2回目の臨海学校2
二人の間に座ると、愛生はさり気なく俺から離れるように移動した。
ベタベタされるよりはありがたいのだが、以前に強く言ってしまったことが原因なのは明らかだ。
どうしたものか……。
数週間考えがまとまらずに引きずってきたが、また突然走っていかれたら、あの惨状になってしまう。
トラックの音、頭の骨が不気味に鳴り、血塗れで倒れ込む姿。
その後は、狂人となった愛生。
思い出しただけで気分が悪くなる。
「瞬記くん大丈夫?気分悪いんじゃない?」
「そうなの?大丈夫!?」
「いや、大丈夫。水もあるし、少し休むから問題ない。マジで」
「しゅんちゃんがそう言うなら良いんだけど〜」
「それに、俺たち不死身なわけだし、死んでもなんとかなるっしょ」
俺は両腕を上にして、冗談めかしく言う。
もちろん、本気で思っているわけではない。
死ぬのは嫌だ。
しかし、想像よりもあっという間だったとも思う。
首をナイフで貫かれ、痛みに襲われた。
出血も沢山した。
意識が朦朧として、痛みしか感じない。
ただ、その後は無だ。
何も自覚することがなく、痛みも悲しみも何もない。
この感覚はきっと、子供の頃にした、注射に似ているかもしれない。
嫌だと拒絶するけれど、受け入れざるを得ないし、抵抗したとしても、痛みの本流に抗う術はなく、気づいた時には全て終わっている。
「あんまりそういうの好きじゃないな」
「え?今なんて?」
俺の発言に口を挟んだのは、望月さんだった。
聞いたことのないハッキリとした物言いと耳の不自由さもあって、思わず聞き返してしまった。
「だから、そういうの好きじゃない。命を軽んじる発言は、きっとその人を不幸にする。そのラインを超えちゃいけないよ」
普段、アホな言動をしている人とは思えない真っ当な言葉。
驚きのあまり目を見開いたが、言ってることは正しい。
死ぬと理性的な行動ができなくなると、ロリ先生は言った。
実際、その通りに愛生は狂ってしまった。
軽はずみに口にしていいことではないのを、俺が一番分かっているはずなのに……。
「――――すみません」
「分かればよろしい」
隣からはギュッと強く何かを握る音がする。
目を向けると、愛生はレジャーシートを握り締めていた。
愛生にも思うところがあるのだろう。
俺の視線に気づいたからか、思いついたように口を開く。
「そういえば本郷は?しゅんちゃんと一緒に買いに行ったよね〜?」
「あいつは、会長とアンナのとこ。ここからは見えないけど、木陰で休んでる。あっちの方が涼しそうなんだよな」
「アンナたん大丈夫かな?流石にいじり過ぎたかも」
「いや、原因は俺か愛生ですよ。それか熱中症になりかけてるのかもですね」
度重なる俺のサーブや愛生のスパイク、それらほぼ全てがアンナの身体に当たった。
勿論、俺たちに悪意はない。
無いのだが、吸い込まれるように動くボールは意図していてなくても何かの因果を感じる。
二周目でもこの結果なら、きっとどうしようもないのだろう。
側から見れば、いじめと勘違いされそうな絵面だった。
「あのサーブ凄かったね。アンナたんいなかったら取れなかったかも。練習でもしてたの?」
「球技大会の時に少しだけっすね。それより、先輩たちの連携の方が異常過ぎますって。経験者なら言ってくださいよ」
「体育で少しやっただけだよ。ひなもそうなんじゃないかな?」
望月さんは平然と言ってのける。
「それであんなにできるんですね〜」
「愛生も似たようなもんだろ。スパイクなんて練習なしに打てねえぞ」
俺は自分の基本スペックが、そんなに低いと思ってはいない。
しかし、この生徒会役員の中にいると、自信を失いそうになる。
せめてバレーくらいは勝てると思ってたんだけどな。
未来は大体分かってるわけだし。
「じゃあ、しゅんちゃんのおかげだね〜」
「そんなわけないだろ。愛生の実力、それ以外ない」
「冷たいなぁ〜」
愛生は遠慮がちに笑う。
こうして見れば、愛生は魅力的な女性だと思う。
だからこそ、罪悪感が拭えない。
定期的に料理だって作ってくれるし、世話になっている。
何より昔からの幼馴染。
だが、俺は、家族や周りからどう見られるかを抜きにしても、
愛生の気持ちには応えられない。
今は、明確にそう思う。
「君たち二人、何かあった?」
俺たちのやり取りに疑問を感じたのか、望月さんは不思議そうに首を傾ける。
「何かって何ですか?」
「なんにもないですよ〜?」
「いやぁ〜、愛生さんの瞬記くんに対するボディタッチが少ないように見えてさ。もっとデレデレだったでしょう」
この人、本当に勘が鋭い。
思ったことを口にしてしまう性格なのは分かっているけれど、本当に直球過ぎる。
そんな望月さんは、察しましたと言わんばかりにはニヤリと笑みを浮かべる。
「もしかして…その……しちゃった?」
「そんなわけないじゃないですか」
「いやいや、私はまだ何も言ってないよ!瞬記くんはむっつりだなぁ〜」
意気揚々としたセクハラに突っ込むのは、暑さも相まってめんどくさくなってきた。
「私はできたら嬉しいですけどね〜」
愛生は様子を窺っているのか、チラチラと俺に視線を送ってくる。
普段であれば、抱きついてくる所だが、そうはならない。
「え、本当に何もないの?」
「しつこいですよ。愛生とは何もないですって」
俺のこの発言に、愛生はピクリと眉をひそめた。
「私以外とは、なにかあったの?」
愛生は声のトーンが二段階下がる。
……マズイ。
俺は地雷を踏んだような感覚に襲われる。
「…………いや、そんなことはない」
「あーー!その間何!?絶対何か隠してる!」
「嘘だよね?しゅんちゃん」
愛生は禍々しいオーラを放っていて、逃げ出そうにも望月さんも興味津々の様子で逃げ場がない。
「何もないっすよ」
「瞬記くんって嘘つく時、視線が泳ぐよね」
「…………いや、なってないですよ」
「ほら!今、上見た!確定だよ!」
これは何もないって言っても、一層追求されるパターン。
隠すようなことでもないし、腹を括る。
「休み中に、デパートでたまたま会長と会っただけですよ」
「え?それだけ?」
「それだけです」
「へ〜〜〜そっか、ひなと、ね〜〜」
始めは目をぱちくりとさせていた望月さんは、次第に含んだ笑みを浮かべる。
何もなかったのに、なんで女子はそういった話が好きなんだろう。
「しゅんちゃんが何もないって今の文脈っていうことは、それはつまり会長さんをそういう意味で意識してることで、本当に偶然だったとしても、会長さんからしてるかもしれないわけで、いや私がそんなこと気にする必要もないわけで、しゅんちゃんの行動は自由だし、私が制限するわけにもいかないけど、でもでもでもでも――――」
ブツブツと何かを唱えている愛生。
顔が俯いているので表情は読めないが、負のオーラをまとっているのは明らかだ。
「愛生さーん、戻ってこーい」
「ハッ!!ごめんなさい」
我に返った愛生は苦笑するが、まだ訝しげな表情をして海を見つめる。
その横顔は、今にも泣き出しそうで哀愁が漂う。
「瞬記くんは罪な男だね」
「…………」
望月さんは日焼け止めを塗り終えたのか、急に立ち上がり、
「私はあっちの様子見てくるから!あとは若い二人でごゆっくり〜」
と、お見合い口調で言う。
そして、親睦会なんだから仲直りしといてね、と俺にだけ聞こえるように言い、足早に去っていった。
それが簡単にできたらこんな苦労してないが、望月さんが気を遣ってくれたのは素直にありがたい。
残された俺たちに、しばらく静寂が訪れる。
辺りからは家族連れやカップルがいるが、騒ぐ者はおらず、ここの地域の治安の良さが窺える。
海で女子たちがナンパに遭うことは、物語では定番だと思う。
しかし、実際にそんなことが起きるわけがない。
今、誰かに何かを期待するのは間違っている。
俺は愛生に向き直り、頭を下げる。
「前はちょっと体調が悪くて、強く言ってごめん」
「……うん、分かってるからいいよ」
言葉のキャッチボールが一旦止まる。
俺が頭を上げると、愛生は顔を俯かせたまま言う。
「しゅんちゃんは、会長さんのことが好きなの?」
記憶の底から蘇る、あの時と同じ問い。
胸がゾワゾワする。どう答えるのが正解なんだろう。
一回目は、適当に流した。
その結果は悲惨だった。
だから、俺は……。
「好意的には思ってるよ」
「なにそれ」
「俺だってよく分かってないんだ。それに……」
「それに?」
「いや、なんでもない」
今まで恋愛することを否定してきた奴が、どの口で好きになったなどと言えるものか。
しかも、愛生はずっと俺が好きだとアプローチを続けてきた。
仮に俺が他の女子を好きとハッキリ言ったら、どうなってしまうのか。
想像できるのは、また狂ってしまうこと。
他の女を好きかもしれないと告げられて、いい気分なわけがない。
女子の口喧嘩くらいで済めば、まだいいのだ。
人殺しなんて、しないでくれ。
できることなら、このまま穏やかに日々が過ぎてくれればいい。
会長のことを知るうちに、気持ちが変わり始めたのも事実で、愛生はきっと気づいていた。
なのになぜ、一歩を踏み出すのが、こんなにも怖いんだ。
「それに、なに?」
愛生は暗い声音で再び聞く。
「それに……あれだ。いつも思ってるんだ。会長や愛生とか、みんな才能があって努力ができる。そんな人達が俺を好きになるのは違和感っつうか。釣り合わないんだよな」
「卑下するの嫌い」
「悪いとは思ってるよ。ただ…今までそういうのを否定してたのに、すぐって訳にもいかないだろ」
俺のできる限りの本音。
恋することを否定していたのに、仮に会長のことを好きになって、すぐ意見を変えてしまうのは、道理じゃないと思う。
「しゅんちゃんは優しいよ。でもね」
愛生は顔を上げる。
悲壮感を漂わせている表情は、危なげな美しさがあった。
「中途半端な優しさは誰も幸せにならないんだよ」
言いたくて言っているわけではない哀しげな声音。
言葉が胸に突き刺さる。
こんな顔をさせておいて、何が愛生のためだ。
自分が傷つくのが怖くて、人に優しく接してただけ。
優しさの皮を被った利己主義。
それが中途半端な優しさの正体。
結局、人の気持ちよりも、自分のことばかり考えていることを痛烈に実感した。
そんな自分自身が心底嫌になる。
「分かった、ありがとう」
変わるべきなんだ。
俺は。
「そして、ごめん。俺やっぱ」
お読みいただきありがとうございます!!
最近グダってきたかもしれませんが、概ねプロット通りです(汗)
応援していただけたら嬉しいです。




