそうな気分になってくるね!」
「はい!マナーのお勉強の時に「やってはいけない」って言われた事を全部したくなっちゃいそう!」
「ははっ!それは良いな!やってみる?」
「どうしよう…でも本当は私…一度だけで良いからバターを大きなスプーンですくってそのまま食べてみたかったんです」
「なら私は子供の頃に絵本で見た薄切りパンより五倍はぶ厚いローストビーフのサンドイッチを食べてみたかったんだ!」
「やってみますか?」
「やってみよう!」
それから二人はマナーも遠慮なく飲み食いを始める
何枚もの薄いローストビーフが挟まったサンドイッチを食べようとして、パンの端から中身を零したり
大盛にすくったバターを口に含んでみたものの、想像以上の脂っこさに驚いてほとんど舐めとれないまま口から出したり
普段はスープ皿に入っているスープを、カップに入れてお茶を飲む様に啜ってみたり
大テーブルに添えられた椅子には座らず、唯一外が見えるバルコニーの傍で立ったままで焼き菓子をつまみにワインを飲んだり
無礼講とばかりに思い思いに楽しく過ごしているうちに海とは反対側のある森の上に満月が見え始めていた
「君とこんな楽しい夜が過ごせるのはあの満月のおかげだな」
「え…?」
グラスに入ったワインをゆるりと揺らしながらディベルゲが何気なく呟いた言葉を聞いて、隣でリスの様に焼き菓子を両手で持って頬張っていたアンゲラが不思議そうな顔をする
「今夜、この屋敷に私達が二人だけなのは父上の命令なんだよ」
「ええ…ではこの食事や服の準備があったのも陛下が…?」
「そう多分全部父上の方で準備していたんだろうね」
「こんな楽しい夜を私達の為に…」
そう言いながら嬉しげな顔で目に涙を浮かべるアンゲラの口元には、幼子の様に焼き菓子の欠片が付いている
それを見つけたディベルゲは、そっとアンゲラの口元に手を添えて欠片を取り
「多分今日の今日までこうして触れ合えなかった僕達に気を使って、こうして場を用意してくれたのだろう…」
そう言いながらお互い顔を近づけ、そっと静かに唇を合わせた
「…ディベルゲ様」
かつて学院の図書室で行われたたった一回の触れ合いを思い出すような口づけに、アンゲラは頬を染める
「父上が僕達を認めて下さったって事さ」
「っ!嬉しい…」
と言いながら今度はお互いの体を抱きしめ合い、互いを貪るように口づけ合う
ディベルゲの手の中にあったグラスからはワインが零れ落ち、足元の絨毯を汚した
アンゲラの手にあった焼き菓子は口づけに震える指先から離れ床を転がり、愛し合いお互いの体を求めあう二人によって踏まれ粉々になっていく
(やっと本物の「真実の愛」を私達は手に入れた!)
この時ディベルゲは反対されていた肉親に、アンゲラとの交際をやっと認められ「嬉しい」と思いながらも、同時に背徳な気分が体の奥から沸き上がるがままにアンゲラの背で結ばれていた寝間着の様なドレスを留める紐を解いた時
ギシィ…
と移住してから今まで聞いたことが無い音が屋敷中に響き渡った、そして
ギシィ…ギシィ…ギシィ…と絶え間なく屋敷の壁が軋む音を聞いてアンゲラは
「ひぃっ!」
と悲鳴じみた声を上げ肩を揺らした弾みで、背中の紐は完全に解かれそのままパサリと軽い音をたてて、彼女の体を隠していたドレスの一部が床に落ちた
( ? )
それまでどうやって紐一つで肌のほとんどの露出を防いでいたのか…とディベルゲが疑問が抱くよりも前に、ほとんど下着とルームシューズだけになった触れれば柔らかそうな白い肢体を隠そうとせずに、アンゲラは今にも倒れそうな程顔色を青くして小刻みに震えている
「嫌…嫌…こんな音…やめて」
「アンゲラ…?」
ブツブツと何かを言い始めたアンゲラの様子に只事ではない何かに気づいたディベルゲが、アンゲラの肩に触れようとした瞬間
「止めて!」
バアンっ!
アンゲラが大声を上げると同時に、バルコニーのガラスが大きな音をたてて振動した
「「 っ!? 」」
アンゲラの声以上に大きな不協和音に弾かれるように、二人は鍵がかかっているバルコニーの向こうを見る…と
「「ひぃっ!!」」
大きなガラス窓に張り付くように、濡れぼそった髪から水を滴らせて屋敷の中を覗き込む顔はニタニタと笑う牛の様に大きな人の生首があった
バアンっ!バアンっ!バアンっ!
ガラス窓に張り付いたソレは、まるで屋敷の中に二人を求めんばかりに何度も何度もガラス窓にぶつかってくる
「あ…あ…」
そしてその大きな人の顔は髪だけでなく顔中全部濡れており、何度もガラス窓に張り付くせいで嫌が応にもソレの肌色が蛙の様に緑色で酷く滑っているのが分かるほどだった
今の今まで一度だって見た事が無い異形なソレ自体に驚くより、恐怖の方が先にわいてくる
本能的な勘で異形のソレが「捕食者」側で、屋敷の中にいる自分達が「被食者」側だと分かるせいで
「嫌ぁぁぁぁっ!」
そしてその恐怖に打ち負かされるようにアンゲラは大声を上げて、足元の落ちた服をたくし上げてそのままの勢いで食堂を飛び出していく
「アンゲラっ!」
本能的に発生したアンゲラの逃走を見て、ディベルゲは嫌な予感に支配されながらも彼女の後を追う
ギシィ!ギシィ!ギシィ!
そして同時に屋敷の壁を外から締め付けるような音が自分達の後を追うように迫ってくる、まるでさっきまでガラス窓に張り付いていたソレが何度も屋敷に体当たりしているかのように
「嫌っ!あんな音もう聞きたくない!あんなのがいるなんて聞いてない!」
そんな音に怯えるようにアンゲラは長い廊下を走り抜け、玄関の方へと駆けて行く
「駄目だ!アンゲラ!今外に出てはっ!」
前を走っていくアンゲラがこれから行おうとしている事を察したディベルゲは追いかけながらも、さっき閂どころか鍵すらもかけていなかった事実に無意識下で後悔し始めた瞬間
「こんな所出て行…っ」
追いかけるディベルゲの方も見ずに大声をあげながらアンゲラは表玄関を開け放ち、まるでその身を外に投げ出すように飛び出して
ガミュっ!
玄関脇から感知できない速度で飛び出してきたソレの口の中に、猟犬が肉の塊を吸い込むような音をたて、質の良いドレスを体に巻き付けていたアンゲラの体が一瞬で見えなくなった
バタンっ!
そして勢いがついたソレに押されるように玄関は激しい音をたてながら一気に閉まり、ソレの姿がまたディベルゲの視界に入る事は無くなる
「あ…ンゲラ…?」
急に起きた目の前の出来事に実感が持てないままも、ディベルゲは
ーちゃんと玄関に鍵と閂をかけてからー
「閂を…」
と、脳裏に響き渡る王都から来た男の言葉を反芻するかのように、半ば無意識に緩慢とした手つきで玄関へと閂をかけ始める
「今度は鍵…をかけなくては…」
バシンっ!バシンっ!
閂をかけ終え、執務室にある玄関の鍵を持って来ようと思った辺りからまた閂をかけた玄関が大きな音を立て始めるが、不思議な事にそれでも扉が壊される事は無い
バシンっ!ギシィ!ギシィ!ギシィ!
と執務室まで移動するディベルゲを追うかの様に外からの屋敷の家鳴りも追いかけてくる
そして半ば放心状態のまま執務室から鍵を持ちだし、ずっと追いかけてくる外からの家鳴りと共に玄関に戻り
バシンっ!
カチャリ…
大きな音を立てながらもビクともしない玄関扉の鍵穴へ鍵を差し込み、予想以上に軽い音をたててディベルゲは漸く鍵をかけたのだ
バシンっ!バシンっ!バシンっ!
そして大きな打撃音が響く中で、ディベルゲは力が抜けたようにその場にヘタリと座り込む…と
ぺちゃり
力の入らない指先に濡れたような何かが触れたような気がした
ディベルゲの脳内には新たな警鐘が大きく鳴り響いているのにも関わらず、それでも彼は緩慢な指先の動きで濡れた感触がするそれを手繰り寄せる
「アンゲラ…」
それはか細い指先を携え先ほどまで美しく白い肌に包まれていたのであろう、血みどろに濡れた手首だった
扉の向こうに跳び出したアンゲラが外にいるソレに噛み千切られた時、その勢いで飛ばされてきた左手だった
嚙み口は刃こぼれした何かに力任せに切られた様に乱れ、どことなく海の香りが漂っているような気がする
そしてどことなく生暖かい温度を今も保っているような気がして、思わずその血まみれの小さい手の平に己が頬を寄せる
「父上は私達の事を何一つ認めては下さらなかったのだな…」
この瞬間になって漸くディベルゲは父親の真意を悟る
バシンっ!バシンっ!バシンっ!
外から大きな何かを叩きつけるような音が何度も響いてくるが、もう手首だけになったアンゲラを両手で抱えるディベルゲの耳にはもう入ってこない
「アンゲラ…私だけはこの手をもう離さないよ」
只々、玄関に閂どころか鍵すらもかけていなかった過去の自分の行いを悔やむ男が一人、大きな屋敷の玄関の奥に座り込んでいるだけだった
[ディベルゲ元王子、現ディベルゲ公爵視点:了]
*
[ヘデラ公爵視点]
(この年になってやっと陛下の治世も王国の内情も過渡期に入った…と思っても良いだろうか?)
そんなどうでも良い事をヘデラ公爵は王国から届いた手紙を片手にふと思いついていた
ルートヴィヒ王が即位してからの治世は基本的に穏やかなものだったとヘデラ公爵は考えている
努力し成果を得た者を認め、努力する力が持てぬ程にか弱き者達は、努力できる程度の力を貸し与えて成果を上げるようにと、人々の力が上へと持ち上がってくるのを促すような施政を行って貨幣経済を向上させ、税収も上がり国庫にも余裕が出ていたものだ
(されど人は元から強欲だもの)
台所事情が豊かになり、世が平穏であればあるほど、まるで春先の木の芽、草の芽の様にあちこちから好き勝手に有象無象の欲が湧いてでてくる
シュリンゲ男爵の養女アンゲラが市井で使われる媚薬を使って、当時の王太子ディベルゲを「真実の愛」の名を冠した媚薬で篭絡し学院での勉学を放棄させた上で、彼の当時の婚約者であったヘデラ公爵家の令嬢フランツィスカをかつての王命に反するように婚約破棄させるように導いている
その結果を憂いた王や王妃は、無役となり無防備になったフランツィスカの身を守るためにオセイアン公国への留学を決めた上で、ディベルゲ王子を後援していた力あるヘデラ公爵家を外し、敢えて政治的な勘すら無いシュリンゲ男爵にその後任を任せる事でディベルゲ王子本人を政の盤上から追い出している事だろう
(さぞかし王国では冷たい北風が吹いているだろうに…大変だねぇ)
現王であるルートヴィヒ王の下からフランツィスカの父であり、王の知己であったヘデラ公爵を敢えて引き離した事で、調子に乗った者達が表舞台に溢れ出でた
努力の一つもしない割に細やかな不満を抱えた者ほど、持てる物が持てた者達を逆恨みし、自分が手に出来なかったソレを楽に手に入れようとおかしな方法で足掻き出すものだ
(僕が空けた場所に居座ろうと動き始めた者達から消えてるんだろうなぁ~)
と、ヘデラ公爵は考える
王命でヘルデの家がオセイアン公国に居を構えてから三年の時が過ぎた今、とうとうそれら行っていた者達のほとんどが破滅し…げっふん没落していった…という旨が手紙には書かれていた
(あの陛下が何の枷も無くその辣腕を振るえば只では済むまいてからに…)
ヘルデ公爵に対し国外追放の王命が出た時、幾人かの貴族が裏で諸手を上げて喜んでいたのを思い出す
(私の事を目の上のタンコブみたいに思っていた者もいたんだろうが、実際はあの者らにとって陛下の方がずっと厄介なのになぁ~)
何せ王太子時代のルートヴィヒ王は人の情が無いのか言わんばかりに幼い頃から成果主義で冷たい男だった
若い頃の陛下のあだ名が「冷徹ルートヴィヒ」だったほどに
(あの頃の陛下ってば本当に冷たい子だったもんね~)
若きルートヴィヒの近くにいた者程、彼のその冷酷さが骨身に沁みるレベルで分かりきっていたので、その状況を憂いた先王が治世者としての最後の情だけは若き彼に与えんと思い至り、穏やかで人を諭すのが上手だったご令嬢を彼の婚約者に、情と咎の分別が得意で王が相手だろうと物を言えるヘデラ公爵家の子息をルートヴィヒと知古になりえる友に…と心底考えて割り振っていたらしい
(まぁ…先王様が陛下に与えたその知己に成りえる男って言うのが私なんだがね)
そんなルートヴィヒ王のストッパー役の一人が王命で国外にのんきに出かけているのだから、人に対する遠慮が半分消えてしまった冷徹ルートヴィヒは、あっと言う間にあの口だけ忙しい怠け者の集団相手へメスを入れたに決まっている
「あの者達の天下は一瞬で消え去っただろうなぁ~」
とのんびりと思考を飛ばす
(それにうちのフランツィスカの事でエーヴァ王妃もあの者達には怒っていたようだし、余計に陛下は張り切っちゃっただろうしで…少し可哀想な気がするなぁ~)
ルートヴィヒ王に限らずエーヴァ王妃だって、幼い頃から賢くて努力家だったフランツィスカを昔から好んでいたのに、ディベルゲ王子が勝手に婚約破棄をして贔屓していたフランツィスカに瑕疵を付けてきたのだ…ディベルゲ王子の新体制を担う一門は今頃没落の一途を辿っているはずだ
(まぁ、エーヴァ様からもGOサイン出てるみたいだし、そうなったらもう私一人では陛下は止められないから諦めてもらうしかないよね)
実際手紙の続きには、ディベルゲ王子に甘言を呟いていた者達が、陛下の辣腕によって全員揃って碌な目に遭っていない事が書かれていた
(ふふっ…ご意見番の私が傍に居なくて陛下もやりたい放題であったろうな)
王になってから三年前まで、王妃とヘデラ公爵に抑えられ大人しくしていたルートヴィヒ王の反動はいかなるものだろうと思えば、王都に多少寒風が吹きすさぶのは致し方ないと思おう
「確か一年目は養女のアンゲラ嬢を除いたシュリンゲ男爵の一族があそこに送られて、一昨年は首謀者の一族が…で今年はディベルゲ様とアンゲラ嬢が…かぁ?」
ヘデラ公爵家がオセイアン公国にバカンスに行ってから一年が経たないうちに、シュリンゲ男爵家は貴族の子息令嬢が通う学院内に大した効果が無い割に常習性がある薬をバラ撒いた咎で一門全員が捕まっている
媚薬ばら撒きの実行犯だった元平民のアンゲラ嬢だけは、養い親に言いつけられたが故に実行犯にならざるえなかった事で情状酌量が認められ、貴族籍こそ残ったものの最下位の準男爵の家に再度養女に入る事になった
二年目には王家勢力に微妙な不満を持っていた媚薬バラマキの首謀者筆頭の貴族達に対して、身分に見合わぬ行いにより施政に混乱が生じたと言いきり、仕事の怠慢、横領、裏金数々の証拠を目の前に差し出した後で、彼らからの碌な言い訳も聞かないで、あっと言う間に犯人達の爵位と財産を没収
三年目には成人したディベルゲ王子の嫡子権を剥奪した上で、学院卒業後に一代限りの公爵位を授けて準男爵家のアンゲラ嬢と再度無理矢理に婚約させてから共に(ヘルデ公爵が持っていた領地の一部を割譲した)海に面する小さな僻地に押し込められた状態になっているらしい
(若い頃の陛下すら嫌がったあの土地にディベルゲ様達を追いやるとは、これは中々に本当に「真実の愛」の喜劇とやらは恋人達に甘くないなぁ)
クスクスと笑いながらかつての故郷にあった海の傍の忌み地を思い出す
年に一回、秋の満月の夜に、ヘデラ家のカントリーハウスがある岬には得体の知れない…名状しがたい何かが上陸する夜がある
水に濡れた生物めいた牛ほどのサイズの何かが深夜に屋敷の周りをズルズルと只管歩き回り、夜明けとともに水底へと帰っていく…ようだ
何せ親世代いやそれよりずっと前から、ソレが陸に上がる夜だけは窓と言う窓にカギをかけ雨戸を閉じ、入口には全て閂を降ろすようにと、その状態で一晩大人しく屋敷内で過ごすように言い渡されている
(ならその夜だけカントリーハウスを出て王都のタウンハウスに引きこもれば良いのではないか?…と私も昔お祖父様に問うてはみたんだがなぁ)
過去にかつての先祖もそう考えてその晩だけ一族揃って王都の屋敷に引きこもって、崖の傍の館を空にしていたら、そのたった一晩だけで領地の海沿いにあった村が二つ消えたという知らせが届いたらしく、先祖が慌てて領地に戻ってみればカントリーハウスの周りを一周程度何かが通った形跡の後には、そのままかつて村があった場所へと直線で移動した足跡(?)があったらしい
そしてその何かが通り抜けた村はまるで嵐の海の波をかぶったかの様にびしょ濡れになり、家も木も生き物も何もかもが無くなっていたと言い伝えられている
「ソレが通った後は何も残っていなかったと言われているが、実際は何かがどんどんどんどん大きくなりながら進んでいき、最後は近くの浜辺から海に戻った様な跡が残っていたとの事だそうな おしまい」
(…って「海から上がるモノ」というタイトルが描かれたお手製の絵本を片手に、お母様が読み聞かせしてくれたなぁ)
今は亡き両親達との幼少期の温かい記憶を思い浮かべながらヘデラ公爵は三年ほど離れていた故郷を思い出す
「私がいない間は、あそこには適当なヤツを送り込むから安心しろ、お前らは黙ってオセイアンでのんびりして来い」
って移動前に陛下も言って下さっていた
何せルートヴィヒ王も「冷徹ルートヴィヒ」時代だった王太子の頃に一度だけ、同じく若かったヘデラ公爵に付いて行き、公爵が所有する岬にあるカントリーハウスに一晩泊っている、しかも何かが海から上がるとされる秋の満月の晩にだ
そして好奇心に負けて雨戸の無いバルコニーのガラス越しに海から来たアレを見たらしい
「お前が「ヘデラ公爵の跡を継いだからには、その晩だけは領地の屋敷に帰らねばならない」と言うから、私もここに来たが…昨夜のアレは一体何だったんだ?」
青年だったヘデラ公爵はアレが海から上がる晩に屋敷に留まるのは既に慣れていたが、流石の冷徹ルートヴィヒにとってあの晩は中々に戦々恐々な夜だったらしく、翌朝騎士向けの携帯食のみの朝食を口にしながら一晩中屋敷の周りを這いずっていたアレの正体をヘデラ青年に聞いてきたが
「私にもよく分からないのですよ、何せ一族全員もちゃんとアレを見た事が無いもので、でもうちの者があの晩この屋敷にいれば少なくとも近隣の住民達には迷惑はかからないのですからね、今となっては気にもしておりませんよ?」
とあっけらかんに返事をしたら、これを聞いた若き日のルートヴィヒも口をあんぐりと開けて
「それはお前が餌役としてここに留まっているからだろう?」
「ええ、アレにとって私達は目の前にぶら下がった餌同然でしょうね、ははっ!」
「お前は分かってやっているのか!?これを!」
「鍵がかかった屋敷の中にさえいれば私達も安全ですから」
「安全って…はぁ…」
カラカラと笑って答える若きヘデラ青年を見て、冷酷ルートヴィヒは諦めたように溜め息を吐いた後に
「父上が「ヘデラの一族は豪胆で大らかな者が多いから、小さい事に目敏く気づいて拘るばかりのお前が相手でも知己になりえるだろう」…と言っていた意味がよく分かった」
そんな風な事を呆れたような声で呟いていたのが懐かしい
「しかしあの頃から今まで、あの晩のみ海から上がるモノの正体なんて全然分からなかったが、アレはフランツィスカが教えてくれた神話時代の「魔獣」の生き残りなのかもしれないな」
オセイアン公国の図書館通いしているフランツィスカが言うには、この地上の人間を含めた生物はかつて神々と似た様な力「魔力」が使えていたが「聖女」がその力を全部天上の神々へ返していた事により、この地上から不可思議な力はすべて消えた…と書かれた文献があったと教えてくれた事を思い出す
「そう思えばあの言い伝えの様に不可思議な存在が今も海の底にいるのは何らおかしくないな、うむ」
何せ「聖女」が天上の神々に返還したのは、地上の「魔力」全部であって海底にあったモノは全然関係なかったのかもしれない
神々がいなくなった後も、あそこの海には今も神々時代の生物が生きているかもしれないと思えば何やらロマンが合って楽しくなってくるものだ
(子供たちのおかげで年をとっても新しい見識を得られるなんて有難いことだよ)
と思いながら、ヘデラ公爵はのんびりとカップのお茶を口に含みながら王国から届いたエーヴァ王妃からの手紙の続きを読む
(しかし広いカントリーハウスだとは言え、一年事にそう何人も送っては満員になってしまうだろうに…窮屈ではないだろうか?)
と思うヘデラ公爵はまだ知らない、アンゲラを除いたシュリンゲ男爵一族も首謀者一族もあの屋敷に配属された年の秋の時点であっけなく壊滅していた事を
一年目の年に屋敷に送られたシュリンゲ男爵一族は全員外に逃げ出してもれなく全員アレに捕食されていなくなった
二年目に送られた首謀者一族は、一部は逃げ出して先年のシュリンゲ男爵達のようにまとめて捕食されてしまったが、逃げ出さなかった者達が惨劇を産んだアレの存在に恐れをなして、アレが地上に出てくる一夜が明けた後も屋敷に籠城したのは良かったものの、今度は一晩分の貯えしか屋敷には残っていなかった為に屋敷の中で少ない備蓄を取り合い血で血を洗うような争いが発生し、生き残り達も結局は他殺か餓死の憂き目をみる羽目になっている
故に三年目になった今年は大量の食糧を屋敷内に用意していたのだが…先述した通りになってしまっている
「しかし南の島でバカンスも良いけど、いつまでもあの屋敷を王家に使われていては、うちの奥さんがいよいよ拗ねてしまうなぁ…どうしたものか」
かつては若かったヘデラ公爵に先代である父親が用意した婚約者は、薬作りが大好きな非常に豪胆なご令嬢だった…つまりそのご令嬢こそ今のヘデラ公爵夫人その人であり、トーマスとフランツィスカの母親でもあるわけだが
「結婚して以来、あの晩にはずっと奥さんが作った薬入りの獣の死体を置いて実験してたのに、オセイアンに来てからはそれも出来てないからなぁ…」
ヘデラ公爵夫人と結婚してからは、毎年屋敷の周りに海からの何かの為に猛毒…もとい薬入りの獣肉を置いて服用させて、薬の効果を観察していたものだったが
「薬のせいか最近は小さくなってきたみたいなんだけどさ…今はどうなってるんだろう」
以前はただ屋敷の周りをグルグル回ったように濡れた跡しか残っていなかったのに、近年は薬入りの獣肉を吐き出したりゴロゴロ転がったような形跡が増えたりと今までにないパターンの跡が増えて、いよいよ楽しくなってきていたのに
「ここは暖かいけど最近つまらないもんなぁ…はぁ~」
と王国にいた頃を思い出して小さくヘデラ公爵は溜め息を吐く
「奥さんは楽しそうで良いけどさ」
他国への過度な情報漏洩を防ぐ為に、フランツィスカ以外のヘデラ一族はオセイアンの図書館利用こそ出来ていないが、それでも薬作りが趣味なヘデラ公爵夫人の方はオセイアン公国の薬屋や本屋や花屋、農園を巡っては新作の毒…げっふんげふん薬を作って楽しんでいるのだから中々なバカンスを過ごせているだろう…とは自負している
それでも毎年秋には帰っていた故郷のあのカントリーハウスがある岬に戻れずにいるせいで、近年どんどん出来上がっていく新作の薬の使い処が無くなり
「ここにいると新薬が出来たのに試せないから困ったものね…」
と最近はよくぼやくようになってきているのだが
息子のトーマスは長く続いた「真実の愛」媚薬の大量摂取による体調不良がここに来て療養を終えた途端、自分の見分と母親が作る薬の素材を集めるという名目で、希少な生態系の内にあるオセイアン公国の各地へと動植物の採取に行っているばかりで、屋敷に中々帰ってこない
「ソロキャンプにハマっている…て言ってたけど、あの子一応は貴族階級だよねぇ…?」
そして娘フランツィスカはオセイアン公国の国立の大学に入学後は、そこでの勉学と中央図書館へ通い詰める日々
「勉強と読書ばかりでたまには一緒にお買い物とかしたいのに…」
各個人でオセイアン公国での生活を楽しんでいるのがよく分かっていたヘデラ公爵だったが、それでも溜め息を吐いてしまう
「たまには親子水入らずでのんびり一緒に過ごしたいんだけどなぁ…はぁ~」
(私だけ仕事も無くて暇なんだけど、これも王命なんだし致し方ない)
と思いながらもヘデラ公爵は溜め息を吐き吐き王都からの手紙を読み進めていく
「おお、新しい王太子にはやはりルートヴィヒ様の妹御の御子息に決まったか…で」
「婚約者はフランツィスカ…ん?正妃教育が間に合わないからそのまま次代の正妃にする…と」
「…だから今すぐ一族揃って帰ってこいぃぃぃっ!?」
『貴方方一族が他国にいるからこそルートヴィヒ様も喜んで、非常にあの方らしい辣腕を振るっておりましたけど、三年以上もそれを続けては国内が前以上に疲弊します、なのでヘデラ公爵には王国へと早くお戻りになって今の国政を整えて下さいまし
何せルートヴィヒ様ときたら、此度の件の「最後には貴方が国政を整えてくれる」と分かっている上で今もなお政へ大鉈を振るっておりますので』
と王妃の直筆で完全に事の後始末をヘデラ公爵に依頼する内容で手紙が締められていたのだから、これには流石の豪胆で大らかだと先王に認められていたヘデラ公爵も驚いた
「お前達!今すぐ荷物をまとめて王国に帰るぞ!陛下とエーヴァ様がお待ちになっていらっしゃる!」
「このままだと国ごと大変な事になるぞぉぉっ!」と叫びながらヘデラ公爵は、オセイアン公国に用意された屋敷の一室から飛び出して行く
そんなこんなでヘデラ公爵一家が一家全員家財道具全部抱えて王国に帰ってきたのは、それから三か月も後の事だったとさ
[ヘデラ公爵視点:了]
*
[とある娼館の専属薬師視点]
そしてそれから更に5年後の秋
「新しい王様バンザーイ!」
「フランツィスカ王妃…本当に素敵だわ…」
と王都の大通りをパレードしている新しい王夫妻に、大きな歓声を届ける沢山の民衆がいた
数年前に一過性で流行った「真実の愛」ブームは当に消え去り、今では婚約時代から穏やかな愛で育まれてきた新しい王夫妻が人気の的だ
その婚礼パレードを自室から静かに眺める一人の女がいる
「店ごとうちの薬を守ってくれたのは有難いんだけどねぇ…」
黙って窓の向こうを除く女の前で、そう呟いたのは老舗高級娼館「パンザー」を営む老支配人だ
「しょうがないよ、あの娘はお貴族様を相手に調子に乗り過ぎたのだもの、むしろこれぐらいの罰で済んで良かったくらいよ」
それまで窓の景色を眺めていた女が静かな声音で言葉を返す
「あの子は元々上昇志向が強すぎたからね、あの日あの子の父親が迎えに来た時にいつかはこうなるんじゃないかって思っていたのよ」
「まあ…一度だけ「お前の父親はお貴族様だ」って教えたら、そん時からあの子はすっかり貴族令嬢になったつもりで店ン中で振舞っていたからねぇ…ありゃあほとんど病気みたいなもんさね」
「本当に…それに私もまさかあの人があの子を迎えに来るなんて思わなかったからねぇ、そん時になって初めて小さい時からあの子に薬の調合を教えたのを後悔したもんだわ」
「ああそうだったねぇ…あん時アンゲラは喜んであいつに付いてっちまったっけね」
窓辺の女は静かに貴族だった父親に付いて行った一人娘のアンゲラを思い出していた
あの日あの子はいつも通り薬の調合をしていた私に言ったんだ
「あんたみたいに草塗れになって薬臭い匂いに塗れて生きるより、私はお貴族様の子になって思う存分に好き勝手に生きてやるんだ!」
って言いたい事を言いたい分だけ叫んで、あっと言う間に私の腕の中からいなくなってしまったんだ
「あんまりに急なもんだったからこっちはすっかり驚いっちまっててさ、そのおかげで「店の外ではうちの秘薬を一切作るな」ってあの子に言いそびれっちまったまま、アンゲラは飛び出して行っちまったもの」
「やっぱりさ…あん時流行ったっつー薬はあの子が作っていたんかねぇ」
「多分ね、あれのレシピは私のひい婆さんが作ったもんで母さんの代までは門外不出にしてたし、今じゃ私以外は他の誰にも作れないシロモノだったからね、ここにいる私以外の誰かが作ったとしたら後はあの子しかいないよ」
そう言いながら窓枠に肘をついて女は深く溜め息を吐いた
「薬のおかげであの子はお貴族様になって、パレードの真ん中にいるあすこの王妃様から前の王子様をかっさらって、お気に入りになって、取っ捕まって、僻地に送られちまって、左手だけになって帰ってきた…全部あの子の自業自得さね」
あの日以来何かを諦めた様な顔をする女を見て、老支配人もつられるように溜め息を吐いた
「「あの子が辺境の地で獣に襲われて左手だけになっちまった」って言う手紙と一緒に、あの王妃様の母さんが作ったつー「真実の愛」解毒薬のレシピが届いた時はなぁ~あん時は本当に肝が冷えたもんだぜ」
「私もだよ…手紙ン中に「そん時一緒にいた元王子様が、あの子が獣に食われちまった所を見たせいで気が触れた」って書かれてた時はさぁ…正直「真実の愛」って名前を馬鹿に出来ないなって私も思ったもん」
「ほんとだよ「真実の愛」の媚薬一つであの子は人っ子一人の人生をあっと言う間に狂わせっちまったんだ、だからあの子のついでにこっちも全員処刑されると思っていたのにねぇ」
「元王子様が悪いんだからってこっちには一切のお咎め無し、そして元王子様の方は左手の肉が腐っても、骨がバラバラになってもかき集めて袋に入れて大事に今も抱えて一人で暮らしているんだっけ?」
「風の噂だし、本当かどうかは分からないけど、あれ以来ディベルゲ様のお話は聞かないからな…そうなところなんだろう?」
「高貴な方が一人駄目になっている時にさ、あちらさんからの手紙に
『老舗高級旅館「パンザー」店主様、薬師様
「真実の愛」はお宅の秘伝の薬のレシピとお聞きしました
こちらの都合で当家にて勝手に薬の解析をした事に付いてここにお詫びを申し上げます
詫びの品にもならないとは思いますが、解析の産物である「真実の愛」解毒薬のレシピを同封いたしましたのでお受け取り頂けると幸いです』
…なんつーメモを封筒の中から見つけた時にゃあ、正直平民に対するお貴族様からの遠回しな脅しかと疑っちまったもんだよ、まぁ…どっちかって言うとお貴族様流の嫌味だったっぽいけどなぁ」
「ヘデラの家の人達にとってあの薬は何一つ傷にならなかったのかもね、まったく…「真実の愛」媚薬はのウチの中で一番とっときの秘薬だったってのにさぁ~」
「あんたさ…恨んでるかい?」
老支配人がテーブルの上に少し乗り出すように女を気遣うような声音で聞いてきたが、女の方はハンっと鼻で笑ってから
「なんも、小娘の頭ん中に入っていた「真実の愛」のレシピごと店の外に出しっちまったこっちが全部悪いのさ」
そう言いつつ、女はうーんと背伸びをしながら椅子の背もたれに体重をかけた
同時に椅子はギイィと軋んだ音をたてる
この椅子を家具屋で注文した当時はこれ以上の物は用意できないと思う程に値段がお高めだったこの椅子も、今ではすっかり古びて少し背もたれに体重をかけるだけでギィと音をたてるようになっていた
(そう言えば…)
アンゲラがまだ小さくて自分の血の半分が貴族だとも知らずにこの店にいた頃、この店の家具や建具が古びて軋んだ時にたてるこの音が大嫌いだった事を思い出す
(こんな音嫌いっ!大嫌い!)
娼館の女達と外から来たお客様方が揃ってベッドを軋ませる音があの子は大嫌いだった
もしかしなくともアンゲラは、ここに住んでいる限りは毎夜鳴りやまないあの音から逃げる為にこの家を飛び出して行ったのかもしれない
あの子はここで育ったとはいえ、薬師の子で外からのお客様を相手にする日は絶対に来なかっただろうと言うのに
(でも薬師の子だった私だって、ここに来たお貴族様の男の腕の中にいた事があったっけ…)
高貴な主人に付き添いこの店にやってきたあの人は、主人が戻る朝までいる場所がなくて困っていた所を見つけて私が話し相手になったのが始まりで、そうして私はあの人の子であるアンゲラを腹に宿している
「何て言うかさ、あの子は少しだけ新しい家具に囲まれて、少しだけ綺麗な服を着て、少しだけ美味いもん食いたかったからあの人に付いて行っただけだったのかもしれないのに、それら全部を「真実の愛」の薬のせいで狂っちまったんだろうね」
目の端に映った婚礼パレードの馬車の上にいる綺麗な服を着ている令嬢と呼ぶには少しだけ年がいった王妃の姿を見て、女は思うのだ
(本当にアンゲラはあの席に座りたかったのか)…と
お貴族様なあの人の為に「真実の愛」の媚薬を作って配り歩いていただけかもしれないし
本当に学院で王子様に惚れ込んで「真実の愛」を飲ませていたのかもしれないし
王子を奪う事で綺麗に着飾りお高くとまったご令嬢を欺けるのが楽しかったのかもしれないし
単純に素敵な家具や綺麗な服、美味しい食事に囲まれたかっただけかもしれないし
(さあてね…本当の所はアンゲラにしかわかんないよ)
今や左手だけが残って元王子様に大事にされているあの子の真意は誰にも分からない
「とにかく!あの人達はこの店ン中だけだったら「真実の愛」の媚薬を使う事は認めてくれたし、何よりひい婆さんが死ぬまで作れなかった解毒剤のレシピまでくれたんだ…有難く使わせてもらおうよ!」
「そうだな、いなくなっちまったあの子と引き換えにもらったモンだ。有難く使ってやろうじゃねえか。えっと確か…」
「どうしたんだい?」
「いや、あちらさんがつけた解毒薬の名前何て言ったっけ、やたら長くてすぐ忘れっちまうんだ」
「あぁ…あれの名前ね、「真実の愛」みたいに分かりやすい名前じゃないからねぇ…確か
「裏切りのない誠実さ」
って名前だったはずさね?」
と言った女の声はパレードが近づいて来て最骨頂になった外からの歓声に埋もれて聞こえなくなっていた
[とある娼館の専属薬師視点:了]
満月の夜に海から来るアレのモデルはSIREN2の堕慧児と、佐渡島や徳島県の妖怪大かむろと、クトゥルフ神話の深きものを参考にしております
ご拝読して頂きまして誠にありがとうございます
感想や下の☆からの評価等頂けましたら幸いです




