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(短編集)これは昨今流行りの婚約破棄にまつわるお話の一つでございます  作者: 田子倉


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「乗りな」と言いつつヘルメットを投げて渡して

心底愛した人を追いかける為にこれから単身他国に行こうとする男を見送る元婚約者の女性のお話です


バイクに乗った「当て馬」キャラの話はつづ井先生の「まるごと腐女子のつづ井さん」を参考にしています

あのシーンを見て当時私は(マニュアルの普通免許を持っているのに)大型二輪の免許がめっちゃ欲しいなと思いました

「ヨーン、どうか僕との婚約を破棄にしてくれないか?」


半月もしないうちに卒業を迎えるある日の昼下がり


「どうしても諦めきれない人がいるんだよ」


昼食の為に学園内の食堂へ向かおうとするクラスメート達がまだ幾人か残った教室内で、私はその不誠実な言葉を聞いた


「だから君と結婚してもこれからずっと一生やっていけると思えなくなってしまったからね」


目の前の男が発言した場所がどちらかの実家の応接間とかのお互いの家族だけがいる空間だったなら、まだ世間体を誤魔化す事ぐらい行動は出来たのに、彼はそれすら意にも解さず言ってのけてくれる


「君の見た目は地味だけど、性格とかはそんなに悪くは無いんだけどさ」


私と婚約しているクプファー伯爵家の御子息がイェルク様は、日常のささやかな提案をする様な体で学園卒業間近の年相応で平均的な一人のご令嬢の矜持を一瞬で破壊せしめるほどの暴言を吐いた時

家族の様に穏やかに育んできた親愛が弾け飛ぶように割れて散ったような気がした


(そこまで…言われる必要がある…?…)


私ヨーン・ズバクーゲルのある程度までは健やかだった精神がボッコボコのフルボッコに殴打された…ような気分になって、そのまま気弱なご令嬢らしく気を失ってしまったのだった



「乗りな」


ヘルメットを被り、デカいグラサンかけた女の顔アップが書かれた一コマ


(あ…このネタ…懐かしい…)


クライマックスのあのシーン


(格好良いなって思ったんだよね…)


しがない伯爵令嬢だったヨーン・ズバクーゲルの人生には片鱗も無かったはずの記憶が詰まった夢を何故か見ていた


マンガ、愛し合う二人、当て馬キャラ、交際、別れ、バイク、空港…


価値観どころか世界感すら違う環境に住んでいた人間の記憶の片鱗が滑稽な展開で流れて行く


それは所謂「三角関係」を主題とした作品だったようで

お互いを思いながらもすれ違い続けるヒロインとヒーロー

それを邪魔する「当て馬」キャラ

ヒロインはヒーローを密やかに思っていた

ヒーローはヒロインへの好意を口にしなかった

「当て馬」キャラはヒーローに恋をして、愛を謳って、ヒロインを憎く思っていた

だから「当て馬」キャラは二人の関係を幾度も妨害する

それでもめげずに、紆余曲折の果てにヒーローとヒロインはお互いの思いを確認しあい結ばれる

しかしその直後に二人は離ればなれを余儀なくされて、自室で一人膝を抱えて落ち込み動き乗せずにヒロインの元に、かつてはライバルだった「当て馬」キャラ(女性)が現れる


「乗りな」(意:私のバイクでヒロインをヒーローがいる所まで送ってやるよ)


そう言いながらバイクのヘルメットをヒロインの方へと放り投げて渡してきた

「当て馬」キャラ(女性)はデカいグラサンかけて、これまたデカいハーレーダビッドソンみたいなバイクに跨って、後部座席に指を指しているシーンがすっごく格好良かった


「ありがとう…ごめん、ひどいことした」


バイクを走らせる「当て馬」キャラの背に掴まりヒロインは目尻に涙を浮かべて呟く

ヒロインは知っていたのだ

いつも二人の邪魔ばかりしてきた「当て馬」キャラがヒーローを本当に愛していた事を

その上で愛を秘めるだけで歌いもしないヒロインが憎かった事を

そしてヒーローとヒロインが愛が実った事を悲しみながらも認めてくれていた事を

だから今にも壊れそうなヒロイン達の愛を繋ぎとめる為に、こうしてバイクを走らせてくれている事を


「風が強くて聞こえないよ」


「当て馬」キャラはぼやく…が風で聞こえないはずなら答える事なんて出来ないはずで

そしてバイクの後部座席にヒロインを乗せたまま、ババババババとエンジン音を奏でながらヒーローが旅立とうする空港まで連れて行く流れが最高に恰好良かったのである


「推しカプの当て馬」


になりたい…と語る女性が書いたマンガだった


「ヒロインとヒーローが最終的に幸せになれる…ようにする為の「当て馬」ポジションのキャラに自分はなりたい」


…と言う健気かつ強欲(笑)な作者の気持ちが詰まった作品だった

それを読んだ夢の中の私も同じように


「こんな格好良い「当て馬」キャラになら私もなりたいわ」


って心底思っていた



「…て…夢…?」


学園に入学してから何度かお世話になった事がある中級クラス向けの救護室の天井が目に入る

カタン…パラパラ…と簡易的な天幕ベッドの向こうで、椅子を動かしたり、紙をめくるような音が耳に入ってきていた


「私…倒れたの…?」


記憶の最後にあるのは「君の見た目は地味だけど…」と言いながら、私に背を向けて離れていくイェルクの姿で


(アレ如きの為の当て馬キャラになる価値あるかしら?)


と妙に軽くなった気分のまま天井を眺める


ついさっき人前で婚約破棄してきた事

婚約者がいながら他の者に気を寄せていた事

誉め言葉のつもりとも思えない程の暴言を言われた事


…からなるショックよりも、イェルク・クプファーとか言うモブキャラ以前の背景未満な輩の為に


(この私がわざわざアレの為に「当て馬」キャラになるのは勿体ないどころかギルティーな案件では?)


と思う気持ちだけがふつふつと湧いてくる


(そもそも私ズバクーゲル伯爵家の三女、ヨーンは、本来なら目立った瑕疵の無い令嬢だわ)


前世と呼ぶには物足りない量だったがそれでも他者視点の思考を夢で鮮明に感じた後だからこそ、ヨーンはこの世界における貴族令嬢としての己の価値を客観視をし始めていた

何せこのヨーン嬢は以前から


「自分は普通のしがない令嬢」


と言いながらも、ちゃんと良い所のお嬢さんらしく上流階級の学業も作法も社交も平気点以上に卒なくこなせる程度の力量がある

元婚約者からは地味と言われた見た目だって、若い頃なら華やかな派手さが無くて目立たない存在と思われるかもしれない

しかし、穏やかで落ち着いた髪色と品性と知性を湛えた瞳を持ち、それを損なわせない感性を有し、年を取ればとる程に、長く付き合えば付き合う程に、可愛らしく美しく独特の雰囲気を感じられる類のものを既に身に着けている


(私の価値はイェルク様が悪し様に言う程低くはない…)


だからこそイェルク・クプファーの主観的で幼い価値観に凝り固まった意見と、悪し様な言葉が口から出るのを制御できない杜撰な成長ぶりが目に余ってしまう


(マンガのヒロインは物語の最初からヒーローを純粋に愛していたからこそ、物語の山として盛り上げてくれる「当て馬」キャラの価値は高かった)


あの夢の中の世界では自由恋愛が主流であっても、「当て馬」キャラを始めとした様々な事情があったせいでヒロイン、ヒーロー達の恋愛成就のハードルが非常に高かったように見える

だけどそんな困難多き二人のキャラの間には(多少の肉欲はあったかもしれないが)純粋な愛情や恋慕が有ったように見えるのだ


(イェルク様の一方的な恋情にはあの二人の様な気高さが無いわ)


夢の中のマンガに記されていた困難しか見えない慕情の渦の中で

純粋に相手と自分の幸せを願うからこそキャラ達の愛憎や別離の予感は切なかったし

長らく邪魔な存在だったけど、最後には心からの応援と誠意を見せてヒロイン、ヒーローの再会の船出を格好良く演出した「当て馬」キャラの在り方はとても素敵だと思ったのだ


(それに比べてイェルク様ときたら…)


私達の婚約は学園に通うよりも前に決まり、両親を始めとした身内だけでなく、学園入学以来は友人知人達にも周知されていた

なのにイェルクは安易にそれを裏切って見せた

ヨーンや家族や貴族社会の中にあったはずの信用も親愛も地味で無駄だと思わせて捨てたのだ


(どうせならもう少し早い方がこちらとしても助かったのに)


未成年の内に個人的な社交がし易かった学園での生活も半月を切り、結婚まではいよいよ一年を切ろうかとする(婚約破棄を依頼するにも遅すぎる)このタイミングになって、一方的で相互理解すら出来ない程度の理由一つだけで破棄の謂れが無いはずのヨーンとの婚約を蹴っている


(私との婚約を破棄したとて、あのルツィア様とイェルク様との恋愛がうまくいくわけがないのに)


多分卒業式を半月後に控えたこの学園でそう考える者はヨーンだけなく他にもいる、何ならその数は一人や二人じゃない


(ルツィア様が普段からなさっている事をイェルク様はよくよくご存じなのかしらん?)


ヨーンはそんな事を考えながら、ベッドの天幕を捲ってソロリと救護室の床の上に立つ


(それとも「自分だけは特別枠にいる」とでも思っているのかしら?)


数多の醜聞を熟してきたルツィアと親しくも捨てられてきた男性達の中で、一番付き合いが長かったのはイェルクだったから



ルツィア・ヴリーランド


この者こそヨーンとイェルクの長きに渡った婚約と言う契約にヒビを入れた張本人である


白絹の様に滑らかな肌と亜麻色と例えるには淡い色をした長い髪

暖かい南の浅い海を湛えたような青緑の目

小さなピンクのバラの花びらを静かに一つ落としたような唇


そのままの出で立ちであったら神が自ら掘り出した美術彫刻のようにも見えるのに


唇の下には婀娜なほくろが小さく存在していて、それにより神が作りたもうた完璧で無機質な彫刻を、美しく艶めかしい生き物へと変えているんだろう…と思わせる風体をしていた


それがルツィア・ヴリーランドと名を冠する令嬢の姿である


一昨年に隣国に居を成すヴリーランド公爵家が二女として、ルツィアは編入してきた

以来、学園内での彼女近辺における様々な男女の醜聞めいた事実…いえ「噂」がそこかしこから流れてきている


やれ「許しなく王太子の体に触れていた」だの

やれ「怪しげな薬が入った菓子を騎士団見習いの寮へ差し入れていた」だの

やれ「内庭の陰やら図書室の棚の向こうやらで彼女と殿方の卑猥な声を聞いた」だの


その「噂」の目撃者や証言者達が、ルツィアとの噂の元になった男性達の婚約者ばかりと言うから、その真相たるや、げに恐ろしきもので

何ならヨーンも一週間前に(入学以来習慣化していた)花壇の世話をする為にいつも通る庭園脇の廊下で聞いてしまっていたのだ


ルツィアとイェルクらのはしたなく卑猥な声音を


あの時ヨーンはあからさま過ぎる二人の声を聞き、そのはしたなさに驚いてつい逃げてしまったが、今になって思えば二人のアレはヨーン本人に直接当てつけるような振舞いだったと思う


(いつから私の行動を見ていたのかしら)

(もしくはイェルク自身が私の情報を提供していたとか…?)


長年信頼を寄せていたイェルクの裏切りよりも、まるで知らない誰かから知らない間に自分の普段の行動を観察していたみたい…だと思えて、ヨーンの背筋が急に寒くなってくる


(ああ…でもこれで最後の情が消え去った気がしますわ)


半年前からジワジワと自分に素っ気なくなってきたイェルクを思い出すに、その頃から自分の行動範囲をルツィア側に知られていたのかもしれないと思えば


(そんなお暇があればもう少しぐらい余計にお勉強すればよろしいのに…)


と素直に思うくらいには、自分も図太い神経を持ってしまったなぁと感じ入る

事実、学園に編入した時からルツィアの学園の成績は編入時に相当の金を積まねば今頃は底を這っていただろうと思わせるものであったし、今までは平均的な貴族位であるイェルクの方も今や最終学年なのにジワリジワリと成績を落としてきて、結局元の位置までは挽回出来ずに卒業を迎えようとしている


(本当にデルフィーネ様がおっしゃっていた通りだったわ)


先年卒業された王太子様ですら、編入したばかりのルツィアに粉をかけられたときいている

王家の人間として王太子は隣国からの客人であるルツィアからの不誠実な接触を嫌悪しながらも表立っては振り払えなかったが、すぐに婚約者であるトロン公爵家のご令嬢デルフィーネ様の御助力を得た上で、水面下で無難かつ確実に突き放していたと聞いている

その後はルツィアの所業について国家間でどんな話し合いがあったかはいまだ不透明だが、ルツィアは今でもこの学園に残り、花を振りまいては若人達と春を謳歌している


「これからはルツィア様は隣国からの刺客だと思って、皆様対応しなさいませ」


そんな意を含んだデルフィーネ様直筆の文書が学園中の令嬢宛の連絡網で流れてきた時は、世も末かと思ったものだ

当然それを聞いた公爵、侯爵辺りの上級位のご令嬢方は厳重な警戒網を敷き、ルツィアの魔の手から自身の婚約者を引き離していたようだが、ルツィアの色情ぶりはそれだけでは収まらなかった

公爵家の人間ならほとんど手を出さないはずの男爵、子爵、そして伯爵の子息辺りを幾人も狙い始めたのだから、ルツィアの異常な性癖「寝取り」は本物だったと言える

国の次代を苛む為に送られた隣国からの刺客と言われれば素直に納得出来るくらいに、体は健全に成長すれど心は未熟な若者の心と体へと忍び込んでは篭絡していくその手口はまさに刺客のソレ


(そして彼女に見初められたイェルク様はその蜘蛛の網に引っかかりましたとさ…ってね)


家に帰り、両親への婚約破棄に纏わる報告を終えたヨーンは、昼間に一度倒れた事もあり大事を取って自室のベッドの上へと横になっていた


はぁ…


天井を眺めながら小さく溜め息を吐く

王太子を始めとしてルツィアからの誘惑を退けきった男性は今まででもそれなりにいた

なのにイェルクはその毒牙にかかってしまった側なんだから、彼に対して百年の恋が有ろうと無かろうととっくに消え去っている

更に言えば今回の私達の婚約破棄も、現在の学園内においては珍しいものではなくなって来ているのが一番恐ろしい


(本当にあの方々はどうかしてるわ)


平時であれば「結婚前に婚約者を寝取られた」となれば貴族令嬢としての瑕疵になるかもしれない…がそれ以上にルツィアのソレは常軌を逸している

何せ自分の非にしかならない行動ばかりなのにルツィアはそれを一切隠そうともしない、どんなに罪が上積みされてもその行いを止めやしないのだ


(卒業後は隣国のどこかに幽閉されるかもって噂もあるし)


下手な娼婦以下のあからさまな色情魔相手に易く引っかかる男の方がおかしい、と昨今では学園内でも言われている始末なのだ

何なら学園に通う子息令嬢の実家が連名のルツィア被害者の会は既に発足しているし、学園内外で起きた様々な案件の証拠書類はファイリング化され今や棚一つ分になっている

ルツィアが学園を卒業し成人になった後に起こす訴訟の準備や国際弁護士の派遣だって王家やトロン公爵家が用意し整えている辺り、もうルツィアは罪人として国内外共に逃げ場が無いだろう

ヨーンとて、関係が怪しくなっていた半年前の時点でイェルクにルツィアの陰があるかもしれないと双方の実家に報告を済ませていたし、現在も逐一連絡を取り合っている


「結婚前にあの様な女に引っかかる程にイェルク殿の隙が大きいと分かっただけでも、良かったのかもしれないな」


とは二人の婚約を決めたヨーンの父親の言である


「先週学園内でイェルク様達の卑猥なお声を聞いた」


と報告した時だって、いよいよ婚約破棄してから性格矯正しようと両家共に答えが出た矢先に、学園内でのイェルクからの杜撰で一方的な婚約破棄が発生したのだ


(でもこれでイェルク様からルツィア様が離れる時が来たってことよね…)


最もルツィアの性癖が手に負えないのは、目を付けた婚約者同士の間に割り込んで男性側の心と体を奪い、どちらかから正式に婚約破棄を突きつけたのを確認したら、それまで執拗に構っていた男性をあっけなく捨てて次の得物を狙いに行くところで


(下手な野生動物より食い方が汚い)


とつい思ってしまう

王太子の時はそんな事を起こらせる事も無く、王家やトロン公爵家からの外圧や権力でルチィアを引き剥がしたらしいが、残念ながら隣国のとはいえルツィアの実家である公爵家よりも、ずっと下の男爵位を始めとした下位中位に位置する貴族達にはそれが出来ない

それを見かねて王家や上位貴族も動いて下さっているが、ルツィアの半ば捨て身の様に軽すぎるフットワークと、彼女と付き合った者達の不幸な顛末を見聞きしているはずなのに彼女からの毒の様な誘惑に簡単に乗ってしまう意志薄弱な若人達の多さのせいで、対応が追い付けていないまま今に至っている


(こんな状況下でも婚約者がいる男性の間を平気に渡り歩けるなんて…ルツィア様はもうご病気なんだわ)


婚約を済ませている男性陣側の意志薄弱さを鍛え直す為に敢えてルツィアの放埓な行動を放置している…という噂がまことしやかに流れている程に


(だからイェルク様も今頃はルツィア様に捨てられているかもね)


ルツィアに見向きもされなくなった男性のほとんどは、その時点で後が無い所まで来ている事が多い


味方は既になく捨てきれない恋情を一人で抱えてルツィア本人に追いすがるか

我が身の保身の為に一度離れた元婚約者の元へ出戻ろうとするが拒否されるか


の二択しか無いのに…


(噂や事実を知っていても何でか被害者は減らないと…)


一番最初の王太子とルツィア関連報告を実家に送った時に、ヨーンの母親はこっそりと教えてくれたのは


「(人によって差異こそあれど)殿方は下半身で動く生き物だと思って貴女は行動しなさい」


と言う格言だった辺り、この件は男女の根源に関わる程に根が深い問題なんだろう

今後イェルクがどう動くかは分からないが、先週行われた両家の報告会の時点でヨーンとイェルクの婚約は破棄されている

それにヨーンとて半月後に控えているヨーンの卒業式の準備と、新たな婚約者を選定する段階に入ってて忙しい身の上なのだ


(あの物語の様にわざわざ私が当て馬をせずとも、イェルク様は「お一人で」愛を育んでおられていたみたいですし、今後は一切無視しても構いませんわね)


ルツィア被害者の会が王家とトロン公爵家の旗柱に自然に発足する程度には、今回の婚約破棄に関しては被害者側である令嬢らに対して同情の声が大きい

婚約破棄の憂き目をみた令嬢側には「天災に遭った様なもの」…つまりはルツィアの誘惑に負けた男性は死んだ者と見なして動くようにと王家とトロン公爵家からも声明が上がっているくらいだから、ヨーン自身が社交界で肩身を狭くする要素が一切無いのも安心できる


(今日の事はすごく疲れたけど、心は軽い…)


ふわぁ…と自然に欠伸が漏れ出る、久しぶりに安眠出来そうな気持を抱えて私は瞳を閉じた



(あら?思ったより長くお付き合いをなさっているみたいね)


教室内での婚約破棄から半月が経とうとしている

が、すぐにルツィアに捨てられるであろうと思われていたイェルクとの交際は以前と変わらず継続していたようだ


(当てつけみたいな干渉が無くなったから気が楽だわ)


勉学の場にいるとはとても思えない交友をしている二人の姿は偶に見かけることもあったが、それとて以前の様にあからさまにヨーンに当てつけるような雰囲気が消えているだけも素直に息がしやすい気がしている


(あのお二人の姿を見る事も、卒業したら無いですしね)


既に卒業後のルツィアは隣国に戻る事になっているし、その後は正式に国際法廷の場に出された上で表舞台から消えるだろうし、()()()()()()イェルクも隣国について行くことになっているのだろう…実際の所は一切分からないが

それにルツィアに飽きられてこの国に置いていかれたとしても、イェルクの実家のクプファー伯爵家は彼を勘当し絶縁すると決めているのだ

この国の社交界で今後の彼を見かける事はほぼ無いのは確定している


(私には関係の無い方々だもの)


と思いながら、ヨーンは最後に借りた本と返す為に図書室へと歩を進めた


そして漸く卒業を迎えたこの日


(あらあら、まあまあ~)


貴賓が集まる卒業式典を何事もなく終え、学園の大広間には卒業生達が集められて学生最後の社交の為のパーティーが始まっている


(ルツィア様のエスコート役にあの平凡なイェルク様が選ばれるなんておかしいと思っていたけど…)


隣でエスコートしているイェルクが霞むほどに、卒業式の為に仕立てたのであろう高価なドレスを纏うルツィアから放たれる美しさは他に類を見ない程に素晴らしいのだ

イェルクの髪色のドレスを纏ったルツィアは元の美貌と併せ持って、それはそれは美しく極上な存在として仕立て上げている


(なるほど…だからイェルクが最後まで残ったのね)


ルツィアはこの国での最後の社交で纏うドレスの色調整の為だけに、ドレスと同じ髪色のイェルクを最後まで自身の傍に抱え込んでいたのだ


(これはこれは…今日のパーティーが終ったらあっけなく捨てられるわねぇ~)


現時点まで不透明だった元婚約者の行く末がここに来て漸く判明したので、思わずヨーンは口元に笑みが浮かぶ


「卒業後のイェルク様の状態が想像出来たよ」


はぁ…とヨーンの隣で重い溜め息を吐いているのは、今日のエスコート役を買って出てくれたイェルクの二才年下の従兄弟だ

そして同時に大広間内にいるルツィア関連の醜聞を知っている者達にも、イェルクの不幸な未来を想像出来たのだろう


(イェルク様ったらお可哀想に…)


そんな周りの思惑を余所に、イェルクは婚約者を連れるのが慣例の卒業パーティにて誰よりも美しく着飾ったルツィアをエスコートが出来た事で、恋多き美女の唯一で最後の男に至れた事への自信と、隣国とは言え公爵家の系譜に自分も近い未来入れるだろうと言う希望に夢を膨らませながら、鼻の穴を大きくして意気揚々と歩いているのが…いっそ不憫で滑稽だった

今日以降は会う事もない他人以下の知り合いの姿に、ヨーンは不憫だと思いながらも半ば白けた気分で目を向けていると


チラリ


…とイェルクと目線が合ったような気がしたが、ヨーンの隣でエスコートしている従兄弟を確認した後に、すぐさま自信満々な顔になって何も言わずに美しきルツィアを連れて離れていく


「イェルク様、私達を見て鼻で笑っていたなぁ…」

「まぁまぁ…あの方達はもう他人になりますからね、私達も無視致しましょう」


エスコートしてくれるイェルクの従兄弟の背を促しながら、ルツィア達がいる方向とは反対側の方へとヨーンは歩き出し、学生最後の社交に勤しんだのだった



「ヨーン!どうか手伝ってくれぇっ!」


卒業式から一週間が過ぎたある日、ヨーンの実家であるズバクーゲル伯爵家の門前で大声を上げながら騒ぐ男がいた


「ヨーン様、イェルク様がいらっしゃいました」


窓から外を確認するより早く、実家の家令が表の状況を説明してくれる


(やはりこのようになりましたか…)


呆れたようにヨーンが小さく溜め息を吐いた後に


「私共で対応致しますか?、御当主様は元よりクプファー伯爵家からもご承諾は得ておりますので」


家令が気を使って私の意志を確認してくれる


「いいえ、今回に限り私が対応致します。万が一に備えて護衛だけはお願いしますわ」

「承りました」

「あの手文庫を取って頂戴」


自室の本棚に置いていたいくつかの書類が入っている手文庫を開けて、その中身を確認する


(本当にコレを使う日が来るなんてねぇ)


蜜蝋で封された薄い封筒が一つと、ほんの少しだけ厚みがある封筒を一つを取り出してから家令に渡し、そのまま自室を出て外へと続く廊下を歩く


(事前に準備してもらっていて良かったわ)


教室内でイェルクから婚約破棄された日より、今日までの日々を思い出しながらヨーンは考える


(少しも美しくないお二人の交友関係に、格好が良い「当て馬」キャラは勿体ない)


婚約破棄されたあの瞬間、イェルクに親愛を持っていたヨーンは死んだのだと思う

今ここで呼吸し、思考し、歩いて、生きているのは、夢の中の世界に住んでいた人物の思考を得たヨーンだ


(ならばお二人に相応の「当て馬」キャラを私は演じるだけよ)


後ろに連れていた家令に家の玄関を開けてもらい、門扉へと続くステップを踏む


「ヨーン!」


玄関から出て来た私の姿を見て、久方ぶりの笑顔を門扉の向こう側でイェルクは向けてきた


「あらイェルク様、本日はどうなされました?」

「どうか自分の話を聞いて欲しい、中には入れてくれないか?」

「申し訳ございませんが、父がイェルク様の行いに現時点でも変わらず立腹しておりますので、私の権限だけで貴方様を当家に入れるわけにはいかないのです」


無遠慮な願いを言ってくるイェルクの言葉を流すように、ヨーンは至極当然な言い分を口にする


「そんなぁ…」

「だたの伯爵にしがない当家や地味な私などにお願いするよりも、ご家族であるクプファー伯爵の皆様にご相談されればよろしいでしょう?」

「それが、全然話を聞いてくれなくて…」


卒業パーティーでの意気揚々としていた姿はどこへやら、まるで疲れ切ったようにイェルクは膝をつく


「家には通せませんが、この場で良かったら私でもイェルク様のご相談に乗れるかもしれません」

「ヨーン…」


まるで暗い夜道の向こうに灯りが灯る家を見つけたような表情でイェルクは、私の方を見る

懇願するイェルクの意に添えるように昔と同じような表情で私は微笑んだのを見て、イェルクは安心したような表情になる


「…私はルツィア様を愛しているんだ、ルツィア様だって隣国に戻られた今でもきっと私を愛して下さっているんだ!」

「ええ…卒業パーティーでの貴方方お二人はあの会場内で一番に輝いておりましたわ」

「そうだろう!あの時私達は一番に輝いていたし愛し合っていた!」


(主に輝いていたのはルツィア様だけ…ですがね)


あの会場にいて鼻息荒く闊歩していたイェルクのお姿を、髪色以外で覚えている人がいるとはとても思えないけれど、あの場で一番目立っていたのはイェルクとルツィアの二人だった


「それなのに、卒業パーティーが終った後にルツィア様のお力だけでは隣国へ私を連れて行けないと言われて…」

「まぁ…」


(手早く別れる言い訳にはそれが一番後腐れないでしょうね)


と思いながらもヨーンは驚いた表情を作る


「ならば私も留学か外遊と言う形で隣国に行きたいと親に相談したんだ…しかし」

「そのご様子ですとご両親から反対されたようですね…」

「ああ、隣国に行くどころか、私を勘当して挙句に、絶縁して隣国の反対側の辺境で暮らすように言ってきたんだ」

「そんなっ!」


ほんの少し声音を上げて悲痛な声を出してみたが、内心ではヨーンは呆れたようにフッと鼻で笑う


(まあ…そうなりますわね)


今回の婚約破棄に関わる一連の騒動で一番被害をくらったのは、ヨーンやヨーンの実家でなくクプファー伯爵家だろう

何せご子息が娼婦以下の毒婦に引っかかった挙句に勉学を放棄し遊蕩にふけ、婚約破棄した上で隣国の公爵家への婿入りしようと言う、絶対にあり得ない妄想に浸っていたのを大多数に見られていた

そのせいでクプファー伯爵家の評判や信用はかなり落ちたと思われる


(当家への慰謝料など想定外の金額もそれなりにかかっておりますし)


そんな中でもイェルクを家に残して資金回収すらさせずに、さっさと勘当して家から追い出した方がマシと、イェルクの父でありクプファー伯爵家の当主が判断したのをヨーンは幾度目かの報告会で見ていた


(本当にあちらのご両親やご親族が不憫ね…)


ヨーンの一般的で貴族的な思考を余所に、イェルクは熱に浮かされたように話を続ける


「親に反対されて、それで今日は辺境に向かう馬車にさっきまで乗せられていたんだが、何とか逃げ出してここに来たんだ」

「 … 」

「ヨーン頼む、昔馴染みのよしみで助けて欲しい…」

「 … 」


悲痛な声で懇願して来るイェルクに対し、ヨーンは敢えて俯き口を噤み手を握る


「ヨーン…どうか」


門の向こうで泣きそうな声で名を呼んでくるイェルク様の顔を見ずに、目を伏せたまま


「アレを頂戴」


と出来るだけ無機質な声音でヨーンは背後に立っている家令に声をかけて、先ほど手文庫から出した封筒二つをイェルクに見せた


「それは…?」

「こちらは当面の金銭になりますわ、長い旅路のあてにして下さいまし」


そう言いながら封すらしていない厚みがある封筒の中身であるお金を見せると、イェルクは驚いたような表情に変わる


「ヨーン…まさか…」

「そしてこれは通行手形になります」


喜色がのってきたイェルクの声を無視して、蜜蝋で封がされた薄い方の封筒を見せる


「この封筒を国境の関所に提出すれば、イェルク様は隣国へ行けます」


不意に湧いた私からの吉報を耳にしてイェルクは眩しい笑顔を向けてきた


「それがあれば私はルツィア様の所へ行けるのか!」

「ただし」


喜色満面になったイェルク様に対して、無機質な声のままヨーンは話を続ける


「関所の提出前にこの封が解かれていると国境を越えられません」

「え…?」

「…申し訳ございません、これでも急いだのですが早期発効の簡易手形しか準備出来なかったんです」

「ヨーン…」

「私の力ではこの通関局の封が無ければ効果がない手形しかご用意出来なかったんです」

「ではこれは君が準備を…?」

「どうか気にしないで下さいまし…ただ私はあの卒業パーティーのお二人を綺麗だと思ったのです」

「ああ…あの時君もいたな」


あの場にいて一度だけ目が合ったのを思い出したのだろう、感慨深そうな声で呟いている


「あの姿を見て、私はきっとルツィア様はイェルク様を隣国へ連れていくだろう…と思っていたのですが、それでも公爵家と伯爵家では身分が違い過ぎてあちらのご実家から反対があってもおかしくない…と思っておりました」

「ああ…ルツィア様もここを離れる前にそう言っていた」

「だから最悪な事態を想定して急いで準備していたのですが…本当に使う日が来るなんて…」

「ああ…私もこんなにすぐルツィア様の傍に居られなくなるなんて思ってもいなかったよ」


門を挟んで一瞬沈黙が落ちた


「お願い、これをイェルク様に渡して頂戴」

「承りました、ヨーン様」


背後に立っていた家令に持っていた封筒二つをもう一度手渡せば、家令はそれを持って門の向こうにいるイェルクへと封筒を揃えて渡してから小声で何かを話している

何かを言った家令の声に、急に驚いたような表情になったイェルクは封筒を大事そうに抱えてから立ち上がり


「ヨーン!ひどいことしてごめん!でもありがとう!!」


と叫んでから、イェルクは門の向こうの道へと駆けて行って見えなくなった


「ヨーン様、揃えてお渡し致しましたよ」

「ありがとう…」


家令に礼を言いながら私は滲んでもいない涙を拭うフリをしてから、背を伸ばして歩き家の方へとゆっくりと歩いて戻る

同時に波乱万丈だった事案の終りを感じていた



バタン…


と静かに玄関の扉が閉まる音が響いて


「行ってしまったわね」

「行ってしまいましたな」


同時に室内に入った家令に外で起きた事を確認する


「随分と喜んでいたわね」

「ええ、大変喜んでおいででございました」


再度確認した後に、私は


「よぉしっ!色豚の出荷完了ぉっ!!」

「ミッションコンプリートでございます!ヨーン様!」


清々した気持ちで声を上げる、隣では家令が笑顔で拍手をしている


「お疲れ様でございます、ヨーン様」


見た目以上にお茶目な気がある家令がニッコリと笑顔を向けてくれるのが、妙に楽しくてしょうがない


「あんなに簡単な策でイェルク様を国外に追い出せるなんて思わなかったわ!」

「ええ、私共も驚いておりますよ」

「封を開けではいけない臨時の簡易手形なんて、片道しか使えないの知らなかったのかしらねぇ?」

「どうでしょうか?平民でも知っているのですがねぇ…」


イェルクに渡したのは国外から来た旅行者向けの手形で、持っていた手形を無くした時の為に臨時で発行される物だ

一回だけ出国用に使える臨時手形なので通関局の封が開けられたら効果が無くなるのは本当で、国境を超える前にアレを開けてしまえばその時点で隣国に行けないし、イェルクが臨時発行の手形を使って国外に出た瞬間に彼はクプファー伯爵家のイェルクで無くなり、手形に記されている只の平民のイェルクになってしまうのだ

更に言えばその手形一つだけではもう母国にすら戻ってこれないおまけ付き


「まさか…あの手形をイェルク様に渡す権利を私に下さるなんて思ってもいませんでしたわ」

「ええ、しかもお渡しするチャンスまでやってくるとは思っておりませんでした」


興奮冷めやらぬままに家令と共に自室に戻れば、私付きのメイドがお茶を用意してくれていた


「クプファー伯爵様も相当お怒りだったと思うのにねぇ…」


テーブルの上の暖かな茶が入ったカップを片手に私は思い出す


「何をしてでも隣国に行きたがるであろうイェルク様を、クプファー伯爵の名を出してまで国外に出すのは外聞が悪いですから」

「まあ…当主命令で隣国に追いやるよりは、本人の意志だけで出て行ってもらった方が都合が良いわね」


あの救護室で世界感も価値観も違う夢を見た後に、私は


『あんなに浮かれきったイェルクを見たら、ルツィア様に振られようと振られまいと近いうちに国外に出奔しそうね』


と気づいたのだ

実家の庇護下にある学生中ならともかく、あの時点で半月もしないうちに私達は学園を卒業して成人する予定だった、卒業したらすぐにでもイェルクが隣国に行こうとしてても何らおかしくなかったのである

だから私は報告会で言ったのだ


「近いうちにイェルクは隣国に行くと言い出すだろう」


と、そしてイェルクのご両親も同様に考えていたらしく、同時に覚悟もしていた


「あの旅金も、簡易手形もクプファー伯爵家で用意した物だって思ってもいなかったでしょうね」


さっきまでイェルクが乗せられていたと言う隣国とは反対側にある辺境に向かう馬車だって、我が家に最も近い交差点で、何らかの理由を使ってわざと止まったりしたのだろう


そしてそこがイェルク様の人生の分水嶺になった


大人しくご両親に言われた通りに、家が用意したそのまま辺境の地へ行けば、実家から勘当されて絶縁されて平民になってもそこそこの生活が送れるように住む家や幾人かの使用人ぐらいは最低限に必要な物としてあちらに準備がされていたはずだ

しかし現実としてイェルクは自分の足(と我が家の協力)で隣国に行こうと一念発起して馬車を飛び降りてしまい、交差点の近くにある我が家に飛び込んできた


(結局イェルク様はご実家からの最後の恩情を捨て去ってしまわれた)


そうなれば後に待っているのは、希望という名の薄いオブラートに包まれているだけの将来の保証が何にも無い簡易手形と、僅かな手切れ金を手に入れるだけ


「簡易手形の期限までにイェルク様がうちに来なかったら、捨てて良いってはあちらのご両親は言っておられていましたけどねぇ?」

「こんなにすぐにお渡しになる事とは思ってもおりませんでした」


「最後になると思ったからか君に謝りに来た」とでも言って、物のついでで彼から一言でも誠実な謝罪があれば、もう少し多めの餞別があったのかもしれないのにそれすらも無かった

そうして彼は一月も持たないだろう金銭と片道手形を胸に、私には謝罪すらまともにしないで、叶う見込みもない夢と希望を散々謳って去って行ったのだ


「正直手荷物すら馬車に置いて、身一つでここに来るとは思ってもいなかったわ」

「イェルク様が望まれる物全てを、ズバクーゲル家で用意してくれるとでも思っていたのでしょうか?」

「婚約破棄した事を謝りもしない方にどうして当家が協力すると考えたのかしら?」

「隣国で公爵籍に入ればどうとでもなると考えられたのかもしれませんね」

「そんな事絶対にありえないのに…あの人本当にどうかしていたわねぇ」


どうしようもないくらいに頭が悪くなった男と縁が切れて、本当に清々した気持ちでカップを口にする


「そう言えば手形を渡す時にイェルク様に何かを言っていた様だけど、何を言っていたの?」


ふと家令とイェルクの門前でのささやかなやり取りを思い出したので、家令に向かって質問を口にすると


「いやいや大したお話はしておりません、私はただ

「今すぐ噴水広場傍の乗り合い馬車乗り場へと急がないと、隣国行きの速馬車に乗り遅れますよ」

とお教えしただけでございます」


と笑顔で答えてくれたものだから、思わずプフっと声に出して吹き出してしまった


「だからあの人あの時あんなに急いでいたのね!」

「ええ、急がねば速馬車に間に合いませんからね」

「ありがとう貴方良い仕事してくれたわね、父にも言っておくわ」

「ありがとうございます」


深々とお辞儀をしてくる家令を見ながら、私はカップの中の茶を空けつつも脳裏にはある映像が浮かぶ


婚約破棄された日に夢の中で見た異世界のマンガの中で、ヒーローがいる空港へとヒロインを連れて行かんと懸命にバイクを飛ばしながらも、今なお失恋の苦しみを胸の内に抱え続けている「当て馬」キャラに向けて


「ありがとう…ごめん、ひどいことした」


心からの感謝の後に涙をにじませながら辛そうに謝っていたヒロインの健気な姿を

この時のヒロインは既に知っているのだ

「当て馬」キャラは今も変わらずヒーローを愛しているし、今までもヒーローとヒロインの愛を陰ながら応援してくれていた事を


「何だか…雲泥の差だったわね」


小さく呟いた私の独り言を聞かないで、ティーポットを持ったメイドが「お茶のお代わりを」と言ってから空になったカップに温かなお茶を注いでくれる


(それと比べて私達ときたら愛の欠片も有りもしなかったわね)


ついさっきまで家の門を挟んで行っていた最後の別れの酷さたるや


半月前に「君は地味だから婚約破棄する」と罵倒の様な言葉で自ら縁を切っておきながら、ノコノコと元婚約者前に現れたと思ったら「好きな人に置いてかれた」と泣き縋って何とか隣国行く為の細やかな餞別を受け取った途端


「ひどいことしてごめん!でもありがとう!!」


とそれはそれは嬉しそうに悪びれもせずに言いのけてから、軽やかに去って行ったイェルクの後ろ姿を思い出す


(まあ…今回の件に関しては役者が全員不出来だったわね)



他国で浮世を流しすぎたせいで、近いうちに相応の処罰が下るであろうご令嬢も

無責任な思考のまま婚約破棄をしたせいで、他国て野垂れ死ぬであろうご令息も

親愛は寄せていたけど、相手に裏切られたせいで最後まで愛しきれなかった私も


(揃って皆、あのマンガのキャラ達の様に美しい愛は語れなかったんだから本当にしょうがないわね)


と諦めに似た感情を抱えながらも、私もあの夢の中の「当て馬」キャラの様に



「乗りな」と言いつつ、ヘルメットを投げて渡して敬愛すべき純愛を運べるような



格好良い人間にいつの日かなりたいな…とつい願ってしまうのだった

ご拝読して頂きまして誠にありがとうございます

感想や下の☆からの評価等頂けましたら幸いです

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