絶望なんて生温い
気がつくと、俺はベッドで横たわっていた。
頭に刺すような痛みがあるせいで、状況が上手く飲み込めない。
分かるのは、カーテンを閉め切った薄暗い部屋にいて、鈍い音が断続的に聞こえるくらい………
「愛生……さ…ん、私たちは……そういうの……してないから、話し合……」
「しつこいな〜。いいから黙ろうか」
戸惑っている暇もなく、目の前の信じられない光景に絶句する。
眼前には血塗れのアンナが横たわっていて、愛生はアンナの頭蓋骨をハンマーで殴っていた。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も餅でもつくように、高く振りかぶって、顔面を潰している。
不死身の力で頭部が再生しようとすると、今度はアンナの腹にナイフを突き刺す。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も執拗に。
先に頭部が再生し、アンナが意識を取り戻すと、また頭部をハンマーでグチャグチャに潰す。その繰り返し。
「な…………あぇ?」
俺は叫ぼうとしても呂律が回らず、身体を起こそうとしても、急な吐き気と腹痛に襲われて身動きが取れない。
身体が自分のものではなくなったみたいで、どうしようもできず、不安と焦りで冷や汗が止まらない。
「あーーしゅんちゃん、やっと起きた〜。お寝坊さんだぞ〜」
満足気な愛生は俺を見て微笑む。
赤みがかった髪は白髪に変わり果てていて、付着した返り血を目立たせる。
この陽気さとあべこべな状況は、狂気としか言いようがない。
「大きな声は出さないでね。出せないかな?結構毒が回ってるはずだし〜。まぁもし出したら、キスして口塞いじゃうよ〜。なーーんて〜」
「ゥ――――――ウェ――――」
「あーー、ベッドの上で吐いちゃって〜。吐くなら床にしなよ〜掃除が面倒でしょ〜。でも今は沢山吐いて〜。アンナちゃんと朝ご飯食べたんだよね?なら、全部吐き出さなきゃ」
俺は愛生に背中をさすられながら、朝食を吐瀉物にしていく。
麻痺していた口が、胃液で洗い流させれ、飛びかけていた意識を取り戻す。
「な……ん……れぇ」
「まだ、話せないかな〜?いいよゆっくりで。昨日の夜、アンナちゃんと何があったか聞くだけだから」
愛生はベッドを凝視すると、残念そうに溜め息をつき、髪の毛を摘み上げる。
愛生が怪訝そうに見ていたのは金色の髪。アンナの髪の毛。
「うっわーー。二人は、やっぱりここのベッドで寝たんだぁ〜」
愛生はアンナに向き直り、壁に立てかけてあったバールに持ち替えて、床に倒れているアンナの身体ををひたすらに殴りつける。
意識もないアンナの肢体は衝撃で小刻みに揺れるだけで、全く生気を感じない。
よく見ると、床には水溜りのように血が滴っている。
一体、何度アンナは殺されたのだろう。
「や……え……ろ……。あき」
「やめろ、かな?やめるわけないじゃん〜!」
愛生の手は止まるどころか徐々に力を強める。
なぜか俺の身体は筋肉が強張って、上手く話せない。愛生が毒と言っていたもののせいか。
「私は見てないから分からない!でも、二人がこの部屋で一泊したのは事実!ゴミ箱とか探したらけど、ゴムはなかった!ってことは、してなかったかもしれないの!!でも、確認しないと分からない!二人は生でしてるかもしれないから!」
愛生は完全に目が血走っていて、声を張り上げる。
「私ね、思うの。これってシュレディンガーの猫みたいだよね。一泊した男女がそういうことをしてるか、してないのか、観測するまで物事の状態は確立しない……。箱の中の猫と同じ。でも、本当に猫の生死を見たいなら、観測したいなら、ならさ、たとえ、どんな手段を使ってでも……私なら壊しちゃうよ、そんな箱」
「やめろ……」
「なんで?やめないよ」
「もう……やめてくれ……」
「しゅんちゃんは悪くないよ。どうして泣くの?この女が悪いんだよ。大丈夫、何度死んでも生き返るから」
俺の涙ながらの訴えも、愛生は聞く耳を持たない。
「私、考えたの、アンナちゃんの罰。本当に悩んだよ〜アンナちゃんにとって一番苦しそうなこと。でね〜やっぱりアンナちゃんは沢山食べる方だから、餓死させようと思ったの〜!それで、飢餓状態になったら、猛毒の物を食べさせたいな〜って!それでね、それでね〜フグの毒にしようと思ったの!意外と簡単に手に入るし!テトロドトキシンって分かる?これが凄く猛毒でね〜!青酸カリの何百倍の毒性らしいよ!でもね、でもね〜フグの中毒死の致死率は5%から10%なの。人を確実に殺すなら、ちょっと低いよね〜。本当ならお父さんの倉庫からもっと凄い毒を持ってこれれば良かったんだけど、流石にセキュリティが厳しくてさ〜。でもさ、これって逆に考えると、ガチャで当たりを引いたら、ちゃんと死んでくれる〜みたいな!みたいな!ただ、餓死を待つ1週間から3週間の間には誰かに気付かれちゃうかもしれない。だからね、だからね!しゅんちゃんが気を失っている間に無理矢理にでも食べさせたの〜。フグの毒は痺れが強く出て、吐き気や頭痛を起こす。だったら、しゅんちゃんに食べさせて、食べた物ぜーーんぶ吐き出させた方がいいと思ったの!しゅんちゃんが抵抗するのも防げるし、一石二鳥だよね!!」
愛生は饒舌に続ける。
「私ね、ずっと、ずーーーーっと、アンナちゃんのことが心の底のどこかで嫌いだった。目立つ容姿に、胸だって大きいし、隙のある女の子。男の子だったら、きっと誰でも好きになっちゃうよ。そんな女が、しゅんちゃんの隣になぜかいつもいる。許せないよね……」
「愛生さん、も……ぅ……やめ……て」
アンナは意識が戻って愛生に訴えるが、愛生はナイフに持ち替え首に突き立てる。
アンナは抵抗するように口をパクパクと動かすが、嗚咽さえも聞こえない。
「もうやめて、って言ったのかな?だから、やめないって〜これは罰なんだから〜。健気だよね〜最初は「話せば分かる」って、それしか言わないんだもん〜。話して解決するなら、自分から腹を切って、子宮に精子がないことを見せるくらいの誠意を見せてもらわないと〜。だから、自分でできないなら、私がやってあげるよ。しゅんちゃんも見ててね〜」
愛生はナイフを真新しい物に取り替えると、再びアンナの腹に突き刺す。まるで、人を解体するように。
アンナは絶叫するほどの体力もなく、無抵抗に血を流す。
正気を失ったアンナと目が合うと、またも「お前のせいだ」と告げているように思え、血の気が引く。
やめろ。やめろ。やめてくれ。
何もできない。何もしてやれない。
俺がアンナを巻き込んだのせいで。俺が頼ったせいで。愛生に気づかれたせいで。
アンナはこんなにも無惨に何度も死んでいる。
俺のせいだ。
ごめん。ごめん。ごめん。ごめん。ごめん。ごめん。ごめん。
「人を捌くのって難しいね〜!でも治るなら何度でも練習できる〜!」
愛生は腸を取り出し、子宮をナイフで抉る。
心底楽しそうにしている横顔は、もはや俺の知っている幼馴染ではない。
グチャグチャと、気味の悪い音と血の匂いに吐き気を催す。
「精子なかった〜。良かった〜」
どうして、こうなった?
愛生が死ななければ、こんなことは起こりそうがない。それは間違いない。
俺が愛生を突き放したせいで、自殺でもしたのか?
仮にそうだとして、いつからだ?
愛生の髪の色は、徐々に変化していったような気がする。
「いつからそんなに狂ったんだよ。いつから死んだ?」
俺の質問に愛生は目を丸くする。
「へぇ、知ってるんだ〜。しゅんちゃんにはなーんか分かられちゃうとは思ってたけど〜。確かあの時だったな。中学三年生の卒業式。あの日はね、すごーーく覚えてるよ〜。だって、アンナちゃんがしゅんちゃんの下駄箱にラブレターを入れた日だから」
※※※※※※※
中学三年生の卒業式当日。
愛生は早めに学校に到着してしまい、特にすることもなかったので、荷物を置くと学校を見て回っていた。
今日は卒業式であるから、瞬記に告白する成功率が上がるかもしれないと、僅かながら希望に胸を高鳴らせながら。
そんなただの気まぐれなのに、運悪く目撃してしまった。
瞬記の下駄箱に、権正アンナが何かしら手紙のような物を入れている所を。
アンナが立ち去った後、愛生は無性に気になった。
瞬記の下駄箱を開き、手紙を確認すると、案の定綺麗に折り畳まれた明らかにラブレターらしきものだった。
厳密に言うと、ラブレターかは分からない。折り紙のように綺麗に畳まれた見た目から、そうだという確信があった。
今時、こんな手紙を下駄箱になんて、普通しない。スマホで連絡を入れれば済む話。
しかし、アンナならあり得ると愛生は考えた。
そして、この時魔が刺した。
もしも、アンナの告白が成就して、瞬記と付き合うことになったら……
綺麗な金髪と整った容姿と豊満な体つき。努力家だけど抜けてる所のある隙の多さ。
どれも男の理想そのものだと愛生は推察した。
だから、気づいた時には、アンナの手紙を自身のポケットにしまって、その場を後にしてしまっていた。
愛生は、卒業式を終えた後、家に帰って悔やんだ。なんでこんなことをしてしまったのだろうと。
手紙の内容を読むと、待ち合わせ場所と時間が指定されている。きっと告白するのだろう。
どうしても、自分を許せなかった。やってはいけないことを自分自身が犯してしまった。
反省をしたかった。この罪を償うための、何か。
ふと、ソウスであれば、死んでも生き返るのだと思い出す。
そうして、愛生は反省の意を込めて、初めて自分の首に刃を立てた。
※※※※※※※※
「死んで思ったの。生き返った後、意外と気持ち良くて、それからちょくちょくするようになった」
愛生は話し終えると、笑みを浮かべながら俺の上に向かい合って馬乗りになる。
「これで、話はおしまい。まぁ良かったよ〜。二人は本当に何もなかったんだね〜安心安心〜」
「何が……安心……」
「安心ついでに、しゅんちゃんに確認なんだけど、アンナちゃん、ついでに会長さんには本当に何もしてないの?嘘はダメだよ、分かるから」
「俺は、何もしてな……」
答えようとした時、脳裏に焼きついた記憶が嘘だと言う。
確かに、ループした記憶はなかったことになるが、その前の球技大会では雛菊とすでにキスをしている。
その考えが表情に出てしまった。
「はぁ、嘘つくんだ〜。もう、いいや」
愛生は俺の顔を覗き込むと、いきなり俺の唇を奪い、舌を絡めてくる。
口内を舐めまわされると、侵食されている気分になり、粘膜接触の気持ち良さを身体が感じ取ってしまう。
どうしようもない快楽は、気持ち悪かった。
「これで上書きだね〜。最初からこうしておけば良かったよ〜。きっと会長さんだよね?なら、この際、殺しておかないと〜。しゅんちゃんも少し悪いんだよ。だから、一回だけ殺すね。毒も身体から抜かないといけないし〜」
もう……何を言っても無意味だ。
何も変えられない。
俺が誰かに助けを求めたら、その人も殺されるか、殺される以上の何かがある。
そして、もがくほど、俺は大事な何かを失う。
聴覚、味覚の次は何だろう。
狂人は何だ。
愛生と目が合うだけで、怖い。怖くて怖くて身がすくむ。
何をしたら、こいつは死ななかったんだ。俺が何をしたっていうんだ。何もしなかったこと自体が間違いだったのだろうか。もう、話し合うことすら、俺にはできない。
なんか、もう、いいや。
「好きだよ、しゅんちゃん」
愛生は俺の首を両手で占めると不気味に笑い、俺は意識を失った。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
やってしまいましたな……。さてさて、これからどうなってしまうのでしょうか。作者自身も悩んでおります。
ブックマークや評価をいただけると、大変励みになりますので、是非ともよろしくお願いします。




