緊迫(4)
ラヴロフと王毅か……、
国連日本政府代表部が入るビルの38階の窓から外を見ながら、誰に言うともなく不曲が声を漏らした。
トルコで行われたウクライナとの停戦交渉の翌日、ロシアのラヴロフ外相が中国を訪れて王毅外相と会談を行い、厳しい国際情勢の中で両国の協力を拡大することで合意したという。
外交政策の協調を強化し、国際問題について声を揃えて発言することでも合意したのだという。
この期に及んでまた茶番を、
独り言ちた不曲は3月10日に行われたウクライナとロシアの外相会談でのラヴロフの発言を思い出していた。
『我々はウクライナを攻撃していない』
『ロシアの安全が脅威にさらされている』
『これはロシアの生死をかけた戦いなのだ』
『これはアメリカ国防総省の実験だ』
『ロシアが戦争を望んだことは一度もない』
『人間の盾となって人質になっているウクライナの民間人を解放したい』
『ロシアは毎日人道回廊を開設している』
すべてが鮮明に蘇ると、ムカムカしてきて黙っていられなくなった。
「厚顔無恥野郎が!」
思い切り抓っても痛くなさそうなラヴロフの顔を思い浮かべて吐き捨てた。
実を言うと、一時ラヴロフに期待していた。
欧米指導者の考えなどをよく知る彼がプーチンに対して適切なアドバイスができると望みをかけていたのだ。
それは2月14日のことだった。
ウクライナに関する今後の対応を検討するためにプーチンがラヴロフをクレムリンに呼び、「ロシアが懸念する重要な問題について欧米側と合意するチャンスはあるのか、それとも欧米側は終わりのない協議に引きずり込もうとしているのか」と問うた。
するとラヴロフは、「可能性は残されていると思う。いつまでも続けるべきではないが、現時点では協議を継続し、活発化させることを提案したい」という考えを伝えた。
対話継続を進言したのだ。
それをプーチンは受け入れたように見えたが、その10日後、ウクライナ侵攻が始まった。ラヴロフの進言は考慮されなかったのだ。
おかしいとは思ったのだが……、
一瞬でも期待した自らを恥じた。
今から思えば、プーチンによる芝居だったのだ。
対話継続と見せかけるためにラヴロフを利用したに違いない。
不曲はロシア国営放送に映し出されたその時の映像を思い浮かべた。
プーチンとラヴロフの間には途轍もない距離が置かれていた。
表向きは新型コロナ対策となっているようだったが、立場の違いをはっきりと見せつけるような距離感だった。
近づくことさえ許されない絶対的な主従関係を知らしめるような見せ方だった。
〈報告は聞きおくが、それによって自らの判断が左右されることはない〉と告げているようでもあった。
侵攻が始まると、ラヴロフの態度が一変した。
プーチンの犬になったのだ。
プーチンの正当性を外に向かって知らしめる役割に徹するようになったのだ。
しかしそれは無理からぬことかもしれなかった。
プーチンに逆らえばどうなるかわからないからだ。
保身に走るしかなかったのかもしれない。
それとも、所詮はその程度の人間だったのか。
どちらにしても彼の発言をまともに聞く西側諸国の人間は誰もいなくなった。
中国をはじめとした少数の利害関係者しか相手をしなくなったのだ。
その中国の動向が気になっていた。
ロシアを全面的に支援するのか、それとも静観するのか、中国の出方によって情勢が大きく変化するからだ。
習近平は何を考えているのだろう?
また独り言ちた不曲はロシアと中国の関係をまとめた資料を棚から取り出した。
そして、椅子に座って目を落とした。
長い国境線を有しているロシアと中国の関係は複雑だった。
互いに領有権を主張しては武力衝突を繰り返すということが続いていたのだ。
最初の頃は軍事力に圧倒的な差があったことからロシアに分があったが、中国はそれを覆すためにアメリカに接近した。
それは80年代のことであり、それによってロシアを牽制できるようになった。
その後しばらくその状態が続いたが、ゴルバチョフの時代になると変化が訪れる。
国境交渉が再開されたのだ。
91年には中ソ国境協定を締結して東部国境をほぼ画定するまでになり、更にエリツィンの時代になると、西部国境が画定されることになる。
その結果、積み残されたのは3つの島の帰属だけとなった。
しかしこれもプーチンが電撃的に解決する。
それは超大国を目指す中国との係争の芽を早期に摘んでおきたいという思惑によるものだった。
その後は適度な距離を保ち続けたが、中国の巨大化とロシアの停滞が立場を逆転させる。
中国のGDPがロシアの10倍以上になったばかりではなく、一人当たりのGDPでさえも抜かれてしまったのだ。
かつては兄貴分だったロシアも弟分に成り下がるしかなかった。
しかし、ロシアがそのことを認めることはなく、対等な立場を強調し続けた。
それに対して中国も敢えて異を唱えなかった。
共通の敵がいたからだ。
アメリカをリーダーとする自由主義国家群だ。
欧米との対立が両国を結び付ける接着剤となったのは間違いない。
それは、『自由主義連合』対『専制主義連合』であり、言い換えれば、『民主主義連合』対『独裁者連合』ということになる。
新たな冷戦の始まりが静かに告げられたのだ。
今後、中国はロシアをうまく使うだろう。
経済制裁によって国力が大幅に低下したロシアは西側との貿易が立ちいかなくなり、輸出も輸入も大幅に減少することになる。
加えて、ルーブル安によるインフレは当分続く。
それは国民が貧困になることを意味しており、その結果、不満が渦巻くようになって国内は不安定になる。
それを打開するためには中国の巨大な市場が必要になる。
中国は既にそれを読んでいるだろう。
今後のシナリオを描いているはずだ。
しかし、そんなことはおくびにも出さず、自らの野望を悟られることはしない。したたかなのだ。
先ず中国が考えることはなんだろう?
右手を顎に当てて習近平とプーチンの顔を思い浮かべた。
すると、ある言葉が浮かんできた。
『人民元=ルーブル経済圏』
ドルとユーロに影響を受けない決済の仕組みの構築だ。
ロシアはすぐに乗ってくるだろう。
経済制裁が続く中、それ以外に打破できる道はない。
特に、ヨーロッパが石油やガスのロシア依存を急速に縮小しようとする中、それに代わる大口の輸出先は中国とインドしかないのだ。
しかし、ここにも罠がある。
強くなる一方の人民元に対して切り下げが続くルーブルではまともな交換レートを設定することは難しいので、ロシアは厳しい条件を飲まざるを得なくなる。
となれば、中国はロシア産の石油や天然ガスを安く購入できることになる。
恩を売りながら実を得ることができるのだ。
その次は?
考えるまでもなかった。
『属国』だ。
戦わずしてロシアを中国の属国にするのだ。
中国の巨大な経済圏に取り込んでおけば、中国なしのロシアは成り立たなくなる。
となれば、対等な関係とは言えなくなる。
そうなると……、
思いを巡らせていると、明の時代の朝貢貿易が頭に浮かんできた。
中華思想によって、貿易は中国が与える恩恵であるとする考え方だ。
中国は宗主国で、諸国は属国と見なすのだ。
だから、属国の君長は宗主国の皇帝を敬い、貢物を持ってやってこなければならない。
その恩恵として皇帝はその者に国王の地位を与えることになる。
つまり、ロシアの大統領はロシア国民が選ぶのではなく、中国のトップが選ぶようになるのだ。
それとも……、
江戸時代の参勤交代が浮かんできた。
260年続いた徳川幕府の知恵を学んでいるとすれば、1年交代でロシアの大統領を北京に住まわすことを考えるかもしれない。
その場合は大統領の妻子を北京に常駐させるのが効果的だ。
人質を取っておけば大統領も迂闊には逆らえない。
それとも……、
更なる中国の手を考えようとした時、新たな情報が入ってきた。
ロシアがインドに対して原油の大幅な値引き販売を持ちかけたというのだ。
それはウラル原油に関する交渉だった。
ウクライナ侵攻前の価格と比べて1バレル当たり最大で35ドル安くするというものだった。
インドか……、
もう一つの大きな抜け道の存在に改めて気づかされた。
首相がわざわざ足を運んだのに……、
インドの首相に対面した日のことが浮かんできた。
それは3月19日のことだった。
デリーで2時間近く会談したあと、両首脳は共同声明を発出した。
『日印特別戦略的グローバル・パートナーシップの構築』
『自由で開かれたインド太平洋の実現』
『ウクライナへの一方的な侵略の非難と戦闘の即時停止』
『東シナ海や南シナ海における一方的な現状変更への反対』
『北朝鮮の核開発と弾道ミサイル発射への非難』
『ミャンマー情勢の事態打開に向けた緊密な連携』
『国連安保理改革の実現と両国の常任理事国入りの確認』
などが主な内容で、それは不安定化する世界に向けた強力なメッセージとなるものであった。
しかし、インドとロシアの関係を崩していくのは簡単ではない。
不曲には複雑に絡み合った糸の解き方を思い浮かべることができなかった。
首相はどう解こうとされるのか……、
日本の官邸がある方向に視線を向けたが、総理の苦悩を思うとじっとしてはいられなかった。
「インド大使に会っていただけるよう、大使を説得していただけないでしょうか?」
不曲は首席補佐官に頭を下げた。