第一話:平行日記
数々の名作と呼ばれた古ぼけた本が所狭しと並ぶ空間、俺はこの場所が好きだ。
価格が下がっても、決して価値が下がる事の無い本は俺を魅了し、時が経つのを忘れさせる。
「おい兄ちゃん、立ち読みは禁止だよ!
ちなみに座り読みもな!」
本のように古ぼけた店主が没頭していた話しの横から割って入ってきた。
俺は気まずくなって、その辺にあった百円コーナーの古本を一冊取り出し、老店主に手渡した。
「…これください」
そう言うと老店主は掛けていた眼鏡を少し上げ、本を調べた。
「…おや、これは…」
俺が財布からお金を出すのをスタンバってると、老店主は慌てるように「百円だね」と言った。
少し間があったのが気になったが、俺は百円玉を言われるままに手渡し、本を受け取った。
「あんな本…
うちの店にあったかの…?」
俺が本を片手に古本屋を出ると、そう老店主はボソリと言った。
もちろんこの独り言は俺の耳には届かなかった。
「―まっしろだ」
太陽に照らされた木々がイキイキと葉を延ばした緑豊かな公園で、先程買った本を広げてそう一言感想を述べた。
本にはタイトルは勿論、内容が一文字も書かれていなく、白がどこまでも続いていた。
「なんだよこれ、本じゃなくてただのノートじゃんか!
くそ、騙された!」
そう言って公園のごみ箱に捨てようと思ったが、なんだか勿体ない気がしてやめた。
もともと百円コーナーに並んでた本ならなんでも良かったし、なんの因果かこいつは俺の手元にある。
『買ったからには無駄にしたくない』、それが俺の心情だった。
次の日、この俺【青葉理由】は自分の通う高校で真っ白な本を広げて頭を抱えていた。
机の上にアゴを乗せ、本と睨めっこしていると、小学生からの腐れ縁で同じクラスの【日之宮香織】が話し掛けて来た。
「何、また新しい小説?
ホント本の虫だよね、あんた」
カオリは一見カワイイが、小さい頃からのこの強きな口調のせいか男にモテない。
俺が言うのもなんだが、もう少しおしとやかならクラスのマドンナ的存在にもなれただろうと思う。
…などと、おしとやかなカオリを想像して、俺は吐き気をもようした。
「違う、小説じゃないよ
真っ白なんだ
間違って買っちゃったんだけど、なんか使い道ないか考えてたんだよ」
「ふぅん、どれ見せてみな?」
カオリは本をつまむように奪い取ると、パラパラとめくってみせた。
「表紙は装飾されててキレイだよね
ノートって感じでもないし…
なんか物語がスッポリ抜けちゃったみたい」
俺はそれを聞いて何故だかしっくり来た。
確かに物語を失った本のような感じだ。
「あ、ちょうど良いじゃん、リユウ!
小説家目指してるんでしょ?
あんたの話しこの本に書いてみたら?
そうすれば無駄にならないし!」
そうカオリは提案したが、俺は渋い顔をした。
「無駄だよ、労力の!
どうせ書くなら原稿用紙に書きたい
原稿用紙なら応募出来るし、その本を出版社に持っていく訳にはいかないだろ?」
そう言うとカオリは膨れっ面をして本を俺に返した。
「じゃあ日記でも書けば?」
その提案は悪くはなかった。
「そうだな…
日記を書くのは良い
記憶を呼び起こして文章を書くのは小説を書く上でトレーニングになるし、ボケ防止にも良いかも」
「またあんたは小難しい事を…
あんたのその発言があたしからしたらボケてるっつの…」
そう言ってカオリは何故か呆れたような顔をした。
学校が終わった夕暮れ時、俺は自分の影を追うようにしてまたも考え込んでいた。
1ページ目を開いた本を左手に持ち、右手には愛用の万年筆を握っていた。
「日記を書くのは良いけど、ただの日記じゃつまらないな…
どうせなら普通は書かないような内容の方が…」
「…!!」
そんな事を考えながら歩いていると、突然誰かの気配を感じた。
刺すような視線に思わず振り返って確認したが、そこには誰もいなかった。
「なんだ…?」
目の前には日が沈む度、伸びてゆく影だけが存在していた。
俺はその影を見て、ふと閃いた。
「…そうだ!
そういう日記も面白いかも…!!」
俺は本を閉じ、万年筆をマジックペンに持ち替えて、本に名前を与えた。
『平行日記』
「ただの日記じゃつまらない…!
もう一人の自分を想像して日記を書くんだ!
こことは別の世界、別の俺、別の人生を…!
日記と違って普段考えない事を書くから想像力も付くし、キャラ作りの幅も広がる
きっと小説家になる為にも役立つはずだ!」
そう言い切った後、俺はタイトルを改めて見て、ある事に気が付いた。
「…平行日記…って…
よく考えるとセンスねぇな………」
俺は勢いで書いてしまった事を少し後悔した…。
家に帰ると誰もいなかった。
父は残業、母は同窓会に行っていた。
出前をとって食べるようお金を渡されていて、何を食べるかはもう決まっていた。
俺はさっそくピザ屋に電話をした。
その15分後にピザが届き、俺はそのピザとコーラを持って自分の部屋に篭った。
机の上にピザとコーラを置いて、その隣りに日記を広げた。
「さて、何書くかな…?
まずはもう一人の俺がどんな世界に住んでるかだよな
やっぱこことは違うファンタジーな世界にしようかな?…」
そう言いながら俺は愛用の万年筆を手に取り、ペンを動かした。
あくまでも日記として、もう一人の俺に成り切った…。
『7月4日
今日僕はトビーという石獣の群れを町外れで偶然見つけた。
奴のおでこに出来る石は一つ10ゴルクで売れる。ほんのお小遣い稼ぎのつもりで僕は群れの中に飛び込んだ。
だけど奴はすばしっこく、おまけに石を食べて生きてる為、その顎は噛まれたらひとたまりも無い。
僕は噛まれないよう後ろから忍び寄りようやく一匹捕まえる事が出来た。
持っていた小型ナイフで額の石を剥がし取り、2匹、3匹、4匹と順調に捕まえていった。
そして5匹目を捕まえた時、トビーの親玉が現れた。
そいつは他のトビーより10倍も大きく、おでこの石は100倍も大きかった。
親玉トビーの巨石は入手が困難で希少価値も高く、手に入れられればお小遣どころの騒ぎじゃない。
親玉トビーは怒ってる様子で僕を睨みつけ、目が合うとその獰猛な本性を表し、牙を剥き襲い掛かって来た。
僕はダッシュで逃げた。
お金になるのは分かっているが、親玉トビーに僕が到底敵うはずもなかった。
親玉が走るとトビーの群れがそれに続き、僕の後ろはまるで雪崩が迫ってくるようだった。
走り続けてると目の前に町が見えてきた。
町は高い塀で覆われている、入ってしまえばトビーたちも追っては来れない。
僕は塀の近くの木によじ登り、勢いよく塀を飛び越えた。
飛び降りた先は池で、なんとか大怪我をしなくて済んだけど、後ろの壁にトビーたちがぶつかるドーンという衝撃が響き渡り、僕は壁をぶち破ってくるんじゃないかと冷や汗をかいた。
だけど再びトビーたちが現れる事は無かった。
くしゃみを一つした後、フラフラの状態で町の換金所に行き、トビーの石を換金した。
そのお金でリンゴを一個買って食べた。
その食べたリンゴは不思議といつもより美味しかった。』
「…よし、書けた!」
現実に戻った俺はひと呼吸してコーラを飲み干した。
「書いてみると結構難しいな、なんか日記って言うより小説っぽくなっちゃったし…
まぁしょうがないか?」
俺は書きたての日記を読み返し、ある事に気付きクスリと笑った。
「もう一人の俺って…
お金に苦労してんのかなぁ…?
リンゴ一個買う為にトビーの群れに挑んだんだもんなぁ…ハハハ」
自分で書いといて自分で笑ってたら世話が無い。
だけどもう一人の俺を書く事が少し面白く感じた瞬間だった。
次の日学校でカオリに本の使い道を聞かれた。
平行日記を書く事にしたと言ったら何故か笑われた。
「ハハ、でももう一人の自分なんてロマンチックだよね
あっちの世界のリユウは何してる人なのかな―?」
カオリがバカにした口調で聞いてきたから俺も少し不機嫌そうな態度をとって答えた。
「さてね
こことは全く違う世界だから何して暮らしてるかなんて想像もつかないね
きっとそのうち思い付くだろうけどさ?」
本当はすでに世界観やもう一人の俺の事もイメージは大体固まっていたが、今はカオリには話したくなかった。
そんな俺の態度にも関わらず、カオリはあっけらかんとしていた。
「そうだ、今度の日曜って暇?
一緒に美術館行かない?
今、創世記展ってのやってるんだぁ!」
こんな言い方は失礼かも知れないが、カオリは性格に似合わず、実は絵画が大好きなのだ。
美術部にも所属していて、カオリの雑な性格からは想像もつかないほど繊細で、綺麗な色彩をキャンバスに描く。
「日曜か…
まだちょっと分からないな…
ちょっと小説のネタで調べたい事があってさ」
そう言うとカオリはぷくーっとフグのようにほっぺを膨らませた。
「そんなのいつでも出来んじゃん…
まぁ行けそうだったらで良いけどさ…」
「悪いな、調べモノが早めに終わったら連絡するよ」
そう言って、俺は話しをはぐらかすように教室の窓から空を見上げた。
「―なんだこれ…?」
「変なのが一匹混ざってる…」
「おでこのこれ何?
きれぇ〜!」
俺たちが他愛もない会話をしているあいだ、とある小学校でちょっとした騒ぎが起こっていた。
学校で飼育しているウサギの小屋の前に、小学三年生くらいの男の子二人と女の子一人が一匹のうさぎに釘づけになっていた。
「僕、せんせー呼んでくるよ!」
だけど俺がこんな騒ぎに気付くハズもなく、この時何が起きているのかは誰にも解らなかった。
ただその時俺は、遠くの空を見上げていただけだった…。
―つづく―