*19* お仕事開始
「お、新入りか? まーたほっせぇのが来たなぁ」
「これはこれは。お人形さんみたいな美青年を拾ってきたもんだねぇ、はとちゃん」
そうこうしているうちに、視線が集まってくる。
そりゃあ、これだけさわげば当然なんだろうけど。
中でも実際に歩み寄ってきた人影は、ふたつ。
「ふーん、おまえがはとの言ってた〝咲くん〟か」
「……は、はじめまして」
「見れば見るほどほっせぇな。さわったら折れちまいそうだ、マジで男か?」
「マジで男です……」
顔立ちはさておき。これでも背に関しては、取り立てて低くはないと自負していたつもりだ。
179cmあるという葵を、少し目線だけで見上げるくらいだ。この年代における日本人男性の平均身長は、ゆうに満たしているはず。
だが、今日は相手が悪かった。
170cm後半はあるだろう俺をひょいと腰を折ってのぞき込む、黒髪の男性。
墨を落としたような切れ長の瞳に捉えられたら、ひゅ、と呼吸が停止してしまう。
さながら、猛禽に狙いを定められた獲物の気分だ。
「こーらタカ、彼、固まっちゃってるでしょうが。図体デカイんだから、その辺にしときなさい」
「んお? 怖がらせちまったか? わりーわりー、生まれつきの顔なもんでな」
ため息混じりの呆れ声が聞こえたかと思えば、頭上にかかる影がふっと退く。
何回かまばたきをして、目を疑った。
ついさっきまで俺を射抜かんばかりに見据えていたのは、目前でからからと笑い声をあげる彼だったろうか。
くしゃあ、と崩れたはにかみはまぶしいくらいで、とてもじゃないけど、頭が追いつかない。
「っと、自己紹介がまだだったな。オレは鈴森 鷹緒。そうだなぁ、はとの親戚ってところか?」
「……はとちゃんの?」
「遠縁だけどな。で、こっちが」
「同じく鈴森。鈴森 つぐみだよ。タカとはいとこになるね。よろしく」
「よろしく、お願いします……!」
鷹緖さんは、はとちゃんの親戚なのか……太陽にも負けない鷹緒さんの笑顔を思い返せば、はとちゃんと同じ血を引いてるっていうのも納得できる気がした。
対してつぐみさんは、鷹緒さんとあんまり似てないんだな、と思った。
落ち着いた物腰で、木ノ本家では見かけなかったタイプだったからかもしれない。
それと……訊いてもいいのかわからないけど、その。
「あの……つぐみさんって、もしかして」
「うん? あぁ、私? まぎらわしくてごめんね。こんなナリしてるけど、一応女だよ」
やっぱり……気のせいじゃなかった。
鷹緒さんと同じワイシャツにパンツ姿なんだけど、つぐみさんは体格がひと回り違うというか、華奢なんだ。
俺とそんなに目線は変わらない。
女性にしては長身で、艶やかな黒髪がベリーショートなこともあり、一瞬は男性かと思ってしまったほどだ。
「たっちゃんとつぐちゃんはね、ちょー仲良しのお友だちで、頼れるお兄さん、お姉さんなんだよー」
「そんなこと言ってっと、また葵のやつが拗ねちまうぞ?」
「あはは、目に浮かぶなぁ。あおくんってば口ではなんだかんだ言って、シスコンだからねぇ」
「ホントそれ。たまに会ったときくらい、素直になりゃいいのに」
「それが難しいんだよ、天の邪鬼なものだから」
シスコンだったのか。それは……なんとなく知ってたかもしれない。
はとちゃんにズバズバ物を言っているまなざしが、やさしいから。
そういえば、はとちゃんに恋人が――って話をしたとき、物凄い形相になってたっけ。
「本当にやさしいお兄ちゃんなら、かわいい妹のほっぺをつまんで、おもち呼ばわりしたりしない……」
肝心のはとちゃんは、「解せぬ……」と難しい顔だけど。
うん……がんばれ、葵。
「そうだはと。出勤してるってことは、そっちのほうはもう平気なのか? 明日から移動市があるけどよ、オレらだけでも、回せるっちゃ回せるぜ?」
そう、出勤。はとちゃんは、仕事をしにきたんだ。
働いていたことも、年齢だってそうだ。俺は、はとちゃんのことをなんにも知らない。そんなことにいまさら気づいた。
こんなによくしてもらっているのに、申し訳なくてたまらなくなる。
「あの、移動市って?」
「あぁ、咲くんは、まだ見たことがないのかな」
居ずまいを正す俺の問いにいち早く返答してくれたのは、つぐみさんだった。
「月に一度、2日間開かれる限定市場のことだよ。村の外からやってきた行商が主体になるから、ふだん村じゃ見かけないような品物を買うことができるんだ。果物とか、野菜とか、魚介類とか。衣服や装飾品だったりもね」
「そうか……だから里子さんが、アサリの味噌汁って」
蛍灯村は、どこもかしこも山に囲まれた僻地だ。舗装された道路と畦道も、半々くらい。
夜になれば、街灯なんてほとんどない真っ暗闇。決して交通の便がいいとは言えない。
お年寄りも多い村にとって、外から行商がやってくるというのは、ありがたいことなんだろう。
「へーきへーき! みんなに咲くんを紹介したかったし、気分転換にもなるからね。お仕事しますよー」
「りょーかい。設営は明日の早朝からだから、とりあえずいつもの巡回して、夕方に軽く会場見て回るか。ちょっくら準備してくらぁ」
「はいはーい!」
「参加者名簿と会場の配置図は、私がリストにまとめておきました。最終確認をお願いしますね、村長」
「まっかせっなさーい。それじゃあみんな、今日も1日頑張ろう!」
テキパキと予定を告げて、きびすを返す鷹緒さん。
つぐみさんから受け取った冊子をヒラリと振り、密集したデスクの間を縫って奥の部屋へ消える頼光さん。俺が呆けている間に、トントン拍子に物事は運んでいく。
「わたしたちも行こっか」
「鷹緒さんを待たなくても、大丈夫なのか?」
「だいじょぶ、だいじょぶ!」
「タカはちょっと相棒を迎えに行ってるだけだからね、すぐに来るよ」
「相棒……」
当人たちの間でしか伝わらないような、最低限の会話しか耳にしていないからか。
はとちゃんたちがこれからどこへ行くのか、なにをするのか、部外者の俺にはまったくわからない。
にこりと笑うつぐみさんに促され、はとちゃんと俺は一足先にフロアを後にする。
正面玄関の自動ドアを潜ってすぐ、軽快な靴音が近づいてくる。
「お待たせ……って、うげぇ。こりゃ日射しがキツくなりそうだな。溶けちまわないようにしねぇと」
「咲くんならまだしも、タカは倒れないでしょ。死んでも死ななそうな図太さがあるのに」
「つぐおまえな、もっと言い方ってもんが……ま、たしかにヤワなつもりはねぇけど。熱中症でブッ倒れんなよー、咲ー」
「がんばりますっ!」
俺としても、なにも役に立てずお荷物になるのだけはごめんだ。
きっとやり遂げてみせる……なにをするのかサッパリわからないけど!
「いい返事だ」
鷹緒さんがニッと口角を上げて、ようやく気づく。
さっきまで手にしていなかった〝なにか〟を、右肩に担いでいたことに。
鷹緖さんがくるりと手首を返した、次の瞬間だった。夏の日射しをさえぎるものがある。それはパッと咲き誇った、純白に輝く大輪の花。
――また、だ。ここでも。
頼光さんの〝それ〟は、朱色だったか。
呆ける、いや見惚れる俺の左腕を、女の子のちいさな手が引いた。
「咲くんは、こっちね」
ふり返れば、今度は鮮やかな向日葵が花開いている。
――華やかな和傘。
からりと澄み渡った晴れ空を堂々とふり仰ぐ、花の芸術。
花弁型の影の中へいざなわれながら、どこか夢見心地のような気分になってしまう。
「うっし、そんじゃ、パトロールに行こーかィ」
ふわふわと現実味のない光景の中。
大輪の花を差し、背筋をしゃんと伸ばした大小の後ろ姿が、金色の日射しと共に不思議と脳裏へ焼きついた。




