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緊迫(2)

 

 それは突然のことだった。

 ロシアとウクライナの停戦交渉をトルコのエルドアン大統領が主導したのだ。

 場所はイスタンブールで、双方が合意しているという。

 実現すれば、対面での交渉は久方振りとなる。


 しかし、双方の主張は大きく隔たっている。

 ロシアがクリミア半島の主権と東部2州の独立を求めているのに対し、ウクライナは領土分割を認めるつもりがない。

 それに、ロシアが求める非軍事化に応じるつもりもない。

 唯一ウクライナが妥協する可能性があるのが中立化だ。

 NATOへの早期加盟を断念することで停戦に持ち込もうとしているのだ。

 しかしそれも米欧にロシアを加えた周辺諸国によって安全保障が確約されることを条件としているので、簡単にはいかない。


 となると……、


 芯賀は自問したが、妥協点を見出すことは難しかった。

 両国の隔たりが余りにも大きすぎるからだ。

 プーチンが求めているのは単なる中立化ではない。

 中立、かつ、非軍事化、かつ、クリミアのロシア主権、かつ、東部地域の独立の承認なのだ。

 すべてが揃ってワンセットなのだ。

 個別の合意で良しとするわけはないのだ。


 それでもエルドアンが動いたということは……、


 なんらかの進展の可能性を見出したということになる。

 プーチンとも事前に協議した上での交渉なのだ。

 物別れに終わればエルドアンが恥をかくことになる。


 う~ん、


 エルドアンの顔を思い浮かべたが、笑みのない顔からはなんの意図も読み取れなかった。

 2003年から10年余にわたって首相を務め、その後2014年から大統領の座に君臨し続けているしたたかな男が心の内を読ませるはずはないのだ。

 NATOに加盟しながらプーチンとも良好な関係を築くという曲芸的な手腕を発揮している一方、ウクライナと自由貿易協定を結んで武器を輸出している。

 その上、軍事用無人機の製造工場をウクライナに造るのだという。

 どうしてそんなことができるのか不思議でならなかったが、何故か一瞬プーチンとゼレンスキーの間で手を交差して両者と握手をしているエルドアンの姿が見えたような気がした。

 プーチンとゼレンスキーは目を背けていたが、エルドアンは満面の笑みを浮かべていた。


 一種の天才だな、


 交渉に()けた老獪(ろうかい)な手腕に一目置かずにはいられなかった。


 それはそうとして、


 3人の姿を脳裏から消して、エルドアンの意図に神経を集中させた。

 何かがあるはずなのだ。


 トルコにとってのメリットとは……、


 この交渉を主導することによって享受(きょうじゅ)する利益が必ずあるはずだと考えた芯賀は外務省が作成したリポートを手に取った。

 そこにはトルコの歴史とロシア及びウクライナとの関係、更に日本との交流が簡潔にまとめられていた。


 黒海とエーゲ海と地中海に囲まれたトルコは東西文明の十字路と呼ばれ、古くから栄えてきた国である。

 その国土は日本の約2倍で、人口は7,200万人を数え、中東を代表する国と自他ともに認めている。

 その歴史は古い。

 紀元前18世紀には鉄器を使用するという優れた文明を持つヒッタイト王国が建国され、長きにわたって繁栄する。

 その後、古代ギリシャやペルシャ、シリアとの抗争が続くが、紀元330年に東ローマ帝国が成立すると、現在のイスタンブールが首都となり、繁栄を極めるようになる。

 しかし、その勢いが衰えると、東方の民族から侵攻を受けるようになり、混乱の時期が続くことになる。

 それが落ち着くのがオスマン朝による統一である。

 1299年のオスマン帝国成立後、急速に勢力を拡大し、最盛期には地中海沿岸の多くを支配する強大な国家となった。

 しかし、16世紀にスペイン艦隊と闘って敗北したことや、17世紀のウィーンでの戦いの敗北などで国力が落ちると、衰退へと向かうことになる。

 更に、ロシアとの戦争に敗れ、クリミア半島をロシアに割譲(かつじょう)するという屈辱(くつじょく)を味わう。

 その上、ドイツ帝国と連携して参戦した第一次世界大戦に敗れると、オスマン帝国は崩壊し、多くの国土が分割されることになる。

 これに対して祖国回復を主眼としたトルコ革命が起こり、その結果、1923年にトルコ共和国が樹立される。

 第二次大戦後はNATOに加盟して西側諸国との繋がりを強化するが、反面、ソ連邦との経済技術援助協定を締結するなど、外交の多角化を進めている。


 ふ~、


 そこまで一気に読み進めて芯賀は目を瞑った。

 頭の中には、かつて世界史を勉強した時に覚えた数々の文言が浮かんでいた。

 古代オリエント文明、ビザンティン文化、イスラム文化。

 それは、多様な文明と文化が融合した他に類を見ない独特なものだった。


 さて、


 教科書の文言を頭から消して、トルコとロシアとの関係が書かれている箇所に目を移した。


 トルコはオスマン帝国時代からロシアと対立しており、断続的に交戦してきたという歴史がある。

 更に、トルコがNATOに加盟したことからその関係は悪化の一途をたどった。

 それでも、軍事的緊張に反して経済的には結びつきが強く、特に天然ガスをロシアに頼っていることから、工業振興の側面で良好な関係を構築している。

 そんな中、シリアでトルコ軍機がロシア軍機を撃墜するという事件が起こった。

 それに強く反発したロシアは、トルコからの農産物の輸入を禁止すると共にロシア人観光客が利用するチャーター便の運航を停止した。

 更に、天然ガスパイプラインや原発建設の凍結など、厳しい経済制裁に踏み切った。

 それに対してトルコは反発したが、年間470万人に達するロシアからの観光客が9割減るなど国内経済に大きな影響が及んだことから、態度を軟化させ、プーチンに送った書簡の中で謝罪を表明した。

 そうしてロシアとの関係改善に向かい始めた時、エルドアンに対するクーデター未遂事件が起こった。

 その黒幕と目される人物がアメリカ在住のイスラム指導者と断定して身柄引き渡しを要求するも、アメリカがこれを断ったために対立が表面化する。

 それを見逃さなかったのがプーチンだった。

 クリミア問題やドーピング問題で欧米と対立する中、トルコとの関係改善を一気に進めたのだ。

 その結果、NATO加盟国であるトルコがロシア製の最新鋭迎撃ミサイルを購入するという前代未聞の事態となった。

 トルコは急速にロシアへ接近していったのだ。


 昨日の敵は今日の友か……、


 資料に添付されている写真を見ながらため息をついた。

 それは、いがみ合っていた2人が笑顔で握手する写真だった。


 で?


 2人の笑顔を網膜から追い出して、トルコとウクライナの関係が記述されている箇所に目を移した。


 トルコを訪れるウクライナ人観光客は年間210万人に上り、トルコにとって大事なお得意様となっている。

 更に、農産物の輸出でも大きな存在で、その規模は年間2億ドルに達している。

 それだけでなく、攻撃型無人機を販売することによって軍事面での結びつきを強めている。

 この兵器がロシア軍にとって脅威になったためプーチンの怒りを買ったが、民間企業がやっていることで政府は関与していない、とトルコ政府はどこ吹く風の対応をしている。


 食えないオヤジだな、


 苦笑いするしかなかったが、目は最後の個所に移っていた。

 日本との関係だ。

 長い交流の中で友好を深めたと記述されている。

 特に、1890年のエルトゥールル号海難事件によって絆が結ばれ、親密な交流が始まった。

 その発端はオスマン・トルコ帝国皇帝のアブドゥルハミト2世が派遣した親善使節団だった。

 当時ヨーロッパ列強との不平等条約に苦しんでいたため、同じ立場にあった日本と平等条約を締結促進するために派遣したのだ。

 横浜港に到着した派遣団は明治天皇に謁見(えっけん)し、皇帝より託されたトルコ最高勲章や種々の贈り物を捧呈(ほうてい)した。

 対して天皇は使節に勲章を授け、饗宴(きょうえん)でもてなした。

 その後、3か月間東京に滞在した使節団は帰途につくが、折からの台風に遭遇して、和歌山県串本町大島樫野崎(かしのざき)沖で座礁し沈没した。

 その結果、587名が命を落とし、生存者は69名のみという大惨事になった。

 そんな中、大島の島民は彼らを見捨てなかった。

 総出で不眠不休の救援活動を行うと共に亡くなった人を手厚く葬ったのだ。

 その後、生存者の治療を神戸で行い、更に、日本の軍艦で生存者を無事イスタンブールまで送り届けると、トルコ国民から心からの感謝を贈られた。

 そのことがきっかけとなって交流が深まっていくのである。

 それが戦時下における日本人の救出という後日談を生むことになる。

 1985年のイラン・イラク戦争において、48時間後にイラン上空を飛ぶ飛行機は民間機を含めてすべて撃ち落とすという声明をサダム・フセインが発表した。

 これによってテヘランに取り残された日本人が窮地(きゅうち)に立たされる。

 それを救ってくれたのがトルコ政府だった。

 期限まであと1時間という中、危険を顧みずに救援機を2機派遣し、215名全員を救出したのだ。

 それは、トルコ人がまだ500名残っているにもかかわらず優先して行われた。

 自国民は陸路で脱出させ、日本人を飛行機に乗せたのだ。

 その理由はエルトゥールル号の恩返しだった。

 100年も前のことをずっと恩義に感じてくれていたのだ。

 その後も良好な関係が続いている。


 なるほど、


 ほとんど知っていることとはいえ、改めて読み返してみると感銘を受けざるを得なかった。

 明治時代の大島の島民に対しても、100年後の恩返しに対しても。

 芯賀はしばらく目を瞑ってそのことに感じ入っていた。


「そろそろ交渉が始まります」


 若い職員の声で現実に戻り、壁に掛かっている時計に視線を送った。

 あと10分ほどで始まるようだ。

 今頃イスタンブールではロシアとウクライナの交渉団が席に着いて交渉開始を待っているだろう。

 それになにより世界がこの交渉に注目している。

 今までとは違ってエルドアン大統領という大物が仲介を務める交渉なのだ。

 互いの言い分だけを言い合うパンチの応酬だけでは終わらないだろう。

 なんらかの妥協点を見出す努力が行われるはずだ。

 そうでなければ意味がない。

 そう考えると、これから刻々と伝えられるであろう情報に対する期待と不安で落ち着かなくなったが、大きく息を吐いて、不安だけを外に出した。


 必ずなんらかの進展がある。


 自らに言い聞かせて、椅子に深く腰を沈めた。



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