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呪術臨界点(旧版)  作者: 冬至 春化
1章 博物館襲撃事件
3/39

2 後編


 騒がしい酒場のなかで、アルラスは厳しい口調で問うた。

「君、呪術は独学なのか?」

「元々は、そうですね……家の書庫にあった『おまじないの本』が、今思えば簡単な呪術も含む代物で」

 ふぅん、とアルラスが意味深な表情で頬杖をつく。リンナは意にも解さずに腕を組んで睨み返した。


「へぇ……おまじないって、呪術に近いんですね。初めて聞きました」

 何気なくファランが話を続けるが、いかにも高貴な王子の居住まいは下町の大衆食堂から実に浮いていた。ごった返した食堂で隅の席を気にする客はいないようだが、リンナは気まずさに身じろぎをする。


 セラクタルタ領は辺境である。最も大きい街がこの宿屋街だが、王族が立ち寄るのに相応しい飲食店などはない。

 この床のべたつきなんか、暗に田舎者と思われているように感じてしまい、気が引ける。


 とはいえ、どんなにアルラスが仏頂面でも、そのすぐ後ろで酔っ払いが手を叩いて笑い転げているので、いまいち締まらない。



 ファランが指を立てる。

「それで、大学に入ってから研究を始めたんですよね? 僕もいくつか論文に目を通したんですが、正直難しくてよく……」


 大学? とアルラスが片眉を上げた。険しい口調で食ってかかる。

「呪術を学べる大学があるのか? どこだ」

「いえ、古代魔術の研究をしてらっしゃる先生の下について、私が勝手に呪術の研究をしていただけです。大学はアールヴェリ大学で」

「名門じゃないか。あんな格式高い教育機関で、よくそんなきな臭い研究が認められたな」

「あそこは良くも悪くも実力主義ですから」


 濃い味付けで甘辛い野菜炒めを食べ終え、リンナは紙ナプキンで口元をそっと拭った。

 改めて見てみても、アルラスの呪術に対する嫌悪は、並々ならぬ様子である。正直、頭ごなしに否定されているのに近い。


(そっか、二百年前のひとだから……呪術の弾圧が一番激しかった頃に生まれ育ったんだわ)

 口元を隠したまま、目線だけでアルラスを窺う。先に食べ終えていた彼は、深く思案するような顔で頬杖をついている。その表情は重苦しく、今の状況が不本意であることは明らかだった。


 対照的に、ファランは呪術のことはからっきしのようで、どうもリンナの評判だけで声をかけてきたような風情だ。


(どっちも、依頼主としては……)

 敵意がないだけ、ファランの方が少しはマシだろうか?



 前途多難な予感にため息をつきながら、リンナは食堂を出た。

 あたりはすっかり暗くなって、繁華街の店先の明かりが目に眩しい。宿屋に向かって歩く道すがら、治安の悪い笑い声や大声がそこかしこから聞こえてくる。

 強い香水のにおいや煙草の煙、食べ物や酒の香りで、歩いているだけでも目がくらくらするようだ。



 勝手知ったるリンナが先頭に立ち、人波をかき分けながら歩く。

 何度も通行人の肩や鞄に当たりながら、リンナはちらと背後のアルラスを見上げた。喧嘩っ早いこの男のことだ、もし何か妙な輩とトラブルでも起きたら大変である。


「だいたい、王族がこんな下町で、護衛もつけずにうろついていて良いんですか?」

「問題ない」


 せっかく心配して声をかけたのに、この反応である。ふん、と鼻を鳴らしたリンナに、ファランがにこにこと告げる。

「護衛の騎士を十人つけるより、叔父上ひとりいる方が安全ですよ」

 大丈夫です、とファランは優しく頷いてくれた。本当に血が繋がっているのか疑うほど、お優しい対応である。


 嫌味を込めてリンナはファランを指し示した。

「閣下も、ファラン殿下を見習ったらどうですかね」

 途端、アルラスが両手を挙げて肩を竦める。

「俺が、君に? 親切に気を遣って声をかけろと? よく分からないな、どうしてだ?」


 馬鹿馬鹿しい、と芝居がかった仕草に、リンナは半目になった。親切にはしないが、相手を逆撫でることはお上手みたいだ。

 そっちがそういう態度なら、こちらも同じように出るだけだ。


「円滑な人間関係のためです。閣下のやり方じゃ、わざわざ敵を作って人を遠ざけようとしているようなものだわ」

「別に、それで構わないからこうしているだけだが。俺だって仲良くしたい人や角を立てたくない相手には優しいぞ」

「仲良くしたくない相手と一緒に行動しなきゃいけないことくらい、たくさんあるでしょう」

「ああ、たとえば今とかな」

 ああ言えばこう言う。ちっとも効いた様子のないアルラスに、リンナは歯噛みする。


「ちょっと、ふたりとも……」

 背後でファランがいつものように何か言っているようだが、二人して仲裁に応じた試しがないのである。


 後れを取るのが嫌で、アルラスより一歩前を歩くように早足になる。負けじとアルラスの歩幅も大きくなり、肩を並べてずんずんと往来の中央を歩いた。宿屋まではもうすぐだ。



 アルラスをぎゃふんと言わせる一言を考えていると、何だか前方で騒ぎが聞こえる。

「その人、ひったくりです!」

 そんな叫び声が聞こえた瞬間、人波がさあっと割れた。



 見通しの良くなった往来の中央を歩きながら、リンナはアルラスに向かって指をさす。

「だいたいね、二百歳だか何だか知りませんけど、自分の十分の一程度しか生きていない相手に必死で言い返したりして、恥ずかしくないんですか」

「年長者への敬意のない若造のなかでも、君はトップクラスだな。君は俺の十分の一以下の年齢だが、面の皮の厚さなら十倍あるぞ。誇っていい」


 ほんとうに、口が減らない。

 ため息をつきながら、リンナはアルラスに照準を合わせていた人差し指を前方に向けた。


『硬直』

「転移」


 示し合わせたわけでもないのに、アルラスと声は同時に重なった。


 二人の足元で、走ってきたひったくり犯が勢いよく地面に転倒する。

 さて、ひったくられた鞄は……とリンナは腰に手を当てて犯人を見下ろした。まだ子どもみたいな年頃の青年で、訳が分からないというように目だけを動かしている。

 呪術で体が動かないようにしたのである。


 しかし、ひったくり犯のはずなのに手には何も持っていない。怪訝に眉をひそめると、あとから追いついた若い娘が「ああ!」と声を上げた。


 乱れた髪のまま、肩で息をしながらアルラスに駆け寄る。見れば、アルラスの手には小ぶりの肩掛け鞄がある。さっきまでは持っていなかったはずだ。

(いつの間に!?)

 目を丸くするリンナの横で、アルラスは「どうぞ、レディ」と鞄を差し出した。


「お怪我はありませんか?」

 鞄を手渡しながら、優しく声をかけている。思わず目と耳を疑って顔ごと振り返るが、どうやら人違いではないらしい。

 間違いなくアルラスが女性に微笑みかけている。


「あ……ありがとうございました! お名前は?」

「いえ、名乗るほどの名前もないので」

 鞄を胸の前で抱きしめた女が、呆気に取られたように頷く。その耳が赤くなっているのを見て、リンナはひょいと眉を上げた。

(あらあら……)


 立ち去ろうとしたアルラスに、彼女が追って声をかける。その頬が赤い。

「あのっ、なにか……私にできることはないですか? お礼とか、」

「うーん、そうだな……」

 と、アルラスは顎に手を当てて考えるふりをして、それから人差し指を立てた。


「警察を呼んで、わけを話して、そこで倒れている男を連行してもらいなさい」


 ぴしゃりと跳ね除けるような一言に、鞄を抱えた女が鼻白む。「行こう」と腰に手を回され、リンナは大人しく従った。



 ファランが「大丈夫ですか」と早足で追いつく。

「いま、リンナ嬢がなにかしたんですか?」

 目を輝かせて覗き込んでくるファランとは対照的に、アルラスは平然としたものである。

「足止めの呪術か何かだろう」

「そうですね。四肢の筋肉の動きを一時的に停止させる呪文で、定型文です」

 へえ、とファランが大きく頷いた。呪術を見るのが初めてなのだろうと容易に想像がつく。


 後から追いついたさっきの少女も、アルラスがひったくり犯を捕まえたと思ったはずだ。リンナが呪術で青年を転ばせたとは予想もすまい。


(感謝されたくてやった訳じゃないけれど……)

 ポケットに手を突っ込んで俯きながら、リンナはこっそり唇を尖らせた。


 こんなのは初めてではない。

 少なくともリンナは、今の時代に呪術を使う人間を、自分以外に一人も知らない。

 呪術でなにか手助けをしても気付かれないか、気味悪がられるばかりである。


(まあ、仕方ないわよね)

 いつか呪術がもっと市民生活に浸透すれば、きっと時流も変わるはずだ。――それがいつのことになるかは分からないが。


 だから、それまでは、認められなくても仕方がないのだ。



 そのときふと、アルラスが何気なく呟く。

「お手柄だな。咄嗟のことなのに良い判断だった」


 ごく当然のように放たれた言葉に、リンナは一瞬なにを言われたのか分からずに目を丸くした。

 絶句してアルラスを見上げていると、彼の耳がじわりと赤くなった。気まずそうに目を逸らして、ぶっきらぼうに吐き捨てる。


「俺がそう思ったから、そう言っただけだ。別に貴様を褒めようとした訳じゃない」

「……ふぅん?」

 にんまりと頬を緩めて、リンナはアルラスの顔を下から覗き込んだ。


「もしかして、閣下が私に対して態度が悪いのは、うっかり惚れられると困るからですか?」

 ぴく、と彼の頬が引きつる。苛立ちを隠しきれない様子で「は?」と聞き返され、リンナはこれ見よがしに肩を竦めてみせた。


「心配しなくても、私、閣下のこと嫌いなので大丈夫ですよ……いたい!」

「叔父上! 何てことするんですか!」

 言い終わる前に拳骨が落ちて、リンナは頭を押さえて悲鳴を上げた。一歩後ろで見ていたファランが、同時に非難の声を発する。


「ほとんど力入れてないだろうが、二人して大袈裟な……」

 呆れ顔でため息をつくアルラスに、リンナは再度大きな声で抗議をした。



 ***


 翌朝、まだ日も明け切らないうちに出発した一行は、馬車の中でも全員が眠そうであった。


 薄暗い車内でうとうととしながら、リンナはふと目が覚めた。顔を上げ、そっと、向かいの席で並んで眠るアルラスとファランを見た。

 アルラスは黒髪で、体格が良く、顔立ちも無骨である。対するファランの髪色は明るくて、青年ながらもどこか優美な雰囲気があった。似ても似つかない二人は、しかし、同じ王家の血を引く血縁なのだという。


 二人はほとんど変わらない年頃に見えた。二十代前半あるいは半ばの、まだ若い姿だ。けれど二人の年齢は、十倍近くも違う。



 リンナは瞬きひとつして、アルラスに視線を向けた。腕を組んで俯いたまま寝息を立てている男を見つめる。

(この人が、知ってしまったらもう自由の身にはなれないほどの、重大な秘密なの……?)



 ――不老不死。

 今でも、何か悪趣味な冗談ではないかと思っている。

(死の呪いを跳ね返して死ねなくなった人を、殺す方法)

 きっと彼は、普通に思いつくような方法はすべて試したはずだ。それでも命を終わらせることができなかったから、今も生きている。他に打つ手がないから、リンナのところまで来たのだ。


(私、この人を殺すための呪いを作らなきゃいけないんだわ)

 眉間に皺を寄せ、きつく目を閉じて眠っている姿を睨みつける。



 腰をちょっと浮かせて、リンナは前方の小さな窓を覗き込んだ。御者の肩越しに、白んできた空と黒々とした街の輪郭が見えていた。

 ちょうど駅から始発の汽車が出たところである。煙を上げた汽車が街の外縁から飛び出し、滑るように加速してゆく。薄らと雲のかかった青空に、黒煙がたなびく。


 もうすぐ人々が動き始めるころだ。



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