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おやばと  作者: はーこ
2/21

*2* 知らない場所で

 深海に暮らす魚が、いきなり地上へ引きあげられたとしたら、こんな感じなんだろうか。


 いっそ辛いほどのまばゆさ。真白の静寂。

 こわごわと光を網膜に取り入れて、じっと明順応を待つ。


「……っ」


 知らない。身に覚えがない。

 まっさらな天井も、間接照明も、横たわった世界すべてが。


 ぱた、ぱた、ぱた……


 凪いだ水面に、規則的な滴下音が届く。鼓膜をふるわせ、波紋を落として。

 ようやく定まった焦点で、力なく投げ出された一本の腕。

 それに食い込んだ〝なにか〟が映し出され、にわかに覚醒した。


「うぁっ……!」


 でもろくに脚を動かすこともできず、もつれた勢いのまま床へ雪崩(なだ)れ込む。

 したたかに打ち付けた四肢。散らばったシーツ。

 もがくように白い布を跳ねのけ、上体を起こした。


「どこだ……」


 うわごとがこぼれて、ガラスのキャンバスを見上げた男の存在に気づく。

 額縁の中で唇を噛みしめた彼は、(とび)の羽根を思わせる赤暗い茶色の髪に、色素の薄いブルーの瞳を持っていた。

 ぺたりと右手を頬に当てれば、彼も左手で同様にする。


「だれ、だ……」


 驚き。戸惑い。焦り。

 ひと言では形容しがたい感情の高波が、思考を飲み込みながら渦を巻く。


「だれなんだ、おれは……っ」


 知らない。わからない。なにも。

 誰よりも知っているはずのじぶん自身が、なにも持ってはいなかった。からっぽだった。


「おれは、だれで……どうして……っ」


 理解するほど、言葉にするほど、耐えがたい焦りと不安の荒波で揉みくちゃにされる。

 心拍数が跳ね上がり、ドクドクと拍動音がやたら近くにある。


 口が渇く。ひび割れてしまう。

 胸が、苦しい。

 どうして、どうしたら……誰か、だれか!


「どうされましたか!?」


 自分ではない、男の声。

 反射的に振りあおいだそこ、スライド式のドアを開け放って、誰かが駆け寄ってくる。

 かろうじて視界に認めたのは、ひるがえる白い裾。


「はッ、はッ、はぁッ……!」


「大丈夫だから、息を吐こうね」


 くり返しなにかを呼びかけられている。それはわかる。

 けれども腹の底から込み上げてきたのは、安心感より嫌悪感だった。

 だって、うるさい。どこかで鳴り響いている電子音が。


 うるさい、うるさい、あぁ、うるさいうるさいうるさい……!


「ふぅっ……ぐ、ア、ぁあッ!!」


「っ、点滴のルートが!」


 意味のないうなり声を上げながら、右腕に噛みついていた違和感の元凶を、力任せに引きちぎる。

 透明な蛇がシーツに叩きつけられ、解放感の後に、熱の奔流が噴き出す。

 くり返される呼び声に、ソプラノのトーンが重なった。


「なにがあったの!?」


「パニックで過換気になってる。俺が抑えとくから、ドクターコールと、バイタル!」


「所長ならすぐ来るから! 止血任せて!」


 アカ、あか、赤。

 右肘の真ん中の、一番太い血管から、赤黒いものが流れ出る。どんどん。たくさん。


 比例して呼吸が薄く、速くなる。

 身体にこもる熱を発散したい一心で、がむしゃらに羽交い締めを振りほどく。


「はァッ、ぐぅ、うぁあああッ!!」


「はーい、落ち着いて、ゆっくり息しようねー」


「吸うのは勝手にできますからね。吐くほうを意識して、はい、ふぅー!」


 ふたりがかりで抑えつけられて、暴れまくったロボットは、最後どうなるのか。

 そんなの決まってる。バッテリー切れでシャットダウンするんだ。プツンと、死んだみたいに。

 そうか……俺は、死ぬの、かな。


「――目を閉じて」


 けたたましいノイズに混じって高い声音が届いたのは、そんなときだ。

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