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対峙(1)

 

「他国に侵攻した国家を常任理事国にしておくのはおかしいと思います」


 国連の会合から帰ってきた大使に不曲強子(ふまがりきょうこ)が不満をぶつけた。

 不曲は次席補佐官であり、潔癖と正義感の塊が服を着ている人間だと自認していた。


「大罪を犯した国家は罪を(つぐな)わなければならないのではないでしょうか」


 しかし、大使は首を振るだけで何も言わなかった。

 無力感に(さいな)まれているのは間違いないようだった。


 それはわかっていたが、自制することはできなかった。

 だから続けて発言しようとしたが、「次の予定は?」と(さえぎ)られた。

 大使の声は首席補佐官に向けられていた。

 煙たがられたのを肌で感じた不曲は、「失礼いたします」と頭を下げてその場を辞した。


 席に戻ると、昨日の夢が蘇ってきた。

 自分が大使になって安全保障理事会でロシア大使と対峙している夢だった。


        *


「他国に侵攻した国家を常任理事国にしておくわけにはいきません」


 不曲が追及すると、ロシア大使が顔を赤らめて食って掛かった。


「敗戦国が何を言うか!」


 不曲はすかさず反論した。


「いつのことを言っているのですか? 戦後80年近い年月が経っているというのに、敗戦国も戦勝国もないでしょう」


「何を言ってる! 何十年経っても敗戦国は敗戦国だ。それに、ドイツとイタリアと日本が犯した罪が消えることはない」


 するとすかさず中国大使が大きく頷いた。

 侵略の記憶は永遠に消えることはないというように。


「日本は軍隊を捨てました」


 不曲は中国大使を一瞥してから、ロシア大使に視線を向けた。


「約80年間、日本は非軍事国家として世界の平和に貢献してきました。しかし、ロシアはどうですか? チェコスロバキア、ポーランド、ハンガリー、グルジア、そして、ウクライナ。第二次世界大戦後に行った侵略行為は罪とは言えないのですか?」


 すると一瞬、ロシア大使の瞳が揺れたように見えた。

 それは、やましい心の表れのように思えたが、それで(ひる)む相手ではなかった。


「侵略行為ではない。鎮圧であり防衛だ。我々には大義がある」


 しかし、不曲はまともに相手をする気はなかった。

 大義も正義もないことを強調した上で、やんちゃな子供を(たしな)めるように言葉を継いだ。


「よく聞いてくださいね。他国の主権、領土、独立を犯すことを目的として侵攻することを侵略というのですよ」


 欧米の大使たちから皮肉な笑みが漏れた。

 ロシア大使は苦虫を潰したような顔になったが、反論を止める気はないようだった。


「言いがかりは止めてもらいたい。時には暴動を抑えるためであり、時には政権転覆の企みを阻止するためであり、時にはロシア人を守るために仕方なくやったことだ。我々に侵略の意図は微塵(みじん)もない」


 さっきまでとは打って変わって平然と言ってのけた。

 それでも不曲は追及を緩めなかった。


「クリミアの件はどうなんですか?」


 厳しく睨みつけたが、ロシア大使は表情を変えることなくしらっと(・・・・)声を出した。


「ロシア系住民に対するウクライナからの脅威を排除するためであり、更に、住民の意思に沿ったもので、なんら問題はない」


 それを聞いてカチンときた。


「不法で不正な住民投票を住民の意思と言われるのですか?」


 しかし、すぐに反撃された。


「不法でも不正でもない。民主主義に(のっと)って住民投票を行い、その結果、独立に対して9割の賛成票が投じられた」


 それでも不曲は怯まなかった。


「よくもまあそんな嘘をいけしゃあしゃあ(・・・・・・・・)と言えますね」


 登録有権者数を大きく超える投票数があったことや、実際の投票率が30パーセントから多くて50パーセントでしかなかったことを示した上で、「捏造(ねつぞう)された投票結果に基づく捏造された住民意思でしかないというのは紛れもない事実です」と言い訳を撥ね退けた。


 しかし、ロシア大使は鼻で笑った。


「それこそが捏造だ。根拠のない話をまともに聞く気はない」


 完全に平行線になった。

 これ以上続けても意味がないと悟った不曲は、ロシア大使との議論を切り上げることにした。


「どちらが根拠のない話なのかということは今日お集まりの方々がよくご存じだと思います」


 会場を見回すと、多くの大使が頷いていた。

 それを味方に付けて国連改革へと話の舵を切った。


「80年前の体制は制度疲労を起こしています。ですので、新たな血の注入が必要と考えます」


 世界3位の経済大国である日本、4位のドイツ、6位で世界2位の人口を抱えるインドを常任理事国に加えなければならないと強調した。

 そして、ロシアを外した7か国が常任理事国に相応(ふさわ)しいと断言した。

 その途端、ロシア大使が顔を赤くして食ってかかった。


「勝手なことを言うんじゃない!」


「勝手ではありません。経済規模が11位のロシアが80年前の戦勝国という理由だけで常任理事国になっていることの方がおかしいのです」


 そこで口を閉じた。

 次の言葉の効果を最大限に引き出すためだ。


「ロシアは国連へいくら拠出しているのですか?」


 睨みつけると、うっ、というような感じになった。

 それでも何か言おうとしたが、口から言葉は出てこなかった。

 それを見て、間髪(かんぱつ)()れず現実を突き付けた。


「2021年度の通常予算については6,960万ドルしか分担していませんよね。その額は日本の28パーセントであり、ドイツの54パーセントでしかないのです。そして、イタリアやブラジル、カナダよりも少ないのです。更に、2022年度は5,360万ドルへと分担金が減ることになります。日本の23パーセント、ドイツの30パーセントしか負担しないことになります。順位は更に下がって、韓国やスペイン、オーストラリアよりも下になります」


 それでよく平気な顔をして常任理事国と言っていられますね、と言いたかったが、そこはぐっと(こら)えて飲み込んだ。


「もうロシアが世界のリーダーとして君臨する時代は終わったのです。それを潔く認めるべきです」


 ぐうの音も出ないのか、睨みつけるばかりで大使から声が出る気配はなかった。

 不曲は一気に畳みかけた。


「大義も正義もない侵略国であり、かつ、国連への貢献が低下しているロシアを常任理事国としてとどめておくわけにはいきません。皆さん、そう思われませんか?」


 すると間を置かず拍手が沸き起こった。

 それ程の反応を予想していなかった不曲はちょっと驚いたが、高揚する気持ちが驚きを包み隠した。


「ありがとうございます。ほとんどの方の賛意を頂き、光栄に存じます」


 会場を見回しながら何度も顎を引くように頭を下げた。

 しかし、次に発する言葉を忘れることはなかった。


「更に、」


 声に力を込めた。

 悪弊退治に乗り出すのだ。


「常任理事国による拒否権は民主主義に反します」


 これにはロシアだけでなく他の4か国の大使がほぼ同時に顔を強ばらせた。

 戦勝国が持つ特権に切り込んだからだ。


「拒否権は百害あって一利なしです」


 言い切った瞬間、非常任理事国から拍手が沸き起こった。

 拒否権に対して苦々しく思っている国が多いのは間違いないようだった。

 拍手に力を得た不曲は更に突っ込んだ。


「拒否権は廃止し、多数決に移行しなければなりません。66.7パーセントの賛成を持って可決できるようにするのです」


 5か国の大使が一斉に首を横に振った。

 しかし、非常任理事国の大使は別の反応を返した。

 首を縦に振ったのだ。

 それを見て不曲は更に声を張り上げた。


「今こそ抜本的に国連を改革しなくてはなりません」


 すると、ロシア大使が不曲を睨みつけて気色ばんだ声を出した。


「バカも休み休み言え」


 中国大使が同調するように睨みつけた。

 しかし、そんなことで怯む不曲ではなかった。


「では、休み休み言います」


 一拍置いて日本語に変えた。


「い・ま・こ・そ・ばっ・ぽ・ん・て・き・に・こ・く・れ・ん・を・か・い・か・く・し・な・け・れ・ば・な・り・ま・せ・ん」


 言い終わった途端、会場が爆笑で包まれた。

 笑っていないのはロシア大使と中国大使だけだった。


「いい加減にしろ」「バカにしているのか」


 ロシア大使と中国大使が同時に声を発した。

 その顔には怒りが滲んでいた。


「もちろん、お二人が賛成されないのはわかっています。私の提案に拒否権を行使されるでしょう。でも構いません。大事なことは大勢が判明することだからです」


 会場に視線を移すと、5か国以外のほぼ全員が頷いていた。

 特権を持たない国が現在の体制に不満を持っているのは明らかなのだ。


「不可能はいつまでも不可能のままではありません。いつか可能になる時が来るのです。パラダイムシフトは必ず起こります。劇的な変化が古い考え方や体制を壊すのです。特権は消滅し、支配は終焉を迎えます。それは遠くない時期に起こるでしょう。それを私は信じています」


 採決を促すことなく会議を締めくくると、再び拍手が不曲を包み込んだ。

 それは、国連改革をこれ以上遅らせてはならないという切なる願いの表れのように思えた。


        *


「不曲さん」


「えっ?」


 同僚の声で今に戻った。


「今夜、空いてる?」


 夕食というか、飲み会の誘いだった。


「もちろん」


 酒を愛する不曲に断る理由はなかった。

 それに、飲まずにはいられなかった。

 ロシアのウクライナ侵攻以来、イライラが続いているのだ。

 睡眠を得るためには酒の助けを借りるしかなかった。


        *


 不曲と同じ30代半ばで総務を担当する女性職員が連れて行ってくれたのはお洒落なイタリアンレストランだった。

 スプマンテ(イタリアのスパークリングワイン)で乾杯したあと、アンティパスタ(前菜)の盛り合わせに舌鼓を打った。

 カプレーゼ、魚のカルパッチョ、タコとセロリのサラダ、プロシュットを巻いたグリッシーニ、ブルスケッタ、フォルマッジョ(チーズ)、野菜のトマト煮込みなど、お馴染みのものばかりだったが、スプマンテとの相性が抜群で、あっという間に1本が開いた。


「どうする? 同じものにする、それとも」


「赤にしましょ」


 不曲は迷わずトスカーナ地方のワインを選んだ。

 滑らかな舌触りにもかかわらず、ピュアな果実感があるのが気に入っているワインだ。

 それにリーズナブルというのも大きなポイントだった。

 高いものがおいしいのは当たり前だが、そんなものを飲むのは富裕層に任せておけばいい。

 庶民にとって大事なのは、いかに安くてうまいものを探し出して飲むかなのだ。

 などと考えていると、ワインを運んできたソムリエが優雅な仕草でグラスに注いだ。

 それをスワリングして鼻に近づけると、なんとも言えないフルーティーで甘い香りに包まれた。

 口に運ぶと想像以上のコクを感じられたので、思わず「う~ん」と声を出してしまった。

 ソムリエに笑みを返して軽く顎を引いてから、グラスを置いた。


「おいしいわね」


 同僚も気に入ってくれたようだ。

 それでも、お酒と料理を楽しんだのはそこまでだった。


「ところで事務総長のこと、どう思う?」


 不曲と似たところのある同僚が不満を口にした。

 それは国連で働く者にとって避けられない話題であり、黙っているのが難しいものであった。


「うん、私もがっかりしているの。どうしてモスクワへ行かないのかしらね」


 体を張ってプーチンと対峙(たいじ)しなければならないのに、国連ビルから出ようとしない事務総長にイライラしていた。

 フランスの大統領やドイツの首相がモスクワへ何度も足を運んでいたが、事務総長が国連ビルを出ることはないのだ。


「ニューヨークでいくら叫んでもプーチンには届かないのにね」


 同僚の苦々しい声を聞きながら、3月14日に発した事務総長のメッセージを思い浮かべた。


『ウクライナが燃えています。ウクライナは世界の目の前で破壊されています。民間人に対する影響は恐るべき度合いに達しています。女性と子供を含む数えきれない無実の市民が殺されています。…………。この悲劇を止めなければなりません。外交や対話に遅すぎるということなど決してありません。私たちは直ちに戦闘を停止し、国連憲章と国際法に基づく真剣な交渉を行う必要があります。私たちには平和が必要です。ウクライナの人々に平和を。世界に平和を。今すぐ平和が必要なのです。ありがとうございました』


 しかし、それによってなんら進展を見ることはなかった。


「相手はプーチンなのよ。法も秩序も無視する独裁者なのよ。血の凍った殺人者なのよ。このまま放っておけばウクライナは消滅してしまうわ。4千万人の国民が路頭(ろとう)に迷うことになるのよ。それがわからないのかしら」


 憤慨する同僚の声に押されて不曲も黙っていられなくなった。


「同感だわ。国連としてできる最大限の制裁を下すべきなのよ。今すぐロシアを常任理事国から引きずり降ろして、その上で、国連軍を編成してウクライナに派遣しなければならないのよ」


 それが不可能なことはわかりすぎるほどわかっているが、そこに踏み込まないわけにはいかなかった。

 第三次世界大戦を恐れるNATOが直接的なウクライナ支援に及び腰になる中、国連軍の編成以外、解決の道はないのだ。


「でも、『そんなことをしたらここに核ミサイルが飛んでくる』って反論するかもしれないわね」


 同僚が事務総長の口真似をしたので笑ってしまったが、自己保身の強い彼なら言い出しかねないとも思った。

 ウクライナを守るより国連という組織の方が大事だと考えている可能性は大きいのだ。


「まあ、そこまで酷くないことを祈るしかないけどね」


 口をすぼめてからワイングラスを手に取ったが、その味は先程のような素晴らしいものではなかった。

〈腰抜け〉というスパイスが苦味を誘発したに違いなかった。


「男なら腹をくくるべきだわ」


 同僚の声に頷いたが、虚しい思いが消えることはなかった。



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