緊迫(1)
またか、
顔をしかめた不曲が苦々しく吐き捨てた。
北朝鮮によるミサイル発射が続いていた。
それも、単に続いているだけではなかった。
今年に入って11回目となる今回の脅威は格段に大きかった。
世界最大級の移動式ICBMと言われる『火星17型』が発射されたのだ。
しかも、最高高度が6,000キロを超え、1,090キロの距離を1時間7分以上飛行するという過去最高・最長を記録したのだ。
これはアメリカの東海岸を含めた全米が射程に入る事を意味している。
つまり、アメリカへ圧力をかける意味合いを持っているのだ。
すなわち、バイデン政権への揺さぶりであり、対ロシアで手いっぱいになっているアメリカへの挑発だった。
そのことを不曲が指摘すると、首席補佐官が大きく頷いた。
「確かに。バイデン政権が対中国に加えて対ロシアという難問を抱えて身動きできない状態になっているのを見透かしているんだろう。それに、間違いなくウクライナを反面教師にしている。核兵器をロシアに渡してしまった時点で戦争抑止力を失くしてしまったと分析しているに違いない」
それは、1991年12月のソ連邦崩壊にまで遡る。
その時点で多くの核兵器はロシア領内にあったが、一部はウクライナやベラルーシ、カザフスタンで保管されており、それをどうするかが問題になったのだ。
ロシアの対応は一貫していた。
その5か月前に『第一次戦略兵器削減条約』に調印していたソ連邦の後継国であるロシアは、3か国に対して核兵器のロシアへの移管か破棄かを強く求めたのだ。
対して3か国は核兵器を放棄することへの抵抗がありながらも、最終的に合意することになる。
その調印が為されたのが1992年5月であり、調印場所に因んで『リスボン議定書』と呼ばれている。
その後、カザフスタンが1995年の5月までに、ウクライナとベラルーシが1996年の年末までにロシアに引き渡し終え、3か国から核兵器は無くなった。
「もしウクライナが核兵器を保有していたら、プーチンは脅しをかけることができなかったはずだ」
「そうですね。モスクワに核兵器を打ち込まれる可能性があれば迂闊に核の脅しを使うことはできませんからね」
「だから、北朝鮮は核開発を止めない」
「止めないばかりか、加速させていくのではないでしょうか」
「だろうな」
首席補佐官はやるせなさそうに首を振った。
*
その夜、不曲は大使や首席補佐官と共に国連安保理の会議に出席している夢を見た。
それは北朝鮮のミサイル発射に関する緊急会合だった。
アメリカが発射を強く非難し、北朝鮮への制裁を強化する決議案を提出する構えを見せたのに対し、予想通り中国やロシアは反対して、直接対話を重視すべきだと主張した。
対立する中、G7に近い非常任理事国の議長が口を開いた。
「今回の発射は完全なる安保理決議違反です。これを許すわけにはいきません。それなのに、なぜ中国とロシアは制裁を緩和すべきと主張されるのですか。なぜ北朝鮮を甘やかすのですか。どうしても私には理解できません」
すると、中国大使が反論を始めた。
「北朝鮮は長年にわたり制裁を受けてきました。それを彼らは安全保障上の脅威と見なしています。ですから、制裁を強化すればするほど態度を硬化させるのです。ここで少し話を変えてイソップの寓話に触れたいと思います。『北風と太陽』というのがあるのを皆さんはよくご存じだと思います。いくら強く風を吹かせても旅人は着物を脱ぎませんが、太陽が暖かく照らすとあっけなく着物を脱ぐというお話です。終いには素っ裸にまでなってしまうというオチまで付いています。これは何を意味しているでしょうか? もうおわかりですね。頑なな態度に対しては制裁よりも支援が効果的なのです。つまり、北朝鮮への制裁強化は百害あって一利なしなのです。ですので、制裁より対話が必要だと申しているのです。こんな簡単なことをご理解いただけないこと自体、私には理解できません」
してやったりというような表情を浮かべて中国大使が発言を終えると、それを待っていたかのようにロシア大使が口を開いた。
「私は孤立という側面から話をしたいと思います。制裁は孤立を生みます。それは、世界から分離されることと同意になります。分離されればどうなるか? 嫌われていると感じます。見放されていると感じます。同時に孤独に陥ります。孤独になるとどうなるか? 自らの内面に閉じこもります。外の世界と隔絶するようになるのです。そうなると一切他人の意見は聞かなくなります。と同時に被害者意識が生まれてきます。なんで自分はこんなに虐められなければならないのかという理不尽を感じるようになり、それが怒りに変わっていくのです。当然リベンジに燃えるようになります。目にものを見せてやるという暴力的な発想になります。もうおわかりですね。あなたたちがしていることは負の連鎖を助長させているだけなのです。よく考えてください。制裁が生む孤立はなんの問題解決にもならないのです。北朝鮮を孤立させてはいけません。対話を継続しなければならないのです。制裁強化を論じる前に対話の重要性に思いを馳せてください」
発言を終えると、中国大使と目を合わせた。
すると、不気味な笑みが双方の顔に広がった。
それは、例えやんちゃな存在であっても使い道があるうちは生かしておくという企みから来ているように思われた。