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胸騒

 

 5月9日、77回目になる『対ドイツ戦勝記念日』の軍事パレードがモスクワで始まった。

 しかし、その規模は大幅に縮小され、投入した兵員は昨年比千人減、軍用車両も131両と75周年当時の6割にとどまった。

 更に、予定されていた航空機のパレードは中止された。

 悪天候のためというのが理由だったが、空には青いところが見えていた。


 プーチンの演説が始まった。

 ロシア国民や退役軍人、軍関係者に対して記念日を祝うと告げたあと、第二次世界大戦のことを振り返り、打倒したナチズムについて触れた。

 そして、本題に入った。


「われわれは安全保障条約の締結を提案したが、NATO加盟国は我々の話を聞く耳を持たなかった」

「クリミアを含むわれわれの歴史的な土地への侵攻が画策されていた」

「軍事インフラが配備され、何百人もの外国人顧問が動き始め、NATO加盟国から最新鋭の兵器が定期的に届けられる様子をわれわれは目の当たりにしていた」

「危険は日増しに高まっていた。ロシアが行ったのは侵略に備えた先制的な対応だ。それは必要で、タイミングを得た唯一の正しい判断だった」


 そして、すべてを話し終えると、顔を紅潮させて叫ぶような声を発した。


「われわれの勇敢な軍に栄光あれ! ロシアのために! 勝利のために! ウラー(万歳)!」


 中継を見ていた不曲は首を傾げた。

 捻じ曲げた正義を徹底的に強調していたが、特別軍事作戦の勝利を宣言する文言は発せられなかったし、危惧されていた戦争宣言もされなかったからだ。


 プーチンはどんな思いでこの場に立ち、これから何をしようとしているのだろうか?


 嫌な予感が膨らんでいく中、不曲はプーチンの頭の中を覗き込みたくなった。

 すると、ロシア男性の平均寿命が浮かんできた。

 プーチンはそれに達しているのだ。

 とすると、プーチンは残りの時間を考えているに違いない。

 それは焦りに繋がっているかもしれないが、拙速な判断を促す要因になっている可能性もある。

 一連の独断専行(どくだんせんこう)を見ているとそう思わざるを得ない。


 ということは……、


 ドンバス地域を完全に抑えるだけでプーチンは満足しないだろう。

 正確な数字はわからないが、2万人以上の兵士を失い、千台以上の戦車や装甲車が破壊されたという情報がある。

 それによって、投入した戦闘能力の四分の一が戦闘不能になった可能性があるのだ。

 これだけの損害を(こうむ)った以上、振り上げた拳を簡単には下ろせない。

 ドンバス+αの戦果が必要なのだ。

 それを満たしてくれるのが憎きアゾフ大隊の討伐(とうばつ)だろう。

 これが成功すれば錦の御旗(みはた)にできるし、それ自体が大義になる。

 と共に、次の一手に繋がっていく。

 アゾフ大隊を一網打尽(いちもうだじん)にしてマリウポリを陥落させたら、次はオデーサを狙い、更にモルドバに触手を伸ばす。

 それにとどまらず、ジョージアもターゲットにするだろう。

 貧弱な軍備しか持っていない小国は赤子の手を捻るより簡単だし、その上、NATOに加盟していないのだから全面戦争になる恐れもない。

 ウクライナ全土の掌握は無理としても、黒海沿岸とその周辺の広域な地域を押さえることができれば、それに匹敵する戦果と豪語することができる。

 振り上げた拳を下ろすことができるのだ。


 となると……、


 この戦いが今後数か月で終わることは望み薄のように感じた。

 プーチンが失脚しない限り続く可能性があるのだ。


 やめてくれ!


 念ずるような呟きが口から漏れたが、それを実現できるのはプーチンだけという事実が不曲の心を重くしていった。


        *


「勝利宣言も戦争宣言もありませんでしたね」


 芯賀がそう告げると、総理は予想通りだったというように、「まあ、今の状態では勝利宣言はできないだろうし、戦争宣言をすれば後には引けなくなるからあれ以上は言えなかったのだろう」と頷きを返した。


「でも、そのことによって先が見通せなくなりましたね。『勝利のために』と言った以上、それを実現しなければならないでしょうし、それができなければプーチンは間違いなく窮地に陥りますから。そうなると、5月9日に拘らず勝利宣言ができるまで戦い続けるという可能性も出てきましたね」


「そうかもしれん。しかし、そうなると血で血を洗う惨劇になるだろうし、憎しみの連鎖が永遠に続くことになる」


 それはウクライナとロシアの関係にとどまらず、より広域に広がっていく可能性があるということだった。


「更なる分断が」と言いかけて芯賀は口を(つぐ)んだ。

 それ以上言うと現実になるかもしれないという恐れを抱いたからだ。

 嫌な予感を飲み込むように、口の中に溜まった唾液を一気に食道へ落とし込んだ。



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