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緊迫(1)

 

 9月21日、プーチンが動いた。

 部分動員令を発令したのだ。

 今後数か月かけて予備役(よびえき)30万人を段階的に徴集するというものだった。

 対象は軍務や戦闘経験、特殊な軍事スキルを持つ予備役で、学生や1年間の兵役期間中の若い徴集兵は対象外だった。

 その主な任務は現在千キロ以上にも及ぶウクライナの前線を強化することで、投入に当たっては再訓練や新たな訓練を実施するとしている。


 それに先立つ20日、議会は脱走や命令への不服従などの犯罪が軍の動員や戦闘状況下で行われた場合の処罰を強化する法律を可決した。

 これによって、今回召集される予備役が自発的な降伏をすることができなくなった。

 もしもそれを行うと即時に犯罪となり、10年の懲役刑が科されることになるのだ。

 前線に送り込まれたが最後、戦うしか道がなくなることになる。


「ロシア軍は甚大な損失を被っているし、兵力不足が明らかだから、かなり追い詰められているんだと思うわ」


「うん、そうよね。切羽詰まっているのだと思うわ。でも、これってロシア国内に大きな影響を及ぼすんじゃない」


 頷きを返した不曲は入手した情報を同僚と共有した。

 予備役該当者の一部にパニックが起こっており、徴集を逃れようとする人たちの国外脱出が始まっていること、

 そのため航空券は売り切れが続出し、飛行機での脱出を諦めた人たちが車で国境に向かっていること、

 更に、反戦団体によるデモが呼びかけられており、不穏な状態に陥るのではないかという心配が広がっていることの3点だった。


「そうよね。今までは他人事のように思っていた人も自分事になるのだから平静ではいられないわよね」


「うん、そうだと思う。該当する男性だけではなくて、父親や兄弟や夫や恋人という近しい人たちが前線に送り込まれることになるのだから、女性たちの危機感もかなりのものになっていると思うわ」


「そうよね。それにこれはまだ最初の一手だから、徴兵の規模が拡大していくことになれば更なる混乱が起こるのは間違いないと思うわ」


「そうなのよ。一説には100万人の動員を軍が計画しているという情報もあるし、それに、総動員ともなれば2,500万人に影響が及ぶらしいから、国民が冷静でいられるはずはないと思うわ」


「正に、戦時体制への移行という最悪のシナリオが国民に突き付けられたわけね」


「そう。だから動揺が収まることはないし、そのことによってプーチンの支持率にも変化が起こるのは必然だと思うわ」


「そうよね。盤石(ばんじゃく)の支持率を維持するのは難しいかもしれないわね。もしかしたらプーチン体制の終わりの始まりかもしれない」


 頭の中にクレムリンを追放されるプーチンの姿が一瞬(よぎ)ったが、そんな安易なことは考えてはいけないとすぐに打ち消した。


「とにかく、今後の動向を注意深く見なければいけないわね」


 これが歴史の転換点になることを期待しながら、不曲はこれからのことに思いを巡らせた。


        *


「プーチンは焦っていますね」


 芯賀の発言に総理が頷いた。


「そうだな。東部と南部の劣勢が伝えられているし、これ以上の反撃にあったら4州の併合が難しくなるから必死なのだろうな」


 27日にも終了するといわれている東南部4州の住民投票によってロシアへの編入を狙うプーチンは、戦線維持に躍起になっているに違いなかった。


「ウクライナ軍による州都へルソンへの南下とハリコフ州での東進が予想以上に進んでいますから、ロシア軍は防戦一方のようですね」


「ああ、そうだな。ウクライナ軍の防空システムによってロシア空軍の動きが封じ込められているから、この流れが途絶えることはないだろう」


 今後アメリカやドイツから新型の地対空ミサイルが提供されることになっており、ウクライナ軍の優位は続くとみられている。


「それにしてもロシア国内の混乱は収まりそうにないですね」


 独立系新聞によって『100万人の予備役を動員することが可能』という内部文書をすっぱ抜かれた結果、国内39都市で大規模なデモが発生し、それを取り締まる治安部隊との衝突が起こって、1,400人が拘束されるという異常な事態になっていた。


「対象ではない学生や高齢者にまで出頭命令書が届いているようだから、それによって更に国民の怒りが増しているんだろうな」


 中央政府の指示が末端にまで行き届かず、地方政府に割り当てあてられた予備役数が独り歩きした結果、対象外の人まで徴集されているのだ。


「デモで拘束した人にも令状が渡されていますし、基準があってないに等しい状態になっているようです」


 そんな中、『腕を折る方法』の検索が急増するなど、召集忌避(きひ)の風潮が拡散している。


「さて、今度どうなっていくのか見ものだな」


 内部崩壊を期待する総理の声に大きく頷いた芯賀は、それが実現することを強く願ってウクライナの方角に視線を向けた。


        *


「親ロ派勢力が勝利宣言をしたようです」


 投票結果を報道したタス通信の記事を芯賀が伝えると、一瞬にして総理の顔が歪んだ。


「投票率は50パーセントを超えており、そのうち併合に賛成する票が90パーセントあったと言っているようです」


 もちろんこれはロシア側の操作によるものであり、個別訪問までしてでっち上げた結果だったが、これでプーチンが併合を宣言する条件が整ったことになる。


「30日にも議会で演説して、併合宣言を行うという見方が強まっています」


 クリミアに続いて既成事実を積み上げるやり方にウクライナはもとより国際世論も反発しているが、プーチンは意に介すことなく粛々(しゅくしゅく)と進めるに違いない。


「わかった。残念なことになってしまったが、とにかく、予備役徴集と4州併合が今後の戦局にどのような影響を与えるのかしっかり見極めなくてはならない」


 それは、しっかりと情報収集をせよ、という総理の指示に違いなかった。

「承知いたしました」と答えた芯賀は、執務室を辞したその足で外務省へ向かった。


        *


 10月4日、4州併合を一方的に定めた文書にプーチンが署名した。

 それは4州がロシアの領土になるということであり、領土防衛を名目にした戦いに移行するということだった。


「領土が攻撃された場合は核攻撃も辞さないと明言していますから、4州に対するウクライナの反撃が鈍るかもしれませんね」


 芯賀が心配すると、「いや、そんなことはないだろう。4州はあくまでもウクライナの領土であり、それを奪還するだけだから躊躇はしないはずだ」と総理は即座に否定した。

 それでも、「ただ、通貨や社会制度をロシアと一体化すると言っているから、住民への影響はかなり大きいと思わなければならない」と今後を案じた。


「そうですね。ロシア国籍の取得を強制されるようですし、パスポートもロシアになり、学校での教育もロシア語になるようですから、かなり混乱するでしょうね」


「それに徴兵のこともある」


 ロシア国籍になったウクライナ人をロシア軍に配属してウクライナ軍と戦わせるのではないかという危惧だった。


「そんなことになったら地獄ですね」


 自国民同士の殺し合いほど惨いことはないのだ。


「そんなことにさせないためにも国連の非難決議が重要だ。今すぐ大使に電話をつないでくれ」


「承知いたしました」



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