コロニー
かつて、人類が衰退しはじめ、最期の足音を聞いた頃。
一部の人間とAIが、人類の再興を目指し地中深くに、コロニーを作った。
数多の種子やDNA、素材、人間の受精卵や、精子、卵子が保存された。科学者の予見した時期に、その希望の箱は開かれ、幾度かの失敗を重ね、人々がそこで生活をするようになった。
コロニーは、幾つか作られたと記録が残っている。しかし、施設自体が何らかの要因で破壊されたり、発電能力を失うなどして、姿を消したものも多い。
『お帰りなさい』
「ああ、ただいま」
山の裾野に作られたトンネルを潜り、ラブはヘビに背負われコロニーの入り口までやって来た。まだ目覚める様子は無い。
音も無く入り口が開くと、コロニーを管理するAI、ハジメがヘビに声を掛けた。
『その女性は登録されていない人間ですね』
コロニーの中は、ハジメの掌の上であり、監視カメラやスピーカーは存在しないが、ハジメは常に人間達の行動を把握し指示をだしていた。
「海岸へ行く途中に、遺跡があるだろう? そこで拾った」
『教会ですか。その方が、アダムが探していた、同じコロニーの女性でしょうか?』
「本人は、アダムを知らないと言っていたが……そもそも、自分の名前さえ知らなかった。足には傷一つなく硬くもないのに、あの場に一人で居た。不可解なことばかりだ」
『メディカルチェックをしましょう。クイナを呼び出します。エアーシャワーを通り、処置室にその女性を運んで下さい』
「わかった……あと、あくまで、只の報告だが。この女、空腹を訴えていた。携帯食は口に合わないらしい……赤い丸い物が食べたい、そんなことを言っていた」
ヘビは、不機嫌そうな顔で言った。
『赤い丸い食物。あとで詳しく聴取してみます』
「……ハジメが、必要だと判断するなら、そうすればいい」
『必要だと考えます。恐らく、それを彼女に提供することができれば、彼女の要求は満たされ、その相手に繁殖行動を許可する可能性が高くなります。提供はヘビがしますか?』
ヘビの体がビクッと硬直し、背中で眠るラブが唸った。
「……しない」
『そうですか。では、他の男性にお願いします。驢馬は、強く女性との繁殖を希望しています。彼にチャンスを与えましょう』
ハジメの言葉に、ヘビの眉が顰められた。
「待て、ハジメ。驢馬は駄目だ。繁殖行動への情動が強すぎる。無知な女性ではトラウマになりかねない」
驢馬は、このコロニーの第三世代の繁殖に特化したグループの男だ。彼は、コロニーの反体制派に属し、女性への態度が紳士的では無く、悪名高い。一言で言うと、女性達から総スカンされていた。
『そうですか。では……』
「やはり……俺が提供する。男としてでは無く、彼女を連れてきた責任者としてだ」
ヘビの言葉は、いつもより早口だった。
『わかりました』
ヘビは、その後の言葉を身構えたが、会話はそれで終わった。
「なんなの、この子……ずっと見ていられる」
外の活動で負傷した人間を手当てする処置室で、クイナがラブを眺めて言った。
クイナは、ヘビと同じ遺伝子操作で、特別優秀に作られたグループの唯一の女性だった。
年齢は三十六歳。一七〇センチの程よく鍛えられた体に、意志の強さが滲み出るキリッとした美人だ。
長い前髪をオールバックにして後頭部で一つに結んでいる。その毛先は肩甲骨まで届いている。
彼女は、コロニーの管理と医師としての活動を主にしている。
彼女もヘビと同じく、優秀すぎる故に繁殖行動に興味が薄く、パートナーを持っていない。
「赤ちゃんみたいな艶々で瑞々しい肌。生まれたて? 髪も黒い絹糸なの? 顔立ちも私達みたいな、いかにも操作されたシンメトリーで画一的な配置の良さじゃない。抜け感もあるのに、バランスが完璧。なんだろう、透明感の塊なのに、空気じゃ無いのよ。超一級のダイヤの原石?」
「よくそんなに言葉が出てくるな……」
診察台に横たえられたラブは、クイナの手によってガウン型の患者衣を着せられている。クイナに近距離でジロジロと観察されているのに、口が少し空いている状態でスヤスヤと眠っている。
「思わず言語化したくなるわ。アダムと似てる感じだわ。この子がアダムの探している女性?」
「本人はアダムを知らないと言っていたが……そもそも、まともな記憶がなさそうだった」
ヘビは、装備を外し壁に背中を預け、腕を組んだ。
「そういえば、アダムは探しているって言う割に、名前も特徴も話さなかったわよね。 この子は、じゃあ、名無しさん?」
「……ラブだ」
「名前は覚えてたんだ。映像で見た子犬みたいな名前ね」
「……付けろと言われて、そうなった」
ラブの体を調べ始めたクイナから、ヘビは顔を逸らした。
「貴方が、名前を」
振り返ってヘビを見たクイナの目は、見開かれていた。意外だった。頼まれたからといって、他人と必要以上の交流を持たないヘビが、名前を付けたりすると思えなかった。
ヘビは、黙して語らず目を閉じた。
「まぁ、いいわ。結果が出たわ」
最初にラブの唾液を採取し、感染症などの検査を行った。その結果が機械に表示された。ヘビも壁から離れ、目を向けた。
「大丈夫そうね。見たところ怪我もしてないみたいだし。遺伝子検査とか詳しいことは、後日行うわ。もしもし、ラブさん。起きて」
クイナがラブの肩口を叩くと、ラブの目がパチリと開いた。
「おはよう、どこか具合が悪いところはある?」
「女……」
ラブは、クイナを指さして呟いた。
「そうよ、一応、私も女ね」
クイナは、自らの女という記号に違和感はなかったが、男が寄ってくるという事に疲労感があった。つい自嘲気味に笑った。
「ヘビ」
視界はクイナと天井しか写しておらず、ラブは体を起こしてヘビを探した。その顔は迷子のように不安げだった。
「……なんだ」
「良かったぁ、ヘビ居た」
ラブのふやけたような笑顔に、ヘビは顔を顰めた。
「すっかり懐かれてるのね」
「……さあな。俺は、もう行く」
「どこ行くの!」
ラブは、置いて行かれそうな雰囲気に、ベッドから身を乗り出した。ヘビは、ラブに視線を移したが、すぐに歩き出し部屋を後にした。
「そんな顔しなくても大丈夫よ。嫌でも、そのうち会うわ。同じコロニーに住むんだから」
クイナがラブの背中に触れた。
「そうなの?」
「そうよ。それで、色々聞きたいし説明したいから、まずは自己紹介ね。私はクイナ。このコロニーの管理をする一人で、医師みたいな事もしているわ」
「クイナ。私はラブです。ヘビに連れてきて貰いました。何か……することがあった気がするけど、忘れました」
「すること。その用事で元いたコロニーから出たのかしら? その途中で、何か……まぁ、いいわ。思い出したら色々と教えて」
「はい!」
ラブは何度も頷いた。
「うわー、蟻の巣みたい。でも、硬い」
クイナの案内で、コロニーの中を歩くラブは、見るもの全てが新鮮で壊れた玩具のように首を巡らせていた。ついには、しゃがみ込んで床を叩き始めたので、クイナは苦笑している。
「女王様のお部屋はどこ? 卵のお部屋は?」
「コロニーに女王様はいないわ。AIのハジメと運営に関わる私を含めた四人が住民に提案するかたちで色々決まるの。卵というか、人工子宮の装置はあるけど、余りに資源と電力を使うし生命を維持するのが難しくて、一度に沢山の子を作れないの。AIは、やはり自然な繁殖を望んでいるわ」
クイナが説明している間も、ラブの興味は次へと移り、ドアの前に立って、自動開閉する扉で遊んでいた。
「……ラブさんは、何歳なの?」
「え? 大人の女だよ」
「ということは、二十歳くらい?」
言動によって幼く見えるが、二十歳に見えなくもない。クイナは自らの顎を掴んでラブを眺めた。
「こどもが産めるくらいだよ」
無邪気に微笑むラブに、クイナがドキリとした。
「そ、そうなの……じゃあ、年齢的にもアゲハを紹介しておこうかしら」
「アゲハ?」
「そう、貴方くらいの歳の女性よ」
「ここは、女も男も、たくさん居る?」
「男性が二十五人、女性が二十人よ。最高齢が六十一歳。それ以前の人たちは、早世だったの」
「ん?」
「自然な受精卵から生まれた人間は、弱くて……今、ここに生きている人達は、世代によって違うけど、少なからず遺伝子操作された人間なの」
「ふーん」
ラブには、クイナの話がピンときていない。
「今、一番年齢が高いグループの人達は、病気と肉体の強化が主だったせいか、若干衝動的。その下の私達は、優秀さに振り切って繁殖意識が薄い。その下は繁殖に意識を高くしすぎて、繁殖行為に夢中で、逆に子供をつくらない……上手くいかないものよね」
「うーん、私、頑張る!」
ラブは、ヘビを頭に思い浮かべて拳を握った。
クイナが微笑みながら、頑張ってね、と声をかけた。