*10* 山奥の洋館
雲ひとつない晴れ空とは裏腹に、俺の気分は、何故こうも急激な下り坂に見舞われているんだ。
よくある怪談話に出てきそうな、山奥の洋館に連れて来られたから?
……たぶん、違う。
「おっひさー! 元気してるー!?」
「はいはい、見ての通りだから、誰彼かまわず突進はやめてくれよ。ぷーたろうじゃないんだし」
「ぷーすけだってばー!」
勝手知ったる我が家とばかりにドアを開け放つはとちゃんを慌てて追えば、ちょうどエントランスらしき場所で、ひとりの男性へ突撃する光景に出くわした。
通りすがりに奇襲を受けたにしては、その人は落ち着き払った様子で、羽交い締めにしてきたはとちゃんを軽く受け流している。
「このっ、このっ、相変わらずの顔面偏差値ですね、ファッションセンスはともかく!」
「はーとーこ? これは神聖なる仕事着だって、何度言ったらわかるんだい。まったくおまえも、相変わらずの鳥頭ならぬ、はと頭なんだから」
「あっははー、オブラートに包んでるようで丸出しー!」
基本誰にでもフレンドリーなはとちゃんだけど、こんな風に軽口を叩き合う姿を見せられたら、嫌でも察してしまう。
そうか、この人が、はとちゃんの……
「仲良きこと、美しきかな。今日は一段と、美味しいお茶が頂けそうです。うふふ」
「ちょっと待ってください、そこの年齢詐称魔女。まーたどっかほっつき歩いてたと思えば、帰ってくるなり優雅にティータイムとか、ふざけてんですか。茶ぁシバいてる暇があったら、師匠らしく弟子の仕事の確認くらいしてくださいよ」
「はい、あおいちゃんなら、間違いなしです」
「適当だなこの人! 知ってたけど!」
「ねーねー、そんなに怒ってたら血管切れちゃうよ、お兄ちゃん?」
「一体全体誰のせいだろうね!」
……え、えぇと。
目の前で繰り広げられる怒濤の展開、投下された情報量の多さに、脳内はパニック真っ最中だ。
「はとちゃんの、こいびと、は……?」
「は? どこの馬の骨だそいつは」
「なんでもないです」
ポツリとこぼれた俺の呟きを拾って、般若の形相で振り返った男性の殺気……威圧感といったら。口は災いのもと。身をもって痛感した。
圧倒されて、色々と大事な単語を受け流しそうになったけど、絶賛オーバーヒート中の脳内に詰め込まれた言葉の応酬の数々を思い返し、我に返った。
「あおいさん、って……はとちゃんのお兄さんの、あおいさん、ですか? お家を出て、住み込みで働いてるっていう……」
「おや、そういう君は、はとこや母さんが言ってた……なるほど」
鬱陶しがられるかと思いきや、恐縮する俺を前にして、彼も瞳に丸みを帯びさせた後に、ふわり、微笑んだ。……え?
「そうだよ。俺がはとこの兄、木ノ本 葵だ。今年で22になる。見たところ、同年代かな? 気兼ねせずに話してくれると嬉しいな」
流暢な毒舌を飛ばしていたさっきの彼は、どこへやら。
ゆったりとした足取りでやってきて、右手を差し出したのは、上下紺の作務衣に、草履、頭には手拭いを巻き、白い歯と爽やかな笑顔を輝かせる、純和風の若者だった。
* * *
天使だったり貝殻をモチーフにしたアンティークを、ロココ調というらしい。円卓テーブルも、チェアーも、シルエットの曲線が印象的だ。
パステルの色彩がとても女性らしく、華美というより優美な佇まいは、向かいでティーカップを傾けるみやびさんの違和感をなくす。と同時に、奥に引っ込んでいった葵さんとのミスマッチ感をより濃いものとしている。
「すみません。お忙しいときに来ちゃったみたいで」
「お気になさらず。フィールドワークに赴いて自らの感性を磨くのも、クラフトマンとして当然のことです」
「職人さん……なんですか?」
「うふふ。えぇ、まぁ」
こんなお淑やかな女性が、なにを作る仕事をしているんだろう。素性も含め、まったくわからない。
葵さんは、年齢詐称がどうとか言っていたな。なにも言われなければ、20代くらいだと信じて疑わなかった。白い肌にはハリがあるし、緩いウェーブがかったハーフアップの黒髪は、滑らかな艶を放っているから。
……ぶしつけに女性の年齢を訊ねるのは失礼だし、多くは訊かない。
「徘徊しないなら、もうなんでもいいですよ、どーぞっ!」と、アフタヌーンティーセットをしっかり俺の分まで用意してくれた葵さんが、「はとこはこっちおいで!」「ほいほーい」とはとちゃんを連れて屋敷の奥に消えること、早十数分。
勧められるがままに紅茶を頂いている時間は、静かだった。
木漏れ陽の揺れるテラス。長いまつげに縁どられた瞳を伏せ、しなやかな指で回覧板の白いページをめくるみやびさんの姿が、なんとも……なんというか…………なんて言ったらいいんだろ。
「師匠、調整終わりましたよ」
気づけば、話題を探してあれこれ悩んでいる俺のそばに、右手を腰に当てた葵さんが佇んでいた。いつの間に戻ってきたんだろう。
「まぁ、もうよろしいの? いかがですか、成果のほどは」
「さっすがです、ミヤ姉!」
葵さんに次いでやってきたはとちゃんは、黒目がちな瞳をキラキラさせて、見るからに興奮していた。その腕に、さっきまではなかった〝あるもの〟を抱えて。
「はとちゃん、それは?」
「よくぞ訊いてくれました。えっへへ、見ててねー」
得意げな笑顔がこぼれた瞬間、俺の疑問は解決する。視界をパッと、黄色一色に染められて。あれは紛れもなく、夏の風物詩――
「向日葵……の、和傘?」
「咲くん、だいせいかーい!」
最初は、本物の向日葵かと。でも目をこらして、目前で咲き誇ったそれが、竹の骨組みに向日葵色の和紙を張った、和傘なんだとわかった。
「ひろくん」
「え?」
「ひろくんっていうの、この子!」
「……男の子だったのか、その傘」
「もっちろんでーす!」
名前というか、そもそも傘に性別があったなんて初耳だけれど、無邪気な満面の笑みを浮かべたはとちゃんに水を差すのも申し訳ない。
「そうなんだ」とうなずく俺に次いで口を開いたのは、みやびさんだった。
「彼がはとちゃんの恋人、ですよ」
「それくらい、大事に想っているものという意味で、ね。ややこしい言い回しはやめてもらえませんかね……師匠」
「あら、言い得て妙だと、自負していますのに。いつ何時もそばを離れず、寄り添う姿は、想い合う男女のよう。この手で生み出した子を大切にして頂けるなら、母冥利に尽きるというものです」
「まぁ……行広あってこそのはとこ、ですもんね」
一連の出来事は、なんだか夢物語のようだった。不思議で、ふわふわと、現実味のないお話。
「みやびさんは、和傘職人さんなんですか?」
「まぁ、そういうことになるのかな。たぶん」
「……たぶん?」
「行広は、師匠随一の一振り。この間あいにくの大雨で親骨が数本折れてしまって、師匠が言うところの療養を、うちでしていたってわけさ」
最近大雨が降ったなんてことは、俺の記憶にはない。
つまり、俺がはとちゃんの家に転がり込むより前のことなんだろうか。
「いやぁ、メンテは極力じぶんでするようにしてるけど、さすがに修理まではできませんのでねぇ」
「新しい骨組み作りと、和紙の張り替えに関しては、僭越ながら俺がさせてもらったよ」
「ばっちぐーです、お兄さま!」
「ご期待に添えてなによりだ。もう怪我には気をつけるんだぞ」
「がってん承知の助」
「いつの時代だよ」
「ひろくんには、危ない思いはさせませぬ」
「そういうことじゃなくて……あぁ、そうだね、はとこはそういう子だった。くそっ、どうして俺の周りには、ボケ要員しかいないんだ!」
「あはは、友だち作れば、万事解決!」
「余計なお世話だよっ!」
俺みたいなぽっと出のやつが言うのもなんだけど……一連の流れで、3人の関係性と人間性が、なんとなくわかった。悟らざるを得なかった。
「あの、葵さん。俺みたいのでよければ、色々お話ししてもらえると、嬉しいです」
控えめに挙手したつもりだったけど、ものすごい勢いで振り返った葵さんは、鬼も裸足で逃げ出す形相。
あぁ、どうやら俺は、選択肢を間違えてしまったらしい。
「それは、頂けないね」
「すみません……」
「そうじゃなくて。心から談笑したいならば、その敬語というエベレスト級の心の距離をどうにかすべきだと、俺は思うんだ」
「はい……?」
「それだよそれ! そのぎこちなさ! あああ痒い、歯痒いったらない! そんなのいいから、そこの師匠とかはとこみたいな図々しさで、はい、やり直し!」
「あらあら、始まってしまいましたねぇ」
ちょっとなにが起きているのかわからないんだが、みやびさんは「夕立が来ましたねぇ」みたいなノリで、見事に他人事だ。
「もーお兄ちゃんったら、素直じゃないんだから」
からからと笑いながら肩を叩かれて、促されるまま膝を折れば、左耳にそっと耳打ちをされる。
戸惑う俺にはとちゃんがくれたのは、親指を立ててからの、ゴーサイン。ものすごくまぶしい笑顔だった。
そう、だよな。はとちゃんの言いたいことはわかる。大丈夫、できる。はとちゃん相手に、できたんだから。腹を決めろ、俺。ひとつ咳払いをして、向き直る。
「もとからの性分みたいで……逆に気を遣わせてしまったのは、謝りま……謝る。でも、これが俺だから……そういうのも含めて、これから仲良くしてくれたらいいな……って、思って、る」
……言った。なんとか最後まで、できるだけ敬語を使わずに言えた。返事はないけど。むしろ口にする度、目前の彼の眉間がすごいことになってるけど。
あぁ、やっぱり。柄にないことは、するもんじゃ……
「うちの子になりな、咲くん」
「……え?」
「極度の恥ずかしがりやなのに、ひたむきに頑張る純粋さ……これだ、俺が求めていたのはこれなんだよ!」
「えっ、あのこれは、一体!?」
「あーお兄ちゃんね、友だちいない歴長すぎて、距離感をはかり損ねちゃうっていうのかな?」
「いいかい、俺が長男で、君が次男だよ。俺のことは、〝お兄ちゃん〟って呼んでいいからね」
「は、はかり損ねにも程があるのでは。友だち通り越して、家族になってる……!」
「咲くんだからね!」
「それ理由にならなくないか!?」
なんていじわるな兄妹だろう。そんなふうに俺を弄って、からかって。
やめてくれ。お願いだから、これ以上舞い上がらせないで。ぬか喜びさせないで。熱くて、しんでしまいそうだ。
「いきなり家族だなんて、適当な真似はできない!」
あまり口数の多いほうではない俺が声を張り上げたからか、そこにいた誰もが動きを止めた。視線が痛い。
いや、もうなんだっていい。俺の思いの丈をぶちまけることができるなら。
「まずは友だちから始めよう、葵」
……頑張った。めちゃくちゃ頑張った。視線を逸らさずに言えた。恥ずかしかったけど。いや現在進行形で恥ずかしい。なんだよ葵って。調子に乗った、口が滑った。俺そんなイケイケなキャラじゃない。
とかなんとかしているうちに、目の前で立ちすくんだ彼が、顔を真っ赤に茹で上がらせて怒って……
「あ、はい。よろしくお願いします……」
握手してきた。
「はぁー……なんだこれ、ふざけろよ」
「…………」
「むり……とうとい……」
「……………………」
……握手した、だって?
「あははー、さっすが咲くん。わたしもそうなるとは思わなかった!」
「ごめん、これどういう状況……あの葵さん、手を離して……手を……」
まったくもってサッパリわからない。ほぅ……と熱っぽいため息をつきながら、噛みしめるように右手を握られる理由が。
混乱真っ只中に、決定的なひと言は発される。
「はとこ……尊いね。推せるね……守りたい、この笑顔……」
不思議だ。いま急速に理解した。俺だって、くり返し目にすれば学習する。
「わかったかい、マイブラザー」
「不意討ちすぎた」
「振り込めない詐欺とはまさにこのこと」
「尊みがやばくて死ねる……」
このふたり、間違いなく兄妹だ。
そんな当たり前のことを、実感させられた昼下がり。
「よきかな、よきかな。うふふ」
身の置き所を求め振り返った先では、穏やかな笑みの麗人になでられながら、うり坊があくびをするだけだった。




