食堂の乱①
「うめー!最高だぜ!」
打ってかわって食堂で脳みそを頬張っていると、となりにすとん、と誰かが腰を下ろした。
「本当に来たのですね、全く」
「あーはー、ま、しょうがねえじゃん。俺にもいろいろありすぎてな」
やれやれ仕方の無いことですと口にするゆきねのお盆には、オフェリテのマンジョア風があった。いや、やっぱ何度見ても脳みそなんだよなあ、ここの。ちなみに俺がいつも食っていた城の軍人食堂では、オフェリテは良く焼くタイプであった。何しろ体が資本の軍人が多いため、食中毒などで倒れられては困るからだ。外側がかりかりに良く焼けたあれもあれで美味しかったんだけど、このぷるぷるした感じが残っているのもなかなか。
「ハマるだろ?それ」
「ええ。ついでに人避けにも役立っていますよ」
人の好物を人避け言うな。
「山本にはもう会ったの?」
「来た瞬間に出迎えをしましたよ。あの子嫉妬深いですからね、でも一番の友達ですよ」
こんなこっぱずかしいこと言ったの、内緒ですからねと照れたように笑う。俺はふうん、とスプーンで脳みそをすくって口に入れる。とろりととろけていくプルプルが美味しい。
「あ、そうでした。すっかり忘れていたのですが、地球出身者はまず魔力の放出の体験の前に、魔法言語を学ぶそうですから予習をして置くように、と」
「へえ!予習ね、予習。忙しい?」
「高校よりは忙しくありませんよ。実質的に魔力の放出が始まってからは地獄ですがそれまではほぼ暗記作業ですから」
「地獄て」
俺の頭にはかなりすんなり入ってきたし、そう難しいものではないはずだ。実際に発音と記号はそう多いわけでもないし、外国語に疎い日本人でもちゃんと発音できると思う。英語より簡単だ。たぶん一番厄介なのが組み合わせだろうな。文法というものがそもそも存在しないのに相互関係が難しく、二文字の現象に制御のことばを入れるだけで百倍くらいの難易度になる。ある程度の『正しい呪文』はあれど、俺はほとんど即興が多かった。ゆきねはおそらく全てを記憶するつもりでいるんだろうが、まあ無理だと思う。
そもそも魔法言語っつーのはなくても魔法を使える。じゃあ何で魔法言語を使うかといえば、威力の安定化、そして指向性を持たせ威力を上げたり、絞ることでちょうどいい魔法になる。また魔力の伝導効率もよくなっていく、というのもある。体内魔力で外の魔力に干渉する今までの魔法はかなり威力がまちまちで、魔力の使い方一つでその魔法の出来が決まってしまうほど術者の力量に左右されていた。それを解決したのが魔法言語だ。
これが剣からオートマチック拳銃になったレベルの革命であるということは間違いない。一点ものの威力の安定しない骨董品よりは、大量に技術の安定した量産品を、だ。質が約束されれば大変に便利である。
ではなぜ俺の使っているのがほぼ呪文を唱えるものじゃないかといえば、その威力や自由度が段違いだからだ。例えば普段良く使う、歯磨きも掃除も不要な綺麗にする魔法。これを魔法言語を使って行おうとすると、大変な文字数になる。除外するものを事細かに指定しなければならないからだ。
つまり魔法言語は俺がこうしたい、という意思をあまり反映できない魔法の使い方なのだ。
ちなみに魔法陣、あれは動かしたいものや保護したいものに結界を作ったりすることで、魔力の自動吸収さえ入れてしまえば半永久的かつ自律的に動かせる。持続的な効果を持つのでトラップとしても使え、設置型罠によく使われる。
魔法陣はいわゆる神の遺物から発見され、それから魔法言語が発見されたというのもあるのだが……まあそれは置いておいて。
「魔法言語がなくても、魔法は使えるんじゃないのか?」
「ええ、そうです。一度やってみたのですが正直……意思を伝える、というのが大変難しく、一体何をどうすればいいのかさっぱりで」
「はぁ?ンなもん……」
やべ。
「どうすればいいのかわかるのですか?」
「――意思を伝えるっていうのはさ、とりあえず何をするかっつーのが明確なものに限られてるだろ?ゆきねはその時こうしたい、ってのがあったのか?」
「え、いいえ。そんな風にはあまり考えず、ふわっと」
「ふわっと意思を汲み取ってくれるもんかよ、そんなんだったら世界の皆様が魔法使いだボケ。俺なんか昔小一時間小石に向かって動けって念じたことくらいあるぞ」
「……なるほど。それは確かに、良い訓練になりそうですね」
まあ魔力使わなかったら動かないんだけどさ。
魔法とは世界のルールに干渉するものだし、そんなもんが軽々しく使えたなら俺なんか誉めそやされてねーわ。
「やっほほーい!や行の住人が来たぜ、日比野!」
「ゆきねちゃんとご飯食べてたんだね!もう食べ終わっちゃうみたいだけど、一緒に座っていい?」
「おう、混ざれ混ざれ。つか山本、ちっとばかし痩せた?」
「ん?やせてはないよ~恥ずかしいなあってふわぁ!?」
その手を取ると、にぎにぎと肉の質感を確かめる。うーん痩せてる。間違いなく。しかもかなりだ。
「え、えっと、日比野君?」
「ちゃんと飯は食えよ、やっぱり痩せただろ。食い物が口にあわねえの?」
「……なんでもないよ。えへへ」
軽く笑って手を引っ込める彼女に、俺は思わずジト目になった。この野郎何か隠してやがる。説明しろとか迫ったところでたいして聞いちゃくれねえだろうが、それ以外になさそうだ。すっと顔を近づけてちょっと眉をひそめ、笑う。ぎょっとした山本が身を引こうとするが、肩に手を置いている。逃がすか。ちょっと骨出てんじゃねえかしばくぞ。
「山本。友達の言うことは?」
「ヒェッ、ぜ、ぜったぁーい!」
「なーんでこんなに痩せたのかな~?」
「ふっ」
「ふ?」
「ふ、ふと、太ったから……だ、ダイエットをで、ですね」
思いっきり空のかなたを見ている彼女にあきれつつ、肩から手を離す。
「嘘をつくときは視線を右斜め上にしちゃ駄目だぞ。お兄さんとの約束。で、そんなバレバレの嘘ついて、どうしたよマジで」
「……日比野くん、ほんとに心読めないよね?」
「誰が読むかよ。どうせ俺達はお前の問題を聞いてやることくらいしかできねえんだから、気軽に話せよ。なんとかしようとか無理に考えることでもない」
彼女はちょっと目を伏せて、それから指先をぎゅっと握り締めて膝とつま先をくっつける。
「あの。……本当は、ちょっとご飯が食べられなくて。えへへ」
「え、えへへてお前なぁ……飯が食べられないんだぞ!?もっと危機感を持て危機感を!!いいか、ストレスで人は死ぬ!確実にだ!」
「え、あ、……はい」
ドン引きすんじゃねえ。俺は勇者パーティーの時に正義を謳う勇者のせいでストレスまみれで血反吐吐いたことがあるんだぞ。あのときほど死を覚悟したときはなかったっつーのに。
「大げさだと思うなよ。お前、ただでさえ今ゆきねのために舐められないように気を張ってただろ?」
「う」
スプーンを持つ手が震えている。膝はいつもなら結構開いたままなのに(女子としてはどうかと思うが)、今日はぴっちりと閉じている。背筋なんぞ慣れてもないのに伸ばしている。こいつがそれだけ気張る相手かどうかはほっといてだ、正直なところバレないように振舞ってる俺のほうが緊張してねえよ。
「食わねえともたねーぞ、ほれ、あーん」
スプーンにデザートで貰ってきたプリンを差し出すと、今まさに話しだそうとしていたために開いた口の中へと放り込む。
「むぎゅ!?」
「いい子いい子。はーいもう一口食べような」
「むにゅ!?」
その様子を見ながら背後で「あーんされているのに介護にしか見えないです」「俺も今まさにそう思ってた。色気の欠片も感じられない」とひそひそ話している声が聞こえてきた。地獄耳だから大体聞こえてる。うるせえ。
ぐーきゅるる、と山本の腹が鳴り始めた。
「ほぉら言わんこっちゃねえ」
「い、今のはちがうもん!しょ、消化の音だもん!」
「はいはい無駄な抵抗ありがとよ」
ぐりぐりと頭をなでると、赤面したまま「もう知らない!」と言ってもぐもぐ飯をかき込んでいく。
ふと視線を感じて振り返ると、ゆきねが俺を見てじっとりとした視線を向けてきた。谷内は若干呆れめである。
「……天然ですよね」
「あれが養殖されてたら大変な事態だぜ?」
「なんだよ」
「いえいえ?何でもありませんよ?ごまかすのが下手だとか追求してこないでくださいね。とにかく律がどうにかなったらあなたの責任ですからね」
「ゆきねひゃんはだまっへへ!!」
口に詰めたまま話すな。つかご飯粒飛んできたから。顔についたじゃねえか。それをペーパータオルでふき取っていると、谷内が俺にCDを差し出してきた。貸していたやつで、ちなみに一般人も聞いて楽しめるようあまりハードではないやつ。
「あ、そうだ。これ返すな。やっぱお前の声の方がいいと思うけど、こっちもこっちでいいよな」
「前者の評判にはちょっと困るが本家がいいって所には心底同意する」
「今度お礼にマンガ貸すわ。こういう絵柄お前好き?」
「大好き」
ハードボイルドなマンガ大好きだね。綺麗な話も嫌いじゃないが、性に合わない。
「じゃ合うと思うし、今度持ってくるわ。前に貸してたのの続きも持って来ようと思ったんだけど、すごい量があってさ」
「いいよ、いつでも。聞きたいもんあれば、いつでも言ってくれ」
「……あー、あのさ、この間カラオケで歌ってたやつ。序盤の」
どれだよ。
「ず、ずるい!二人でカラオケ行ってたの!?」
「僕も行ってたよ」
山本の抗議にすっと横から現れたのは、千歳である。俺がぎょっとして振り返ると、彼はニコニコ笑いながら片手におにぎりを持って現れた。この期に及んでコンビニ飯とはこいつどこで買ってきたんだよ。
「ハロー千歳。んでもってお前、夕飯の時間にどこに行ってたんだ?」
「定時報告。でも、食事の時間がちょっと間違ってたみたいだから明日からは少し時間を変更してもらったんだ。こーれがまたさあ、聞かれた瞬間から思い出せないんだよね。僕の記憶がおかしくなったかと思ったんだけど、そういうことでもないみたい」
「ええ、その考えで合っていますよ。記憶がおかしくなっているんです」
「やっぱか」
はあ、と千歳が息を吐き出した。雰囲気イケメンがその眉をきゅっとひそめて憂い顔になると色気が出る。今の俺が眉をひそめてもただのイライラしたオッサンである。不公平だ。




