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呪術臨界点(旧版)  作者: 冬至 春化
5章 不死の呪い
30/39

27 生きている理由




 周囲を囲まれて、国境線からひたすらに草原を歩く。


 リンナの隣をゆくのは白髪を短く切り揃えた少年である。十をいくつか過ぎた頃の少年に見えるが、実際にはアルラスなどと同じ年頃だろうと推測する。

「ご協力に感謝します、エディリンナ」

 にこりと微笑み、柔和な口調で告げる。

「僕の名前はこれです」と彼が一枚の紙片を取り出して見せてくる。もはや呪術の術式でしか使わないような、古いことばだった。


 彼の輝くような白髪を一瞥して、リンナは視線を前方へ戻した。呪術への適性が高い人間が、不用意に古語を口に出すべきではない。思いがけず術式として発動してしまう可能性がある。


 辞書のページを頭の中でめくりながら、リンナは眉をひそめた。

「……失敗作とは、なかなか大層な名前だわ」

「僕が生まれた当時、流行りの名前だったんですよ。つまり、同じ名前の子どもがたくさんいたということ」

 どういう意味か分かります? 試すように彼が顔を覗き込んでくる。その目は肩の高さにあるのに、まるで見下ろされているかのような威圧があった。


「人体実験、ですか?」

 リンナは渋々こたえる。そっと目線だけで相手の表情を窺うと、彼は薄らと笑みを浮かべて頷いた。

「ちなみに、成功作と名前をつけられたのが誰か、分かりますか」

 黒い目をしていると思ったが、間近で覗き込んでみれば、暗い青色をしている。


 23番の言を思い出す。『私たちは呪術師によって作られた道具』。

 同じ顔をした女は、リンナを覗いて50人いるという。つまり、国境線のこちら側で量産されている。


 これまたリンナは渋々口を開く。

「私が成功作なのね」

「ご名答です。23番から何か聞いているようですね」

 胸に添えた手に、感覚がない。答えずにいると、少年は快活な笑い声を上げた。

「どれだけ呪術を使っても壊れない、究極の呪術師の肉体ですよ。良いなあ、羨ましい」

 彼はばしばしとリンナの背を叩いて、朗らかに続ける。


「研究には失敗がつきものです。あなたならお分かりでしょう?」

 もう振り返っても、牧草地沿いに建てられた厩舎は影も形もない。代わりに、前方に箱の形をした建造物が見えてきていた。

「だからね、エディリンナ――あんまり驚かないでやってください」

 その輪郭がはっきりしてきて、リンナは息を飲んだ。扉の前で、何かがうぞりと蠢いた。


 人だ、そう思ったが、大きさがおかしい。見上げるほどの大きさがある扉より、さらに背が高くて、……腕や足の数が多い。

 何対もの足が並んだ下半身は、言葉を選ばなければ百足に似ていた。対して、上半身は小さく華奢にみえる。だらりと垂れる細い腕に、女だと直感した。

 風に乗って聞こえる呻き声は、苦しんでいるようにも笑っているようにも聞こえた。奇妙に反響、増幅した音声は、言葉として聞き取りづらい。


 人体実験、と自分で口に出した言葉が、脳裏に蘇る。

「彼女も、僕と同じ名前をつけられた仲間です。ああでも、そうなると分かりづらいですよね」

 少年の髪を風が揺らした。目を細めて『彼女』を見つめている。

「僕のことはサリタ。彼女のことはナァナと呼んでください」



 近づいてみれば、堅牢な石積みの建物である。見慣れない質感の石材は、おそらく国内では採取できない代物だろう。

 離れたところで待っていてください、とサリタに言われて、リンナは草原の中ほどで立ち止まった。周囲を囲んでいた人員も、同じ位置で足を止める。

 サリタが一人で草をかき分けてゆく後ろ姿を、リンナは呆然と見送った。

 地面まで届くような黒髪が、白い肩を覆っていた。長く伸びた髪に隠されてその顔は見えない。サリタが近づくにつれて、声がいっそう大きくなる。腕はざっと数えて三対。六本の白い腕が、少年の小さな肩へと差しのばされた。


 互いの頬に手を添えて、労るように身を寄せ合う二人を前に、リンナは立ち尽くすしかなかった。


「あの……方は、一体どういった方なの?」

 傍らに立っていた長身の男が、「転移装置の見張りです」と答える。

「不完全な不死の呪いをかけられて、あのような姿に」

「異常に増殖した四肢は、不死の呪いによるもの?」

「度重なる実験の検体にされたと、聞いています」


 リンナは目を細めて、一歩踏み出した。気配に気付いたサリタがこちらを振り返り、窺うように視線を戻す。

 ナァナと呼ばれる女が、小さく頷いたのが見えた。姿勢を正したのか、三対の腕が地面を押して上体がぐっと持ち上がる。

 


 いざ近づいてみれば、彼女の顔はちょっとした小屋くらいの高さにあった。洞窟を抜ける風のような呼吸音が、規則的に繰り返される。高い位置にある胸が上下するのを、リンナは呆然と見上げていた。

「ナァナ、こちらは国内から来たエディリンナさんだよ」

 うん、とでも答えるようにナァナが頷く。細くて小さな手が頭上から降りてきて、リンナの頬に触れた。

「初めまして、エディリンナです。普段は呪術の研究をしていて」

 そう告げた瞬間、頬に当てられていた手がびくりと跳ねて離れていく。それまで柔和な態度を崩さなかったサリタが、一瞬だけ恐ろしい眼光でこちらを睨んだ。


 目顔で謝罪すると、リンナは再びナァナの顔を見上げる。下を向いて髪が垂れ幕のように影を落としているせいで、面立ちはよく分からない。

「それで私は今、死の呪いを研究しています」

 腕の届くところに浮いていた手のひらをそっと握る。年若い少女の手だった。

「あなたの体を、調べさせてもらっても良いかしら」

 ナァナ、と呼びかけると、細い指先がリンナの手を握った。



 ***


「本当は、ここはただの通過地点なんですよ。この建物が転移装置で、僕らの集落に案内するつもりだったから」

 視線を気にするような仕草をしながら、サリタがぼやく。

「そう。……ここに長居するのは嫌だった?」

 ナァナの腕の付け根に手を当てながら、リンナは努めて軽い口調で答えた。ナァナの頭はずいぶん上にある。会話は聞こえていないのだろうが、頭頂部に視線は感じていた。


「僕は構わないんです。でも、みんなが」

 そう言って、彼は遠巻きに草原に立っている十余人を一瞥する。視線を足元にもどして一言呟く。

「……みんなが、ナァナのことを遠ざけたがります」

 長い黒髪を手櫛で梳きながら、サリタは目を伏せた。

「ナァナは、たまに、暴れます。相手を敵だと思えば何でもします。体はけっして壊れないけれど、多分もうナァナの心は壊れてしまったんです」

 だから、村に置いておけなくなったんです。言いながら、彼は取り憑かれたように同じ動きで毛束に指を通していた。



 リンナはつと言葉を失って、ナァナの頭部を見上げる。……顔は見えず、手足が増えて大きくなった身体。

「あなたは、ナァナのことを化け物だと言わないんですか」

「……見慣れない姿だから、驚かなかったと言えば嘘になるわ」


 ナァナの腕は、胴から肩関節を経て生えているものと、腕の途中から枝分かれして生えたものがある。

「でも、知りたいという気持ちの方が勝ったから」

 腕の生え際を指先でなぞる。皮膚はごく当然のようにつるりと繋がっている。関節はどうなっているのだろう? 骨自体が二股に分かれているの?


「だいたい、私だって普通の人間じゃないし、死なない人も見慣れているし、」


 腕の生え方が二種類あるのは、たぶん、異なる実験の結果なのだ。腕を根元から切り落としたときの再生と、途中で切ったときの比較だ。


 当時の呪術師たちは、こんな実験を繰り返していたのか。吐き気が込み上げるのを、リンナは唇を噛んでこらえた。



 ナァナの手が強ばったのを感じて、リンナは改めてその腕を撫でた。

「……それに、私が私のままで良いって言ってくれる人がいるのが、どれだけ嬉しいか知っているんだもの」


 君が呪術を使おうが、別に気味悪いとは思わない。もし呪術が使えなくても好きだよ、と。


「それだけで生きていけるって思えるくらい、嬉しいの」

 知らず知らずのうちに、頬が綻んでいた。


 サリタが息を飲む。彼はナァナの手のひとつを握って、手の甲を優しく撫でた。ナァナは無言でサリタの方へ顔を向けた。相変わらず彼女の表情は読めない。


 額を上げて、リンナはにこりと微笑みかける。

「ありがとう。不死の呪いについて、糸口が掴めました」

 友好的に声をかけると、ナァナがわずかに微笑んだ気がした。サリタがほっと息を漏らす。



 ナァナは白い指先で、遠くで待っている一団を指し示した。呼んでこい、という合図のようだ。サリタが頷いて、早足でそちらへ向かう。

 彼らがこちらを注視する視線を感じながら、リンナは小さな少年の背中を眺めていた。


 ――と、背の中心を優しく撫でる手があった。影が落ちて目を丸くする。視線を上げれば、覆い被さるようにナァナが身を伏せていた。

「ナァナ、どうしたの」


 がらがらと、痰でも絡んだような呼吸音がすぐ耳元をくすぐる。

 何かを言おうとしている、そう悟って、リンナは耳を澄ませた。おそらく、声帯の形状が変に再生しているのだろう。ナァナは上手く声が出ない。

「なんですか?」


 同じ高さに顔がある。手を伸ばして顔にかかる髪をよけてやると、十代後半にみえる少女の顔が現われた。表情はなく、こちらを無言で見据えている。


 肌は透き通るように白く、それだけに額に影を落とす黒髪と暗い瞳に惹きつけられた。

 アルラスに似ている、と咄嗟に思った。人種が近いのだ。今はもうなかなかお目にかかれない面立ちだ。


 改めて見てみれば、ナァナはなかなか整って綺麗な顔をした少女だった。そのせいだろうか? 瞬きもせずじっとこちらの目の奥を見据える姿は、精巧に作られた石像に似た恐ろしさがある。

 彼女はしばらく、なにかを訴えかけるようにリンナを見ていた。ややあって、唇が再び開く。


 リンナの片腕に四つの手を絡めて、ナァナは小さな声でささやいた。


「『百四十の羊』あるいは『フェメリア』と記録しておいてください」


 それまでの呻き声が嘘のような、明瞭な言葉だった。リンナは凍り付いたようにナァナの顔を見上げる。


 彼女は正気だった。

 この一瞬のことだけなのかもしれない。けれど彼女の瞳には明らかに知性が宿っていた。


「あの人は記憶を操作するとき、いつもそのどちらかをトリガーにします」

「あの人?」


 サリタが、遠くで待機していた面々を連れてこちらへ近づいてくる。

 サリタが怪訝な顔をするより早く、ナァナは身を起こした。たまたま身動ぎをしたらリンナと顔が近づいただけだというように。


「転移先に、私たちを組織する長がいます。そちらでの呼び名は――博士、と」


 顔を背けざまに耳打ちされた一言に、リンナは足を竦ませた。

(博物館の襲撃を、指図した人物……)

 忘れていた、と唇だけで呟く。


 エルウィは博士と接触し、そののちに誘拐され、砦の外から戻ってきたのだ。

(人を人とも思わない殺人鬼)

 自分はこれから、その人物に会いに行く。ごくりと唾を飲んで、リンナは鞄の紐を握りしめた。


「さて、じゃあ行きますか」

 サリタが合図をすると、ナァナは背後の大きな扉へ両手をつけた。恐ろしい唸り声を上げながら、重たげな様子で扉を押し開ける。


「ありがとう、ナァナ」

 サリタの呼びかけに答えて、ナァナは少年の手を握った。それ以上のことはなく、彼女は意味のある言葉は何も喋らなかった。

 リンナも視線を動かしただけで、何も言わなかった。



 大きな一室のなかに、円形の台座のようなものがぽつんと据えられている。リンナの知る転移装置とは違う代物だ。


 促されるがまま台座へ上がった。十歩もあれば円周をぐるりと回れる広さである。その中央に立つと、サリタと数人が同じく台座へ上がってくる。


 一人が操作盤を調整しているのを、リンナはそれとなく眺めていた。

 見知っている転移装置とは、全く形状が異なっている。リンナにはさっぱり分からないが、アルラスやヘレックなんかが見れば、大興奮で操作盤に齧り付くはずだ。


(いい土産話になりそう)

 小さく微笑んだ直後、全身を浮遊感が包む。

 目の前の景色が変わる間際、扉の外からナァナがこちらを覗くのが見えた。



 ***


 ナァナの手足を思い浮かべながら、リンナは先程立てた仮説を反芻する。


 不死の呪いの要となるのは、『維持』ではないか。

 それはおそらく、肉体と生命活動の両方にかかっている。

 すなわち、『不老』と『不死』。


 ナァナの手足が増殖しているのは、肉体の維持を司る呪いが上手く作用していないから。誤った修復が行われた結果、部位が過剰に作られているのだ。

 胴体の大きさからして、内臓なども不自然に増減しているはずだ。本来なら死んでもおかしくないのに、彼女は生きており、やり取りも可能だった。


(閣下の傷が治り、年を取ることもないのは、肉体が維持されるから。死ぬはずの大怪我を負っても、何も食べなくても死ななのは、生命が維持されているから)


 その両輪が揃って初めて、不老不死は成立するのだ。


(たとえば、身体の維持だけが行われているとき、修復を越えるほどの外傷や、毒とか病気で死亡することはあるんじゃないの?)

 ……それでは、その逆は?



(もし、不完全な不死の呪いがかかった結果、身体の修復はされないが、生命の維持だけは行われるとしたら――)






 ふっと目の前の景色が変わって、地に足がつく。

 転移先は薄暗く狭い部屋だった。天井の低さから、地下室だと直感する。

 暗さに目の奥が開いて、焦点が定まるのに時間がかかった。

「ようこそ、エディリンナ」

 明るい声が呼びかける。リンナは顎を引いたまま、唇を噛んで答えなかった。


 転移装置の正面に、腰ほどの高さの台があった。

 写実的で悪趣味な芸術品を見つけたような気分だ。


 ――生首が喋っている。


 リンナは重い口を開き、やっとの思いで「初めまして」と応じた。

 首の中ほどまでしかない頭部が、銀の丸盆を挟んで台の上に置かれている。表情豊かに目礼してみせた生首は、父と同じ年頃の男に見えた。


「あなたが博士ですか」

「いかにも」

 大仰に博士が答える。

 台の足元には車輪がついていた。それに気づいた直後、博士の背後の暗がりに佇む女の顔が目に入った。


 リンナがあと七、八歳ほど歳をとったら、こんな雰囲気だろうか?

(自分の顔にいちいち驚いていたら、きりがなさそうね)

 早々に悟って、詰めていた息を吐く。


「私を作ったのはあなたですね」

 既にリンナは呪術によって花の種を操作し、別の種類の花を咲かせることに成功している。同じことを人間で行って増やされたのが自分たちだろう。



 しかし、成長した生き物の身体を改変することは容易ではない。

 可能性はいくつも考えられた。

 産後すぐに、呪術によってこの身体にされたか、胎の中にいる頃には既に変えられていたか。

 本来のセラクタルタ家の娘と、入れ替えたか。


 そのどれであっても大差はない。


 唇を引き結んで睨みつけてくるリンナを、博士は薄ら笑いで見返した。


「やはり他の人形に比べて洞察力に優れている。名家で教育を受けさせた甲斐があったな」

 口角の上がった笑みは、にたにたとでも表現すべきだった。露悪的で、優越感に溢れた表情である。


「……あなたと親しく話すような内容なんて無さそうね」

 リンナは上着の襟元を乱暴に正すと、三歩下がって距離を取った。呪術師の間合いに入るべきではない。


「御託はいいから、死の呪いと昔の呪術師に関して、知っていることを全部さっさと吐いてもらうわ」

「吐く? 胃袋がないのに無理を言う」

 あはは、と声を上げて笑い、博士はちょっと舌を鳴らして合図をした。後ろに立っていた女が、取っ手を掴んで台座を反転させる。


「着いてきなさい。君に頼みたいことはたくさんある」

 車輪の音を立てて、博士は奥の通路へと遠ざかってゆく。リンナは拳を握りしめたまま立ち尽くした。


 窺うようにサリタの目がこちらを向く。行った方がいいと目配せされて、リンナは大きく息を吸った。




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