第9話 「なんか納得がいかないな……」
「クソッ!」
会場までの競争で敗北を喫し、自傷魔術の発動をユクシアに妨げられつつ、霧生は地面に頭を打ち付けた。
「よしよし。霧生の負け」
先程と全く同じ姿勢で、ジタバタする霧生の背中を撫でながらユクシアが煽ってくる。
その後15分程癇癪を続けて、なんとか気を取り直した霧生は立ち上がった。
「さて」
やってきたのは古都トゥルクの不凍港。
視界の中では、ボスニア湾から流れてくる貨物船、出港する客船などをまずまずに、対岸まで穏やかな波が続くはずのバルト海に、明らかな異物が混ざり込んでいる。
それは一見するとコロッセオのような外観をした建造物だが、よく見れば全貌の大部分を海の中に隠し、頭だけを海上に露出させていた。
「あれが名高いトゥルクの円形闘技城か。近くで見ると圧巻だな」
「ね」
文献や、遠目からでは見たこともあったが、ここまで近くに来るのは霧生も初めてである。
千年前の、今より《技能》が栄えていた時代。当時の魔術工匠達による、今や失われた数々の術式で存在を強固に維持している闘技城。
一切の綻びを見せず、悠々と海の中に鎮座している。
これだけ離れていても、中からは既に殺気や悪意の混じった熱気が感じられた。
そして、闘技城には一般人からの干渉を避けるための魔術も施されてあり、ある程度技能に通じている者だけが認識できるようになっていた。
そんな中、闘技城の監視塔から軽い視線を感じると、付近に簡易の《転移回路》が現れる。
技能者としての入場を認められたらしい。
流石は来る者拒まずの独立闘技会だ。
「ほら、行くよ」
「あっ、こら!」
ユクシアが躊躇無く《転移回路》に足を踏み入れ、それを追う形で霧生も回路に飛び込む。
《転移回路》によって飛んだ先で、まず霧生達を捉えたのは張り詰めた熱気であった。
闘技城の最上階、どうやらその外れに転移したらしい霧生は、その熱気に打たれつつも周囲を見回す。
思わず目を瞠るのはトゥルク円形闘技城の隔離空間としての魔術技工も凝らされた内部の一様である。
それは外観に反し、あまりにも広かった。
「凄いな」
「ね」
中央に携えられた闘技場は、周囲の敷地に比べれば、あまりにも狭い。
周りを囲う段状の観戦席は、もはや"街"とも形容できた。
どの場所からも中央の闘技場が観戦できる配置でテントや民家、屋敷などが群列し、その隙間を埋めるようにバザールが賑わい、活気付いた人々が行き交っている。
他の闘技場では見られない、異様な生活感があった。
「受け付けはあっちか」
壁に立て掛けられた古ぼけた木製の看板が参加者に向けての案内を示している。
その方向にはアドレイの痕跡も続いていた。
一先ずそれに沿って霧生達は歩み始める。
「キリュー、本が売ってる」
「あとでな」
話しながら人気の無い闘技城の端を案内の通りに進んでいき、先に現れた長い階段を降りると、二人は闘技場の地下に出た。
そこは左右に装飾の少ない柱がズラッと並ぶ、質素な宮殿の大広間のような空間であった。
広間には腕利きの技能者達がチラホラとまばらに立ち、新たに現れた霧生とユクシアに意識を向けている。
彼らは参加の受け付けを済ませ、敵情視察に駆り出ている者達だろう。
さらに視線を流すと、広間の奥にはさらに階段が続いており、踏み込み封じの結界が見え、その手前に配置される台座の上には、巨大な本が開かれていた。
あれに参加者は名前を記さなければならないらしい。
丁度、書き終えたアドレイがこちらの階段の方へ戻って来る所だった。
何も言わず隣を通り過ぎようとする彼に霧生は声を掛ける。
「基本は多めに見てやる」
アドレイは霧生達と行動を共にするという条件で参加を許された身。
性格からして条件通りに事が進められるとは最初から思っていなかったが、目を光らせていることは伝えていた方が良い。
彼がこの闘技会に意欲的なのは、己に見合う敵を探しているからだと霧生は予測している。
その点では思う存分発散して欲しいという本音もありつつ、霧生は学長の顔も立てなければならなかった。
彼が何かしでかした時、対応しなければならないのは霧生なのだ。
「ぬるま湯共は黙ってろ」
霧生とユクシアを交互に睨みつけた挙げ句にそう吐き捨て、アドレイが階段を上っていく。
「嬉しい事言ってくれるねえ」
「なんで私まで……」
アドレイとは視線を合わせてすらいなかったユクシアが、悪意に巻き込まれたことに不満を漏らす。
「勿体無いなあ。ああいうのは絡み返していかないと」
「うーん」
霧生達は台座の上に開かれた古書の元まで進んだ。
古書は霧生が両手を横に広げた程の大きさで、中にはズラッと参加者の名前が直筆で記されていた。一番下にはアドレイの名もあり、その下には空白が続く。
「ここに名前を書けってことだろ」
「それだけ?」
「こういう古い催しは、昔の例にならってノリで進める傾向がある」
「なるほど」
いくつかの柱の影から感じる視線にはユクシアも気づいている様子。
おそらく運営側の人間、どれもしっかりと手練れだ。顔を覚えているのだろう。
独立闘技会なら、参加者が直接やり取りしないのは適切な判断である。こんなものに参加する輩に対して窓を設いていれば、運営側にとって好ましくないトラブルが増えるからだ。
霧生は台座の端に据えられた筆を取った。
書き記す前に本を前のページに戻してみると、新しい筆跡の名がしばらく続き、前の参加者の名前からは、それぞれに黒い一線が引かれてある。
「すげぇぞこれ。過去の参加者全員の名前が載ってる」
「ホントだ、凄いね」
隣のユクシアが少し背伸びして本を覗き込む。
もっと前のページに遡れば御杖の名も見つかりそうだ。
「参加者の数は……200人弱って所か」
ページを交互させながら数えてみると、大体それくらいが新たに記載された名前の数だった。
今のところ、知った名も無い。
「少ない?」
「普通」
これは霧生の知る限り例年と変わらない数だ。
会場の雰囲気からしても、学長から聞かされた事情はそう影響を与えていないようにも見える。あるいは、それ程に秘匿性が高いのか。
受け付けは明後日で締切を迎えるが、本に残された痕跡の傾向からしても、ここから参加者の数が伸びることはないだろう。
そんなことを考えながらユクシアと共に記入を済ませると、ふと見知りの気配を感じ、霧生は振り返った。
階段から降りてくるのは黒い紋付羽織袴の男と、黒留袖の女。
あちらもこちらの存在には気付いているようで、すぐに目があった。
険しい視線を一瞬で朗らかにして、留袖の女がサングラスを片手で持ち上げる。
「おや、えらいのと逢うてもうたなあ」
ドスの利いた声が広間に響く。
「誰?」
「ジャパニーズマフィアの方々だ」
小声の問い掛けに応じながら、霧生は彼女に会釈した。
意気揚々とこちらまで歩み寄ってくるのは、戦国の世を生き抜いた傾奇者達の末裔──極道。
御杖との関わりも持つ畔東組当代の若妻、八代目姐、舞崎涼子であった。
「久々やないの霧生ちゃん。なんや可愛い子連れて」
淡麗な容姿に重い声色。年端は霧生より一つか二つに見えるが、それは若作りの賜物。実年齢は一回り近く上だ。
紛うことなき極妻と言った雰囲気を纏う彼女は、御杖を脱した霧生を一時匿ってくれた恩人でもあった。
「奇遇ですね」
足を止めた涼子に対し、羽織の男はずいとユクシアと霧生の間を押し通り、台座の上の筆を取る。
凄まじい気の巡りだ。
当代の舎弟なのだとしたら、畔東組はとんでもない実力者を隠して持っていたらしい。
「血に飢えてる」
「ええやろ」
記名を終えると、男は涼子の後ろに下がっていく。
「礼二、先帰っとき」
礼二と呼ばれた男をじっと見つめる。
相手の視線も霧生にあった。
重心を感じる、がっしりとした体躯。年齢は一回り上くらい。彼とは初めて対面するが、底冷えするような黒い瞳には、御杖に近しい何かを感じる。
「へい」
間を置いた返事の後、階段の方へ歩いていく礼二。
もしかして、そう口を開きかけると、涼子が先に言葉を発した。
「あれは御杖の流し子や」
「なるほど」
霧生は頷いた。
御杖に生を受けた子どもは振るいに掛けられる。
ほとんどが生まれた瞬間に間引かれ、生かされても、遅れを取る者はすぐに殺される。
しかし時折、運と間が良ければ、どこか他所の家に売り飛ばされ、祖父の手を逃れられる者もいる。
そうした流し子は、往々にして御杖を憎む目をするのだという。
今のがそうだった。
彼らは御杖が意図的に生み出した不穏分子だ。御杖を憎み、御杖以上の研鑚を自らの意志で積み、いつか下しに来る彼らを、御杖は世に放流する。
しかし御杖から逃げた霧生の前に立ち塞がって来るのはお門違いというもの。
そして今度はユクシアが紹介しろとばかりに袖をちょいちょいと引っ張ってくる。
「なんか納得いかないな……」
「そうや、そっちの娘は? 霧生ちゃんの好い人?」
それを見た涼子がユクシアに視線を流して言った。
「違いますよ。こいつは、その学友というか、敵というか……」
彼女との関係を説明しようにも、どう言い表すのが的確かがしっくり来ず、霧生は言葉に詰まってしまう。
そうしていると、ユクシアが丁寧な一礼の後に名乗った。
「ユクシア・ブランシェットです」
彼女が社交的に振る舞う姿は久しぶりに見る。
ユクシアを直視した涼子は顔を顰めていた。
おそらく霧生のことばかり注意していて、ほとんど意識外だったのだろう。
ユクシアが差し伸べた右手に応じ、涼子は「困ったな」と呟いた。
「バケモンやんか」
ユクシアの表情が固まる。
ショックを受けたようだ。
「恐ろしいバケモン連れてきたなあ」
追い打ちにやられ、ユクシアは霧生に隠れるように弱々しく後退った。
唐突に弱点を抉られ、明らかに傷付いている様子。積極的に関わろうとしたのは良いが、返り討ちに合った図だ。
ユクシアが少し可哀想になった霧生は涼子に本題を投げかけた。
「それで、やはり涼子さんも例のアレを?」
間の悪い再会には理由がある。
独立闘技会を勝ち抜いた者に与えられる賞品。涼子、あるいは礼二の狙いも、それである可能性は高い。
「そうなんやけど」
目の上に上げていたサングラスを下ろす涼子。
霧生とユクシアに向けられる視線が、冷たいものに戻っていた。
「お二人さんは、なんぼで辞退してくれるんや?」