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おやばと  作者: はーこ
6/18

*6* いかないで

 耳に届いたのは、ぼやけた振り子の音だった。


 チク、タク……チク、タク。


 いぐさの香り。天井の木目。

 ここは、どこだろう。すぐには思い至らない。


 クルックゥ、クルックゥ!


 木製の扉から飛び出した鳩が、思考の海底に深く沈んだ意識を引きあげる。

 脊髄反射で上体を起こすのは、きっと当然のことだったろう。


「ややっ、お目覚めですか? おはようございまーっす! いいお天気ですね! なんちゃって」


 からころ。硝子玉を転がしたような、ふいの高い声音。

 淡い朝陽の射す鴨居の向こう側で、障子に片手をかけた少女がひとり、はにかんでいた。


 広げたすきまから身体をすべり込ませ、体重を感じさせない足取りでやってきたその子は、水平に抱え込んでいた右腕のお盆を畳に下ろす。

 湿らせた手拭いと、プラスチック製の水差しと、コップがひとつ、載せられていた。


「安心してくださいね。ここ、悪の組織の根城とかじゃないんで。ただのしがない古民家なんで。のど渇いてないですか? お水ここに置いときますね。ご飯は食べられそうです? 持ってきましょうか! ってうわっとぉ!?」


 言うだけ言って、どこかへ行こうとするから。

 残酷なほどの静けさの中へ、また放り出されるくらいならと、防衛本能が働いたんだろう。

 だから……力任せに腕を引いてしまったのは、仕方がないことだと、許してほしい。


「……いかないで」


「あのう?」


「ここにいて……くだ、さい」


「えと、りょーかい、です?」


 少女はこくりとうなずくと、畳の縁から退き、布団の脇にちょこんと座り直す。


「きみ、は……」


「わたし? あっ、わたしはですね」


「はとこさん、でしたっけ」


「そうですそうです! 覚えてもらえてて、よかった! えーっと、お兄さんは、」


「ごめんなさい……わからなくて」


「はは、やっぱり、ですよねぇー」


「……〝やっぱり〟?」


 名前をきき返される文脈で、わからない、と答えた。

 そんなことあるはずないのに、彼女は別段驚いた様子もなく、苦笑を返すだけ。


「わたしも話でしか聞いたことなかったんで、半信半疑だったんです。けど、色々と心当たりがあるんで、たぶんそうなんじゃないかと」


「なにが……ですか?」


 核心を問えば、こほん、と咳払いがひとつ。

 それから背筋を張った少女が、黒目がちな瞳に、真摯な色をまとわせた。


「キミにタチの悪いいたずらを仕掛けたのは、記憶喪失をはじめとした様々な症状をもたらす、困ったさんだ。まぁ疾患というものは、総じて厄介者だがね」


 でも続きをつむいだのは、予想していた硝子の音色じゃない。深みのあるバリトン。

 引き寄せられるようにふり返った入り口で、いつからだろう、開いたままの障子に男性がもたれていた。50代くらいの。


「その疾患のことを、我々はこう呼んでいる。〝ひなどり症候群〟――とね」


 ひなどり、しょうこうぐん。


 告げられたと思われる単語を、脳内で復唱してみた。

 ろくに酸素の行き届いていないか細い思考回では、詰まってしまって、うまく運べなくて。


「フッ……決まった」


「あれぇ? (より)さんだ。朝早いね、おはよ~。回覧板かな?」


「ふはは、そうだよ、はとちゃん。回覧板だ。そうなんだけど、そうじゃないんだよ、おはよう」


 白髪混じりのオールバックを、得意気にこめかみへなでつける男性。

 のんびりと手を振る少女の言葉に、頬を引きつらせたかと思えば、クワッと目を見開く。


「空から女の子ならぬ、地面に男の子が落ちていたと聞き及び、この私、みんなのスーパーダンディーが、颯爽と村役場から駆けつけた次第でッ!」


「俺は、病気なんですか……」


「ンンッ! キミも聞いちゃいないねェ!」


 ……いけない。色んなことが一気にありすぎて、いっぱいいっぱいになっていた。

 額に手のひらを当てて「Oh……」と天井をあおぐ男性に失礼な態度を取ってしまったことだけは、間違いない。


「すみません、えっと……」


「頼さんはね、うちのご近所さんで、村長さんなんですよ!」


 言葉に詰まる俺へ、にこにこと投下されたのは、それなりの威力を持った爆弾。


「オッホン、そういうことだ。我が蛍灯村(けいとうむら)へ、ようこそいらっしゃい、見知らぬキミ。私が村長の古庄(こしょう) 頼光(よりみつ)だ。よろしくどうぞ」


「……けいとう、むら」


 打って変わって、意気揚々と差し出された右手を、半ば条件反射で握り返す。

 痩身の節くれだった指先に反した力強さが、曖昧な俺をしっかりとつかんで、はなさなかった。

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