世迷言の坩堝②
「入学したいという学生を連れてきたのですが」
え、という声と共に、窓口から顔を覗かせたのは、いつぞや俺を迎撃してきた軍人だ。彼は「ヴィオレッタさん!」と叫び、それから慌てて出てきた。
「これはようこそおいでくださいました」
「や、止めて下さい。私はただ彼の付き添いで来ただけですので……と、いうか、文官服で無いのに良く分かりましたね」
「あ、イエ、その……ギリアム長官の妹御でありますから!」
顔を赤くしながら説得力の欠片もないでやんの。もうちょっとしゃっきりしねえとコイツを嫁がせたりできねえからな?
「それでは案内を宜しくお願いしますね」
「は、はい!」
門扉を通り抜けると、隣に立っているヴィオレッタが目に見えて緊張しだした。
「かたくなってんぞ」
「そ、そうですが……い、今からすることを考えてみてくださいよ!絶対におかしいですよ、今ひょいひょいと綱渡りの状態なんですから!」
「で?俺は正直全てアンタのアイデアってことになってるし、俺を無理やり連れてきたということにすれば俺はまるで被害なし。今から緊張するのはアンタだけさ、間違いなくな」
「ひぃ」
無表情になっていくのは緊張してるからか、と今更ながら溜息を吐く。
「気張れよ、中まで俺はついていけねえんだから」
「ええ。分かっています」
俺はとある一室に通された。
「あら。お久しぶりですね」
「あ、ゆきねの先生。えーっと、すいません。名前、忘れちゃったみたいで」
「いえいえ、良いのですよ。忘れるのが当然ですから」
彼女はそう言って笑った。
「――隣室の様子だと、あなたは無理やりここに連れてこられたみたいね。私達の事情に巻き込んでしまって、大変申し訳ないわ」
「いえいえ、俺もちょうどゆきねに用事があったんで。もし良かったら面接ついでに面会って出来ます?」
「ええ、もちろん。どうせ入る気もないのでしょう?こちらへどうぞ」
部屋の入り口から出た瞬間、すうっと空気が変わる。隣室から魔法的な威圧が感じられる。
「ヴィオレッタ、何かまずいことになってるんですかね」
「あら、何か感じるの?有望だわ」
「いやいや、っていうか、ここに来る前深刻そうでガチガチになってたんで。クラスの中でも馴染むのに時間がかかったし、かたくなでそれでいてうっかりでぼんやりって感じでめちゃめちゃ心配なんですよ」
「あらまあ。妹を心配する兄みたいね」
「アハハ……まあ、大丈夫ですよね?先生。ヴィオレッタが学校に来れなくなるってことは、ありませんよね?」
「そうね、彼女次第かしら。ついたわ、ここが実習を行うところよ」
「反応が遅いッ!!」
「ぐぁッ!!」
俺に向かって物体が飛んできたので全力で後ずさる。反射神経の限りを尽くして後ろへ飛んだのだが、それでも余波でちょっとほっぺた切れた。
「……あら、大丈夫です?こちらに来て治療しましょう」
「や、いいです。このくらいは舐めときゃ治るんで。それより、今のゆきねの声でしたよね?」
「ええ。呼んで来ますね」
芳賀さあん、とローデ先生が呼ぶと、「お呼びでしょうか!」と駆け足で近寄ってくるゆきね。調教されてんなあ軍人じゃねえかもう。
「よ、ゆきね。久しぶり」
「な、日比野君!?どうしてここに、」
「あー、まあ、ちょい野暮用で。ゆきねは元気か?」
「……オフェリテのマンジョア風、美味しいですよね。人避けにも最適です」
「美味いよな!あ、でも今から新しくこっちの入学生が来るかもしれないし、あんまりドン引きされるようなもの食うなよ?」
「えっ、何ですって!?そ、それって、あれが食べられなくなる、ということですか!?」
そうなんだよなあ!!あれめっちゃ美味しいのにこっちに来てから食えなくなって困ってたんだよ!!でも回復薬とそれを天秤にかけたら回復薬への嫌悪が先にたつんで。
「ほっぺた切れてますよ。簡単な血止めくらいはしましょう」
「あ、サンキュ」
消毒液をポーチから取り出し吹き付け、丁寧にふき取るとぺたりと絆創膏を貼る。
「せっかくなので夕飯、一緒に食べていきませんか?」
「あ、ああ。そういやもうそんな時間なのか」
時計を見ると結構いい時間帯だ。俺はうなずいて食堂へと向かった。ふと視線を感じてみると、いつぞやのカラフル組がこっちを見ていた。
「オフェリテのマンジョア風、二つ」
「ヘッ!?は、はい!」
ぷるぷるとしたなめらかなそれを口の中に運びながら、会話を始める。
「ヴィオレッタさん、という方でしたか?私と入れ違いに来た人ですよね。その方がどうかなすったんですか?」
「頼むからついてきてくれとしか聞いてねえんだよな、それが」
全力でしらばっくれると、彼女は「なるほど」と口にした。
「最近先生たちも少々とげとげしていまして。多少なりともヒントが得られればと思ったのですが、寮の部屋では記憶が薄れてしまうのです。まるで文章化しようとした瞬間に語彙力が全て霧散していくかのような……」
「記憶が消えちまうってことか。情報の漏洩はあまりなさそうだな」
ふと背後から肩を叩かれ、思わず振り返る。
「なんだヴィオレッタか」
「他に誰がいるのですか」
「いやいや、そういう意味じゃねえって。あ、こちら芳賀ゆきね。んでもってこっちがヴィオレッタ・ギリアム」
「あら!あのギリアム長官の妹さんでしょうか?会えて嬉しいです、はじめまして」
「は、あの、いえ、ですから、兄とは血がつながっているわけではなく……孤児同士で、同じ孤児院で育っただけの仲なので」
「そうなのですか?てっきり私は髪の色が一緒ですし、兄妹なのかと思っていました」
ずず、とお茶をすするゆきねはどこまでも平坦で、ヴィオレッタの緊張した状態ととても似ていて、ちょっと微笑ましくなりながら脳みそを口へ運ぶ俺。
「あの、先ほどから気になっていたのですが……お二人とも、それ、食べるんですか?」
「うまいよ?」
「美味しいですよ?」
「……、……そ、そうですか」
言い知れぬ言葉を飲み込んだように彼女は口をつぐんだ。俺はちょっとばかし複雑な気分だったが、ゆきねがこれにはまってくれたので、仲間が出来たような気持ちで嬉しい。
「っと、そろそろ帰るよ。あんまり遅くなるとやばいしな」
「ええ、夜道には気をつけてください。あ、次に来るときはメープルクッキー、お願いしますね」
「へえへえ、やっぱここじゃ手に入りにくいだろうからな。もし他に欲しいものがあったら調達してきてやるから、教えてくれよ」
「ええ、了解しました。またLINEしますね」
学院の外へ出ると、ふう、と彼女は一息ついた。
「ひとまずは、情報提供が出来ました。ありがとうございます」
「いいって。それより数日は身辺に気をつけろよ?」
「ええ、それはもちろん。千歳さんの方はどうでしょう?」
「さあな。俺の忠告も、まあ勘の鋭いヤツは既に気づいてるはずだ。ここまでクラスの人脈でどうにかなるとは思ってなかったから、運がいいよ」
「そうですね。最近で二番目に驚いた出来事でした。あのようなことはごめんですが……そういえば、どうやって気づいたんです?こんなこと」
「そりゃあまあ――」
さすがにあいつらに施した教育のせいとは言いにくい。
「今動くのが、一番いい。魔法学院が動き出したのは、ゆきねが魔法を使えるようになったからだろう、と俺は推測する。つまりこっちの人間を魔法使いにするノウハウが出来たってことだ。そうなれば協調派が強くなる。今、この時期を逃せばもう身動きが取れなくなる。その前に、って考えるのが普通だろうな」
「……なるほど。確かにそうですね」
と、そこで電話がかかってくる。
「もしもし?」
『あ、もしもし日比野君?今から父さんに代わるね、ちょっと話をしたらかなり興味持っちゃったみたい』
「え、ちょ、ちょーい!?」
『もしもし、君が日比野識かね?』
「……はぁ……もしもし、そうです。俺が日比野です。なんですか?」
『千歳が君のことを褒めていてね。あの優秀な子が他人を褒めるなどめったにないことだ』
「あーはー、そりゃあ過分な評価をどうも。でもって千歳君が優秀って表現するってことは、人身掌握の観点からってことか?」
『そうだ。とはいえ成績はもう少し頑張って欲しいものだがね。さて、本題に入ろう。ここまで情報がないなか君はよくやった、と言っていい。実際我々もその情報は掴んでいた。だが正直に言えば対策が危ういのだよ』
このクソジジ……じゃねえ、クソ野郎。俺にンなこと頼まれても知るかっての。
「今日俺のクラスメイトがグループを変えたらしいんで、そちらに任せればいいでしょ。どうせ誰がどのグループかなんて、心の中を覗けるくらいじゃなきゃわかりゃしねえんだ。俺に聞くなよ」
『くくっ、そうか、そうか。うむ、まあそれならそれでいい。晴樹、君の友はなかなか面白いヤツだな』
面白くもなんともねーわ。こちとら陰気なオッサン面だからな。少女漫画かっつの。
『あ、父さんがごめんね。別に煙に巻くような話し方をしたいわけじゃないんだ。性分みたい』
「これをナチュラルでやってんのかよ?うそだろ……」
『それと、君の事は黙っておいてくれるみたい』
「それはこっちから頼みたいくらいだったよ」
『そう?じゃあ切るね~』
ぶち、と音がした。千歳家の人間はなかなか厄介そうである。正直こんな縛りプレイドマゾにしか出来ないと思ってたんだが、やってみると案外忙しいものの楽しい。
「はてさて、それにしても俺の妹は、偶然とは言えいろんなことに巻き込まれるもんだな」
ヴィオレッタしかり、唯しかり。
あいつら変な星の元に生まれついてんじゃねえかと思うレベルだ。とはいえ今のところ妹としての格はヴィオレッタの方が上なんだよなあ。
花瓶投げてこないし。




