会長の趣味
8月1日。
終業式は特に何事も起こらずに終わり、高校一年生で二度目の夏休みに突入した。
その生活の中で、片耳が聞こえないことは徐々に慣れてきた。
ただ、首をいちいち曲げないと聞き取れないので、早く治るのを待つしかない。
夏休みといえば、クーラーの効いた部屋で、漫画や小説、そしてゲームに明け暮れる日々。
汗をかくことを忘れる快適な空間。
一人暮らしの高校生の恩恵を存分に享受する。
とまあ、そのはずだったのだが、俺はたった今、35度を超える猛暑の道のりを汗だくで歩いている。
汗でシャツが背中に吸着して気持ち悪い。
道ゆく木々から聞こえてくる蝉の鳴き声がして、コンクリートに蓄積された熱は地上をサウナにしている。
風が吹けば幾分か涼しくはなるが、場所によっては熱風を浴びせられるかのような気候。
インドア派にとっては過酷な日に、なぜこんなことをしているのか。
それは今日ショッピングモールで、愛生の誕生日プレゼントである包丁研ぎを買う日だからだ。
今は8/6からある臨海林間学校の準備期間。
基本的には寮で時間を潰しているのだが、今日だけは珍しく外出したのだ。
別にいつでもいいはずだが、過去にしたことと違うことをするのは、あまり得策ではないだろう。
まあしかし、そんなのは今更考えても無意味かもしれない。
「愛生には酷いことをしちまったな」
あの日から、愛生は俺に対して少し距離をとっている。
先週の終業式や学校での立ち振る舞いからも、一周目とは明らかに違っていて、俺を避けているようだった。
俺の寮に来る頻度もだいぶ減った。
それは俺が望んでいた適切な距離感なはずだが、明らかに避けられているのは負い目があり、どうも落ち着かない。
我ながら虫のいい話だ。
ショッピングモールに辿り着き、自動ドアが開くと冷気が身体を包み込む。
「あー涼しい、生き返る」
一周目は、雑貨屋を中心に様々な店を回って、悩み抜いた末、包丁研ぎという答えに辿り着いた。
同じ誕生日を二回祝うのは奇妙な感覚だ。
「余った時間どうすっかな」
目的の物はほぼ確実にあることが分かりきっている。
そのはずだが、俺は落ち着かない気持ちで雑貨屋まで早足に向かった。
※※※※※※※※※※
「お買い上げありがとうございました」
無事に目的の買い物をして、包装も済ませた。
さて、
「本屋にでも行くか」
ここのショッピングモールは近場では一番大きく、大抵のものが揃う。
その中で本屋に向かうのは趣味というのもあるが、明確な理由がある。
一周目の夏休みは、漫画やライトノベルを電子書籍で買った。
しかし、二周目の夏休みで同じ作品を読むのはコスパが悪い。
どうせなら違う作品買った方が、お得というものだ。
これが俺のタイムリープ節約術。
「小説を買うくらいで、何かが変わるわけないだろ」
ショッピングモールの本屋だけあって、店内はかなり広い。
普段立ち寄るコミックやライトノベルの売り場を探して向かうと、アニメ化決定やコミカライズされた作品が、分かりやすく棚に並んでいる。
その本たちに近づかず、一歩引いた位置で本棚を眺める。
知っている作品や絵柄に引き込まれる作品など様々で、表紙買いをするのもいい。
この時が、俺は結構好きだったりする。
書籍が立てかけてあったり綺麗に修能されてたりする上の棚から下には平積みにされた書籍の数々。その並びには美しさを感じる。
本棚を一望していたその時、見知った横顔をした女性の姿が視界に入った。
「あれ?会長…」
長い黒髪を丁寧に後ろに纏めた女性。普段とは違った髪型に髪色と正反対の白のワンピースを着ている。
また、買い物は終えているようで、本屋の紙袋を手にしてているのだが、何か悩んでいるように見えた。
BLコーナーの前で。
…………ここは会長のためにも、見て見ぬふりをした方がいいだろうし、ここで接触するのは良くない気がする。
いや、決してチキンとかいうわけじゃねーし、未来が変わるかもしれないだけ。
休みの日に絶妙な距離感の知人と会うのって、声の掛け方が分からないとか、そういうわけではない。
もしかしたら、隠したいことかもしれないし邪魔になるのも良くないからだ。
というか、男性恐怖症の人がなぜボーイズラブが好きなんだ?
疑問が募る中、俺がその場から離れようと早足で立ち去ろうとした時、
「ぉぶ――」
太ももまで積み上げられた本の塔が俺の膝に当たり、本を盛大に撒き散らしてしまった。
やっちまった。
「大丈夫ですか?って時透か!?」
俺のやらかしに気づいて来たのは、見間違えではなかったようで、やはり会長だった。
会長は驚いた様子で目を丸くしている。
「会長、偶然ですね」
とりあえず、会長を見ていなかったという体を装い、俺は屈んで本を一冊ずつ拾う。
会長は丸くなった目を細め、
「――――手伝うぞ」
とだけ言い、屈んで本を拾い始めた。
「すみません。ありがとうございます」
俺が感謝を述べると、途端に沈黙が訪れる。
会長をよく見ると、紙袋の中には多くの本があるようで、中身は見えないものの相当な重量に見えた。
そして、会長がちらちらとこちらを窺っているような気がする。
そんな中、本を無言で拾っているもの気まずいので、俺は口火を切った。
「会長は結構な量買ってますけど、何買ったんですか?」
「私は、その、普通の小説とかだな。それと、いつから私に気づいていた?」
「たった今ですよ」
「へぇ、そうか」
含みのある言い方をするのに違和感を覚えたが、特に気にしないことにする。
そうして、俺たちが二人で本を戻していると、店員さんが気づいたようで、駆け寄ってきた。
「お客様ありがとうございます。あとはこちらでやっておきますので大丈夫ですよ」
「いや、倒したのは自分なんで。それにもう終わります」
「ありがとうございます。あと、そちらのお客様に渡し忘れた物がございまして、」
そうして、店員さんが会長に向き直ると、手にしていたポストカード数枚を手渡した。
「大変申し訳ございませんでした。こちらが先程の特典です」
イラストには過度な露出をした男性二人組。
肌が露わになっている煽情的な絵は、どう見ても激しさ満載といった風だった。
「あ、ありがとうございます」
会長は店員さんの好意に感謝を言い、即座に袋に入れる。
そんな会長の耳は、とんでもないほど赤い。
俺が無言を突き通していると、
「時透、この後時間あるよな?無かったら作ろう」
と会長は笑顔を向ける。何かを諦めた人の笑顔は怖い。
「いや、ちょーーっと野暮用があって」
「偶然会った先輩に、すぐ「偶然ですね」なんて普通言うと思うのか?それに自慢じゃないが、雰囲気だって違っているはずだぞ。なぜ嘘をつく」
有無を言わせない笑顔の圧力に、俺は首を縦に振るしかなかった。
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