魔法学院、設立①
魔法学院はその設立においてとんでもない速度で設立された、人工物である。すなわち建築基準法にのっとりながら歴代最速で立てられたであろう大型の建物だ。
魔法の使用によりぶっちゃけまともに働くこともばかばかしくなるような速度で、建物および整地作業は行われた。実際魔法使いはそれで倒れたとかで問題になったが、労働基準法なんぞ知らんとでも言いたげな魔法使いの神様の下働いていた彼らである。労働基準法をはじめて知った社畜みたいな顔で、「でも、ホントのところ、そんな夢みたいな法律守られていないんでしょう?」とのたまったそうだ。
まあ、そうなんだけど。
世の中には建前ってあるじゃない。
夏になると、既に学校へと入学を求める声が出てきた。制服はほとんどないらしい。もとの世界の魔術師も白いローブだったし、基本的には自主的な服装になりそうだ。
「校長を務めさせていただくのは、私、ミリュエル・フェムト・イッセだ。気軽にイッセ先生と呼んで話しかけてくれると嬉しい。入学は秋の始まりとするため、夏休みと呼ばれている期間に書類選考、入試試験を行う。ああ、無論教師は現在優秀な人材に声をかけているため新たな創造的環境で働きたい人間を絶賛募集しているぞ!」
「ぶっふぅ!」
イッセてめぇなにやってるんだ!!と叫びたい心を押さえつけて、むせながら噴き出した牛乳をぬぐう。イッセは俺の教え子みたいな、まあ一瞬教えたことがあるんだが、国王の息子だ。しかも継承候補筆頭であるって言ってて相当ヤバイ気がしてきたぞ!
何をしてんだよそんなところで!
しかも、だ。
あの場にいるってことはほとんど侵略派閥黙らせに来たようなもんじゃねえか!
「わり」
「……あのさ。一応言って置くけど、むせるのって結構おじいちゃんとか、」
「黙れ小僧。お前に牛乳が救えるか」
「救うつもりもないから」
再度動揺を押し隠しながら椅子に座りなおし、テレビを眺める。
「この魔法学院って誰でも入れるのかしらね?」
「さあな。だが凡人には縁のないことだろう」
新聞を広げながら両親がぽつぽつと話しているが、隣にいる妹がじとり、とこっちを見てくる。
「なんだよ」
「べっつに、何でも」
はあ、と俺は憂鬱な気持ちを吐き出しながら目玉焼きをご飯に載せた。ケチャップ派なのだが、どうも妹にはその感覚が理解できずに突っかかってくる――はずなのだが、どうにもうっとうしいくらいこっちを見てくるくせに、俺に対しては特に何にも言ってこない。
「……」
居心地が悪いというか、気味が悪い。妹様とか普段は自分で言ってしまうレベルのイッたやつだってのに。
「ごっそさん。俺、ちょっと図書館行って来るわ」
「休みの日なのに陰気なことで」
日曜日の今日とて俺にとっては貴重なお休みである。ちなみに宿題をやる必要性があるから図書館に行くだけで、終わったら谷内とカラオケである。
課題を鞄に入れ、財布と学生証を持って図書館へと向かう。途中、川原にある魔法陣が気にかかって青草の中をざざざ、と滑り降り、遠目からその発光する様子を見る。なぜ遠目からなのかと言えば、警備員がその近くを守っているからである。今もまだ写真を撮る人間が多くいて、俺はちょっと安心した。警備員の気の緩みもなさそうだ。
「と、いけねえ。遅れちまうか」
俺はすたすたと図書館への道を歩き始めた。
三十分後、ようやく到着すると疲労感で図書館の椅子にくずれるように座り込んだ。
暑い。暑過ぎる。
「……やべえ、死ぬ」
ぴこん、とスマホが鳴って慌ててサイレントモードにする。回りに下手な笑顔を浮かべてぺこぺこ頭を下げると、メッセージを開いた。
「うん……?」
『悪い、同じクラスの千歳ってヤツに捕まってな。一緒に宿題しても良いか?』
『誰だそいつ』
『w認識されてねえ』
『顔だけならわかるかも』
写真が送られてきて、ああ、と納得する。
『こいつかー悪い名前は知らなかったんだ』
『いいってよ。で、そいつの友達も来るんだが』
『まさかカラオケまで?』
『行くって話ししたらノリノリだけど……どうする?』
『いいわ。そいつららへんならハードロック歌っても気にされなさそう』
『イメージに合わんのよな……メチャウマだし』
まあ、しばらくしないうちに来るだろ。
「すいません。こういう話なんですけど、この資料とかってあります?」
「ええ、少々お待ちください。……それでしたら、こちらの棚にございますよ」
ページをぱらぱらとめくると、目的の部分を見つけてうなずく。
「ありがとうございます」
「いえ、いつでもお手伝いいたしますので、お気軽にどうぞ」
ひとまずさらさらとノートに文字を書き連ねていく。静かに筆を走らせていると執務室にいるときのことを思い出す。書類に目を通し、判子をぺたりと押したり、必要ならサインを入れる。執務室で過ごす静かな時間は、好きだった。思考を誰にも邪魔されることも無い。
「よっす、日比野!」
「……ああ、なんだ谷内か。ええと、……」
宿題は終わりかけていた。ほぼコピペみたいなもんであるが。
「うわ、もう終わりかけてんじゃん。やば」
「調べてざっと考察を書けばおしまいだろ。それに必要なことが大体書けてれば、先生も見逃すさ。何しろいちいち楽しく読んでるほど先生も暇じゃない」
「えー……そのぱぱーっと、みたいなのが出来れば苦労してねえんだよ。あ、そうだ。こっちが千歳、それから千歳のダチで……」
「あァ、知ってるよ。右から田中雅彦、伊吹尚人、中沢敦だろ。家族構成は5、7、3人、伊吹君の弟君は今年受験だし、田中君のお父さんは今年昇進がかかった評価の年なんだって、なぁ?中沢、お前の母さんは有名デパートで働いてるんだって?」
よくもカツアゲしてくれやがったな、カス共が。三人は同時に動きを止め、顔を見合わせた。
「君たちと仲良くしてる動画だってあるんだ。せいぜい楽しくやろうぜ?」
「ま、ま、待てよ、俺、お前なんてしらな、」
「あーはー、覚えてねえのも無理ないか。何せあんたら……」
金を手に入れたら被害者がどう思うかなんて想像もしなかったろ?
そう囁いた瞬間、全員がたらり、と汗を流し始めた。
「仲良くやろうぜ?で、何してんの、今?」
「ヒィイッ!?きょ、今日は帰ります、帰るんで勘弁してくださいッ!!」
ダッシュで逃げていった背中にばいばーい、と笑顔で軽く手を振って、それからふん、と鼻で笑った。
「二度とくんなよ、カス共」
「……なあ、日比野?お前そんなキャラだったか?」
「ちょっと前にカツアゲされてよ。いちいち訴訟を起こすのも面倒だったから放置してたけど、相手から楽しそうな顔で近寄ってこられたら嫌がらせの一つもしたくなるじゃねえの」
「……うわ」
千歳と呼ばれていた少年が、そこで一声発した。俺はくるりと向き直り、それからきまり悪さにがしがしと頭をかいた。改めて向き直ると、すごい雰囲気イケメンだな。俺は前世ではかなり童顔でその筋の人にはもてていたが、イッセは俺と違って顔はそこまでよくないものの人当たりの良さとか、言い知れぬ雰囲気でもてていた。こいつもそういう系統の人間なんだろう。
「俺は日比野識。今のを見てお分かりの通り陰険な人間だ。仲良くは微妙かもしれないが、谷内の顔を立てて今日は勘弁してくれよ」
「あ、いや、俺は逆にすごいなと思って。あの人たち他校なんだけど、俺に告白してくる女の子狙いで俺と一緒に遊ぼうってしつこくて、ぶっちゃけ本当は一緒にいたくないって言うか。合コンのセットとか頼まれるし、嫌でも結局行かないと嫌な顔されるから……はっきりイヤだって、言いたかったんだ。日比野くんはすごいよ!」
にかっ、と嫌味のない顔を向けられてそのまぶしさにうっとのけぞる。
「……なんというか、変なやつだなアンタ」
「よく言われるけど、どういう意味?」
「天然か」
ちょっとテンポがずれている。
千歳の歌う曲はかなり、いや、結構微妙な感じで、楽しそうに南の島にいる猿の歌を歌い始めたときは俺のネジがぶっ飛んだのかと思った。あと音痴。
「日比野くんは結構カッコいい曲歌うんだね。しかもすごい上手じゃん!」
「まあ、俺んちちょっと他の家から離れてるから、風呂場で歌歌ってても結構大丈夫だし」
なんというか、変な感じだ。俺はちょっと頬をかき、それから部屋の外へと出た。
「……はあ」
コーラにジンジャーエールと紅茶を足した飲み物を飲んでたらドン引きされた。おいしいのに。
それから数日後、山本から連絡があった。
「もしもし、山本か?課題終わらなかったのか、見せたほうが?」
『か、課題は見せて欲しい!って、それどころじゃないの、日比野君!えっと、えっとね?ゆきねちゃんが、ゆきねちゃん、魔法学院に行かないかって先生に言われたらしいの……』
は?
「で、ゆきねはなんて?行きたいとか言ってたのか?」
『給料が出るなら行くって。元々家族とあんまり仲が良くないから、ゆきねちゃん、早く家を出たがってたの。だから高校も奨学生に入ってたし……』
なるほどねえ、と俺は息を吐いた。そもそも入学式のとき怪我をしたのなら親が迎えに来ていいはずだが、その一言もなかった。かなり家族との仲は険悪なんだろう。
「その、お前はゆきねに何か言ったのか?」
『ゆきねちゃん、すごく頑固だから……私じゃどうにも出来ないの。私は出来れば、そんな危ないところにいて欲しくない』
とはいえ、なあ。
「ゆきねが決めたことだ。お前より付き合いの短い俺から何か言って、聞いてもらえる気がしない。だから、お前が言うべきだろう。それでもそうしたいってんなら、友達として支えてやれ」
『……、うん』
彼女はこくんとうなずいたようで、衣擦れの音がちょっと聞こえてきた。
「よし、じゃあ切るぞ」
『あ、もう一つ聞いていい?最近千歳君となかよくなったんでしょ、その友達っていうか、取り巻きの人?がね、日比野くんの悪い噂流してるらしいの。でもその前に千歳君が日比野君はカツアゲされてたんだって言っててね。それでどっちが本当なのかな、って』
「悪い噂ってのは?」
『女の子をさらっててごめ?にしてる!とか。てごめってなに?かごめかごめってこと?一緒に遊んでるの?』
「今手に持ってるスマホで調べろ。あとそんな事実は無い。俺は性格は悪いが基本的に面倒くさがりなんでな、そんなアクティブに女の子さらいに走るつもりはねーよ。知ってるだろうが、俺が非力なの」
『えへへ、そうだよね。それじゃあ切るね、あ、そうだ。こんど宿題見せてね』
「ちゃんと期日までに返せよ……」
はあい、と軽い返事を返されてぶつっと通話が切れる。
「ゆきねが魔法学院、ねえ。文化交流って事は、相手側もこっちに留学したり、視察に来たりするってことか?」
狭い部屋の中でその問いに答えてくれる部下は、今はいない。アレだけ言語のやり取りに苦労したんだし、俺にも何か分け前があっても良いと思うんだがな。
寝そべると同時にそんな不満は眠さに溶けて、消えていった。
夏休みはあっという間に過ぎていった。夏祭りなんぞもあったが、このクソ暑い中エアコンのない場所に行こうというのが自殺行為だと思う。そんなこんなでごろごろしながら休み明けになる直前、俺の手元に届いたのは『軍部査察及び査察官派遣のお知らせ』というクラスラインだった。
まったややこしいことを考えなさる、と息を吐いた。