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おやばと  作者: はーこ
16/26

*16* ほんの一歩でも

「キミは繊細で純真で、不義理を厭う志高い青年だ。だけれどね、身寄りもなく、まったく不安を抱かない夜もないだろう。いたいけなひなどりを見捨てるほど、薄情な我々ではないよ」


 キミは強い。けれど、ときには弱くてもいい。

 手を伸ばしてくれ、自分たちはここにいるからと、そう言われた気がした。


 ……俺も知らないうちに張り詰めていた糸にふれられて、どうしたらいいって言うんだ。

 俺には、返せるものがなにもないのに。どうして、こんなにも……


「真面目な話をしよう。(えみ)くん、キミはどうやら、厄介なことに巻き込まれた可能性がある」


 机上で手を組んだ頼光(よりみつ)さんの真摯なまなざしが、様々な感情で揺らぐ俺を縫い止めた。


「どういう、ことですか……?」


「いいかい。そもそも〝ひなどり症候群〟は、この蛍灯村にて猛威を奮い、そして、消滅した疾患だ。数十年も前にね」


「でも、俺は……」


「あぁ。過去の記録に残っている〝ひなどり症候群〟と、酷似した症状を呈している。なんらかの要因で再興してしまったと考えるのが、妥当だろうね。では、その要因とはなにか? ――本題はここからだ」


 俺だけじゃない。はとちゃんも、(あおい)も、ぷーすけすらも、まばたきを忘れて頼光さんに注目している。

 固唾を飲んで、続きを待つ。


「詳しい話は、はとちゃんから聴いているよ。村の山奥で、雨に打たれて、キミは倒れていた。薄手の病衣一枚以外なにも身につけていない、生まれたままも同然の姿で」


「なっ……」


「間違っても、健常者がお散歩に出掛けるような格好ではないね。事実、キミには低体温症の症状があった、そうだね、はとちゃん?」


「うん。呼吸が鈍くて、異常に身体が冷たくて。にわか雨に打たれた程度じゃ、あぁはならないと思う。それこそ、雪山にでも登ったりしないと」


「いまは、夏です……」


「そう、いくら蛍灯村の夏が涼しいからとはいえ、あり得ない現象だ。残念ながら、経緯を推し量ることは叶わないが、少なからずわかることがある。あの日この村へやってきたことは、キミの意思ではない、ということだ。意識が朦朧とするほど衰弱していたんだ、当然だろうとも」


「つまり、彼の身体になにかしらの細工をした、どこぞの阿呆共がいる、ということで合ってるかな、頼さん」


 腕を組み、吐き捨てる葵の言葉に、明確な肯定はない。

 でも、否定もない沈黙が、すべてを物語っていた。


「携帯も免許証も、身分を示すものはなにひとつ持たず、普段着にはナンセンスな病衣姿、重篤な低体温症。不可解な状況ばかりで発見された咲くんが、かつて消滅したはずの〝ひなどり症候群〟と同じ症状を発症した。どうも私には、これが偶然に思えなくてね。人為的な〝なにか〟の介入を、疑わずにはいられない」


「一体、誰が…………っあ」


 ……いる。ひとり、と言わず、さんにん。

 心当たりがある。俺が目を覚ましたときそこにいた、白衣の若い男女と……黒衣の女性。


「あのひとたち、は」


 声が、かすれる。

 白雪の髪。去り際、物言いたげに俺を捉えた、オニキスの瞳。

 ……頭が、痛い。こめかみの辺りが、割れるように。いたい……


「っは……は……うぅ」


「だいじょぶ、だいじょぶだよ、咲くん」


 頭を抱え込むように引き寄せられて、額をくすぐる藍色鳩羽。

 頬にはやわらかな感触と、ほのかな心音を感じて、荒れ狂う前に、心が凪ぐ。

 頭をなでられて、ぎゅうっと背中を抱きしめ返す。


 すぅ、はぁ、と何度か深呼吸をして、ゆっくり身体を離したとき、伸ばしていた手を引っ込める葵の様子が視界をよぎった。

 続く言葉はない。そう……だよな。こんなところを見せられて、困惑しないわけがない。


「……ごめんなさい、ちょっと、取り乱しました。はとちゃんのおかげで、もう平気です」


「いやいや、こちらも、デリケートな問題に首を突っ込んでしまって、悪かったね。もう少し慎重に言及すべきだった」


「いえ、俺が動揺してしまったせいでもあるし……驚きましたけど、整理したら大丈夫です。ここに来るまでに会った人たち……あの人たちが、事情を知っているかもしれないんですね。だったら、話を訊きに行けば、」


「それはやめたほうがいい」


 語尾を遮ったバリトンが、やけによく響く。

 やがて、沈黙の居間に、遠くから蝉の合唱が流れ込んでくる。

 俺はといえば、硬直させられたまま、呼吸の仕方さえ忘れていた。


「でも……点滴だったり、俺の手当てをしてくれていました。少なくとも看護師とか、お医者さんなんですよね? 悪い人たちじゃないと思います」


 思い返せば申し訳なくて仕方ないけれど、過呼吸で半狂乱に陥った俺を、どうにかして落ち着かせようとしてくれていたし、傷の手当てだって。


「どうだろうね。医者ほどの名役者はいないと、俺は思うけど。どんな惨状だろうが、肝心の医者が慌てふためいては、患者に示しがつかないからね」


「その通り。そして、キミの見解にも一理ある。彼らの目的を我々が知るところではないが、彼らは決して、むやみにこちらの領域を侵す真似はしない。そういう〝取り決め〟だ」


「〝取り決め〟……?」


「咲くん、キミにはもう少し時間が必要だ。ゆっくりでいい、心身ともに、しっかりと休養を取ってくれ。どうこうするのは、それからでも遅くはない。遠慮せずともいい、キミは〝守られるべき存在〟なのだから」


 おそらく、だけど。頼光さんは当人の俺なんかよりずっと、核心にふれているんじゃないだろうか。

 曖昧にぼかすのは、きっと、俺のため。

 まだちょっとしたことで発作を起こしてしまう俺に配慮して、猶予をくれたんだ。


「プゥ?」


「ぷーすけ……」


 なんとも言えない感情でない混ぜになった俺は、抱き上げたぷーすけと頬をすり合わせて、つかの間の安息を得る。


「……知らなかった。歩くことって、こんなに難しいんだ」


 やっと暗闇に光が射した。進むべき道を目前に捉えているのに、泥沼にはまってしまったように、足が重くて、一歩を踏み出せない。

 もどかしいことが、こんなにも息苦しいなんて。


 ――強くならなきゃ。


 そんな漠然とした誓いを胸に秘める俺の肩へ、そっと添えられるちいさな手があって。


「ウォーミングアップなら付き合うよ。まっかせて!」


 何気なくて、でも俺が一番欲しかった言葉をサラッと言ってのけるはとちゃんにはやっぱり敵わないなって、無性に泣きたくなった。

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