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2020冬童話作品

贈呈 連環二部合奏 

 おう、こーらくん。こんな遅くまでリコーダー練習かい? 熱心なのは結構だが、そろそろ下校時間なんでね。帰る準備をしてくれないか。


 ――なに、リコーダーを上手く吹くコツ?


 そうだな、ちょっと一曲吹いてみなよ。短い奴でいいから。


 うん、だいたい分かった。こーらくんは穴を押さえていない指が、穴そのものから遠ざかりすぎている。ぴんと天へおっ立てるものだから、音の運びが間に合わない。

 加えて、指の上げ下げに力が入りすぎ。そんな指先が白くなるほど押さえられちゃ、笛が可哀そうだ。

 別に茶化してないぞ。入りすぎた力は動きを鈍らせ、音を固くする。もっと柔らかく、優雅に優雅にだよ。

 それにしても懐かしいな。先生もね、学生だった時にはリコーダーをよく練習したものだよ。その時にちょっと不思議な体験もしたんだ。

 どうだろう? 興味があったら聞いてみないか?


 先生が小学校の4年生ごろの話。先生はリコーダーを吹きたがるくせに、その音色ったらひどいもので、形が整うまであまり他人に聞かせたくなかった。

 だからひとりで練習することを好んだんだ。家の中じゃ家族に聞かれるから、ひと気のない河原によく向かったっけなあ。

 で、再びリコーダーのテストが迫り、先生はさっそく練習へ。

 いずれの橋からも遠く、邪魔な音が入らないこの河原で、日が暮れかけるまで練習するのが先生の常だった。だが今日は先客が来ている。


 クラスメートの女子のひとりだ。ピアノを弾くことができて、それだけでクラスだと一目置かれていたけど、歌や他の楽器の扱いもうまい。先生は彼女のことを、どこか違う次元の人間のように感じていたんだ。

 それが今、ここでリコーダーを吹いている。先生のいる土手に背中を向けて、川面へ縦笛の調べを送り続けていたんだ。

 場所を変えようかなと思いつつも、ふと彼女の演奏を聞いていて気付いたことがある。

 今回テストされる箇所は、すべて演奏すると1分近くになる長いもの。彼女はそのうち3分の1ほどの節を、延々と奏で続けているんだ。

 大きなミスはなく、澱みなくフレーズを終えても、すぐに頭へ戻って吹き始める。今度はところどころの微妙な音の強弱や、伸ばし方に手を入れて。

 間に休憩を挟まない様子は、あたかも楽譜がそのまま続き、それに従っているかのような動きに見えたんだ。


 20分くらい、吹き続けていただろうか。彼女はゆっくりリコーダーから口を離す。うつむき気味に小さく首を振り、不満げなご様子だ。

 とすん、とその場に腰を下ろす彼女。普段からそれなりに話をする仲だし、先生は彼女に近づいて声を掛けてみた。

 彼女は少し驚いた顔をしたけど、先生が握ったままのリコーダー袋を目にすると、「練習?」と首を傾げてくる。先生がここまでの経緯を話し、彼女の演奏の上手さについても触れたけど、すぐにその表情が険しくなった。


「いや、全然ダメ。もっと続けなきゃいけないの」


「あそこのフレーズを? テスト範囲はもっと広かったと思うけど」


「うん、あそこだけ。完璧に完璧を重ねても、仕上げなくっちゃいけないの」


 それがあの調整を続ける、繰り返し演奏なのだろう。先生は少し感じるところがあった。

 先生は楽譜通りに吹くことで精いっぱいだが、彼女は楽譜通りであることを必ずともよしとしない。曲を壊さない程度に工夫し、どのように印象付けようか考えているんだ。

 先生が考えているゴールよりもっと先を目指す彼女の姿勢を、少しかっこいいと思ってしまったんだよね。


 先生は思い切って、彼女に師事することを願い出たんだ。これまでの自分ひとりの練習は確かに気軽だったけど、そこからの修正はあくまで自身の素人判断。とんちんかんな恐れがあった。

 その点、実力があり、練習に手を抜いていないことも知れた彼女なら、先生の下手くそな演奏も笑わないんじゃないか、とも思ったんだ。

 彼女は快諾してくれたけど、条件がつく。それは彼女が挑み続けていたフレーズを、先生も徹底的に続けること。抑揚をつけながらの演奏を、彼女は求めてきたんだ。それを終業式の日まで、天気の良い日は付き合って欲しいという。

 

 それから晴れの日は、二人で件の河原へ行って、リコーダー練習に励んだ。実はこーらくんに先ほどした指摘も、彼女からの受け売りさ。君とまったく同じミスを、先生も犯していた。ほどなくテスト範囲の演奏は問題なくこなせるようになったけど、次は先生が、彼女との約束を果たす番だ。

 彼女は先生の前で手本を見せ、その通りに吹くよう指示を出すのだけど、これがべらぼうに厳しかった。拍子や音程のわずかなずれも耳ざとく見つけて、何度もやり直しを要求してくる。いずれも、先生の耳では判断しきれない細かい点だ。

 何度頭に血が上ったか知れないけれど、約束は守れと言い聞かされて育った先生は、必死についていく。やがてリコーダーテストがつつがなく終わっても、先生は彼女の求めるレベルまで及ばず、河原で過ごす時間は続いた。

 

 20秒ほどで何度も繰り返されるフレーズは、アレンジの順番が決まっていたんだ。

 1回目は楽譜通り、2回目は全体を1オクターブだけ下げて、3回目は逆に1オクターブ上げて……という具合にね。更に先生用と彼女用で分かれているらしく、途中から互いのアレンジ内容も別になる。

 これらを一切のミスなく30分続けなければならない。例の不満そうな表情で首を振ることもしきりだったよ。

 

 何がそこまで彼女をかきたてるのか尋ねると、「この演奏が大切な贈り物になるから」とのことだった。ついでに、もし先生が手伝ってくれなければ倍の1時間を、自分で吹かねばいけない羽目になっていたとか。

 もしかして、誰かがこの演奏を聞きにくるのだろうか。ここまで来た以上、先生は最後まで付き合うつもりだったし、手前みそながら、このフレーズに関しては誰に見せても恥ずかしくない出来だと思っている。

 それにしても妙な話だ。奏者がひとり増えただけで、演奏時間が短くて済むなんて。

 

 そしてクリスマスも間近に近づいた終業式の日。年末ならではの大荷物を担いで、先生たちはあの河原へやってきた。

 いつも練習している定位置へ移動する。想定していたようなギャラリーはなし。並んでリコーダーを袋から取り出すと、彼女は先生に向かって頭を下げる。


「まずお礼を言っとくね。ここまで付き合ってくれてありがとう。君のおかげで、だいぶ助かることになっちゃった。

 で、この本番なんだけど、一発勝負じゃないからその点は安心して。ただ、成功するまで何度でも繰り返すことになる。たとえどんな妨害があろうと、夜になっちゃったとしてもね。

 遅くなるのが嫌なら、帰っちゃってもいいよ。私が徹夜してでも、ひとりで仕上げるから」


「そんなにあおらなくても」と、先生は早くもリコーダーに口をつけて、何度か短く音を出す。動作には問題なし。

 それを了承と取った彼女は、自らも笛をくわえて先生を横目で見ながら、右足を軽く上げる。彼女がつまさきで「とん、とん、とん」と三回地面を叩いたなら、それが始まりの合図だ。先生たちのリコーダーから、同時に音色が流れ出す。

 やがてパートが完全に二部に分かれた。彼女は高音、先生は低音、同じタイミングで重なり合う二つのメロディが、延々と紡がれていく。


 50回目あたりのリピートに差し掛かった時、先生の前で奇妙な景色が展開されていく。

 先生が正面に見据えるは、中州に挟まれた幅数メートルの川の水。その水面の真ん中から、フラフープらしき輪っかがひとつ、少しずつ浮き上がってきたんだ。

 輪は水でできている。ゆらゆらと輪郭を乱しながらも、大本の形を崩そうとしないその姿に、思わず目を見はりかけて、ちょんとふくらはぎの後ろに彼女の靴が触れてくる。「気にせず続けろ」ということだろう。

 残り10回ほどで、水のリングはほぼ川面から離れ、宙へ浮かび上がった。


 そうして90回目。ちょうど30分を迎えるように調整されている演奏を終え、先生たちは同時に笛から口を離す。にもかかわらず、耳にはまだ件のフレーズが流れ続けていたよ。

 用心深く聞くと、それは川の方から。すっかり浮き上がった、その水の輪から聞こえるようだった。


「――続きに続いた演奏で、大きな大きな環を成した。終わらぬ音を閉じ込めて、永遠の誓いといたしましょう」


 そう告げる彼女が、すっと腕を川に向けて差し伸べた。すると、これまでゆっくり持ち上がっていた水の輪が一気に速さを増し、空へ向かって飛んでいく。それを見上げる彼女に合わせ、頭の上を仰ぎ見た。


 青い空の真ん中に、白い雲がひとつだけ浮かんでいる。ドーナツを思わせる大きな穴の開いた輪の形は、川の中から浮き上がったものと同じ。その穴の中へ水の輪が吸い込まれていくと、今度はにわかに雲が大きくなり出した。

 あっという間に先生たちの視界を埋め尽くすほどになり、地面へ落ちてくる雲の塊。一瞬だけ先生たちの周りから視界も熱気も取り去ると、「ぱしゃん」と川の真ん中に水柱を立てて、それっきり。一向に浮き上がってくる様子はなかった。

 それを見届け、改めて頭を下げてくる彼女に、先生は事情を聞く。すると彼女は、これが空と大地の指輪交換だったというんだ。

 人が代謝によって、日々新しい身体になっていくように、空も大地もまた変わり続けている。一年をかけてゆっくり変わってしまうそれらは、毎年、結婚しなおさないといけないのだとか。

 だから彼女はリコーダーの音色で指輪を作った。何度も繰り返す旋律は、変わらない思いの証。それを閉じ込めた指輪こそ、たとえ姿が変わっても、変わらず天地を支え続けていく誓いの現れだと。


「でも、今回は違う。私が作ったのは空の分の指輪だけ。川から出てきた大地の指輪は、紛れもなく君自身が作ったものよ。

 今日はこんなにいい天気。空が指輪を気に入ってくれた証拠なの。最高の贈り物ができて良かったわ」


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― 新着の感想 ―
[一言] 壮大なお話ですね! リコーダーはあまり得意じゃない私です^_^
2023/07/13 18:05 退会済み
管理
[一言] 連環と連管がかかっているのかなあと思いながら読み進めておりました。なお作品を読んでいるときの脳内BGMは、「栗コーダーカルテット」の曲でした。 そうそう、小学生の頃には笛の練習とかありまし…
[一言] リコーダーって、楽器が安いだけで、上手に吹く難易度は高いと思うのです。 そのリコーダーで強弱をつけて演奏するだなんて、なんという高等技術! 下手くそから神業師にまで昇格した先生の努力に脱帽で…
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