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呪術臨界点(旧版)  作者: 冬至 春化
5章 不死の呪い
34/39

30 後編


 広場から遠く離れた地面に叩きつけられて、リンナはあまりの激痛に呻き声を上げた。

(いったい、何が……?)

 呆然と顔を上げた先で、木立の向こうに巨大な影が見えた。低音で唸りを上げる金属の塊である。

 噂に聞いたことがある。本物を見たことはなかったが、高機能魔術制御が用いられた兵器のひとつのはずだ。兄からもその存在を聞き出したことがある。敵の攻撃をものともせずに進軍する大型車両。


「これが、戦車……?」



 砲台がついていて、足元では妙なベルトが回転して移動している。木陰へと吹き飛ばされたリンナは、背の高いシダに隠れて戦車の横腹を見つめていた。

 戦車に記されているのは、軍の紋章である。ただの軍ではない、国境防衛部の印だ。


 ――彼が関わっているという証。

「閣下、」

 囁いて、リンナは立ち上がろうと地面に腕をついた。瞬間、かくりと上体が崩れて、地面へ顎を打ち付ける。

 左腕に、力が入らない。

 愕然としながら腕に目を向けて、思わず掠れた悲鳴を上げる。本来ならあり得ないはずの向きに前腕が曲がっていた。咄嗟に悲鳴を上げかけ、口を手で塞ぐ。

『……修復、および痛覚の遮断』

 口の端で呟き、無事な右手で頬に触れた。左腕が使えるようになるまでには、まだ時間がかかりそうだ。心臓が暴れ回る音が、うるさいほどに響いている。


「アルラス」

 樹皮のささくれを手のひらで感じながら、リンナはゆっくりと立ち上がった。よろめき歩み出る。

(閣下が、迎えにきてくれた)

 安堵と歓喜が胸を満たす。

 あんな風に城から逃げ出したことを謝りたい。でも、ここに来てたくさん得るものがあったとも伝えたい。

 一人で知らない土地にきて心細かった。自分が当たり前に知っている常識が通じない寄る辺なさを共有したい。

 アルラスと話したいことがたくさんある。


 彼は勘違いしているのだ。サリタは確かに不死者だが、協力的だ。話せば分かる。敵じゃない。


 戦車はゆっくりと道へ降りてくるところだった。砲撃は思いのほか規模が小さいようで、覚悟したほどの被害は出ていないように見えた。


 砲撃を直に受けたサリタの下半身が、道半ばに転がっている。上半身は消し飛んで跡形も無く、引きちぎれた傷口から新たな肉が盛り上がってくるのが、ありありと観察できた。足がじたばたと動き、立ち上がろうとするが、上体がなくては起きられないらしい。


 サリタを助け起こそうと、足を踏み出したときだった。

 ふたたび戦車が火を吹いた。一つ前の砲撃より威力が弱まったように思われた。少年の両脚が宙を舞う。分かれて落ちた足の片方から、ふたたび再生が始める。

 砲撃が繰り返される。


 耳を覆い尽くす爆発音が、遠く聞こえる。リンナは呆然と木立のなかに立ち尽くしていた。

 サリタは既に膝下しか残っていない。けれど、彼の体は今もなお生きており、再生を続けている。


(……これが、不老不死)

 何度目の当たりにしても、おぞましさに寒気がする光景である。

 呪いに支配された肉体は、どれだけ痛めつけられようと死の一線を越えることはない。


 サリタの言葉が脳裏をよぎる。

『修復速度を越えて肉体が損傷し続けたら動けないし、死ぬんじゃないかな』


 衝動的に足が動いていた。つんのめりながら道へ出る。

「攻撃を、やめてください!」

 両手を広げて、足首しか残っていないサリタの前に立ちはだかる。戦車の動きが、ぴたりと止まった。


 高熱の風が頬をなぶり、白く戻した髪が激しくはためいた。

 アルラスが見ている。確証もないのに、リンナはそう確信していた。

「彼は、私の協力者です。殺さないで」

 はっきりと告げ、戦車正面のカメラと思しき反射をひたと見据える。首を反らすほどに大きな車両は、沈黙したまま動かない。


 慎重に膝を折ってかがみ込むと、リンナはサリタの足首を掴み上げて胸に抱えた。

 傷口が刻一刻と再生する肉の塊に触れるのは、知った顔の人間だと分かっていても嫌悪を禁じ得なかった。これほどまでに生き物の理を歪める、非人道的な呪いに対しての嫌悪だ。



「いきなりレイテーク城を抜け出してごめんなさい。でも、あのままじゃ誰も幸せになれないと思ったから」


 目を伏せて、リンナは短く息を吐く。


「迎えに来てくれてありがとう、アルラス」


 涙を拭って顔を上げた、瞬間。

 砲台が回ってこちらを向いた。


「待っ……」

 リンナはぎょっとして片足を引く。手を挙げて顔を庇うより早く、砲台の奥で赤い光が閃いた。



 ――出力は、初撃よりだいぶ小さい。

 真横で立木が根元を残して木っ端微塵に飛んでいったのを横目に、リンナはどこか冷静に考えていた。闇雲に広範囲を吹き飛ばして、不死者が視界の外で再生するのを防ぐためだろうか?

 いざ砲撃が来るまで、威力は分からないのだ。それが、怖い。


 何を思って、いま砲撃をしたの? わざわざ私を外して、でもすぐ近くを狙って攻撃したのはどうして?


(意図が、読めない)

 木の破片が頬を掠めたのか、口の中に塩辛い血の味が広がる。焦げ臭さが辺りに充満していた。舞い上がった土がもうもうと埃のように視界を覆っている。


「ま……待ってください。撃たないで。アルラス閣下を、よ、呼んで、ください」


 どうしようもなく声は上ずり、今にも膝が砕けそうだった。カメラに向かって手を伸ばす。

 操縦席に彼はいない。いたら私を攻撃するはずない。彼はきっと後方で指揮を執っているのだ。まだ私に気づいていなくて、だからこれは現場の判断で、



 彼がいれば、こんなことに、なるはずがない。



「閣下、私です……リンナです!」

 震える声で叫んだ。返事はない。

 さあっと血の気が引いていく音を確かに聞いた。リンナはかぶりを振って一歩前へ出る。息も絶え絶え、必死に声を張る。


「わたしっ……私、閣下を裏切ったつもりなんて、ありません! ちゃんと手紙だって残した! ……私は、あなたの呪いを解くために、ここに来て……っ」


 砲台は奇妙に左右へ揺れながら回り、ついにリンナの額へと狙いを定めた。



 真っ暗な砲身の中を見つめながら、頭の中央がじんと麻痺するのを感じていた。

(……どうして?)


 アルラスは、何をしているのだろう?

(見限られた?)


 もう彼は私のことを敵だと認識したのだろうか?

 それでは、私はこれから彼に殺されるんだろうか。



 体から力が抜けて、膝から崩れそうになる。どこかで火がついたのか、炎の爆ぜる音と臭いが漂っていた。

 巨大な戦車の鼻先に佇んで、リンナは自らの楽観視を恥じた。あんな風にアルラスの元から逃げ出しておいて、どうしてまだ、前のように大切にしてもらえると思ったんだろう?


(私はまだ、閣下に何もできていないのに)

 私を殺すのは、彼にとっては当初の予定通りだろうか。

 機密を知る人間が野放しの状況を彼は望まないだろうし、軍も許さないだろう。


 それが施政なんだったら、従った方が良いのかもしれない。

 彼らが、リンナとは違う方法で不死者を葬ることを選んだなら、それが正解なのかもしれない。



 ……でも、

(閣下が、泣いてないといいな)



 膝まで再生したサリタの左足を抱えながら、リンナはぼんやりと戦車を見上げていた。


(私が死んでも、別に閣下は泣かないかな)


 こんな大きな兵器から、生きて逃げられるはずがない。ましてや自分は不老不死じゃないのだ。一発でも食らえば、確実に死ぬ。


(優しい人だから、つらい思いをしていないといいな)




 せめて抵抗の意思がないことを示すために、膝をつこうとしたときだった。


「リンナちゃん、助けて……!」

 か細い悲鳴が耳に入って、リンナは弾かれたように振り返った。


 辛うじて原型を留めていた石積みの塀の影から、四人の子どもたちの顔が覗いていた。怯えた表情で身を寄せ合い、うち二人は、顔全体にべったりと血糊がついている。


 助けて、と泣いている子どもたちと目が合った瞬間、心臓がおおきく跳ねた。


(私は、何の罪もないあの子たちも、不死者だから仕方ないって見殺しにするの?)


 戦車が唸りを上げた。砲身の奥で赤い光が灯るのが見えた。次の砲撃がどれだけの大きさか分からない。このままでは子どもたちに被害が出る可能性がある。



 リンナは体ごと戦車へ向き直った。立ち位置を目で測って確信する。――この距離なら呪術は通る!

『硬直!』

 考えるより先に、操縦席があると思しき方向へ指をさしていた。が、戦車は停止しない。


(どうして!?)

 人が操縦していない? 自動で対象を認識して攻撃を行っている? 違う。それでは自分に対する威嚇射撃と、そのあとの沈黙が不自然すぎる。確実に、向こう側には自分を知る人物がいる。


(……それか、遠隔操作)

 戦車の内部には人はおらず、遠くから操縦のみを行っているのだろうか?

 ありえる、と直感した。レイテーク城だって、制御室から城全体を管理できるのだ。技術的にはその延長線上のはずだ。


(この戦車に、呪術は効果がない)

 そう結論づけて、リンナは地面を蹴って身を翻した。林内へと駆け込むと、戦車の向きは子どもたちではなくリンナを追う。

「逃げて!」

 号令に、子どもたちは足が竦んだ様子で動けないらしい。


 戦車が目の前にあるのでは、どのみち子どもたちは避難できないのだ。あれを何とかしなくてはならない。

 盛り上がった木の根を踏み越え、畑を囲む柵に足を取られながら、林床に生い茂る下草をかき分けて、リンナは森の中を突き進む。背後からは、戦車の砲台が回る音が聞こえていた。

 背後から大きな出力で砲撃を受ければ、どれだけ距離を取っても同じことである。



 行く手に、森林施業用の物置があった。大きく息を吸うと、リンナは横っ飛びに物置の影に隠れる。

 弾む息を懸命に整えながら座り込み、胸に手を当てて囁いた。


『……以下の作業は、対象の身体に異常が発生した場合すぐに停止する』

 生き物に大規模な操作を行う際の定型文である。

『術の解除条件は手を二回叩くこと。解除後、対象の身体の時刻を現実の時刻に変更する』


 前にも、同じような呪術を扱ったときのことを思い出した。あのときはアルラスが見守ってくれていた。彼と一緒だった。


 かつて自分で作り上げた呪文を、記憶の中から引き出しながら順に唱える。あのときとは真逆の効果の呪文だ。


 目を閉じて、物置の壁に背を押し当てたまま、自分の心臓の音を聞いていた。

 いつか必ず止まる拍動に耳を傾けていた。


『その他のすべての身体機能の速度を、現実の二十倍に変更』



 ――瞼を上げれば、青々とした葉が、目と鼻の先の空中で止まっている。

 じっと見つめれば、ゆっくりと波打つような弧を描いて落ちてゆく葉である。




 リンナは緩慢な仕草で立ち上がった。物置から小ぶりの斧を取り出すと、日の当たる林の中へと歩み出る。


 世界が、止まっているように見えた。

 何もかもが無音であった。辺りに立ちこめる煙や砂埃が、その形を保ったまま少しずつ流れている。


 佇立する木々を挟んで、リンナは戦車と相対した。


(世界が一秒進む間に、私の身体は二十秒進む)

 周りからは、自分が二十倍の速さで動いているように見えるはずだ。

 ひとつ深呼吸をしたのち、リンナは腕を振って走り出した。



 ***


「撃て! 早く、あいつを殺せッ!」

 目を血走らせて怒鳴るセラクタルタ卿を、アルラスは呆然と見上げた。


 侵攻を開始した戦車の一台が、始めに標的と定めたのは、白髪の少年であった。これまで相手取ってきた不死者と同様に、肉体が損傷してもすぐに再生が始まる。


 そのため肉体を分割し、収容が容易な大きさまで削ったのち、再生を防ぐための皮膜で表面を覆って行動不能にし、後方で控えているコンテナ車が回収する手筈だった。


 淡々と行われる作業のはずだった。


 あの女を殺せ、と軍幹部が強硬に叫び出すなど、誰も想定していなかった。

「全部思い出した。そうだ、あいつは生まれつき髪が白くて……」

 画面に映り込んだ白髪の女の顔を見た瞬間に、彼の様子が変わった。「思い出した」と何度も呟き、女を葬り去ることを声高に命じ始めた。


「何を仰っているんですか!? あれは、姉さんじゃないですか! ……あなたの、娘でしょう!?」

 操縦桿を叩いて立ち上がり、ティムが血相を変えて叫ぶ。


 誰もが呆然として口を開かず、司令を出すはずの指揮官も戸惑いを隠せずにセラクタルタ卿を見ている。


 画面の向こうでは、女が両手を広げて戦車の前に立ちはだかっていた。その唇が動くのを見て、慌てて音量を上げる。

『……は、私の協力者です。殺さないで』

 今しがた砲撃を受けた不死者の肉体を拾い上げて、女はこちらを見つめていた。


『いきなりレイテーク城を抜け出してごめんなさい。』

 女が俯きがちに語る内容が、全く理解できなかった。レイテーク城は、自分が現在居住している旧都の城である。


 レイテーク城に、こんな女がいたことはない。

 この女は、何を言っている?


『でも、あのままじゃ誰も幸せになれないと思ったから……』


 妙な胸騒ぎに、アルラスは声も出せずに凍りついていた。

 女が顔を上げる。白い髪の女と、目が合う。理由もないのにそう確信できる。


 彼女が微笑む。

『迎えに来てくれてありがとう、アルラス』


(…………は?)

 頭が真っ白になった。



「う……撃て!」

 セラクタルタ卿の剣幕に圧されて、指揮官が叫んだ。

 瞬間、ティムが操縦席を乗り越えて走り出す。他の兵が彼を取り抑えようと席を立って追う。

 前線の戦車を操縦していた兵が引き金を引くと同時に、ティムがその操縦桿に取りつく。


 画面が白煙に包まれる。しばらくして、照準がずれたのか、無事な姿で立ち尽くす女の姿が煙の中から現れる。


 間髪入れずに床に取り押さえられてもなお、ティムは頭を上げてこちらを見ていた。

「お義兄さん」と彼の口が動く。


「……確かに姉さんは、自分の意思で砦の向こうへ行きました。でも一年で帰ってくるつもりだって、言っていました。向こうの勢力に与した訳ではないと思っています」

 すぐさま横っ面を殴られ、ティムが呻き声を上げる。


 アルラスはただただ訳も分からずに立ち尽くしていた。

 ……一体、誰のことを言っている?

 どうしてあの女は俺の名前を知っている?


『閣下、私です』と女が言う。

『リンナです!』と、声を震わせて叫んでいる。

 知らない名前だ。それなのに、口の中でリンナと音を転がせば、妙に慣れ親しんだ響きがする。


『私、閣下を裏切ったつもりなんて、ありません! ちゃんと手紙だって残した!』


「姉さんは、死の呪いを作るために向こうへ行くと、言っていました!」

 口内の血を吐いて、ティムがこちらを睨みつける。

(死の呪いを、作る?)

 自らの指先が強ばるのを、アルラスはまるで他人の体のように見下ろしていた。


 姉弟の声が重なる。

「頼まれたから! 呪術で人を救いたいからって!」

『私は、あなたの呪いを解くために、ここに来て……っ』



 黙れ、と息子を怒鳴りつけるセラクタルタ卿の声が、遠く聞こえた。苦悶の表情を浮かべて、彼がこちらへ向き直る。


「閣下……倅の言う通り、あれは確かに私の娘です。訳あって、幼い頃から人前へ出さないよう育てていました。しかしあれは、十歳にもならないうちに、私を含む家族や使用人全員の記憶を都合よく書き換え、心を操ったのです」

 大の男が、青ざめた顔で画面に指をさす。


「あれは、呪術師です。誰にも教わることなく、独りでに呪術師になった。周囲を欺き、大学まで行って呪術を正当化しようとした。今の今まで、私もあれを愛する娘だと思っていました」


 そう語る彼の姿を見ながら、アルラスはなおも夢の中にいるような心地だった。

 数年前のことである。どれだけ銃弾を撃ち込んでも倒れない不死者たちは、ついに砦の壁を登りだし、前線では悪夢のような光景が繰り広げられた。その際に、砦を放棄することを決定し、自らしんがりも務めた勇猛果敢な軍人が、脂汗を浮かべて震えている。


「はやく、あれを処分しなければなりません!」



(普通に考えれば、あの女はここで処分すべきだ)

 セラクタルタ卿の言葉を信じたとしても、信じないにしても、民間人が不死者のコロニーにいること自体が問題だ。本人の発言からして、彼女は自分の意思で国境線を越えた。



 何より、あの女は、死の呪いを作ろうとしているという。

(芽を摘むべきだ。はやく。今すぐに)


 それなのに、何か強烈な忌避感が全身を支配している。彼女を殺してはいけない。絶対に。

 殺したくない。



 ――君に長生きして欲しい。




「殺せ! 最大出力をだせ、何を躊躇っている!」

 業を煮やしたセラクタルタ卿が、指揮官に向かって何かを投げつける。


 指揮官が小さく頷くのを認めた瞬間、全身を強い怒りが貫いた。知らない男が、自分の口を勝手に借りて叫ぶ。

「ふざけるな! 彼女を誰だと心得ている。リンナは俺のっ……」

 アルラスは咄嗟に片手で口を塞いだ。俺はいま、何と言おうとした? 得体の知れない衝動に恐怖が襲う。


 ……彼女は俺の、何だ?




「女が逃げました!」

 悲鳴のような声で、指揮官がこちらを仰ぐ。白い髪をはためかせて、女が森の中へと駆け出す。


「追え!」

 アルラスは反射的に怒鳴り返した。彼女を見逃してはならない。

「木立が邪魔で林内に侵入できません」と操縦士が応え、他の戦車を女のいる方向へ向かわせるのも難しいらしい。


「女が物陰に隠れました」

 操縦士は冷静さを保った声で告げる。林地奥の掘っ立て小屋の影に女が隠れている。

 指揮官の目がアルラスを見た。出力を上げれば十分に射程圏内である。女が何をするか分からない。……撃つなら今だ。

 それなのに、決断できない。撃て、とたった一つの単語を口にすることができない。



 ティムは既に部屋の外へ連行され、懲罰房にでも入れられようとしているところだろう。彼の聴取は、本作戦のあとになる。

「……リンナ」

 呟いて、アルラスは身を乗り出した。お前は何者だ?


「貴様、俺に一体なにをした」


 ゆらりと人影が動いた。はっと息を飲んだ音は誰のものか。白煙の向こうに立つ小さな輪郭を、誰もが固唾を飲んで睨みつけていた。

 女が顔を上げる。何か違和感があった。動きが通常の生き物とは異なっていた。



 思わず片足を引いた、直後、女が一息のうちに戦車へと肉迫する。射線を避けるように、弧を描いて走ってくるのだが、その速度がおかしい。映像を何十倍にも早送りして加工したみたいだった。


「う……撃てっ!」

 裏返った声で指示が飛ぶ。即座に砲撃が発射されるが、結果を見るまでもなくアルラスは失敗を確信していた。

 一瞬、女の顔が画面に大写しになる。戦車前方にあるカメラに顔を寄せたのだ。女は戦車によじ登ったらしい。


 涙を浮かべたふたつの瞳が、真っ直ぐにこちらを見ていた。

 彼女はいま、自分を見ていると思った。


 女が、手に持った重いものを振り上げる動作をするのが、一コマだけ見えた。

 そのあと、映像が途切れる。




 不死者コロニー内に侵攻した全ての戦車のカメラが破壊、もしくは布等で覆われ操縦不能になったのは、それから十分も経たないうちだった。

 人知を越える素早さで不死者が戦車を襲い、為す術もなかったのだ。


 誰もが、真っ暗な画面を見つめたまま動けなかった。不死者はひとりとして森の外には出てこなかった。


 人的被害はひとつもない。

 しかし、本作戦は完全な失敗に終わったと結論づけるには十分な、あまりに圧倒的な決着であった。





 何も映らないモニタを見上げて、アルラスはただただ白い髪の女のことを考えていた。

 エディリンナ・セラクタルタという名の、辺境で生まれ育った呪術師のことを。



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