緊迫(6)
感染者の濃厚接触者となった法務大臣に代わって急遽派遣した外務大臣がウクライナの隣国ポーランドで精力的に活動を行っていた。
その目的は現地のニーズ把握と難民受け入れ支援だった。
それも現地支援だけでなく、帰国時に希望者を政府専用機で日本に運ぶということまで想定していた。
今までにない対応を考えていたのだ。
「20人ほどになりそうです」
電話に接続されたスピーカーから聞こえてきた外相の声は普段より明らかに高揚していた。
『困難に直面するウクライナとの更なる連帯を示すために、政府一丸となって必要な支援を行っていく』という強い決意をもって出発した心意気が現れているような声だった。
「そうか。で、現地の様子はどうだ?」
「予想した通り、大変な状況になっています。1つの施設に2,500人ほどの避難民が身を寄せており、足の踏み場もないほどの状態になっています」
「そうだろうな。ポーランドには240万人が避難しているようだから、これ以上の受け入れは困難だろうな」
「そう思います。もう限界だと思います。それに、避難したものの生活の基盤が作れるかどうか不安を覚えてウクライナに帰る人も出始めていて、状況は複雑になっています」
「なるほど。言葉が通じない上に働くところが見つからなければ危険を承知で戻る人も出てくるんだろうな」
総理の鼻から深い息が漏れた。
「とにかく、できる限りのことをするつもりです。それと、明日は国境付近を見てまいりますので、またその状況について報告いたします」
「よろしく頼む。ただ、くれぐれも安全には気をつけて行動するように」
「承知いたしました」
報告を聞き終えた総理は、難民支援の最新状況について芯賀に問いただした。
「はい。受け入れた避難民は現在393人で、今後ますます増加する見通しです」
日本にはウクライナ人が1,900人ほど居住しており、その親族らの来日ニーズが高まることを予想していた。
「受け入れ態勢は整っているのか」
「はい。各自治体が協力してくれています」
東京都は都営住宅を700戸確保しており、入居前にはホテルを無償提供して、そこで希望を聞いた上で寝具や家電製品を準備することまで考えているとの報告を受けていた。
「但し、入居期間は最長で1年しか想定されておりませんので、滞在が長期に渡ることになれば色々と問題が出てくると思われます」
「そうだろうな。避難民を受け入れた経験が無いに等しいから、一つ一つ課題を克服するしかないだろうな」
「はい。言葉の問題、生活費の問題、生活環境の問題、仕事の問題、学校の問題など、考えていかなければならないことは山ほどありそうです」
総理は頷きながら、ポーランドの対応をよく調べておくようにと指示を出した。
総理の下を辞した芯賀の頭の中にはロシアとドイツに踏みにじられ続けたポーランドの歴史が鮮明に蘇っていた。
バルト三国の南に位置し、ウクライナと国境を接しているポーランドはその名の通り『平原の国』で、国土のほとんどは広大な平原で占められている。
面積は日本の五分の四ほどで、人口は3,800万人強。
首都はワルシャワで、宗教はカトリック、言語はポーランド語である。
建国は10世紀で、15世紀から17世紀には東欧の大国として君臨するが、18世紀末になるとロシア、プロシア、オーストリアの三国に分割され、第一次世界大戦終了までの123年間、世界地図から姿を消すという屈辱を味わっている。
その後独立を果たすが、苦難はなおも続き、第二次世界大戦では総人口の五分の一が犠牲になるという最悪の事態を経験することになる。
大戦後はソ連邦圏に組み込まれたが、活発な民主化運動により非社会主義政権が誕生し、ソ連邦から距離を置くことになる。
そして、欧州への回帰を鮮明にした最近ではNATO加盟、EU加盟を続けて果たしており、西側諸国の一員として地歩を固めている。
ここまで来るのがどれほど大変だったか、でも、だからこそウクライナのことを他人事だとは思えないのだろう。
芯賀の頭の中には連帯という言葉が浮かんでいた。
400万人と言われる避難民の6割を受け入れた迅速な対応がそれを証明しているに違いなかった。
それに対してハンガリーは……、
ロシアへの経済制裁どころかまったく非難をしないハンガリー首脳の言動に苛立ちを覚えた。
野党が勝ってくれればいいのだが……、
総選挙の行方が気になって仕方がなかった。