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緊迫(3)

 

「停戦交渉が終わったようです」


 ウクライナの情報収集を主任務としている30代後半の男性担当官が概要を記したメモを総理に渡した。


「結構譲歩しているようだな」


 メモに視線を落とした総理は領土問題について書かれている箇所から目が離せないようだった。


「はい。クリミアの主権を棚上げした形になっています」


 クリミア半島の帰属に関して、2国間の対話を通じて15年以内に解決することを呼び掛けるとウクライナ側から提案があり、ロシア側は持ち帰って検討すると答えたらしい。

 強硬な領土主張やロシア軍の撤兵は求めていなかった。


「15年か……」


 総理はメモから視線を離し、担当官に向けた。


「領土に関する問題は国民投票が必要とゼレンスキー大統領が言っていましたから、短期間で解決できるようなものではないということだと思います。それに、」


 担当官が頬を緩めた。


「15年経ったらプーチンは生きていないかもしれないですからね」


 1952年10月7日生まれのプーチンは現在69歳で、15年後には84歳になる。

 ロシア男性の平均寿命が68.2歳ということを考えると十分あり得ることではある。


「プーチン後の政権に期待するという意味が込められているということだな」


「そうではないかと思います。それに、ゼレンスキーは若いですから」


 1978年1月25日生まれのゼレンスキーは今年44歳で、15年後でも59歳なのだ。


深謀遠慮(しんぼうえんりょ)か~」


 芯賀は思わず唸り声を発してしまったが、総理はそれに構わず大事なポイントへと話を進めた。


「ところで、ドンバスは?」


「はい、話し合われたことは間違いないと思いますが、今後、首脳同士で話し合うということ以外、何も触れられていません」


「そうか……」


 ロシアが東部地域の独立を承認しているだけでなく、現在マリウポリで激戦が続く中、敢えて触れなかったのかもしれないと芯賀は思った。


「それでも、いくつかの進展はみられたようです」


 中立化については新たな安全保障の枠組みを構築するという前提を示しながらも、ウクライナ領土内に外国の軍事基地を設けないことを明示したという。

 NATOへの早期加盟の断念と合わせてかなりの譲歩と言える。

 これに対してロシア側は一定の評価を与え、キエフなど北部の軍事作戦を大幅に縮小すると述べた。

 ロシア側も譲歩したわけだ。


「しかし、額面通りには受け取れないというのがウクライナやアメリカの見方です。ゼレンスキーは『侵略を代表する者の言葉を信じる理由はない』と切り捨てていますし、アメリカ国防省も『これは撤退ではなく再配置だ。だまされてはいけない。空爆も続いているのでキエフへの脅威は終わっていない』と警告しています」


「まあ、そうだろうな。油断をさせて裏をかくというのがロシアのやり方だからな。一種の心理作戦と考えた方が妥当だ」


「仰る通りだと思います」


 担当官は総理から目を離さず顎を引くように頷いた。


「で、今後については?」


「はい。ウクライナ側が求めている首脳同士の会談への道筋を検討することになりそうです。そのためにも、先ずは外相レベルで合意内容を承認する必要があります」


「なるほど」


「しかし、先程も申しましたように、合意内容についてはウクライナの憲法改正の必要があり、国民投票で民意を問わなければなりませんので、そう簡単にはいかないと思います。それに、停戦やロシア軍の撤退が絶対条件としていますから、短期間で合意できるとは思えません。大きな一歩は踏み出せましたが、その後の道のりは平坦ではないということだと思います」


 結論付けた担当官は、「何か進展がありましたら、また報告いたします」と言って総理の元を辞した。


 芯賀はその後姿を見ながらウクライナの行く末に思いを馳せたが、それは総理の声によってすぐに打ち消された。


「ところで、ロシアはいつまで戦争を続けることができるのだろうか? 1日の戦費が最大で3兆円に達したという情報もある。ロシアの歳入が年間31兆円ほどしかないことを考えると、これ以上の戦争継続は難しいと考えるのが筋なのだが」


 君はどう思う? というふうに視線を向けられたので、「私見でありますが」と断った上で慎重に言葉を選んだ。


「戦費については毎日3兆円を投入しているわけではありませんから今の時点ではなんとも言えませんが、長引くと財政的にはかなり厳しくなると思われます。それに、経済制裁の影響がこれから強く出てくると思われます。半導体などの先端技術製品や軍事用に使用される部品の輸入が止まっていますから、新たに戦闘機やミサイルを造ることが困難になるものと思われますし、修理する場合も同様だと思われます」


「そうだな。で、ロシアの国防相が財務相に軍予算の増額について打診したという情報があるが、それはどうなっている」


「今のところ増額したかどうかは不明です。しかし、戦争を続ける限り増額せざるを得ません。ですが、財源が見当たりません。経済制裁によって国内の景気が冷え込んでいますから増税もできませんし、国債の格付けが最低レベルになっているので新規発行はできないでしょう。そうなると、ルーブルの増刷しかないと思われます」


「それしかないだろうな。しかし、増刷はそんなに簡単ではないだろう。インフレがかなり加速している状況で増刷すると悪性インフレになる可能性があるからな」


「そうですね。第一次世界大戦後のドイツや太平洋戦争後の日本でも実際に起きていますから、諸刃(もろは)(つるぎ)となる可能性が大ですね。既にルーブル安に伴ってインフレ率が14パーセントを超えていますし、政策金利が20パーセントに引き上げられています。大変な状況になっていることは確かです」


「まあ、そのために経済制裁をしたんだから当然といえば当然だがな」


「はい。今回の制裁によって57パーセントに相当する外貨が使えなくなりましたし、金についても取引の禁止を行いましたので、かなり効いているものと思われます」


「そうだろうな。それに、IMFの特別引き出し権についてもドルとユーロとポンドと円は使えないから、残るは人民元だけになる。中国がどう対応するか見ものだな」


「そうですね。習近平国家主席がどう考えるかですが、プーチンにとっても重要な問題だと思われます。中国に頼りすぎるのは後々(のちのち)大きな不安材料を残すことになりかねませんから」


「まあそうだろうな。中国に恩を着せられるだけでなく足元を見られて、原油やガスを買い叩かれるのがオチだろう」


「はい。そうなる可能性は高いと思われます」


「それはそうと、経済損失が既に70兆円に上るとウクライナの経済相が言っているらしいが、賠償についてはどうなっていくと思うかね」


「はい。経済相は侵略者に要求すると言っていますが、そんなことにプーチンが耳を貸すはずはありません。そもそも占領して自らの国土としようとしているのですから賠償という概念すら持ってないでしょう。となると、差し押さえた資産からということになります。ウクライナは当然国内で没収したロシアの資産を充てるでしょうし、欧米が差し押さえた資産を要求するものと思われます。しかし、そう簡単ではありません。あくまでも経済制裁は資産の凍結であり、資産の没収ではないからです。それに、戦争当事国ではない欧米が勝手に処分することはできません。ですから、停戦合意後の多国間会議によって話し合うしかないと思われます」


「というと」


「はい。ご存じの通り第二次世界大戦後のポツダム会議が有名ですが、あの時は戦勝国による会議でしたので、今回とは性格が異なっております。勝者も敗者もない痛み分けとなるであろう今回は中立的な国家による仲裁という形が一番収まりやすいと思われます。ですので、停戦交渉を主導したトルコやイスラエルといった中立を貫いた国家によって行われるのがいいのではないかと思います。もちろん私見ですが」


 その上で、差し押さえた資産総額が35兆円であることを告げると、「まだまだ足りないな」と総理はゆらゆらと首を振った。


 その通りだった。

 ウクライナが(こうむ)ることになる経済損失の半分しか押さえられていないのだ。

 なんといっても今回の侵攻で非があるのはロシアだけであり、ウクライナにはなんの責任もない。

 だからウクライナ国内を破壊し尽くしたロシアが全責任を負うべきなのだ。


「さあ、どうやってやるかだな」


 次の一手に思いを巡らすような総理の呟きが耳に届いた瞬間、破壊されたウクライナの街々の映像が頭の中に蘇ってきた。


 覚悟を決めてやらねばならない、


 芯賀は改めて腹をくくった。



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