難題(2)
日本の国土の1.6倍の面積を持ち、4千万人強の人々が暮らすウクライナは、数奇で不幸な運命をたどってきた。
古くはモンゴルやポーランド、リトアニアなどに占領され、その後はソヴィエト社会主義共和国連邦成立と共にその一部に組み込まれ、更に、第二次大戦時にはドイツに占領されと、近隣諸国に翻弄されてきたのだ。
更に、チェルノブイリ原発事故という大惨事に見舞われている。
そんなウクライナがやっと独立を果たしたのが1991年だった。
ソ連邦の崩壊によって、ウクライナ人が8割近くを占める国家を樹立することができたのだ。
しかし、その後の道のりは平坦ではなかった。
親欧米派と親ロシア派の対立による混乱だ。
それは、大統領選挙における不正に抗議する2004年のオレンジ革命や、当時の大統領が失脚してロシアに亡命することになった2014年のマイダン革命による混乱だった。
そしてそれがクリミア危機に繋がっていく。
親ロシア派大統領の失脚に反発したロシアは一方的にクリミア半島を併合し、更に、東部ドンバス地方の一部の実質支配を始めたのだ。
その後、局地的な争いが続くことになる。
そのような経過を辿ったのち、ロシアによる一方的で全面的なウクライナ侵攻が始まった。
それは、ウクライナの自主性を認めないという理不尽な考えに基づくものだった。
ロシアと同じルーツを持つ国であり、かつてはソ連邦を構成する15の共和国の一つであったことから、ロシアと距離を置くことに拒絶反応を示したのだ。
更に輪をかけたのがNATOの東方拡大という問題だった。
ソ連邦崩壊後、ポーランド、チェコ、ハンガリー、バルト三国が次々に加盟し、その上、ウクライナやジョージア、モルドバがNATOに接近する状況を許せなかったのだ。
プーチンの心の中には忸怩たるものがあったに違いない。
しかし、そのことを表に出すことはなかった。
ドンバス地方のロシア系住民を守るための特別な軍事作戦という名目で侵攻を始めたのだ。
だが、それが嘘であったことはすぐに判明した。
ドンバス地方だけでなく国境を接する東部やベラルーシからも侵攻を始め、全面戦争の体を成したのだ。
それは正に在りし日のソ連邦復活というプーチンの野望が顕在化したものであり、最終的にウクライナ併合を意図していると疑わざるを得ないものだった。
余りにも理不尽すぎる……、
芯賀は読んでいた資料を机に置いて、目頭を押さえ、鼻から息を吐いた。
今の時代にこんなことが許されるはずはないのに……、
どう考えてもプーチンの思考回路を理解することができなかった。
正常な精神を失ってしまったのだろうか……、
暗澹たる気持ちになると、深いため息が出た。
それは解決策が見えない失望からも来ていた。
プーチンを止める特効薬をまだ見つけ出せていないのだ。
その間にもウクライナの人々が次々に殺されており、その数は信じられないレベルに達しようとしている。
それだけでなく、数千人規模の女性や子供たちが捕えられてロシア国内に強制連行されたという。
どんな酷い目に合うことか……、
レイプ、虐待、拷問という言葉が頭の中に次々に浮かんできて、それが形を成していくと、たまらなくなった。
「やめてくれ!」
思わず声が出て両手で顔を覆ったが、終わりのない地獄図を瞼の裏から消すことはできなかった。