*21* 夏のせい
ここ蛍灯村には、駐在所だとか交番だとかいう施設が存在しないらしい。
代わりにその役目を担っているのが、はとちゃんや鷹緒さん、つぐみさんが所属している、蛍灯村役場〝自警課〟と呼ばれる人たち。
「……ってつまり、実質はとちゃんが警察ってことだよな……?」
「そんな大層なもんじゃないよーう」
道理で、鷹緒さんが「パトロール行くぞ」と当たり前のように宣言するわけだ。
遅ればせながら理解した俺をよそに、当のはとちゃんは、のんびり歩を進めるだけ。
辺りは、見渡す限りの田んぼ。赤いポストらしきものはまだ見当たらない。
等間隔に並んだ青い稲が、そよ風にさやさやと揺れている。
ひと呼吸分の沈黙を挟んで、くるくると回る目前の向日葵へと視線をもどした。
何故、駐在所や交番がないのか。
俺の問いに、はとちゃんは「必要がないからかな?」とだけ答えた。
そりゃあ、村は平和そのものだけど。だから必要なくなったとか……いや、あり得るかも。
このとき俺の脳裏には、ダプルピースを決め込んだ頼光さんのすがたがよぎっていた。
「まぁおかげさまで、毎日のお仕事がお散歩になってますよ」
「……ねぇ、俺を見つけてくれたのって」
「うん、パトロールしてたとき。見つけたのがたっちゃんとかだったら、咲くんひょいっと背負えたんだろうけど、わたし、途中でバテちゃってさ。いやぁ、鍛練が足りませんなぁ。ごめんなさい」
1歩先を歩いていたはとちゃんが、ふり返りざま、薄笑いで頭を下げる。とたんにわけがわからなくなった。
……どうして。なんで。
「……なんで、謝るんだ」
「咲く、」
「助けてくれたのが、きみでよかった。俺はそう思ってる。謝らないでくれ。会えてよかったって思ってるのが、俺だけ……みたいだ」
あぁ、また変なことを口走ってる。自覚はあるよ。
だけど、俺は口下手だから。どれだけ頭を使ったって、上手いチョイスなんてできるわけがない。
「あっと、咲くん? その辺で……」
「…………」
「うぅう……! ごめんっ! わたしが悪かったよぅ……わたしもね、おんなじ! 咲くんと会えてよかった!」
「……ほんとに?」
「ホントホント! 最初見つけたときは冗談抜きで身体が冷たくて、こっちの心臓まで止まりそうでさ……でもでもっ、絶対、ぜっっったい助けてやるんだって思ったんだから! 無事目を覚ましてくれて、元気になってくれて……笑ってくれて、あぁ……よかったって、諦めなくてよかったって、思わず頼さんの前で号泣しちゃったの内緒にしてたのにぃ~!」
「そう……そっか」
頬がゆるんでしまう俺は、不謹慎なやつなんだろう。
それでも、いまだけは言える。かまうもんかって。
はとちゃんがかけがえのない存在であるのは、もう変えられようのない事実だ。
……俺だけが求めているのだと、物寂しさは、胸の片隅にいつも棲みついていた。
だけど。感極まって涙目になったり、真っ赤に茹で上がった顔を傘の影で隠したり、きみにそうさせることが俺にもできたんだって知れて、薄情にも胸が高鳴る。
どき、どき、と近づくこの音は、不快じゃない。
「……どうしよう。ぎゅって、したい……ものすごく」
「ふぇあッ!?」
「俺も、よくわからないんだけど……なんていうか、胸がムズムズして、たまらない」
「えっ、えっ」
「発作が出たときとか、いつもしてもらってるから……その、たまには俺からしちゃ、駄目……かな?」
「ウッ…………!」
不躾にならないよう、控えめにお願いしたつもりが、何故か胸を押さえてフラつくはとちゃん。……え。
「はとちゃんっ!?」
「これは……まずい。普通に、死ねる……」
「死っ……!? 駄目だはとちゃん、しっかり!」
「いや、むりっす。供給過多やばい」
「きょ……?」
「大天使エミエルのシャイなスマイル、略してシャイニンスマイル、ありがとうございます!」
とっさに抱きとめたはいいものの、和傘の柄を握りしめるはとちゃんが、あまりに安らかな表情すぎて……
「……俺、大変なことに気づいたかもしれない」
「むっ?」
「俺が笑ったら、はとちゃんに隙ができる、らしい」
「えっとあのえみさん」
にっこりとか、自在に表情筋を使えたなら、どんなによかっただろう。
張り切れば張り切るほど、空回るタチ。
これでも学習した俺だから、無理な挑戦はやめた。
難しいことは考えなくていい。
ただ、はとちゃんを瞳に映すだけ……それだけで、胸がきゅんとなって、目の前にいる女の子が固まる。
自分がどんな表情をしてるとか、この際どうでもいい。めったにないチャンスを逃したくないから、思いきって腕を伸ばす。
小柄な背はすっぽりと両腕におさまって、なんだ、案外近くにあったんだなって、拍子抜けだ。
そうだよな。はとちゃんはいつだって、そばにいてくれた。
「……変だな。はとちゃんがいないと、息ができないのに……そばにいても、息苦しい」
「咲くん……?」
もどかしくて、焦れったい。
笑っちゃうよな。これ以上、近づけやしないのに。
「どうしたら、もっと近くに行けるんだろう」
無防備な首筋に顔を埋めて、俺より少し間隔の短い脈動を感じてなお、求めてしまう。
傘を握るちいさな手が、ほんのひとときでも、俺を包んでくれないかなって。
求めて、求められたら、いまよりずっと、近づけるんだろうか。
「……ごめんな」
なんに対する謝罪なのか。口走った俺自身が、よくわかってはいなかった。
複雑な色でごちゃまぜで、ひと言で表すのは難しい。
少なくとも、困らせてしまったことへの申しわけなさは、あるだろうけど。
「俺の、わがままでした」
冗談めかしたら、なかったことにできるだろうか。
できなくても、誤魔化すくらいは。気が大きくなってしまったのも、日射しのせいにしたら。
「オーケー、理解しました」
「……え?」
せっかく、やっとの思いで身体を離した俺に、深呼吸をしたきみがつぶやく。
「咲くんの笑顔に値段なんてつけられないけど、それできみが満足するって言うなら、お安いもんさ。いつもほわほわしあわせ気分にさせてもらってるお礼です、さぁ、はとこをおもち扱いでもなんでもするとよいでしょう、特別に許可します!」
「……なんでも?」
「あっ、おもちも引っ張りすぎるとちぎれちゃうので、できればやさしくお願いします……」
「……ははっ」
そうだけど、そうじゃない。
見当違いなことで身構えてしまうはとちゃんが、駄目だ。すごく、すごく……かわいい。
「ちょっと、俺を甘やかしすぎじゃないか?」
「んー……わたしとしては、うれしかったですよ?」
「うれしかった?」
「遠慮ばっかしてる咲くんの、わがままが聞けて。やっぱ咲くんはさ、笑ってる顔が、一番すてきだよ!」
……あぁ、もう。きみって子は。俺を舞い上がらせて、どうしたいんだ。ろくなことがないだろうに。
「うん……ありがとう。お言葉に甘えて、もうちょっとわがままになってみる。……覚悟、してね」
「ホッホッホ、頼さんやお兄ちゃんの無茶ぶりに比べれば、なんのなんの。思いっきり来たまえ」
相手はあのはとちゃんだから、一筋縄ではいかないだろう。
それでも、こんなところで足踏みばかりは、してられない。
「手、つないでもいいかな」
両腕いっぱいに受け止めてくれる女の子のところへ、俺は、踏み出したい。
「早速ですな、あっちょっ、手汗やばいからタンマ」
「大丈夫、俺もやばい」
「違うんだよ……天使からはいいにおいがするんだよ、天使だから……あーっ! いけませんお客様! お客様ーっ!」
言葉の続きは聞かないふり。あたふたと空中をさまよう左手をさらって、ぎゅっ。
ちいさくて、細い指だ。女の子の、手。
くらりとめまいがしたのは、日射しの仕業ではないだろう。
……夏のせいに、したくない。




