最終話 旅の終わり
ミーサは死に体でありながら、マリアをともに地獄に引きずり込もうと攻撃の準備をした。
マリアはそれに気づきつつも、逃げようとはしなかった。ここで下手に逃げようものなら、後方にいる民間人を巻き込む可能性が高い。そんなことはできなかった。ノブレスオブリージュ。
彼女が誰もがうらやむような生活ができているのは、税を払ってくれる人たちのおかげであり、それによって生活が支えられている貴族は一般市民が傷つくのを体を張ってでも止める義務がある。
彼女の父が残した教えを忠実に守り、彼女は一歩も引かない。
「生意気ね。どうでもいい一般人を守って死ぬつもり?」
「ここで引いたら、私は私ではいられなくなる。だから、絶対に私は逃げない。ここで死んだとしても後悔はないわ」
「いいわよ。なら、お望みのとおりにしてあげる。苦しんで死ねっ、マリア!!」
叫んで攻撃をしようとするミーサだったが、そこで体が限界に達してしまった。
なんとか振り下ろそうとした右手の傷口が開き、流血と共に彼女は完全に崩れ落ちた。
「うそでしょ、どうして……」
彼女は運命の女神を恨んだ。どうして、こんなにもうまくいかないんだろう。マリアやラファエルは……いや、名前も知らない人たちだってあんなに幸せそうなのに。どうして、自分だけはこんなにうまくいかないんだろう。
そして、倒れ込んだミーサの元にマリアは近づく。
「なによ、殺すつもり。なら、早くそうしなさい。覚悟はできているんだからね」
既にほかの傷口からも血が流れ、地面に積もった雪を真っ赤に染め上げていた。
「大丈夫。もう戦わなくてはいいわ」
マリアは慈愛をこめてミーサの顔に触れる。
「えっ……」
「ごめんなさい。私は、もっと早くあなたの闇に気づいてあげるべきだったわ。貴族のたしなみを教えるよりも、もっと大事なことに気づくべきだった。学友としてあなたをもっと理解して寄り添うべきだった。それができれば、あなたとは本当の意味で友達になれたかもしれないのに」
「なんでそんなことを言うの? 私はあなたからすべてを奪うつもりだったのに。殺そうともしたのに。そんなこと言わないで。残酷、よ……死ぬ前に……そんなことを言われたら……死に……なく……ちゃ……う」
「ごめんなさい。安らかに眠って」
ある意味では、ここで初めて人の優しさに触れたのかもしれない。ミーサにとっては理解できないことだったが、本能で理解し涙を流し始めた。
「い……や、だ」
ミーサはそう言うとゆっくりと動かなくなった。マリアは彼女の顔を優しくなでた。
※
翌日。
マリア達は、内務省の官僚たちにミーサの亡骸を引き渡す。これですべてが終わった。
「お疲れ様だったな、ふたりとも」
スタン長老はそうねぎらってくれた。
「はい」
「今日は祭りの2日目だ。最後まで楽しんでもらえると嬉しいよ。では、わしはこれで」
ミーサの攻撃によって水を差されてしまったが、けが人もラファエルたちのおかげで特になく、すぐに祭りは再開された。明け方が来るまで大人たちは酔って笑って踊り続けていた。
ミーサの存在なんてほんの数十分で忘れ去られてしまった。けが人も死者もゼロ人だったことで、人々の日常はすぐに取り戻された。
「なんだか、皮肉ね。私たち以外は彼女のことをおぼえている人なんていなくなってしまったみたい」
「そうですね。彼女に苦しめられていた私たちが、世界で一番彼女をおぼえている」
「私は、残酷なことをしたのかな?」
マリアは彼女の最期を思い出してしまった。
※
「なんでそんなことを言うの? 私はあなたからすべてを奪うつもりだったのに。殺そうともしたのに。そんなこと言わないで。残酷、よ……死ぬ前に……そんなことを言われたら……死に……なく……ちゃ……う」
「い……や、だ」
※
「ずっと敵対していた女に情けをかけられて、今まで知らなかったであろう世界にある善意を初めて知って死んでいく。ある意味では、これ以上残酷な事実はないのかもしれません。ですが、お嬢様……」
ラファエルはあえてマリアが気になっていることを指摘した。そうしなければ、優しい彼女が永遠に気を病むことを理解していたからだ。
「それを知らずに死ぬこともまた残酷なんですよ。人間はどこかで誰かに愛されなくてはいけないはずなんです。生まれた時、好きな人と出会った時、誰かと別れが来てしまった時。人は自分が愛されていると実感しなくてはいけないのです。そうでなければ、悲しすぎます。人間が最も愛を必要とする、最期の瞬間に彼女は愛を知ったんです。それは幸せなことでもあったと、私は信じていますよ」
彼女はその言葉に耳を傾けて、泣きそうになるのを必死にこらえて頷いた。
※
翌日。
王子は、塔で目が覚めた。すでに精神的に追い込まれている。できれば目を覚ましたくはなかったはずだ。
だが、目覚めてしまった。その事実に絶望する彼に、さらに残酷な事実が突きつけられる。
毎朝の健康チェックの際に、医師からミーサの死を告げられたのだ。
「ミーサが、死んだ?」
信じられないとばかりぽつりとつぶやく王子は真っ青な顔になっていた。
最終的には決裂した両者だったが、王子は彼女のことを愛していたのだ。少なくとも婚約破棄をして彼女を選ぶほどには。
その女性が死んだと知らされて動揺しない方が無理というものだ。彼の手は震えていて、食器すら持つことができないほどだった。
彼女と別れた時を思い出す。
※
「あんたのせいよ。全部、あんたが無能だからいけないのよっ! これで私は死刑台に送られる。絞首刑よ。まだ、20歳にもなっていないのに……若くて楽しい時間がいっぱいあったはずだったのにっ!! 全部、全部、あんたがいけないのよ。どうして、こんなに近くにいたのに気付かなかったのよ」
「さあ、言いなさい。悪いの全部、自分だって。私は関係ないって……全部、あなた分が考えて実行したのよね? ねっ、そうよね、殿下? お願いだから私を愛しているなら、そう言ってよ」
※
そして、自分が彼女に愛されていなかったことを思い出してしまう。その一方で、自分は愛してくれていたふたりを裏切ったという事実を突きつけられる。
※
「マリア。残念ながらお前との婚約は破棄する」
「うるさい!! マリアをかばうならお前も敵だ。お前はクビだ。ここからいなくなれ!」
※
自分は何と愚かだったのだろう。ふたりの言う通りだったではないか。ふたりは自分を愛してくれていたのに、自分はそれに侮蔑で答えた。
そして、自分はここでひとりで絶望している。将来、あの優秀なふたりはどんどん名声を高めるだろう。王子が二度と出ることができない外の世界で。
「ここから出してくれ、出してくれ、出してくれっ!」
彼は壁に頭を叩きつけた。慌てた看守が牢に押し入り、必死に止める。
看守役の魔導士が、催眠魔術を用いて、王子を無理やり眠らせた。
「いやだ、いやだ、いやだ」
うわごとのようにつぶやきながら意識が徐々に失われていく。
王子の精神はこうして壊れていく。彼にできることは、もう何もなかった。
「助けてくれ、マリア……ラファエル……」
意識を完全に失う前の王子は、最後に本音をつぶやくのだった。彼の地獄はまだ始まったばかりだ。
※
2日目のお祭りが始まった。
マリアとラファエルは昨日と同じようにホットワインを片手に街を散策した。
「これからどうしますか、お嬢様?」
ふたりが旅を始めてから数か月が経過していた。
「そうね。そろそろ王都に戻らないといけないわね」
楽しい旅行の時間が終わりに近づいていた。
「そうですか……」
ラファエルもやはり寂しそうにつぶやく。
「楽しかったわね、大変なこともたくさんあったけど……とても良い思い出ばかりだわ」
「それはよかった」
「ディヴィジョンの街では、初めて屋台でご飯を食べたわ。美味しいワインもたくさん飲んだ。みんなにお土産もたくさん買えたわ。あそこで初めて私は自分らしさってものが分かった気がする」
馬車にはまるでお店を開くことができるほどのワインが積みあがっていた。
「次に行ったシーセイルの街では、美味しいご飯をたくさん食べたわ。遊覧船にも乗った。私は、あの海から見た夕焼けに染まる街を絶対に忘れない」
マリアはそう言ってラファエルの手をゆっくりと握った。すでにふたりは年相応の若いカップルのように見える。
「そして、このグランドブールで見た輝く世界。人間の可能性や代々受け継ぐ人の絆に感動したわ。人が生きるのってこういうことだとよくわかった」
ラファエルはあえて答えずに手を強く握った。
マリアは頷く。
「ねぇ、ラファエル様? あなたはどうするの、王都に帰ったら? 省庁にでも勤めるの。それとも、私のそばにいてくれる?」
マリアの言葉にラファエルはどうしてそのような言葉を聞くのかといぶかしむ顔になった。もう、彼の心は決まっているのだ。
「もちろんですよ」
マリアは緊張していた。だから、こんなずるい言い回しを使ってしまったのだ。彼女はそれを恥じた。
「ごめんなさい。ちょっとずるい言い方をしました。でも、女からこんなことを言うのも……でもね、ラファエル様。やっぱり、私はあなたには素直になりたい。だから、言わせて。はしたない女とは思わないでね」
マリアは口調の丁寧さまで崩していた。それほど彼女は緊張し、本心をあらわにしている。
「私は、この旅行でラファエル様と一緒にいることができて本当に楽しかったわ。とても幸せだった。だからね、あなたにはもっと私のそばにいて欲しいの。だから……」
深呼吸をしてマリアは続ける。
「私と結婚してください」
本来ならば男性側がおこなうべきプロポーズをマリアはあえて自分から行った。そうしなければ、身分差に阻まれてラファエルとは一緒になることができないと考えたからだ。ラファエルは成長したマリアを見てうれしそうに笑う。
「ありがとうございます、お嬢様。私はあなたにすべてを捧げます。だから、私にあなたのすべてをください」
ラファエルもあえて、自分も彼女にプロポーズをおこなった。マリアの勇気にこたえるために。
「はい、喜んで」
光り輝く街でふたりは、二人だけの誓いのキスをかわす。
「ねぇ、ラファエル様? ひとつだけわがままを言ってもいい?」
「ええ、なんですか、お嬢様?」
「これからはお嬢様はやめて。名前で呼んで欲しいの」
「わかりました。愛してますよ、マリア」
「……っ。ふいうちはずるい」
「ずるくない。本心を言っているだけだから。それに先にふいうちをしてきたのはマリアじゃないか」
そう言うと、抗議の声をあげないようにラファエルは彼女の口をキスで塞ぐ。
少しずつ溶けていく道に積もった雪のように、ふたりの心は溶けあっていく。
永遠と思えるほど長い時間をふたりはお互いの体温を交換しながら過ごした。
「私も愛していますよ……ラファエルっ」
※
ふたりは王都に戻る道を進んでいた。グランドブールから王都までは馬車でも2日かかる。旅行最後の夜はキャンプだ。
「スープができたわ」
今回の夕食は、マリアが用意した。旅行中、美味しい料理を食べたことで彼女は自分でも料理をしてみたくなったので、ひそかに練習したのだ。
本日の献立は、バゲットと野菜スープだ。マリアは、お土産用に買っておいた各地の名産品を使って調理した。
グランドブールで買っておいた新鮮な野菜やレバーパテのビン詰め。シーセイルの魚や貝の干物を粉末にして作られた調味料。ディヴィジョンのワイン。キャンプでシンプルな料理でありながらも、各地の名産品を使った料理だ。
「すごくおいしいですよ、マリア」
ラファエルはマリアの手料理を本当に美味しそうに食べていた。バゲットに塗ったレバーパテは臭みもなく濃厚な肉のうまみが口に広がる。
スープには魚介の旨味が溶けだしていて、少量加えたワインが隠し味だ。もちろん、二人の傍らに置かれているワインとの相性も抜群だ。
「よかった。誰かに自分が作ったものを褒められるのってこんなに嬉しいのね」
「ええ、そうですよ。好きな人に褒められたら天にも昇るほどです」
「ふふ、ありがとっ」
ふたりは肩を寄せ合い密着する。
この先にある困難を予想しつつもふたりの心は落ち着いていた。身分の差。貴族たちとの政治闘争や嫉妬。
でも……
「(たとえ、どんなことがあろうとも、彼と一緒だったら乗り切れる。絶対に)」
「(彼女を守り続ける。そして、マリアを幸せにする)」
ふたりはお互いを信じていた。そして、今日何度目かわからない口づけをする。
最初はラファエルから。次にマリアから……
たき火は静かに燃え続けていた。
※
―番外編―
『ブールス王国史』巻12列伝マリア=オルゾンの章より引用
この時代のブールス王国においてもっとも傑出した政治家は誰か。その問いに対して、ほとんどの学者はマリア公爵と答えるだろう。
彼女の人生は、従来の貴族の常識とは外れていた。彼女は、有力なオルゾン公爵家に生まれて、両親の夭折によってまだ10代でありながら公爵家の当主を務めた。そもそも、女性の彼女が公爵家を継承したこと自体、異例であり、彼女の父が国王の親友だったため許されたとされる。
彼女は、王太子の婚約者として育てられたが、王太子はかの悪名高いミーサ子爵令嬢に篭絡されてしまい、彼女との婚約を破棄した。ブールス王国における"傾国の美女"事件である。
その後、彼女は数年間、歴史の表舞台からは姿を消した。この空白期間に彼女が何をしていたのか、それはよくわかっていない。ここからこの空白期間に、彼女が諸国漫遊の旅に出て、世直しや王太子失脚のための暗躍をおこなったという伝説が流布された。すでに、何度も小説や舞台の題材となっているマリア伝説はここから生まれている。
この空白期間に生涯の伴侶となるラファエルと出会ったとされる。
ラファエルは平民出身でありながら、恐ろしいほどのキレモノで、武道に優れた人物であり、彼女をよく補佐した。元々は、王太子の執事であったはずだが、なぜ二人が結ばれたのかはよくわからない。小説や舞台では、禁断の恋に落ちたふたりが駆け落ちしたと解釈している物まである。
その後、歴史の表舞台に戻った彼女は、女性初の内務卿に就任し辣腕を振るった。
彼女の内務卿時代の活躍は、①近代法の整備、②身分差から発生する弊害の是正、③官僚試験の貴族特権の廃止など枚挙にいとまがない。
この王国の近代化には、夫であるラファエルも大きな影響を及ぼしたとされるが、夫婦はお互いに相手の功績の方が多いと証言しているため、詳細は不明とされる。
身分差がありながらも結婚した両者に、保守的な貴族層は反発したとされるが、彼女たちは実力を示すことでそれを封じていった。
この時期もふたりは度々、王都から抜け出して地方に外遊に出向いたとされるが、詳細は不明である。先の空白期間との伝承と混在していることもあって専門書の記述にも誤りが見えるほどだ。
2人の男子の子宝に恵まれ幸せな私生活を送ったとされている。
その兄弟は次世代の王国に大きな変化をもたらすのだが、それは別の章で詳述する。
王国の近代化に尽力した彼女は「本当の国母」と呼ばれ、彼女の功績は歴史書において輝き続けている。
(作者)
これにて完結です!
本当にありがとうございます。
まだ、旅行に出かける余地を残して終わりましたので、もしかすると番外編も書くかもしれません。本編は区切りよくここで完結としました。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございましたm(__)m




