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呪術臨界点(旧版)  作者: 冬至 春化
5章 不死の呪い
32/39

29 魔獣を殺す方法



(気色の悪い……)

 自分と同じ顔をした女に囲まれながら、リンナは食べ慣れない料理を口に運んでいた。

 村はずれの平屋は古びており、昨晩の雨が天井の穴からまだ垂れてきている。バケツに落ちる水音が妙に感傷的である。

 まるで隠れ住むように、この劣悪な環境で『人形』たちは暮らしている。


「たりますか、エディリンナ」

 鍋を片手に声をかけてきた女に「大丈夫」と返して、リンナはため息をついた。

 国境外の集落に来てから既に一月ほどが経つが、食事も生活も慣れないことばかりだ。


「あなたは、おかわりは大丈夫? 足りている?」

 隣席で匙を握り締めている少女を覗き込むと、彼女は耳を真っ赤にして顔を伏せてしまった。「だいじょ」と小さく答えて首を振る。


(私が言っていることが、あまり通じていないんだわ)

 二百年もの間、巨大な壁で隔絶されてきたのだ。彼らの言葉には独自の訛りがあり、よくよく耳を傾けても、大意しか掴めないことがある。向こうからすれば、リンナの言っていることもよく分からないはずだ。


 違和感なくやり取りのできたサリタやナァナ、博士などは特別な知識階級だったのだと理解するのには、そう時間はかからなかった。

 そして、同じ顔をした彼女たちは、ろくな教育を受けていない。そのうえ――


「やあ、おはよう、みんな」

「おはようございます、先生」

 ――全員が博士の言いなりである。


 開けっ放しの戸口から台車に乗って博士が現れると、少女たちが一斉に立ち上がる。

 リンナは一人座ったまま、汁の入った器に行儀悪く口をつけて傾ける。じろりと博士に視線を向ければ、他の少女たちは皆、同じような表情で博士を注視していた。

 人数はおよそ三十。年齢は一番小さくて三歳ほど、最年長はリンナより幾分か上……二十代半ばといったところだろう。全員が肩甲骨の下程度で白い髪を切り揃え、上下真っ白な服を着ている。


 彼女たちは常に生気が抜けたような顔をしており、受け答えは鈍く、個性的な人格というものが感じられない。

(全員、博士の支配下なんだわ)

 あまりの気色悪さに、せっかく頑張って飲み込んだ食事が出てきそうだった。


「エディリンナ、立ちなさい」

 博士が発した命令に、リンナは匙を机に置いて無言で立ち上がった。そのまま他の少女たちとは逆の方を向いて歩き出すと、博士が「どこへ行く気だ」と大きな声を出す。

「研究へ戻るわ。毎食毎食みんなでお食事会なんて、時間の無駄」

 言い放つと、リンナは大股で長椅子の間を抜けて勝手口へ向かった。博士が苛立ったように何かを言うのを無視しながら、心臓がどくどくと早鐘を打っていた。


 呪術の射程半径は、術師の身長の三、四倍とされている。検証したが、リンナの呪術が有効な範囲も、せいぜいその程度である。

(博士の呪術が届く範囲も、おそらく私とほぼ同じ広さだわ)

 彼は、リンナを含む『人形』に特に有効な術式を知っている。先にそれを唱えられてしまえば、自分には抵抗する術がない。


 博士からある程度の距離を取った頃になって、全身からどっと汗が噴き出した。安堵のため息を、音をさせずにゆっくりと吐ききる。

 実父から拳を振り上げられるのとは異なった、にじり寄ってくる恐怖だった。底冷えするような不安が両肩を覆っていた。


 アルラスや家族を忘れ去っていた数分間のことが、リンナはひどく恐ろしかった。次は呪いを解けるか分からない。

(私の記憶が戻っていることを、知られる訳にはいかない)

 リンナは、国内で親しくなった人間に関してすべて忘却し、迫害された復讐のために死の呪いを作ろうとしている。博士はそう思っているはずだ。

 だから、リンナが死の呪いを作ろうとしている分には口は出さない。


 もしリンナが洗脳を解いたと気づけば、博士は再度記憶操作を試みるだろう。次は、思い出せる保証はない。



 足早に人形の家を離れ、あてがわれた一軒家への道を急ぐ。短い白髪を揺らして坂を登るリンナを、住人たちが遠巻きに眺めていた。

 ほんの一ヶ月いるだけで、この集落の独裁的な運営がよく分かる。ここは博士によって支配された村で、彼ら住民たちは、リンナと同じ顔の『人形』を恐れている。

(あの子たちはみんな博士の手先で、ある程度の呪術が使える)

 博士に対する悪感情や翻意を知られてしまえば、人形たちによって捕らえられ、粛正される。

 自分たちは常に監視されている。


 サリタが村を案内してくれた日、彼がいきなり逃げたのはそのせいだ。リンナの異変から、既にリンナが博士の手中に落ちたと気付いて距離を置いたのだ。

 以来、彼がこちらへ近づいてくることはない。


 呪術を当たり前に受け入れてくれる人ばかりなら、孤独じゃない。そう思っていたのは大きな間違いだ。

 こんなにも孤独だった。呪術を知っている人たちに囲まれているのに、ちっとも思った通りじゃなかった。


 坂の上の家へ辿り着き、玄関を潜って後ろ手に扉を閉める。そのまま扉へ背を付け、ずるずるとへたり込み、リンナは顔を覆った。


(閣下に優しくされたから、駄目なんだわ)

 アルラスと出会わなければ、辺境のセラクタルタ邸からここに直接連れて来られていれば、こんな思いをすることなどなかった。


 アルラスと出会えなかった自分なら、忘却がなくとも博士の思想に賛同したかもしれなかった。呪術で目に物見せてやるのだ、と。


 呪術という力で、世界を蹂躙し、人々の目をこちらに向けさせてやるのだ、と。



(……私は、そんなこと望まない)

 床に手をついて立ち上がり、リンナは手の甲で目元を乱暴に拭った。

 階段を上って書斎に入ると、短く息を吐く。


 博士はリンナに対し、食事は絶対に人形たちの家で摂るように言った。

 彼はどうしても決まった時刻にリンナをこの家から出させたいらしい。目的は早晩に分かった。リンナが家を空けている間に、何者かが家に入っている形跡があった。

 博士はリンナの研究の進捗を確認している。死の呪いの完成を、今か今かと待ち望んでいる。


 死の呪いが再びこの世に生まれたら、その先に何があるのか。

 それがリンナには分からない。




 ***


 硬い軍服の袖に手を通し、アルラスは唇を引き結んで部屋を出た。誰もいない城の廊下を、靴音を鳴らして歩いてゆく。


 一昨日、リピテがレイテーク城を離れた。

 元々、当初の契約が満了するまで城にいると、大学への復帰が半期遅れる予定だった。十代の少女の半年は大きい。前倒しで契約を終えて秋から復学するように言うと、彼女は妙に食い下がったが、最後には飲んだ。


 来月にはロガスも長男夫婦の家へ居を移す。ロガスの長男は、高齢の父が正体不明の『旦那様』に仕えているのを以前から嫌がっており、諸手を挙げて歓迎してくれているらしい。


 完璧な毎日だった。

(一人の方が気楽だし、初めからこうするべきだったな)

 窓の外で明るい色彩を放つひまわりを眺めて、アルラスは頬を緩めた。

 日の当たる渡り廊下を歩きながら、二、三年前に流行った曲を口ずさむ。時計台を見上げれば、まだ予定までは時間がある。アルラスは羽織っていた上着を一旦脱ぐと、軽く畳んで棚の上に放った。

 せっかくだから雑草のひとつや二つ引っこ抜いてくれよう。


 庭へ出ると、水やり用の装置がうろうろと花壇の間を動き回って水を散布している。指をさして一旦動作を停止し、腕まくりをして中庭へと歩み出た。


 夏の盛りはもう少しで過ぎるはずだが、日中はまだまだ暑い。眩しい陽射しに目を細めながら、アルラスは花壇へ歩み寄ると背の高いひまわりに手を伸ばした。

 柔らかい花弁に指先を触れ、ふと妙な寂しさが、背中にひたりと貼りつく。思わず手を止めて、アルラスは戸惑った。

 この気持ちは何だろう? なにか大きな洞を覗き込んだような不安が、胸の内をざわつかせる。


 あともう少しすれば、ひまわりが枯れてしまうから悲しいのだろうか?

(馬鹿言え)

 指を動かして、花の中央に並んだ黒い種をなぞった。花が枯れたら、種が取れる。また来年、花を咲かせてくれる。次は別の花を植えたっていい。

(手をかけてやれば、何年だって咲き続けるんだぞ)

 何も怖がることなどない。何も。


 それなのに、一体どうして、自分はこんなにも泣きたい気持ちになっている?


 逃げるように、踵を返していた。置いておいた上着を引っつかみ、足早に渡り廊下を抜ける。

 城を飛び出して馬を引き出し、市街に向かって駆けてゆく。風を切る音の中に、知らない誰かの声が聞こえた気がした。



 ほうほうの体で転移ステーションへ辿り着いた頃には、妙な幻聴はすっかり消え失せていた。

 手続きを済ませて転移装置に入れば、一瞬で目的地に到着する。金属製の扉を自ら押し開けて、アルラスは騎士団本部の『中枢』へと降り立った。


「お待ちしておりました、閣下」

 前髪をきっちりと撫でつけ、生真面目に背筋を伸ばした部下が告げる。

「すぐにでも始められるのか」

「恙なく準備できております」

 そうかと頷いて、アルラスは部下に先立って歩き出した。白い廊下を眺めながら、また一瞬、目の前の焦点が合わないような既視感に襲われる。胸の奥が軋むのを堪えて、指定された会議室へと急いだ。



 扉を開けると、軍上層部が首を並べている。会議室前方には大きなモニタが運び込まれており、すぐ横に立っているのは、国境の一部の防衛を担うセラクタルタ卿である。

「閣下!」と卿が嬉しそうな声を上げた。もう良い歳をした軍人だが、仕事が大好きという類い希なる特徴を持った男であり、たびたびはしゃいだ姿を見せることがある。どういうときかは単純である。


「ささ、どうぞかけてください。――これより、戦車の実戦投入の記録をご覧に入れますゆえ」

 今にも小躍りしそうに言われて、アルラスは無言で頷いた。


 隣国から供与された戦車が、壁向こうの不死者との交戦に投入されて早数ヶ月が経つ。その有用性が確認できれば、同型の戦車を大量に購入し、戦地へ一斉に投入する計画となっていた。

 その判断を行うのが、今日この場所、この会議である。


 セラクタルタ卿が合図を出し、映像が映し出される。スピーカーを通して褪せた轟音がひとつ聞こえた瞬間、アルラスは椅子に深く腰かけたまま、目を見張った。手足を縫い付けられたように、身動きができなくなった。

 しばらく、自分が見ているものを理解できなかった。

 まるで、目を開いたまま悪夢を見ているようだった。


 照明を落とした部屋の、ほの白く光るモニタの中で、人間の形をした生き物が砲撃に晒されている。半身を吹き飛ばされ得たそばから、まるで水が湧くように、傷口へ肉が膨らんでゆく。しかし、新しく生えてきた腕が完成するより先に、次の砲弾が不死者を襲う。

 度重なる砲撃に肉体の修復は追いつかなくなり、頭と片腕だけを残し、乾いた地面を転げ回る。直後、発射された皮膜が不死者の体を覆う。ぴったりと塞がれた腕の断面が、半透明の皮膜の下で修復を試みては阻まれている。皮膜の下で蠢く肉から、目が離せなかった。


「新型の戦車は、不死者の捕縛に対応しています。このように、不死者の肉体を最小まで破壊し戦闘能力を奪ったのち、その身体を覆うことで修復を阻止することができるのです!」

 セラクタルタ卿が高らかに告げる。わっと拍手の音が鳴る。

「しかも、遠隔で操作できるんだろう」

「すばらしい! すぐにでも操縦士の訓練を始めましょう」


 ひとりだけ、遠くにいるみたいだった。

 閣下、どうされましたと水を向けられても、まだ音は遠かった。世界が、膜を隔てた向こうに見えた。

 ああ、素晴らしい兵器だ。そう答える自分の声だけが、幾重にも反響している。



 モニタの中の不死者が、こちらを見ている。もはや逃げ出すことは叶わないと悟って、虚ろな目を向けている。

 不死者は捕らえられると、脱出の不可能な金属製のコンテナに各自格納され、地下深くの廃棄庫へと収容される。

 不死者に食事は不要である。いちど収容されてしまえば、不死者は二度と光を見ることはない。

 決して終わることのない生涯を、体ひとつ分の空間で過ごし続ける。

 未来永劫。


(すべての不死者の収容が確認できたら、俺も地下へ入る)

 恐ろしいと思うのに、心のどこかでは暗闇を安寧として待ち望んでいた。

 何も見聞きせず、身動きもできず、何も考えない永遠の時間。

 アルラスにとっては、それが最も死に近い、安らかな状態に思えた。

(はやく、全てを終わらせて、俺も――)



「――加えて、もうひとつ報告がございます」

 セラクタルタ卿の言葉に、アルラスは我に返った。慌てて手元の資料をめくれば、数枚の空撮写真がある。

「以前より不死者コロニーの捜索にあたっていた空挺部隊より、不死者の痕跡に関する報告が上がっております」


 森の樹冠を真上から写した写真だ。

「場所は、かつてのヴェルシトス地方の東に広がるロランチェ森林地帯」

 男が力強く告げる。「ここに不死者が多く生息していることは間違いありません」


(……懐かしい名だ)

 ヴェルシトス地方は、アルラスが少年時代に親しくしていた友人の生まれ故郷だった。友人に連れられて、兄とともに何度か訪ねたことのある平野である。

 不死者を国内から追放し、壁を築くにあたって、放棄された地区のひとつでもある。


「戦車の一斉投入は、手始めにこのコロニーを標的とするのが良いと思われます。幸いにも、近隣には廃墟となった街が残存していますから、こちらを拠点にすれば都合が良い」

 壁に貼られた地図を掌で叩いて、セラクタルタ卿は高らかに宣言した。

「我らの国土を占領する憎き魔獣共を、一掃してやりましょう!」


 アルラスは森を写した写真をじっと見下ろしながら、軍人たちの呼応する声を聞いていた。

 木々の隙間からわずかに見え隠れする屋根を、親指でそっとなぞる。自分以外にはもう誰も、この土地を踏んだことはないのだ。


 騎士団本部中枢。少数の幹部のみが集まる会議にて、一年以内の大規模攻撃が決定した。

 隣国から戦車を買い付け、操縦士の準備ができ次第、ヴェルシトスの森林地帯を全方位から叩く。



 ***


 玄関に誰かが訪れた気配に気付いて、リンナははっと顔を上げた。

 足早に玄関へ向かうと、遠い場所にサリタが立っていた。ここへ来た日に逃げてしまってから、彼の姿を見るのはこれが初めてだった。

「……何かご用?」

 戸口に手を当てたまま、リンナは努めて穏やかに声をかけた。「いえ」と彼は戸惑うように瞳を揺らすと、小さな声で応える。


「あなたが今しがた、泣きながら村を走っていたと聞いたので」

「村の中では泣いてないわよ!」

 思わず否定すると、サリタが小さく吹き出した。目元が真っ赤な自覚はあったので、リンナもつられて笑みを零す。


 こちらに来てからは天気の良い日が多く、気持ちの良い気候が続いていた。今日も、森がさわさわと小刻みに震えながら、木漏れ日が地面を揺らしている。

「……あなたは、てっきり博士に洗脳されたものだと思っていました。でも、他の人形と様子が違うから、もしかしたらって」

 低い一言に、彼が博士を警戒していると察する。

 しかし、ただその存在に萎縮し、息をひそめている訳ではない炎が、瞳の奥に宿っていた。


 リンナは腕を組んでしばし思案してから、短く答える。

「解いたわ。ナァナのおかげね」

 サリタの表情が変わった。「ナァナが?」と呟いて、一歩こちらへ近づいてくる。

 彼の警戒が手に取るように分かるので、リンナは決して身じろぎひとつせず、黙ってサリタを見守った。

 呪術師の影響範囲に入る一線を越えるとき、サリタがごくりと息を飲んだのが分かった。挑むような眼差しで、こちらを見据える。


「詳しく教えてください」

「いいわ、でも条件がある」

 玄関扉を大きく開けてサリタを迎えながら、リンナは囁いた。


「他の住民との通訳をお願いできない? 私の訛りが強いせいで、皆さんとお話しできないの」

 なんだ、そんなこと、お安い御用ですよ……と、彼が明るい顔で頷く。

 サリタが笑みを浮かべた隙を見て、リンナは「それともう一つ」と人差し指を突きつけた。ぎょっとして仰け反るサリタを尻目に、リンナは木製の扉をそっと閉じて鍵をかけた。


「私の研究ノートの保管をお願いしたいの。……できます?」

 サリタが息を飲む。リンナの研究が博士に監視されているのは、周知の事実のはずだ。その上で、わざわざこうして頼むのだから理由がある。


 少年の幼い面立ちに、老獪な思案がいくつもよぎるのを見た。間を置いて、サリタが深く頷く。

「分かりました。僕は、あなたの研究を全力で支えましょう」

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