食堂の乱②
ふと気づくと、横でゆらゆらと山本の頭が揺れている。半眼になってちょっと女子にあるまじき姿である。その肩をちょい、とつつくと一拍遅れて首がちょっとこちらを向いた。
「おい、大丈夫か?山本?」
「う、うーん……ねむ、いかなあ」
「眠いかなじゃなくて眠いんだろ。ほら、寮にもどらねーと、こんなところで寝ると風邪引くぞ」
「うみゅみゅ、おにぁ?」
せめて人間の言葉を喋ってくれ。
「仕方がありませんね。すいませんが、トレーと食器をお願いします。それぐらいは非力なあなたでも運べるでしょう?」
さすがにおかしくない?非力でも誹謗中傷の仕方ってあるじゃん。自虐と中傷は違うから。ちなみにゆきねはふらつく山本を危なげなく支えて歩いていった。どんな体幹してんだあいつ。
「ま、いけるだろ。頼んだ日比野」
「頼んだよ、日比野くん」
「……最近お前ら俺への当たり強くない?っていうか千歳とか俺への接し方まで変わってない?」
「これが素だからね!」
「最初はなんだったんだよ!!」
「天然?とかかなあ」
「その通りだったけど……」
ぽやぽやと笑われると谷内のように頭を丸めた教科書で叩くわけにも行かず、俺はトレーを手に取ろうとした。だが、次の瞬間ゆきねのトレーは別人が手に取った。
「あ、すんません今どけ――」
「私が運ぼう」
見覚えがある。見覚えがあるんだが、なんだか思い出せない。俺が思い出せないってことはどうでもいい相手にカテゴライズされてるってことだ。で、魔法学院にいるってことは、だ。
誰だっけ。
「ありがとうございまーす」
俺の後ろに並び、トレーを下げる場所に立つ。すると、ポケットに紙をねじ込まれた。振り向こうとすると、「振り向くな」と告げられる。
「指示通りにしろ。でないと先ほど眠りについた女の命は保障しない」
山本が危ない。
その言葉に俺の背中が凍りついた。同時に俺の横から気配が遠のいていく。待て、と口にしようとしたがぐっとこらえる。
トレーを置き、ポケットから紙を引っ張り出す。
『東館地下に来い』
地下。俺達が最初に捕まって、牢屋がある場所だ。そして俺が聖女候補に呪いを解かれた場所でもある。実際こんなに縁深くなるとは思っちゃいなかった。
「あ、俺も眠くなったから寝るわ。おやすみー」
「後で部屋行ってもいい?」
「寝るっつってんだろ。人間の三大欲求を妨害するなんて人間のすることじゃねえ」
「睡眠欲って三大欲求だったか?性欲じゃね?」
三大欲求だよ。
それにしても山本に目をつけるなんて、一体どういうことだ?俺を呼び出すのも意味が分からない。もし正体がばれたとしてもその場合は情報を引き出した瞬間で全力で殺しに来るくらいじゃないと意味がない。人質をとっても俺だとばれているなら一瞬で制圧しきる自信がある。
「狗か、狼か。いずれにせよ最優先は山本だ」
東棟の地下はじめじめしててちょっとキモい。ここに行くまで誰も俺のことを制止しなかった所をみると、全員息がかかった人間だと思われる。あからさま過ぎだろ。つか、もしかして人質も俺が食うはずだったプリンを山本に全部食わせたから、プリンに入ってた薬を山本が食ってそれで不都合が出たってことは?
「……ありうる」
なんだかしまらねえな。
しかし地下に来いって、降りてきても目印の一つもねえのは親切なことで。
「言われたとおり来たぞ!!」
わん、と声が響くと、奥の扉がぎぃい、と開いた。……軋むってことは歪んでるってことじゃん?
中に入ると、背中で扉が閉まっていく。山本が寝台に寝かされたまま、膝枕されている。俺が解呪されたところだよな、この部屋。
「ようこそ」
「はぁ」
「私に大人しく着いてくれば、彼女に手をかけたりはしないと約束しよう。もし約束を破ることがあれば、私が責任を取る」
「……じゃ、まずはその膝枕を止めとけよ。嫁入り前の女子にすることじゃないぞ?」
「フン、貴様に指図されるいわれはない」
そりゃそうなんだけどよ。
「さて、こちらに来い」
頭を横にどけると、山本の手がへちゃりと寝台の上に落ちた。かなり強い薬を使ってるな、こいつは。一日は軽く目覚めないはずだ。大きく舌打ちをしたが、特に意に介してもいないらしい。俺は苛立ちつつ、山本に寄っていく。
「恋人に多少一言残していくくらいの度量は持てよ」
俺がそう言うと、あごをしゃくった。どうぞお好きにとでも言うつもりらしい。が、それが仇になったようでなにより。
本当に恋人とはいかねえが、睦言の一つや二つはささやける。俺はその額をさらりと撫で、それから上体をかがめて体の上に覆いかぶさる。右手をさっと動かすと亜空間に手を突っ込み、首にかちりと首輪を巻きつける。それから時間差で解ける程度の隠蔽をかけ、ぼそぼそと耳元で「危害を加えられそうになった場合は俺の元にこの魔法陣を使って転移すること」と囁いた。
上体を起こすと、俺はくるりと青年に向き直って「済んだぜ」と口にした。
「ふん。まあ良い、ついて来い」
彼が部屋の隅にある石を蹴飛ばすと、ズズズ……と音を立てながら壁の奥に空間が出来ていく。――つまりはこういう場所に食い込めるほどの名家ってことか。いくつか候補は考えられるが、こいつが誰かはわからないし俺をさらう目的も分からないしなあ。
その空間には魔法陣がある。彼が足を乗せた瞬間光りはじめ、そして俺が足を乗せた瞬間に光がぐ、と強まる。ちらっと見えた魔法陣の構造から行けば間違いなく、これは転移系の魔法陣だ。
景色が一瞬白で塗りつぶされ、その次の瞬間には俺の目の前に強力な魔力反応を感じて思わず身構える。だが、それはすぐに動揺に押しつぶされた。
俺の身の丈二倍ほどの大きさの、のっぺりした黒い渦。東京タワーのガラス床で感じた落ちていくような感覚を与え、それは存在していた。これがおそらく異世界と俺の今いる世界をつなぐ、門の一つ。けどそんなんじゃ俺が驚く理由にはならない。門自体は十年に一度位数日開くこともあるし、珍しいことじゃない。俺が驚いたのは別の理由だ。
この魔力反応は勇者のものだ。
「……っ、」
「お前のような矮小な人間にもこの魔力の渦が分かるようだな」
勇者はあれで、頭のおかしい正義大好き人間で、損得勘定を考えないからいつもパーティー資金は逼迫してたし、俺に対して辛く当たってくることも何度かあった。でもそういうことじゃない。あいつは結局いつだって、上手く行っていたのだ。女神に愛されているから、というだけでは考えがたい本人の正義への執念と、意思。
それがこんな無様極まりない姿をさらしている。
いや、無様度では俺とコイツはトントンか、と溜息を吐く。こいつの全てが俺にも分かるわけじゃない。
「さあ来い」
渦の中に吸い込まれると、俺の目の前に懐かしくもうっとうしい魔素の流れがべったりと食いついていくる。イラっとして眉をひそめると、青年が「ここがどこだか不思議に思っているようだな。ここが我がヴォスティフ家の地下だ」と口にした。
あ。
あ~~~~~~。
「で?マステリエさんは俺をどうしたいわけよ」
「何、実験に参加してもらおうと思ってな。お前、聞くところによるとラトネ様に魔法の才能を見出されたそうだが――」
一体何を隠している?
一応弁明しておこう。
感知を行う魔法を一切使っていたわけでも、戦闘用に魔力をつかって身体強化をしていたわけでもない。こいつの振るった剣は、俺の右頬でひたりと止められていた。つまり俺が抜く動作を感知できないままに顔すれすれにまで剣を許していた。
「――これだ。お前、なぜそんなに動揺していない?俺から剣を向けられ、一般人なら動揺するはずだ。おもちゃだと思ってでもいるのか?」
ちなみに剣のタイプは運動エネルギーの粋をこめて叩き潰すものが主流である。もう棍棒でいいよな。
「思ってねーよ。それで?実験に参加っつーことは俺が今すぐ殺されるってことはないだろ?」
じ、と彼を見れば怒りをたたえたまま見返してくる。
「お前が」
「あ?」
「部屋に鍵もかけず何をしていたかと思えば下手な幻覚の下でその体を作り上げていた。魔法に無知な男を装う必要はない。そもそもお前はこの世界の言葉を喋れているのだろう」
あ、そうじゃん。
やべえ。……ごまかせる段階じゃねえな。開き直るしかないか。
「へー、ちなみにどの辺りから見てた?つま先?右手?おにーさんにはそういうところが結構重要なワケだけど」
「変身なぞ終わりかけていた。だがそれはどうでもいいことだ。お前は何故魔法を使える?」
「あーはー、随分じゃん?俺は魔法を使えた。それだけじゃ駄目なわけ?」
「質問に答えろ!!」
なまくらな剣の凹面が俺の頬に押し当てられる。日本刀レベルならおそらく切れてただろうけど、俺のほっぺたがぷにぷにしただけだ。
「何をしている」
そこに響いたのは、朗々とした紳士のバリトンボイスである。癖のあるこの聞き覚えある声、すっごく知ってるんだよなあ。嫌なことにそいつがシェリルの時に仲が悪くもなかった人間だということに鬱々とした気分だ。
ヴォスティフ家の家長、レイオパーチェ・シェン・ヴォスティフ。
かつ、と銀色の鳥を模した握り手に体重を預けたまま、男が俺のことをじろりと見た。相変わらず圧をかけてくる爺さんだと俺は舌打ちをしたい気分にかられる。
「それが実験材料か」
「は、はい!」
背筋を伸ばしたマステリエだが、俺に向けていた剣をあたふたと腰に戻す。爺さんは俺を見て、それからにっこりと笑った。気持ち悪い笑い方だ。レイオパーチェの杖がかつん、と突き立てられ、マステリエがさっと横に避ける。
ちょっと待ってこの爺さん一体何を、
そう思った次の瞬間、上空から人が降って来て、俺の体に布を巻きつける。思わず反射的に魔法を発動しようとしたが、全く発動しない。降って来た男は魔力が全く無く、反応が出来なかった。
「な、」
詠唱しようとした口は一瞬にして閉ざされる。体の布がみちみちと俺の体を押しつぶす。そして男が懐から魔法陣の描かれた紙を取り出した。仰向けから見えた構造は、意味をなしてすらいない。
「今こそ、英傑の召喚のときだ。シェリル・ギリアム様を下ろせるほどの素体、そして彼の髪」
赤毛が俺の体の上に落とされる。懐に何仕込んでる。
「ング!?」
お前そんなめちゃくちゃなことを考えてたのかよ!?
レイオパーチェは俺をこの世界に再び招こうとしているのだ。俺が俺であるのにも関わらず。何を考えてるんだ。本当にコイツは俺が知っているレイオパーチェか!?
かつん、と銀色の石突が地面を叩いた。ぐわり、と世界が捻じ曲がる。同時に背中がすうっと冷えていく。みし、と腕が軋み始めた。
魔法が、剥げていく。
一瞬のうちに顔面蒼白になった。あと四回だけのチャンスを失ってしまう。だが既に発動してしまった魔法、途中で止めることは出来ない。もし止めれば不安定化して暴発が考えられる。ここまで魔素を吸った魔法陣を止めたらどうなるか、考えたくも無い。
みし。
みし。
「ぁあ゛ッ!?」
ぎちぎちと脳みそを締め付けられるような、逆再生の動きが始まった。筋肉が流動しながら収縮し、そして骨がみちみちと縮んでいく。万力でねじ付けられるように頭痛が間断なく襲い掛かってくる。
目をかっと見開く。既に魔法陣は白くなりかけていた。失敗だ、当然ながら。あんな魔力を奪うだけの魔法陣、成功しやがったら自害してやる。だが魔力を奪う作用だけは確かなようだ。
化けの皮が、はがれる。
言葉でうっかりがバレるとか一番やったらまずいでしょ、とセルフツッコミした回。




