第29話心配
ラファエルはマリアを寝室まで届けると、彼女を寝かせてキッチンへと向かう。
「とりあえず、氷水は用意できそうだな。タオルも……」
彼は、幼少期に母親から看病された記憶を思い出した。冷たいタオルが額にあるだけでも、楽になる。
どうして気づくことができなかったのか。もう少し早く気づけたはずだ。その後悔が何度も心で反響していく。
だが、後悔してばかりでは前には進まない。ラファエルはすぐに切り替えて、用意しておいてもらっていた食材を確認する。
野菜は基本的なものはそろっている。キャベツやオニオン、キャロットなど日持ちしやすいものが食糧庫には数日分保管されていた。塩漬け肉もある。これなら買い出しは不要だろう。マリアは、フルーツを食べたいと言っていた。そちらは、冷蔵室に入っていた。
オレンジやリンゴ、アプリコットが入っている。
「たしか、固形物は消化に悪いんだったな」
小さなころに聞いた母の知恵を参考にしながら、オレンジとリンゴ、レモンをキッチンへと持っていく。
ひとり暮らしは長い。だから、簡単な料理はできる。
ラファエルは、オニオンを細かく刻み鍋でじっくり焼いた。色が変わるほどしっかり火を通すことで、まろやかなスープになる。
あとは、細かく切った野菜と塩漬け肉と水を入れて、1時間ほど煮込めば完成だ。彼女のことを考えて、野菜はできる限り柔らかく……形をなくしてしまってもいい。
スープを煮込んでいるうちに、フルーツのほうも準備する。リンゴはすりおろして、軽くレモンをかけた。レモンの酸味があれば、口がさっぱりする。熱で味覚が麻痺していても、レモンの酸味は感じることができるだろう。
そして、皮をむいたオレンジをこし器でつぶしてジュースにした。
野菜スープとすりおろしりんご、オレンジジュース。病人でも食べやすく消化しやすい料理が完成した。
「お嬢様、夕食です」
マリアはその言葉を聞いて、目を開いた。
うっすらと目を開けて、料理を持ってきてくれたラファエルに微笑んだ。
「ありがとう」
彼女はそう言って笑う。その笑顔は年相応の少女の顔だった。
ずいぶんと重い責務を担っていたんだと思う。公爵家の当主・王太子の婚約者。体調不良によって本来の彼女に戻っていた。
「食事はここに置いておきますね。私が作ったので味に自信はありませんが……」
そして、ラファエルは邪魔をしないように部屋の外に出ようとする。
「待って!」
マリアは思わずラファエルの腕をつかんだ。
「お、お嬢様?」
「ごめんなさい。少しだけ一緒にいて。心細いの……」
マリアは、うつむきながらそうつぶやいた。
※
いつものマリアならこんな風に彼を引き止めることはしなかっただろう。貴族の娘であり、公爵家の次期当主になることも踏まえて、両親は彼女に対して厳しくしつけられている。さらに、王太子の婚約者という立場もある。常に周囲は、敵だらけ。
弱みを見せようなものなら、間違いなくそこに付け込まれる。
王太子の婚約者という立場は、貴族ならば是が非でも欲しいものである。将来の王族の親戚や実家になれば、大きな権力や富が手に入るのだから。
だからこそ、貴族たちはマリアを失脚させようと権謀術数を駆使してきたのだ。そのような状況にいたからこそ、彼女は甘えることが苦手な女性になってしまった。
「ごめんなさい。らしくないことを言ったわ。忘れてください」
思わず出てしまった声に驚いていたのは彼女自身だった。
「さっきから謝ってばかりですね。お嬢様?」
「ごめんなさい」
「そんなに謝らないでください。病気の時くらい誰かに甘えることも必要ですよ」
「ラファエル様?」
「そういう時は心細いものです。大丈夫です。ここにいますよ」
「あり、がとう」
彼女はホッとしたような顔になり、笑顔を浮かべた。まだ、本調子ではないためか、いつもの彼女の凛とした自尊心は隠れていて、甘えたい少女のような顔になっていた。
「食事できますか」
「うん、いただきます」
彼女はベッドから起き上がり、ラファエルからトレーを受け取った。
やはり、体調不良のためか、手が震えている。
「美味しそう、いただきます」
彼女は、スープを口に含んだ。野菜のうまみが濃縮されて、熱で疲れた体をスープが優しく癒してくれる。
ラファエル様はこんなに料理が上手だったのね。マリアはひとりで納得する。そういう知らない彼の一面を知ることができて嬉しくなった。
体調不良によって食欲は落ちているはずなのに、彼のスープはまるで天井からの恵のように、彼女の体を癒す。
すりおろしリンゴも、レモンの隠し味によってとてもさっぱりとしており、病人にも食べやすくなっていた。その優しさが嬉しい。
もう一口リンゴを食べようと、スプーンを向けるが彼女の手は震えてそれを落下させてしまう。
「あっ……」
慌てて拾おうとするも、ラファエルに止められる。
「私が拾いますので、ご安心を」
ラファエルはスマートに食器を拾うと、用意しておいた別のスプーンを彼女に渡す。
だが、彼女の手は震えていた。ラファエルは、その様子を見て決意する。
「ラファエル様、どうしたの?」
「お嬢様、無理はなさらないでください。もし、よろしければ、私が召し上がらさせていただきます」
その言葉に思わず驚くが、彼女はゆっくりと頷いた。
「お願い、します」
彼女は目を閉じて、口をゆっくり開ける。あまり大きく開けたら恥ずかしい。そんな心配からか、かなり控えめだ。
ラファエルは緊張しながらも、主人の元にリンゴをゆっくりと運んだ。
少しずつ二人の距離は近づいていく。




