ファーストキスは甘くない
「ん……」
「ひな、大丈夫?」
俺たちがくだらない会話をしていると、会長は目を覚まし、落ち着いたようにゆっくりと身体を起こし始めた。
望月さんは先程の下品な言動から一転して、会長の身体を支えようとするが、それはいらないようで会長は「大丈夫だ」という。
「れい、ありがとう。時透も見苦しいものを見せたな」
会長は身体を起こし、胸に手を当てて深呼吸をする。
「会長、大丈夫っすか?」
「あぁ、いつものことだ。それよりも、れいはまだ試合が残っているだろう。体育館に戻ってていいぞ」
「え、でも……」
「大丈夫だ、心配いらない。時透もいるしな」
「……分かったよ」
望月さんは本気で会長のことを心配しているのだろう。
それでも、会長の言葉を汲み取ったのか、体育館に向かうため入口のドアに手をかける。
「じゃあ、私は行くから!ひなをよろしく!えっと、、、エロいことするなら、そこの引き出しにゴムあるからな!ちゃんと真ん中に穴を空けてから使うんだぞ!」
「デカい声で言わないで下さいよ!」
最後まで品のかけらもないことを言い残して、望月さんは体育館に向かった。
「マジでなんなんですか、あの人」
「あれは大体照れ隠しだ。そう思うと可愛いものだぞ」
付き合いがあるからかわかるのか、会長は微笑しながら説明する。
あれが照れ隠し?普通にセクハラだぞ。
そんなことより会長だ。見たところ、水分やタオルなどは見当たらない。
ここは気が効く男と呼ばれる俺の出番!
「飲み物買ってきますけど、何がいいですか?」
俺は椅子から立ち上がろうとするが
「まて!」
とハッキリとした言い方に、俺の動きが停止する。
「…………あ、えっと、、、そばにいてくれ」
「わかりました」
あまり意図は分からない。
いつもこういうものなのだろうか。
俺はベッドに椅子を少しだけ近づけ、会長の方に向いて座り直す。
体育館からはバスケの断続的な音が刻まれ、微かな歓声も聞こえて来る。
それは本当に楽しそうで、俺と会長の隔絶された空気とは全く違っている。
以前もこんな状況があったような気がする。あれはそう、生徒会室で会長に紅茶をご馳走してもらった時だ。1週間前のことなのに、だいぶ昔のように感じる。
あの時、会話を始めなければという義務感があったが、今はこの静寂を悪い物だと感じない。
そこで先に口を開いたのは会長だった。
「それにしても、れいが君に対してあんなこと考えてたなんて思わなかったよ」
「聞いてたんですか?」
会長は「まあね」と言い、目を細める。
「君は気になるかい?」
会長はジッと俺を見つめてくる。その強い眼差しには魔眼のような重々しさがある。
気になるというのはさっき望月さんと話した会長の男性恐怖症の理由だろう。
もちろん気にならないといえば嘘になる。でも、好奇心で会長を傷つけるわけにもいかない。
「話して楽になることだったら聞きますよ。それくらいしかできませんから」
そうだな、と会長は目を閉じて一息つく。
そして、覚悟を決めて目をゆっくり開くと、シーツを握りしめて語り始めた。
「小学生の時に、父の不倫が発覚して、私は学校で軽いイジメにあった。ニュースにも、なったし。今と同じで、私は、気が強いからな。当然の成り行きかもしれない」
会長は昔話を語るようにゆっくりと話す。石橋を叩いて渡るように。
きっかけは父親。だから以前、「私と同じ」って言ってたのか。
「それだけなら、良かったんだが、エスカレートしてきて、……流石に……担任の教師に……相談したんだ。そうしたら……」
「会長?」
会長の様子がおかしい。呼吸が荒くなり、目の色を変えている。
「そうしたら……ぁ……ぁあいつと……空き教室に……ぃ……いって……私の身体を…………ベタベタ触ってきて……ぇ……ぁ……」
「やめてください、もういいです」
「下半身を…無理矢理……触らされて…………抵抗したら……髪ごと頭を引っ張られて…………声が出なくて…………こわくて」
「やめてください!」
俺は保健室に相応しくないほど声を荒げる。
これ以上思い出したら、何かが壊れてしまいそうで、強制的に話を終わらせる。
「……すまない。全部吐き出したらスッキリすると思ったんだがな。……難しいみたいだ」
会長の手は震えていて、苦悶の表情を浮かべる。
トラウマに向き合うのは、自ら泥沼に自分からハマるようなものかもしれない。もがいて足掻いてジタバタしても、足を取られてより深みへ嵌る。
それなら忘れてしまった方が絶対に楽だ。
「すみません。興味本位で聞くことじゃありませんでした」
「……いいんだ。君には聞いてほしかった」
やはり会長は公園で見かけたあの子によく似ている。
俺は鈍感じゃない。しかし、確信が持てない。
「その後、今までまでやってこれたのって、何かあったんですか?」
我ながら臆病な聞き方だ。
「ある少年に励まされたんだ。強く生きなくてもいい。手を抜けってね」
「やっぱりあの時の泣いてた女の子、会長だったんですね」
「覚えてるのかい?」
「俺、記憶力いいんで。あんまり思い出したくないっすけど」
子役を辞めてしばらくした頃、公園で泣いていた少女を見かけたことがある。
あの時は不真面目になりたくて、自分のやっていることが正しいと思いたくて、学校に行きたくないならいかなくていいだとか、気を張らなくていいとか、そんな惰性で生きることを誰かに吐露したかった。
だから、泣いている子を見過ごせなかったというのもあり、ついでで励ましたに過ぎない。
今にして思えば、馬鹿なことをしたから思い出したくもない。
「でも、私は君のあの言葉に救われたよ」
会長の震えは多少和らいだようで、微かに笑みを浮かべる。
あんな言葉で本当によかったのだろうか。
「私からも聞いていい?」
「なんですか?」
「君はなぜ深嬢と付き合わないんだ?」
またこの質問か。
「家族間で、もめたことがあるんですよ」
父と母の離婚を始め、愛生の父親にやってはいけないことをした。
そこで人の人生を破滅させるには、恋愛は十分すぎるということを知ってしまった。あんなに悲しい思いをするくらいなら最初からしなければいいのに。
「……なんでみんな恋愛したがるんですか?」
会長は怪訝そうな顔をする。でも俺は止まらない。
浮気や不倫に離婚、それらは世の中にありふれているかもしれない。
そんなささいなことだが、人生を狂わせるには十分だ。
そのような可能性があるのにも関わらず、クリスマスだのバレンタインだのと、恋人を作ることがあたかも正義のように浮き足立つのは何故なのか。
性欲を正当化するためなら納得がいく。お互いが満足するための道具。しかし、世の中はこの考えを否定するだろう。
それなら、なぜなんだ?
「俺は臆病だと思います。でも、モテたいモテたいって中毒みたいに言うのは、愚かだと思ってしまいます」
「恋愛は愚か……ね」
「間違っていますよね。分かってます」
結局、俺は会長と同じで過去にこだわって囚われている。
「君は人間を美化しすぎだし真面目すぎだ」
「え?」
会長の意外な発言に、俺は素っ頓狂な声を漏らす。
「なんで恋愛をするのかって、それは人が愚かな存在だからだよ」
会長は諭すように続ける。
「イジメられたことがあるからわかる。人の本性は環境によって良くなったり、悪くなったり変わるんだ。恋が愚かな行為じゃない。愚かだから恋をするんだ」
「分かってるなら、どうして…」
馬鹿なことをすると言いかけた時、俺は理解した。
そうか
馬鹿なことは楽しいんだ
「分からないなら、教えてあげる。ちょっと耳貸して」
会長は嗜虐的な笑みをする。
「なんですか?大きな声で言えないことですか?」
椅子から立ち上がって近づくと、会長は手招きでもっと寄れと合図してくる。
触れたら吐かれるかもしれないし、止めておいた方がいいと思うが、会長に触れないギリギリまで近づいて、耳を貸すためにベッドに手をついて屈むような体勢をとった。
「それで、なんですか?」
俺は聞く体勢に入ると、会長は耳元で囁くように
「わたし、がんばるよ」
とだけ言う。
瞬間、会長はベッドから身を乗り出すようにして俺の手に触れる。
驚いてとっさに身を退こうとするが、会長の左手が俺の頭を引き寄せ、唇同士が重なる。
急な展開すぎて理解が追いつかない。男性恐怖症の、しかも先輩に唇を奪われている。
柔らかな唇は俺と会長の温度を交わらせ、時間を止める。
鼻息が頬に当たり、湿度を上げるような感覚は俺の心拍を上げて酩酊させる。
「何を―――ッッ!」
手を振り解いた俺は数歩後ろに下がる。
「馬鹿なこと、しちゃったね」
会長は蕩けたような艶やかな笑みを浮かべるが、こっちはそれどころではない。
男嫌いの会長が俺の手を触ってキスまで。恐怖症は全部嘘か?
いや、違う。たった今、会長は自分から馬鹿になって見せた。
「なんだ?だんまりか?感想とかないのか?」
「…………甘酸っぱい、というより……少し苦いですね」
俺は言葉を選ぶようにして、辿々しくいう。
その感想に会長は恥ずかしそうに慌てる。
「ここに来る前…トイレで……その……口はゆすいでるぞ」
照れる会長を初めて可愛らしいと、はっきりと思った。
ファーストキスの味は、例えるなら恋の味だろう。
甘酸っぱく甘美な響きは誰もが尊いものと認識する。
そんな俺の初めてのキスは、胃液の香るゲロの味だった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
初めてキスシーンを書いたということもあり、本当に面白い小説になってるのか?と疑問に思うことがしばしばあります。
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