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おやばと  作者: はーこ
12/26

*12* さむいはこわい

「顔を、洗ってくるよ」


 死にかけの表情筋をかき集めて、笑みをかたち作る。

 まんまるとした瞳に見つめられるのはどうにも落ち着かず、当たり障りのない理由を取ってつけて立ち去った、はずだった。


(えみ)くんやい」


「……うん? どうし、」


「先に謝っとくね、めんご。――とりゃっ!」


「っひ!」


 努めて平静を装っていたのに、情けなく声がひっくり返る。

 だって考えてもみてほしい。背を向けたとたん、背後から両脇に手を差し込まれたんだ。


 もう一度言う。

 脇に、手を、差し込まれた。


「え、と…………?」


「すんません。無防備な脇があったもので、つい。まぁ簡易検温法とでも思って」


「外気温だったり体動に左右されるので、(えき)()検温は口腔と比べて、信頼性は低いかと……」


「すごい咲くん、お医者さんみたいなこと言うね」


「……ってはとちゃんが言ってた」


「言ったかもね、そういえば」


 はとちゃんは不思議な子だけど、今日は特に考えが読めない。

 そうやって、突然の強襲に驚いて振り返ってしまったのが、俺の運のつき。

 真顔で脇から手を引いたはとちゃんが、にっと笑う。


「んー、たしかに熱はないね。よかったよかった」


 腕を引かれたかと思えば、ひたり。

 額にふれる感触。ふわふわと頬をくすぐる、藍色鳩羽の髪。

 ゼロ距離でまぶしい笑顔を炸裂させられて、無傷なわけがなかった。


 俺をぐるぐるに絡め取っていた、理性とか、常識とか、すべてのものが、あっけなくリセットされる。

 耐えて耐えて、ピンと張り詰めた糸なんて、あとはぷつんと、真っ二つにちぎれるだけ。


「――ッ!」


「んわわっ?」


 ……引き留めたのは、きみだから。

 自分を合理化する俺は、開き直ってさえいた。だから、額をくっつけていた女の子の手を振りほどいて、力任せに引き寄せる。


「ふぇぇ……咲くん、細腕のどこに、そんなパワーを秘めて」


「ごめん」


「なかみ、はとこの中身が、でちゃいます」


「ごめん、ちょっと静かにして」


「ウッス……」


 残念だけど、手加減をしてあげられる余裕は一切ない。

 求めていたものがここにあるのに、みすみす逃がしてなどやるものか。


 一分の隙もないくらい腕を絡めて、細い首筋に鼻先をうずめる。


 とくん、とくん、とくん。


 頸動脈の拍動が、左の頬にふれた。心臓のおと。俺がいまこの腕に閉じ込めている、いのち。

 たとえばここに噛みついて、薄い皮膚を突き破ってしまうだとか、どうとでもしてしまえる。

 俺の、この手で。

 その〝もしも〟をひとたび思い描いてしまえば、得も言われぬ高揚感に、身体の芯から奮い立つ。


 とどのつまり、俺はどうかしていたんだ。

 はとちゃんの、綿菓子みたいにふわふわ甘い女の子の香りが、何故かいつもより濃い。

 クラクラする。それは、酩酊にも似た状態。


 これ以上は駄目だとわかっていても、止められない。

 もっと彼女で満たされたい。

 浅くなる呼吸で、白い皮膚の放熱ごと吸い込む。


 浴びるように酔いしれて、あふれるほど満たされたからだろうか。

 ふと、冷静になった。

 直後襲いかかるのは、当然ながら自己嫌悪。


「ご、ごめ……!」


 いきなり女の子に抱きついて、においを嗅ぐとか……俺は変態か。

 最低だ……後悔しても、起きてしまったことは言い訳できない。


 きら、われた。

 絶対、嫌われた……いやだ、嫌だ、嫌だ、嫌だ……!


 全身から血の気が引く。頭はぐちゃぐちゃ。

 声を出そうにも喉はひゅうひゅう空吹くばかり。

 俺にできるのは、震え出した腕で、みっともなくすがりつくことだけ。


「うんしょ……と」


 身をよじるはとちゃんが、この腕から抜け出そうとするのを止める権利は、俺にはない。

 すきまに入り込む冴えた外気は、喪失感にも似て。


「咲くん」


 胸を押され、距離が生まれる。視線を感じる。

 どんな表情がそこにあるのか、目にするのが怖い。

 だけど、逃げる権利だって、俺にはないから。

 それこそ最低だから、唇を噛みしめて、そろりと、伏せた視線を上げる。


 ……と、同時に、そっと両頬にやわらかさを覚えた。

 は……と意味を持たない音が、口からこぼれる。


 だって……わからない。わからないんだ。

 俺の頬を包み込んだはとちゃんが、眉を八の字に下げて、心配そうに覗き込んでいるわけが。


「もしかして、寒かった?」


「え……?」


「身体、冷えてるからさ」


 その瞬間、ぽっと身体の芯に熱がともる。

 羞恥というより、安堵のような、歓喜のような。


「そう……さむ、くて……さむいの、にがて、で」


 さむいは……こわい。

 何故かは知らない。ただ事実としてそこにある、曖昧な恐怖だ。


 舌足らずの言葉でも、しっかり拾われていたらしい。

 ひとつうなずいたはとちゃんは、「そういうことなら!」と続ける。


「冷えるときは、お風呂であったまるのが一番! さぁさ、遠慮せずにどうぞどうぞ!」


「え、あのっ、はとちゃ……!?」


「だいじょぶ、わたしがついててあげるからね!」


 まったくもって、だいじょばない。

 むしろ最後のひと言で追い討ちをかけられたんだけど、満面の笑みで背中を後押ししてくるはとちゃんには、自覚はないだろう。


 ……ついててあげるって、どういう意味?

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