振り払った手の先に
樹との会話を終え、寮に帰る道を歩いていると、俺の家の窓から灯りが漏れているのが遠目に見える。
やはり、今日は愛生が来ている日だ。
2周目の7月15日がもうすぐ終わる。
この後は、来週の週明けに終業式があり、終業式の日の放課後には林間臨海学校の話を初めて聞かされることになる。
そして、その約2週間後、林間臨海学校の帰り道で愛生は事故に遭う。
それだけは阻止しなければならない。
家の前まで来てドアを開けると、一気に甘いたれと生姜の香りが鼻腔を満たす。
キッチン前には制服の上にエプロンを着た後ろ姿があった。
「生徒会が校則破ってどうすんだよ」
「大丈夫だって〜細かいことは気にしちゃダメダメ〜」
愛生は微笑みながら料理に没頭している。
今日は生姜焼きを作っているようで、千切りのキャベツは皿に盛られ、黄金色の肉がフライパンの上で踊っているようだ。
「頼むから聞く耳を持ってくれ」
「じゃあ生徒会は生徒の体調管理担当も活動。それなら料理を作ることも体調管理の一環だし、大丈夫〜!」
一度決めたら突っ走るのは相変わらずで、自分の意見を変えるつもりなんて毛頭ないのだろう。
愛生は一度決めたら、やり遂げるまでやる。
「罪悪感で殺す気かよ」
「それは私の狙い通りだね〜。観念したら〜?付き合っちゃう?」
「ないって、今更意見を変えるのは……あ」
「ん?どうしたの?」
「いや、何でもない」
俺は荷物を机の隣に置き、ゆっくりと椅子に腰掛ける。
俺の予想では、愛生の事故を防ぐことは容易ではない。
呼び止めても聞く耳を持たないし、仮に腕を掴んで止めたとしても、振り払われて走り去られることになる気がする。
愛生が一瞬の油断をついてくるのは、俺が身をもって知っているからだ。
そうしたら事故は防げない。
だから愛生を何とかして説得する必要があると思っていた。
言葉巧みに愛生の心を沈めて、ちゃんとした話し合い。
しかし、そうではないのかもしれない。
愛生は頑なに意見を変えない。その理由が俺の捻じ曲がった考えに起因しているなら、俺が変わらなければならないのかもしれない。
それに捻くれ切った俺の言葉では、愛生には刺さらない。
変わるべきは、きっと、俺だ。
アンナにも言われたな。誰が結局好きなのか。
紳士に向き合わなければ、愛生は納得しない。
「ところで、愛生が屁理屈を言うなんてな。会長や望月さんに毒されたか」
「しゅんちゃんに言われたくない〜。でも、会長さんはさておき、副会長の望月さんは変だよね〜。この前一緒に下校したけど、急に「目が孕むー」とか言ってたよ〜」
「高級食材をタバコの煙で燻製したみたいな残念美人だもんな」
「先輩に対してその言い方はよくないよ〜」
「自業自得だろ。俺と初めて会った時なんて、JKを合法的に抱けるのは男子高校生だけとか熱く語ってたぞ」
「あーうん、言ってそ〜」
「なんつぅか、生徒会ってすげえ自分の意見を持つ奴が多いよな」
「だからこその生徒会なのかもね〜。会長さんもカッコいいし可愛いし、しゅんちゃん、他の人に目移りしちゃダメだよ〜」
「はいはい、そうだな」
「はい、できたよ〜。今日は生姜焼きとキャベツの千切り〜」
愛生はキッチンから皿を2つ持ってやってくる。
皿の上には生姜焼きと千切りキャベツにミニトマト。栄養バランスも整えられていて、彩りや見た目も良い。
「2皿あるなら俺が持つって」
椅子から離れようとする俺に愛生は有無を言わせずに
「大丈夫〜大丈夫〜」
と言って、2皿を机に並べた。
時々、愛生も俺の家で食事を摂ることがあり、こうして食卓を囲むこともある。
「悪いな、ありがとう」
「あれ?髪に何か花弁かな?ついてるよ〜」
「え?どこ?」
愛生の言葉に、俺は目を丸くする。
こんなことは前回はなかった。
俺の歩く速さ等の些細な行動の違いだろうか。
少しの違いで、何か変わったのかもしれない。
髪を触るも手応えはなく、獲物は見つからない。
「取ってあげるね〜」
愛生は俺の頭に手を伸ばす。
伸ばされた手は俺の頭に触れる寸前、ほんの少しだけ、あの時のことが脳内で蘇る。
愛生から振り下ろされたナイフ。
溢れ出す血、
会長の死体、
愛生の表情、
芋蔓式に映像が脳内で再生され、気づくと俺は
「やめろ!!!」
叫びに近い言いようで、愛生の手を振り払っていた。
「あ、その、わりぃ」
愛生は驚きの表情をしていたが、枯れていく花のように笑顔を無くす。
「え、えへへ。その、ごめんね。あ!そうだ!私、用事思い出した。だから帰るね」
荷物をまとめ、愛生は簡単に身支度を済ませると、早く立ち去りたいと言わんばかりの早足で玄関に向かう。
「ちょ、待て」
「本当に急ぎなんだよね〜じゃあまたね」
愛生は鞄を持つと、自身の髪を捻るように摘んでいた。
そして、逃げ出すようにして愛生は玄関を後にした。
何故手が出てしまったのか。
あれだけ過去と違うことはしないようにと思っていたのに。
些細ないざこざ。ほんの少しの不安。
そのはずなのに、こんなにも胸が騒つく。
新しく植え付けられたトラウマは、想像以上に根深い。
愛生が玄関を後にした後、俺の部屋には枯れかけの花弁が落ちていた。
1週間ぶりの更新で申し訳ございません。
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