最低のハッピーエンド
「何ボーッとしてんの!真面目に聞きなさいよ!」
「おっ!って……アンナ……か」
椅子を蹴られて気がつくと、俺は生徒会室にいた。
さっきまでの身体の痺れもなければ、倦怠感もない。
また、戻ってきた……のか?
「それ以外の誰に見えんのよ」
「アンナ……よかった……」
「あんまジロジロ見んじゃないわよ!」
「ほら、そこの二人。ちゃんと聞いてるのか?」
「すみません、会長。この馬鹿が悪いんです。深嬢さんも、進行を妨げてしまってごめんなさい」
「私は全然大丈夫だよ〜」
俺が安堵しているのを不審に思ったアンナは、いつも通りに悪態をつく。
ちょっと安心する。
状況は目の前にある話し合い中のホワイトボードを見ると、すぐに分かった。
今の日付は6/20。球技大会前に生徒会の手伝いのため、休日なのに登校した日だ。
この日は、今の話し合いを終えた後に雑務をこなし、昼の12時前には仕事を終わらせ、 雛菊、愛生、アンナ、そして、俺の四人で昼食を取った。
また、ループした……とは思うが、今回はなぜか現実味がなかった。
やっぱり全部悪い夢だったんだ。愛生がアンナに非人道的なことするわけない。そう思いたい。
俺は不安を拭うように深呼吸をする。生徒会室に漂うほのかな紅茶の香りが精神を落ち着かせ……
「しゅんちゃん大丈夫〜?体調でも悪いの〜?」
……られなかった。
愛生が顔を覗かせると、拒絶反応でも起こしたみたいに汗が吹き出した。
「あ……あぁ」
俺は身体が強張り、濁す言葉にすら詰まる。
言葉だけでなく、一挙手一投足に至るまで、最新の注意を払わなけれならないといけないと本能が告げていた。
また何か悪いことが起こりそうで、そう考えると急に息苦しくなり、心の臓を鷲掴みにされてみたいで、呼吸すらまともにできているかも怪しい。
「時透、本当に大丈夫か?顔色悪いぞ」
「え?もう一回いいですか?」
「だから、顔色悪いぞ」
「雛ぎ………いえ、会長。大丈夫……ではなさそうなので、ちょっと保健室行ってきます。迷惑かけてすみません」
「分かった。一人で大丈夫か?」
「流石に大丈夫です。多分、昨日飲んだ牛乳が賞味期限切れだったので、それかと。落ち着いたらすぐ戻ります」
俺は足早に生徒会室を後にし、時間をかけて廊下を歩く。
夢じゃない。夢なんかじゃない。これは現実だ。
耳が聞こえにくいのも変わらないし、鮮明過ぎるほどの記憶が確かにある。
死体を思い浮かべると血の匂いを思い出し、最低の気分になる。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
なんで俺がこんな目に遭わないといけない。
「何なんだよ。マジで――――っておッ」
俺は壁伝いに階段を降りているのに、足を踏み外して盛大に転ける。
良かった、まだ痛みは感じることができる。
何にもない所で転けるなんて、本当についてない。
手すりに縋ろうとした時、初めて身体の異変に気がついた。
手すりとの距離感が掴めないせいで、何回か空振ってしまうのだ。
視力検査の要領で、片目づつ確認をすると、左目がほとんど見えない。
明暗くらいは分かるが、その程度の視力しかない。
クソ………クソ!クソ!!!
現実味がない理由が分かった。
今回のループで、俺は左目の視力を失ったんだ。
「最悪かよ……」
人は情報の8割を視覚情報から得ていると、何かの記事で見たことがある。
俺の中では失いたくない機能の上位だ。
「誰かに助けを……いや」
ダメだ。助けを呼んだら、きっとその人も殺される。
そうだと確信できるほど、愛生は残虐だった。
もう、どうしたらいいんだよ。
「しゅんちゃん!大丈夫〜?ってどうしたの?蹲って!?」
「愛生……なんで……」
愛生が駆け寄ると距離を置きたくなったが、必死で堪えた。
次に、距離を置くことや拒絶することがあれば、また怒りの発端になりかねない。
「すまん、大丈夫。ちょっと転けただけだって」
「心配だから私が保健室に連れて行って上げる!」
「いや、いいって。てか、生徒会の手伝いはどうしたんだよ」
「それは会長さんから許可貰ったから大丈夫〜!病人の方が優先だって〜。ほら、次転ぶと危ないから、手握っててあげる〜」
「…………ありがとな」
俺が愛生の手を握ると、愛生は一瞬目を丸くしたが、上機嫌に俺の手を引いて歩き出す。
確かにいつもの俺であれば、「一人で歩けるからいい」とか言うだろうから、愛生の反応は分からないでもない。
でも、今の俺は愛生の機嫌を取るのに精一杯だ。
何がきっかけで愛生が狂人化するのか分からないから、些細なことも見逃せない。
俺の視線、態度、匂い、手汗に至るまで、気が抜けない。
そうして、愛生に手を引かれ、保健室で様子を見ることになった。
※※※※※※
保健室で横になって目を瞑っていても、全く眠れる気がしない。
数十分くらい経過しただろうか。
眠ろうとしても眠れない。
枕が合わないから、眠れないわけではない。
………………何を間違えたのだろう。
俺はみんなといられれば、それで良かったのに。
愛生が会長を殺した一周目、俺が愛生に殺された二周目、愛生がアンナを殺した三周目。
思い出して吐き気に襲われることはなくなったが、ストレスで腕に蕁麻疹ができているから、身体がおかしくなっていくことが客観的にも分かる。
愛生が死んでから狂人化するのは、正しい。一周目でトラックに轢かれたのもその一つだ。
ただ、1番最初に死んだのが3月…………つまり3ヶ月も前からなんて、知る由もなかった。
予兆はあったと思う。愛生の髪色の変化は感じていたが、女子はそういうものかと深く考えることはしなかった。
後悔をしてももう遅い…………わけではない。
止める方法は1つある。
俺が死んで巻き戻ればいい。
俺が死んで巻き戻るのは、3週間〜約1ヶ月で規則性は特にないと思う。
一周目は8/26から7/15
二周目は8/7から7/14
三周目は7/20から6/20
つまり、現在6月から3月に戻るまで、最低でも3回は死を覚悟しなければならない。
そして重要なのが、迷っているだけで時間は経過し、死ぬ回数は増えるということ。
3回………………次は何を失うのだろうか。
1番まともな解決策があるというのに、死ぬ勇気がない。
次に何を失うかも分からないし、 次死んでも本当に巻き戻れるかも分からない。
不安と焦りで押しつぶされそうだ。
なんなんだ!どうしてこうなった!
もう全部嫌だ……
助けも呼べない……
愛生を止めない限り、絶対に悪いことが起こる。
あんなにも楽しそうに人を殺すことは、そう断言できる。
愛生を止めるために…………俺ができること……。
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
俺が殺せばいい。きっと簡単……
「あ゛――――――――――!!!」
枕をかぶって叫ぶ。
ダメだダメだダメだダメだダメだダメだ、それはダメだ。
思い至った瞬間に脳裏によぎるのは、愛生がトラックに轢かれた映像。
事故で死んだ愛生を見て、俺はまともでいられなかった。
人が死ぬ所は何度か見てきた。言い表せないくらい最低な気分だった。
あれを俺がこの手でするなんて…………その後に残るのはきっと、今まで通りの俺じゃない。
瞬間記憶なんて無ければ、どれだけ楽だったろう。
八方塞がりで何もしたくない。
俺が何もしなかったら、愛生はどうするのだろう。
愛生やみんなを助けたい心と、拒絶する身体。
きっと物語の主人公であれば、迷わず自分から地獄に飛び込むだろう。
俺にはできない……怖い……。死の淵で頑張れる自分の未来が想像できない……。
想像できるのは、身体の機能を失い続け、生きることも死ぬこともできなくなった自分の姿。
まさに生き地獄。
もういっそ、逃げ出してしまいたい。雛菊やアンナが助かれば、それ以上は望まないから……。
そんな時、保健室のドアを開く音がした。
足音がこちらに近づいてくる。
「しゅーんちゃん。効きそうな薬買ってきたよ〜ここ保健室なのにろくな薬置いてないよね〜って寝てるか〜」
愛生だ。
実は起きてるなんてことは言えない。愛生と話すにはまだ心の整理がついていかったから。
「ふぅ〜ひと段落〜」
愛生が椅子に腰掛ける音がする。
「会長さん凄かったんだよ〜。ちらっとしか見なかったけど、指示は的確だし〜仕事は早そうだっし〜綺麗だし……しゅんちゃんが、力になりたいって思うのも……ちょっーーとだけ分かったよ……」
愛生は寝ている俺に語りかける。独り言ではあるが、徐々に悲しげな声音に変わっていくのを感じた。
「本当なら今日は、しゅんちゃんとデートだったのにな……●●●●」
そういえば、今日は愛生とデート(ただ二人で出かけるだけ)の予定だった。
でも、生徒会の仕事を頼まれ予定はキャンセルになって、そのまま有耶無耶になった。
ポツリと溢れた本音に聞こえたが、最後が聞き取れず、俺は聞こえる方の左耳を愛生の方に傾け、聞き耳を立てる。
「ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくって、あれ?何言ってるんだろ……私。ダメだな〜最近おかしいよ」
「――――――ッッ」
戦慄した。悪寒が背中を走る。
確かに今、不気味な姿の片鱗を見た。
愛生は既におかしくなっていったのだ。
どうしようもなく、怖い。
愛生は恋という薬物に侵された、病人なんだ。
好きだから独占したい。好きだから近くにいたい。
これらは当たり前のことで、好きは全てを肯定する。
だから愛生にとって、あの殺戮は当然のことなんだ。
今のを聞いて、俺の心はポッキリ折れたと同時に新しい案も浮かんだ。
もう、いいや。
死ぬのも、殺すのも辞め。
1番手っ取り早く解決する方法があるじゃないか。
俺は分かりやすく欠伸をして、目覚めた風を装う。
「俺、どのくらい寝てた?」
「1時間くらいかな?心配して来たんだよ〜体調は大丈夫〜?」
「あぁ、だいぶ良くなったと思う」
「なら良かった〜」
安心して笑みを浮かべる愛生に俺は向き直る。
「愛生に大事な話があるんだ」
「何〜?急に」
「その……なんだ……えっと……」
「??」
「俺は、愛生のことを大切な人だと思ってる」
「いきなりどうしたのさ〜」
「俺はそこまで愛生に好かれる理由が分からない。そこまでの価値があるとは思えないから」
俺と愛生とでは釣り合いが取れないとは元々思っていた。
「だから、せめて誠実でありたいと思ったんだ。情欲なんかない、下心の無い恋愛を。まぁ童貞の妄想だけど」
「分かってるよ〜しゅんちゃんはその後のことまで考えてくれてるから〜。そういう所も好きだよ〜」
愛生の言うことに相槌を打たず、俺は続ける。
「そんで、俺の母親の件もあって、恋愛とは距離を置いてた。ちょっとでもそういう欲があることは、間違いだと思ったから」
「そんなこと……」
「でもな、さっき手を引かれて思ったんだ。やっぱり、俺を近くで支えてくれるのは、愛生だけなんじゃないかって」
「え?それって…」
俺は目の前の愛生の手を取り、目を見つめて覚悟を決める。
「俺と付き合ってくれないか?」
顔が熱い。二回目だろうと、告白にはなれないものだ。
「え?」
愛生は固まったまま動かず、思考も停止しているように見える。
「だから、俺と付き合ってほしい。冗談でもないし、恥ずかしいから三回目は言いたくない」
愛生は俺の顔と握った手を交互に見て言う。
「…………しゅんちゃん、手が震えてるよ〜」
「…………おう」
「体調が悪いの?それとも、緊張?なんか、体調悪い時に漬け込んだ気がするんだけど〜」
「体調が悪かったのも事実だけど、今言っておきたかったんだ」
「でもなんか、無理してない?」
「無理なんて、してねぇよ」
「嘘だよ……なんか現実味がないっていうか……」
愛生の瞳は潤み始めて、一粒の涙が溢れ落ちる。
「蛙化現象ってやつか?」
「うぅん違うよ。嬉しいけど、なんか、なんか、なんか違うような……」
俺は愛生を抱き寄せる。
「違くなんてない。俺は愛生が好きだ」
俺の選択は、生き地獄よりはマシな幸せな地獄。
「…………もう一回言って」
「好きだ」
「…………もう一回」
「愛生が好きだ」
俺は愛生の耳元で強く囁く。
愛生が好きだ、そう思うようにしよう。自分を欺き続けよう。そうすれば嘘にはならない。
雛菊を守るために、他の女を好きになろう。
だから、雛菊やアンナの気持ちに応えることはできない。
これでいい。これでいいんだ。
「ねぇ、体調悪いなら、私にも分けさせてよ。ずっとしたかったから」
愛生は俺の正面に直ると、目を閉じて唇を向ける。
「…………下手とかいうなよ」
俺にとって死は救いじゃない。絶望を深める材料にしかならない。
だから、これでいい。
たぶん、これから俺は愛生のことを警戒しながら生きていくだろう。
そこに幸せはあるのか分からない。むしろ、愛生の動きに合わせて言動を変える必要がある。
そこに俺自身の幸せは含まれない。
いつ爆発するか分からない感情の爆弾。それが愛生だ。
俺は人並みの不幸を味わいながら生きていこう。
これから一生。
WORST HAPPY END
大変長らくお待たせいたしました。
これにて、「幼馴染が不死身なのをいいことに、死ぬ気で俺にアプローチしてくる」完結です。
ここまで来れたのは、読者の皆様、特にブックマークをしていただいた358名(ブックマーク数)のおかげです。ありがとうございます。
さて、内容に関して触れていきたいところですね。
まず、初期のプロット(私の頭の中)では、瞬記(主人公)はもっと不幸な最終回を迎える予定でした。
雛菊とアンナが目の前で殺されて、愛生と付き合うことになるまではプロット通りです。ただ、続きとして瞬記が自殺をして植物状態になる、または、不死身ループで記憶を失う所で終えるつもりでした。
ですが、流石にそれはやりすぎだと思ったので、今回のような最終回となったわけです。えらいから褒めて。
それはさておき、私がこの物語を書こうと思ったのは、当初付き合っていた彼女と別れてからです。
付き合っていた頃は、彼女が世界の全てで、それさえあれば何もいらない、その恋心を失うくらいなら今死んでもいいと割とガチで思っていました。
しかし、私の至らないことが多く、彼女に愛想を尽かされて始めてから、次第に自分の恋が冷めていくのを感じました。
それでも一度好きになったら、何とかしたいと思うのが普通かと思います。
私は彼女を諦めまいと、自分の本音に蓋をして、日々彼女の機嫌を取るようになりました。
今考えると、愚策中の愚策です。
良かれと思って何かプランを提案しても大体却下で、何をやっても上手くいかない。そうして、何もしなくなれば、心の距離は遠ざかるばかり……。
まるで、妻の機嫌を取る夫のようで、自分が滑稽に見えて馬鹿なことをしていると自分でも分かっていました。
その時からです。
彼女の言動を警戒しながら、LINEのメッセージ1つや電話での会話1つ取っても、息苦しいと感じました。
私の悪い所があれば、昔のことを掘り返されて、私はサンドバック状態。
「ごめん」と言うだけの機械と成り果てます。
一度本気で好きになってしまったから、よりタチが悪い。
だから、私は思ったのです。あの頃の恋心は麻薬だったのだと。昔の自分は中毒だったのだと。
目が覚めてからは早かったです。
別れてから残ったのは、濁りきって歪んだ心だけ。
その心で書きました。
恋をすることで、不幸になる少年。
もがけばもがく程、息苦しく生きづらくなっていく愚者。その辛さを伝えたかったのです。
この作品では、ループすれば身体の機能を失うということでしたが、中々に残酷な仕打ちでしたね(笑)
長くなりましたが、これがこの作品を書いた原点です。
私の思いを全て載せたと言ってでも過言ではありません。
中身がないとは言わせません。
恋に苦しみ、もがき続ける瞬記が滑稽で笑えてきますよね。私は過去の自分が嫌いなので、いじめたくなります。
それでは、最後に一言だけ、
この世全てのカップルに、人並みの幸せと不幸がありますように。




