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呪術臨界点(旧版)  作者: 冬至 春化
6章 古道を拓く
38/39

33 模範囚のすゝめ

 不死者を制圧するのは、単純な作業だった。範囲を主な条件にした、基本的な足止めの呪いだけである。

 けれど、それを終えた瞬間、生気というものが全身から抜け落ちたのを感じた。同時に、折れた腕を誤魔化すために遮断していた痛覚が戻ってくる。

「車の扉を開けてください」と絞り出して、リンナは歯を食いしばった。


 心身ともに限界に近い状態で、大規模な呪術を使ってはならないのだ。

 五感のすべてが遠のく。

 かの有名な呪術師フェメリアは、三十には目が見えなくなっていたという。呪術の使いすぎは術師の体を蝕むのだと、頭の片隅で考えた。


 それからのことは、夢のようだった。


 門が開くと、彼がいた。

(また怒られちゃうかな)

 砂煙越しに目が合ったと気付いた瞬間に、すべての糸が切れるような思いがした。安堵のあまり泣き出しそうだった。

「ただいま」と呟きながら、視界が大きく傾ぐ。


 大丈夫。リンナは唇だけで囁いた。

 彼は分かってくれる。

(閣下はちゃんと心得ている、私の――)


 そこで意識が途絶えたところまでは、覚えている。



 ***


『おい、不必要な接触は控えろと言ったはずだぞ』

「不必要な接触? 何のことだか分かりませんね」


 肩に何かが触れている。

 リンナは目を閉じたまま身じろぎした。

 全身が重くて、意識はあるけれど体が動かせない。


『だからそれのことだ。彼女に抱きつくな』

「だってエディリンナから離れたら、僕だけ拘束されて拷問ですよね? 死なないと思って好き勝手するつもりでしょうけど、僕だって痛みは感じるんですよ」

『拷問はしないと言ったら離れるのか?』

「拷問はしないんですか?」

『……しない』

「人体実験は?」

『する』

「同じでしょうが!」


 うう、とリンナは呻き声を発した。

 アルラスとサリタが話をしているのは分かる。分かるけど……

(人が気絶してるってのに、なんて中身のない会話……)


 頭を持ち上げようとするが、体が言うことを聞かなかった。

 身動きはできないが、背中の下には硬い感触がある。頭は枕に置かれており、どうやら仰向けに寝かせられているようだ



「エディリンナ! 意識が戻りましたか?」

 呻き声を聞きつけて、サリタが耳元で呼びかける。肩を叩かれて、ようやく指先がぴくりと動いた。


 リンナはまた呻くと、ゆっくりと瞼を上げる。途端に、真上から白々とした照明が降り注ぐ。

 思わずかたく目をつぶってから、再びそろそろと目を開けた。


 サリタに背を支えられながら、慎重に体を起こす。

 殺風景な小部屋の中央にベッドが置かれていた。そこに布団もかけずに転がされていたようだ。

 折れた腕には添え木と三角巾で処置がされている。激痛もないため、気絶している間に投薬されたと推測できた。


 手足も土埃で汚れていたはずだが、綺麗に洗い清められ、着替えさせられている。

 大した待遇である。


「ここは……?」

 窓はひとつもなく、扉はあるが内側に取っ手がない。七、八歩もあれば回りきれるような広さで、息が詰まる気分だった。


「砦内の監視室ですよ。あそこに」と、サリタが天井の一角を指さす。

「カメラがあって、監視されているんです」

 紛れもなく劣悪な環境で監禁されているのに、サリタの顔は少なからず輝いていた。


 二百年ぶりに国内に入ったおかげで、壁やベッド、カメラのすべてが物珍しいようだ。手を伸ばして、金属製のベッドの支柱を撫でている。



『エディリンナ・リュヌエールだな』


 溶接をしげしげと眺めているサリタをしげしげと眺めていたリンナは、短い呼びかけにぴんと背筋を伸ばした。

 アルラスの声だ。


 一拍おいて、彼は慎重に問いかける。

『……ロルタナ・A・アドマリアスという名を聞いたことは?』

 質問の意図が分からず、リンナは当惑した。

 この人、二百年も生きてきたせいですっかりボケちゃったのかしら?


「歴史上の王族で、私の夫です。ご本人なんだから知ってるでしょ?」

『その幼名は?』

「えっと……アルラス」

 一般に有名な名前ではない。現代では幼名という文化もなくなり、リンナとて本人とお近付きにならなければ一生知ることはなかっただろう。


 即答すると、しばらく沈黙が続いた。


『彼の現在の住所は』

「旧都オーリントン湖向かい1丁目1番地、レイテーク城」

『レイテーク城の厨房から書庫に移動する経路を答えろ』


 城内の道順をひとつひとつ答えながら、リンナは眉をひそめる。

 自分と同じ顔をしている女がたくさんいることは理解している。自分が本当にエディリンナなのかを確認するための尋問なのも分かっている。



 でも、わざわざこんな大仰な質問を繰り返す必要なんてあるだろうか?

「閣下なら、見りゃ私だって分かるでしょう? 偉人にこんな生意気な口利く呪術女なんて私くらいしかいないわ」


 わざと挑発したのは、不安の裏返しだった。

 たとえ否定的なものだとしても、アルラスは言いたいことが山ほどあるはずだ。迂遠な尋問より先に、話すべきことがたくさんあるはずだ。


 向こうの声は長いこと答えなかった。

血の気が遠くなるような沈黙を挟んで、彼は掠れた声で『申し訳ないが』と呟いた。


『俺は、貴女のことを、何一つ覚えていないんだ』


 なにか答えるより先に、傍らのサリタが手を強く握り込む。その反応で、彼は既にアルラスから状況を聞いていたのだと悟る。


 急速に体温が下がっていくのを感じた。それなのに、全身から汗が噴き出している。

『なにか知っているか?』

 短い問いかけに、リンナは呆然と中空を見上げた。アルラスの言葉の意味が、分からない。


 ……理解できない訳ではない。原因にも心当たりがある。

 だが、条件を満たしていないはずなのに、『あれ』が発動するはずがない。


 はい、と答える自分の声が、まるで他人のもののように聞こえた。機械仕掛けのような気分で述べる。

「私が、呪いをかけて、閣下の記憶が消えるようにしました」

『いつ、どこで?』

「去年の冬、レイテーク城の書庫の大机のところで」


『内容は?』

 問いかけるアルラスの声が震えている。

「私が死んだら、閣下が、私に関する記憶をすべて忘れてしまうようにって」

 答える自分の声も震えている。


「だって、私が死んだら、閣下が悲しむと思って」

 馬鹿なことを、とサリタが小さな声で毒づいた。


 あるいは、顔を合わせないまま丸一年が経過したら、と条件をつけた。

 けれど、アルラスと離れてからはまだ一年も経っていない。もちろん自分は死んでいない。

(おかしい)

 俯いて、リンナはかたく目を閉じた。あのとき私はどのような文言で条件を決定しただろう?


(違う。正確には、『私が死んだら』ではない)

 呪術の条件に、他の個体の生死といった情報が使えるわけがない。

(条件は、『閣下が私の死亡を確認した三日後』、だわ)

 つまりアルラスは、どこかで『エディリンナが死亡した』と認識したことになる。


 彼がそんな勘違いをする瞬間なんてあっただろうか?

 少し考えて、リンナは「あの子」と呻いた。


 もはや疑う余地もなかった。

 レイテーク城に侵入し、リンナの脱出を手助けしてくれた少女――23番。

(名前もないまま死んだんだ)

 悟った瞬間、身動きもできなくなった。


 感情が薄く、反応も鈍くて、それほどたくさん話したわけでもない。博士に命じられて、自分を迎えに来ただけの女の子である。

 約束した時間までに、厩舎に現われなかった。来なかったら先に出発してほしいと言っていた。


 アルラスは彼女が死亡したのを確認して、それをリンナだと認識した。だから、その三日後に記憶がすべて消えた。




 呆然と自分の膝を見つめた。泣き喚いてしまうと思ったが、涙は出てこなかった。

(私、てっきり、閣下に敵と認識されたんだとばかり)

 どっちの方が良いんだろう?

(彼がすべて分かった上で警戒されるのと、何も覚えていないから警戒されているのと、どっちがましなんだろう?)


 サリタの小さな手が背をさすっている。リンナは縋りつくようにサリタの片手を握り込んだ。

「大丈夫です、エディリンナ。大丈夫……」

 そう告げるが、彼もそれ以上には慰めの言葉が出てこないようだった。だって丸きりリンナの自業自得なのだ。


「ごめんなさい。私が余計なことをしたせいで、事態をややこしくしたんだわ」

 こんなつもりじゃなかったの、と零すと、サリタは「分かっています」と静かに頷いた。



『……ともあれ、公開尋問の準備が調っているから、移動してもらおう。監視室の扉を開放するから、出たところにある椅子に腰かけて待機していなさい』

 アルラスが苦々しげな口調で告げると、音声はそこですっかり途切れた。


 間をおかず、扉の向こうで作動音がする。がちゃんと錠が外れる音がして、サリタが身軽な足取りで扉に近づいた。


「お、開いた」とサリタは引き戸を動かして明るい声を出す。首だけ外に出して、周囲を見回しているらしい。

「本当に椅子がありますよ! ご丁寧に二人分」


 こっちこっち、とサリタは笑顔で手を引いてくれる。まるで状況が分かっていない子どものような仕草で、今はその気遣いがありがたかった。


 のろのろと部屋を出ると、左右に長い通路が伸びており、中央に汽車のような線路が敷かれている。扉の眼前には台座に固定された椅子が二脚鎮座しており、これに座れば横向きに運搬されるといった寸法だ。

 お世辞にもあまりリラックスできる代物とはいえない。


「この椅子、レイテーク城にもあったわ」

 リンナは額に手を当てて呻いた。サリタは物珍しそうに椅子に近づく。

「そうなんですか? よいしょっと」

 言いながら深く腰かけるサリタを見ながら、リンナは指をさした。

「あのね……顎を掻くなら今のうちだわ」

「え?」

 サリタが目を丸くして顔を上げた瞬間、肘掛けから拘束具が飛び出し、両手が素早く固定された。猫でも踏んだような甲高い悲鳴が上がる。

 折れていない方の手でちょいちょいと鼻先を掻いてから、リンナも椅子に腰かけた。



 椅子にくくりつけられたまま、目的地も分からずに砦内を移動する。

 さぞや劣悪な乗り心地を覚悟していたが、椅子の速度は歩くのと大して変わらない。


「レイテーク城では重量オーバーだとか言われたのよね。こっちではオーバーしてなくて本当に良かったわ」

「あの人、女性の体重にそんなこと言うんですか? 最低ですね」

「でしょ? 本当に態度悪かったんだから」

 リンナはこれ見よがしに鼻を鳴らした。

 どうせこの会話も聞かれている。アルラスにとっては、身に覚えのない非難だろう。


 そのことに気づいた瞬間、なぜか今さらになって片目からぽろりと涙が転げ落ちた。

 声が詰まる。

「でも、本当に楽しかったの」

 今までの人生で、彼と一緒に暮らしていた頃が、一番楽しかった。



 アルラスがいなければ、自分はきっと、博士の配下の人形と大差なかった。

 椅子は廊下の突き当たりまで進むと、縦坑を上がり始める。体が一瞬だけ重くなるのを感じながら、リンナは目を閉じる。


 瞼の裏に浮かぶのは、仮面のような無表情である。

 23番という呼び名は、なんて残酷なものだろう。

 自分たちは呪術を使うために作られた、ただの道具なのだと口では語りながら、彼女の眼差しには意思が宿っているように見えた。

 いちどだけ、ふわりと笑みを浮かべた少女の顔を思い出す。


(あの子は、初めから死ぬつもりだったんだろうか)

 自分を安全に逃がすために? そこまで考えたところで、リンナはゆるゆると頭を振った。


(死ぬつもり(・・・)なんかじゃない。博士が、そのように命じたからでしかない)

 不死者の集落で見た、同じ顔の人形たち。彼女らの意思は著しく希薄で、自身の生命の危機が迫っていても、博士の指示がないと動けないような有様である。

 博士はあの子を始末したのだ。使い古した道具を、捨てる前に最大限活用した。

 燻るような怒りが、腹の底で渦巻く。


 身体を持たず、死というものも訪れない、あの生首!

 実験動物を見るよりも冷徹な目つきを思い出しただけで、身震いするような恐怖と嫌悪が襲った。


 暗い壁を睨みつけるリンナを、サリタが無言で見つめている。



 ……ややあって頭上から明るい光が降り注いで、リンナは目を細めて顔を上げた。

 ふわりと髪が浮く。小さな振動とともに、椅子が静止した。


「ようこそ」と聞こえた肉声に、胸が打ち震える。

 到着したのは壁一面がガラス張りの大きな部屋で、広い空間を隔てた向こうに机が並んでいた。

 両翼にはいかにも軍人らしい男たちが厳めしく首を揃えていたが、リンナの視線はおのずと正面の席に吸い寄せられた。


 予想はしていたが、アルラスの姿形は記憶にあるものと寸分違わなかった。

 精悍な顔つきで顎を引き、出方を窺うようにこちらを見据えている。油断のない目つきだった。が、いかんせん遠い。


「サリタ、視力が良くなる呪術って知らない?」

「こんなときに下らないこと言わないでください」

 窘められて、眉を上げる。




 ふと視線を動かしたとき、長机に居並ぶ面々のなかに、父の顔を見た。

 顔を歪めて睨んでいる父の姿を認めた瞬間、リンナは息を止めた。

 考えてみれば、軍部の重役である父がいるのは当たり前のことだ。父の顔を見つめ返そうとしたが、どうしても顔が上がらなかった。


 父から逃げるように目を逸らした先に、他にも見覚えのある顔があった。多忙な王子殿下であらせられるファランである。

 落ち着いた態度でこちらを窺いつつ、顔が青ざめているように見えた。

(王子までお出ましだなんて、随分と手際がいいのね)


 唾を飲んで、リンナはゆっくりと首を左右に動かした。呪術が届く半径には誰もおらず、両脇には銃を構えた兵士が待機している。

(やだわ、まるで猛獣みたいな対応)

 そこまで考えたところで、リンナはため息をついた。ここにいる人間は、不死者を『魔獣』と呼んで攻撃を行っているのである。



 視線を正面に戻すと、アルラスが口を開く。

「不死者集団の内紛により離反し、投降すると聞いた。身柄を保護する代わりに、情報提供を行う取り決めになっている」

 はい、と応じたのはサリタだった。


「まずは、これまで我々が百年以上にわたって要求し続けてきた交渉の場を、今日こうして用意していただけたこと、深く感謝します」

 微笑みながら放たれた一言で、周囲の温度が急激に下がる。


 リンナは思わず顔ごと隣を振り返った。

 僅かに頭を傾け、口元には笑みを浮かべて遠くの重鎮たちを正視する。サリタの横顔には紛れもなく二百歳の凄みがあった。

 少年の体と、見た目に相応しい無邪気な振る舞いは、彼の一面でしかなかったのだと気付かされる。


 交渉? とアルラスが抑揚をつけずに応じた。


「そのテーブルを用意するか否かは、そちらが知っている情報を洗いざらい話してから、我々が決めることだ」

「なるほど、分かりました」

 アルラスとの応酬で、緊張感はますます膨れ上がる。悲鳴を飲み込んで、リンナは気配を消すのに徹した。


 ここが紛れもなく正念場である。水の中に潜るように、リンナは大きく息を吸った。

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