第8話 「会場まで競争だ!」
学長から闘技会への参戦依頼を受けた3日後。
早朝のセントラルターミナルにて、霧生は旅の準備を済ませたレイラと並んで長椅子に座っていた。
早くもビンタのダメージから立ち直り、実家へ発つこととなったレイラの見送りである。
肌寒い山頂で、しっかりと着込んだ旅装のレイラに対し、霧生もロングコートに身を包み、学園にやってきた時と同様の服装をしている。
彼女を見送った後、霧生もすぐに発つ手筈となっているのだ。
「…………」
《転移列車》を待つ間、二人で無言の時間を楽しむ。
それからしばらくすると、迸る魔力と共に《転移列車》がホームに到着し、レイラが立ち上がった。
彼女が学園の外へ出るのはここに来て以来のはずなので、何年ぶりになるのだろうか。
ギラつく眼差しもそこそこに、レイラからは少し緊張した様子も伺えた。
「行ってこい」
レイラに合わせて立ち上がっていた霧生は、その背中をポンと叩く。
「はい」
小さく頷き、背に下げた得物を撫でる。
レイラの荷物は、布で包まれた木刀を背中に負うだけで、ほとんど手ぶらだ。
「徹底的に、完膚なきまでに分からせて来るんだぞ」
「はい、師匠」
「帰ったら良い話を聞かせてくれよ」
とは言っても、レイラより先に霧生が帰ってこられるかは分からない。
その辺りの話も伝えているが、出来れば彼女よりも先に学園に戻りたいと霧生は思っている。
「嫌ですよ。そんな大した事をしに行く訳でもないのに」
かつて自分を見下した家族への報復。あくまで彼女は、それを細事として捉えているようだ。
しかし霧生の評価は変わらない。
ふがいない己を形成するに至った過去との、形ある決別。それを彼女自身が決めたのだ。
素晴らしいことである。
転移列車へと歩み出したレイラの後ろ姿にはもうかつての弱々しさは無い。必ずやり遂げるのだろうという安心感があった。
「まあ、またご飯奢ってくれるなら考えますけど」
「全く、お前は」
一々突っ張らないと気が済まないらしい。
そんな態度も今となってはそれも愛らしく、弱さではなく、自分らしさへと昇華させたものだ。
「霧生さんも、頑張ってくださいね」
転移列車に乗り込もうとしていたレイラが振り返り、そう言った。
表情に浮かぶ不安は自分のものではなく、霧生の身を案じているものだと分かる。
打倒リューナに向けた凄絶な修行生活の中、彼女とはお互いのことをいくらか語り合っている。
そのため、レイラは霧生の内情についても知っていた。
「生意気だな」
師の身を案じるなど。
笑みを浮かべ、肩を竦めて見せると、彼女もまたはにかむ。
「私の方はさっさと終わらせて、先に学園で待ってますから」
「言うようになったもんだ」
嬉しいような腹が立つような。
前者の方が強いが、やはり負けていられないという気持ちが強くなる。
後ろの《転移列車》が新たに魔力を帯び始めていた。
「ほら早く行け。乗り遅れるぞ」
「はい、行ってきます」
「おう」
転移列車の扉が空気を噴出し、閉じようとしている。世話の掛かる弟子が軽い足取りで駆け込むと、列車は姿を消した。
霧生は腕を組み、しばらく魔力の残滓を眺める。
勝利学の休講手続き、関わりのある生徒達への連絡を済ませ、レイラを見送ることもできた。
諸々の状況確認や準備、ユクシア達への協力要請も、この2日の間に終わらせている。
後はもう、すべきことをするだけだ。
「俺も気合い入れなきゃな」
こうして、その日の正午。
ユクシア達と共に、霧生はフィンランドへと向かったのであった。
ーーー
ーーー
ーーー
学長が特例で通してくれた学園地下の《転移回路》を潜れば、そこはフィンランドの最古の街、トゥルクだった。
トゥルク大聖堂の側を流れるアウラ川の反対側に位置する、屋内マーケットホール。
その人混みの中に、《転移回路》に付与された認識阻害の魔術によって、霧生達は極めて自然に転移していた。
一般人ばかりのこの場では、誰も唐突に現れた霧生達を気に留めず、しっかりと安全面に気を配られた座標指定が行われていた。
色とりどりの屋台に挟まれる中、霧生は《転移回路》を潜った歩調のまま、人混みに沿って歩いていく。
その後ろをユクシア達が付いてくる。
先頭を行くアドレイは、どんどんと入り組んだ市場の中を進んでいき、やがて目視できなくなっていた。
「凄いな、あの協調性の無さは」
ハオが呆れたように声を発する。
目的地は同じなので問題ないが、初めからあの様子だと霧生も心配になってくる。
霧生の同行によってようやく闘技会への参加を認められた彼は、元々行動を合わせるつもりがなかったのだろう。
学長を振り切って学園の外に出られた今、アドレイとしてはもはや関係ないのだ。好き勝手をするという意思表示だと捉えられる。
「師匠、あれ美味しそう」
ハオの裾を掴む夜雲が屋台を指差す。日本語。
アドレイのことなど早速頭から除外したハオが嬉しそうに「それは平和だね」と北京語で応じる。日本語を聞き取ったのではなく、雰囲気で答えている感じだ。北京語を聞き取れなかった夜雲が首を傾げている。
「キリュー、まずは受け付け? 宿?」
そして空気を読んだらしいユクシアがフィンランド語で話しかけてきた。
グレーのハイネックニットの上からブラウンのウールコートという服装に、絹糸のような髪がよく映えている。
一瞬見惚れそうになったのを振り切って、霧生はパンと両手を打つ。
「まずは、言語を統一しようか」
これは事前に決めておくべきことだったが、学園で常時展開される意思疎通のための大魔術に長らく甘んじて来ていたので、完全に失念していた。
闘技会の会場では学園に似た措置が施されているはずだが、その他では統一していなければ目立ってしまう。
しかしおそらく、マイナーなフィンランド語を話せるのは霧生とユクシアだけ。
欧州連合の公用語として登録されているフィンランド語だが、世界でこの言語を扱えるのはたったの500万人しかいない。ハオと夜雲は話せないはずだ。
「英語で行こう。ハオ、夜雲、いけるな?」
「分かった」
ユクシアがいち早く返答し、ハオと夜雲も同じように英語で返事をした。
夜雲は生業柄話せるようになっているし、平和主義者のハオも世界共通語は当然のように扱えるようだ。
ひとまずの問題を解消して、マーケットホールを出た霧生達は、そこでフィンランドの古都、トゥルクの冬景色を目の当たりにした。
街全体に浅く積もった雪、歴史ある建造物をショップやホテルに改築した、古きと新しきが調和する穏やかな景観。
マーケット広場から少し歩いて川沿いの広い通りに出ると、凍ったアウラ川が港の方までずっと続いているのが見えた。
「道理で寒い訳だね」
厚手とはいえ十分な着込みとは言えないパーカー姿のハオが身を抱える。
「それで、僕らは闘技会には参加しない訳だけど、ここからどうすればいい? 会場にはこれ以上近づかない方向で、出来ることがあるならやっておくけど」
バルト海方面から吹き付けるの冷たい風に乗って流れてくる気配は、良くない雰囲気のものが多い。
それを感じ取っていたハオが先手を打つように申し出た。
「なら早速だが、二手に別れようか。俺とユクシアは会場で受け付けをしてくる。ハオと夜雲は、拠点に良さげな宿を探しておいて欲しい」
「お、たまには話が分かるじゃん」
「まあな。こっちのタイミングでまた合流しにいくから、それまで二人はテキトーに観光でもしててくれ」
闘技会に関して、信念の都合上、ハオと夜雲に戦力面での期待ができないのは事実である。
なので会場へ足を運んで貰っても、観戦しかやることはない。
それでも来てもらった理由は、何か不測の事態が起きた時、ハオなら上手く動いてくれるという安心感を霧生が得るためだ。
「よしきた! 行こうぜ夜雲! 観光だ!」
夜雲の腕を引っ張り、早々に走り去っていくハオ。
そして二人きりになった途端、隣に立つユクシアがすすっと身を寄せ、ぴとりとくっついてきた。
「行こっか」
腕を取り、やけに楽しそうにこちらを見上げるユクシアの顔があまりに近かったため、心臓が跳ねる。
「な、なんだ急に。離れろ」
慌てて手を振りほどき、距離をとる。
ユクシアが挑発的な笑みを浮かべていた。
「肩の力、抜いて上げようと思って」
またサッと手を取ろうとしてきたユクシアからさらに離れる。
「やめろ馬鹿……! クソ、お前まで遠足気分かよ」
「ふふ」
彼女の言う通り、今ので余計に入っていた力は多少抜けたが、どうもこんな調子で大丈夫なのかという不安は残る。
「何でそんなに楽しそうなんだ。分かってるのか……? この闘技会はな」
「分かってるよ」
こちらの言葉を遮って肩を竦めるユクシア。
分かっているとは言うが、依然彼女は浮かれた様子だ。
「分かってないだろ」
学長の依頼は、派遣された学園勢力を独立闘技会で優勝させること。
それは霧生でも良いし、ユクシアでも良いし、アドレイでも、既に現地にいると言う講師達でも良い。
他の勢力にモノが渡らなければ良いのだ。
つまり闘技会の性質上、個人の勝利より、勢力としての勝利、引いてはそのための采配が優先される。
「分かってる」
「…………」
闘技会には並み居る裏組織や実力者が参加すると学長から聞かされており、きっと一筋縄ではいかない。慎重さが求められる。
要するに、霧生はユクシアが心配だった。
「ただ、今のキリューはちょっと固いと思う。本当にそれでいいの?」
「……」
見透かしたようなその言葉に、霧生はギョッとさせられた。
確かに。確かにそうかもしれない。
湖面のような瞳を見つめ返すと、その奥には蠱惑的な敵意が灯されている。
「私は楽しむよ。この闘技会も勝負の場だと思ってるから」
「……ッ!」
それは、霧生との勝負の場。
そうだった。霧生が手に入れた最強の精神はこうではない。ユクシアの言う通り、この感じではないのだ。
意表を突かれた霧生はガクンとその場に膝をつき、そのまま深く項垂れた。
「そんな……まさか、俺はまだ扱えていない……? 最強の精神を……」
また空気に流され、らしさを失ってしまっていた。
すっかり精神的に最強になったと思い込んでいたが、違った。
信条を他人に侵されないためには、極めてマイペースであることが重要である。
霧生は、精神的に最強であるために必要なことをただ知っただけで、まだ完璧に実行することができていなかったのだ。
「クソッ!」
ドンと、地面に拳を打ち付ける。
「その調子その調子」
隣に屈んだユクシアが頭を撫でてくる。
霧生はガバッと顔を上げ、ユクシアを見た。
恐ろしい女だ。時折、霧生以上に霧生のことを理解していると錯覚させられる。部分的には実際そうなのかもしれない。
「お前は俺に詳しすぎるんだよ……!」
「まあね」
誇らしげなユクシア。
彼女の手を強く握り、霧生は言う。
「でも、呼んで良かった」
戦いが始まる前にこの気付きを与えてくれた彼女には感謝せねばならない。
「そ、そうでしょ?」
ユクシアは少し頬を染め、気恥ずかしそうに目を逸した。
その隙を突いた霧生はパッと手を離して立ち上がり、バルト海目掛けて走り出す。
すぐさま、置いていかれたユクシアが後ろから声を上げた。
「もう、待って!」
「会場まで競争だ! 行くぞ!」




