第27話 少女は踏み出す
「いけぇぇぇぇぇ! だぁぁぁよォしッ!!」
大闘技場にて、一人の生徒がレイラの一刀によって倒れ伏した。
霧生が拳を握り、会場のギャラリーも大歓声を上げる。
『オオオオオオオオオォォ!!』
「おおおお! すご! めっちゃ強くなってるじゃん!」
欄干に乗り出したレナーテが興奮した声色で言う。
「だろ!? 凄いだろ!?」
欄干の上に立つ霧生はレナーテに振り返ってはしゃぐ。
「凄すぎるよ!」
学園へ戻ったレイラは序列戦でのリベンジに向けて連日連戦中であった。
今日に関してはこれで二勝目であり、この一勝でリューナに申請ができる順位へと昇格する見通しである。
しばらく学園から姿を消していた霧生達に対し、あれからリューナも序列戦に出ることはなかったらしい。そのため、停滞しているリューナの順位には一週間足らずで追いつくことができていた。
今朝の学内新聞の見出しには『下剋上のレイラ、復活』とある。落ち着いていた序列戦の熱気は、レイラの帰還と共に戻ってきていた。
「何させたらああなるの?」
「地獄の特訓さ」
帰ってきたレイラは強い。
その覇気の違いは誰の目から見ても明らかである。
日々の訓練による傷や手当ての跡。薄汚れたローブにシャツ。泥に塗れたボロボロのブーツ。
この2ヶ月でいくらか伸びた髪は、ロクに手入れをしていないこともあって、彼女にどこか猛獣のような気配を与えていた。以前のような弱々しさはほとんど消えている。
そんな姿でグラウンドの中央に佇むレイラは、脇で小さく握り拳を握っていた。
「レイラ!」
それを見た霧生が声を上げると、レイラが視線をこちらに向ける。
「もっと喜べ! 勝ったんだぞ!」
「えぇ、勘弁してくださいよ」
霧生の指導に嫌そうな顔をするレイラ。多少素直になったが変わらない部分もある。
「師匠命令だぞ!?」
それでも霧生が喚くと彼女は溜息を一つ吐き、
「やったぁぁぁぁぁぁ!」
両腕を高く上げて歓喜を表現した。
しかしすぐにスンと表情を戻し、両手も下ろす。その後、「これでいいですか」とでも言いたげな顔で霧生に視線を戻した。
「お前はッ!」
「うふふ」
隣で笑みを零すレナーテ。
レイラは倒れ伏した相手に背を向け、ゆっくりと退場しつつあるところだった。
もう一怒声浴びせるべく開いていた口を閉じる。
この一勝でリューナと戦えるようになったのだ。
その事実は一層張り詰めた空気を彼女にもたらしていた。つまり、目先の勝利に歓喜する余裕など今のレイラには無いのかもしれない。
例え序列3桁半ばの生徒に圧勝しても、これからどれだけ強くなっているか分からないリューナと戦うことを思えば、自信の足しにはなり得ないだろう。
だからこの立ち合いも、相手がリューナだったらどうだったか、そればかり考えているに違いなかった。
そんなレイラに、一つ景気付けてやろうと思った霧生は、握りしめてハリセンのようになっている学内新聞を高く掲げる。
「最ッ強! 最ッ強! 最ッ強!」
そうして大声でレイラに向けたコールを始めると、そのコールは波紋のように2階席に伝染していく。
『最ッ強! 最ッ強! 最ッ強!』
熱狂の大闘技場。
呆れたように溜息を吐いたレイラが早足に闘技場から退散していったので、霧生は乗りに乗ってしまったギャラリー達を放置して、彼女の後を追った。
「レイラ! 今日も最高の粉砕っぷりだったぞ!」
闘技場を出て、通りを歩むレイラに追いついた霧生はその背中を軽く叩いて隣を歩き始める。
「ああもう……」
「なんだ不服そうに」
「霧生さんは毎度毎度うるさすぎます。ちょっとは落ち着いて観戦できないんですか。さっきのコールも恥ずかしすぎるし」
レイラは心底迷惑げに言う。
彼女の戦況に応じて一喜一憂する霧生は、レイラの序列戦においてはもはや名物のようなものだった。
「馬鹿言うな。弟子が勝ったのに落ち着いていられるかよ」
言うと、前を向いたまま少しだけはにかんだ彼女だったが、すぐにその表情を引き締めた。
「とにかくこれで……リューナちゃんに挑めるようになりました」
「ああ」
ポケットから取り出した生徒端末を操作して、レイラは序列戦の画面を開く。
同じく霧生も確認してみると、今の一勝がすでに反映されており、レイラの名前はリューナのすぐ下まで上がってきていた。
険しい顔で操作の指を止めるレイラ。
「お前の好きな時に挑めばいいからな」
そんなレイラの肩にポンと左手を置く。
霧生はレイラが再挑戦の意向を固めた時から、そこに至るまでの全てを彼女に委ねることに決めていた。
序列戦への連日参加も彼女の意思によるもの。だからリベンジも、彼女が今こそと思った時に挑めばいい。
「……明日がいい」
レイラは呟くように言った。
「……リューナちゃん次第ですが。どう思いますか?」
「明日か」
意見を求められ、おもむろにレイラの体を見下ろす。
負傷が目立つ体だが、確かに《気》の巡りは過去一に洗練されている。
敗北を喫したあの日から情念を燃やし続け、今、その熱が最高潮に達しているという直感がレイラにはあるのだろう。
彼女は勝負を急いでいる訳ではなく、肉体の万全よりも"機"の万全を選んだのだ。
「良いな。お前らしい」
霧生は躊躇わずに賛同した。
そうするとレイラは端末をポケットにしまって、ピタリと足を止める。
「霧生さん。それなら」
立ち止まり、レイラに振り返る。
「なんだ?」
彼女は不安混じりに、挑戦的な笑みを浮かべている。
「直接会って、立ち合いを申し込みたいです。勝負的にはきっとその方がいいですよね?」
その言葉で、霧生は感動のあまり目頭が熱くなった。
「お、お前、分かってきたなぁ……」
「でしょ」
それができるなら勿論その方が良いに決まっている。
情熱鮮度の更新だ。変わらぬ敵意を見せつけて相手に分からせてやるのだ。絶対に負けられない状況を生み出し、自らの退路をも塞ぐのである。
素晴らしい勝負への姿勢。
それが内なる恐怖から来るものだと分かっているからこそ、余計に霧生の琴線に触れた。
自分を止めようとするものは、どれだけ鍛えても、自信をつけても、決して消えてなくなったりはしない。
しかしどうあっても進み続けてさえいれば、それだけで彼女が打ち勝っている証拠となる。レイラが求めていた力だ。
「この野郎、感動させやがって……」
霧生は眉間を押さえたまま、駆け寄ってきたレイラの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
そしてローブのポケットに手を突っ込み、白手袋や果たし状などの挑戦セットを掴み出してそれを彼女に差し出した。
「やる。使え」
「……いや、それはいいです」
ーーー
多種多様の研鑽が行われる大広間。天上生達を掻き分け、師弟が往く。闊歩する。
レイラを引き連れ、霧生は《天上宮殿》にやってきていた。
本来立ち入りを禁じられている一般生徒のレイラは堂々としたものである。
学園の生徒達の憧れであるこの場所へ初めてやってきても、きょろきょろと辺りを見回したりはせず、ただ真っ直ぐと前を向いている。
なにせ彼女には興味が無い。彼らの才能も、研鑽も、努力も。今は自分の勝負のことしか頭にない。
そしてそこに伴う気迫が知らずと天上生達への威嚇となっていた。興味半分、反感半分でジロジロと目で追ってくる彼らに、霧生が威嚇して注目を散らす。
レイラが一つのことだけに集中できるようにするのは師匠である霧生の務めだ。
そうして大広間を抜け、長い回廊を進み、その先にある巨大な扉を開くと、霧生達は《老練の間》に出る。
そこからさらに歩いて荒れ果てた丘に到着すると、その場所には以前のようにユクシアとリューナがいた。
接近に気づいていたユクシアがこちらを向いて、続けてリューナも振り返る。
合わせて霧生がユクシアを睨み上げ、同様にレイラもリューナを睨み上げた。
「ふぅ」
隣で息を吐き出したレイラだけが前に進み、霧生はその場で仁王立ちをする。
先へ進むレイラに合わせ、リューナは丘の上から足取り軽く彼女の方へと歩み寄っていった。
その後、触れ合えるかどうかの距離まで近付いた二人は、お互いの成長を確かめ合うように、しばらく無言で向かい合う。
その間、霧生はユクシアを見上げ続けていた。彼女も絹糸のような髪をなびかせながら、霧生を見下ろし続けている。
目を見れば、彼女がリューナの勝利に不動の自信を持っているのが分かった。
霧生も同様、徹底的に鍛え上げられたリューナを目の当たりにしても、レイラが勝つという確信は揺るがなかった。
ならば勝負だ。勝負しかない。
霧生が口元を歪めると、ユクシアは嬉しそうに微笑んだ。
「また強くなったわねレイラ。まるで別人みたい」
リューナがいつもと変わらない調子で言った。
レイラの背中からは怒気を感じる。決して別人ではない、今の彼女こそが本当のレイラなのだと、纏う雰囲気が代弁している。
「リューナちゃん、前の立ち合いで少しは私のことが分かりましたか?」
レイラが口を開いた。
「ええ。少しは」
あの戦いでリューナがレイラに感じたであろうこと。
絶対的な才能の差は感じたはずだ。レイラの努力も。だが敵意はどうだろうか。勝負への想いは、感じとっただろうか。
少しの語弊も無いように、レイラが言葉を紡ぐ。
「ずっとリューナちゃんのことが嫌いでした。吐き気がするんです、その目を見てると。だから……」
「……」
「だから、リベンジさせてください。
リューナちゃんをぶっ潰すために……そのためだけに、私は強くなったんです」
レイラが明確な敵意を持って告げる。
リューナは落ち着いていた。爛々と輝く瞳をそのままに、威風堂々とした雰囲気でレイラの前に立ち塞がっている。
レイラの《気当たり》にも暴言にもリューナはまるで臆することなく、それどころかより一層目を輝かして問い返す。
「じゃあ、いつにする?」
リューナはレイラと対等であることを願っている。
その自分本位な欲望が、レイラの目には高みから見下されているように映るのだ。
「明日の午後一番。前と同じ、大闘技場にて」
「分かったわ」
「では、明日」
短いやり取りを済ませたレイラがこちらへ戻ってくる。
「良い啖呵を切ったな」
気が立っているレイラは黙ったまま来た道を先に戻っていく。
ユクシアとリューナを軽く一瞥し、霧生もその後を追って、《天上宮殿》を後にするのだった。
ーーー
リューナに再戦を取り付けてから、驚く程いつも通りに時間は過ぎていった。
昨日は早い時間に調整を切り上げ体を休めた。そして今日はいつもの時間に起き、変わらず日課の早朝ランニングを済ませ、レナーテを交えて朝食を取り、その後、第3訓練場で演舞をした。
それだけで、約束の時間がやってきた。
「行くか」
「……はい」
霧生と共に大闘技場へと向かう。
そこはいつも通り、どういう訳かリューナとの再戦を聞きつけた生徒達で溢れ返っている。
混み合うエントランスに、レイラ達を通す道が出来上がり、それは歩廊の入口まで続いていた。
「送ってやる」
霧生がそう言って人壁の道を進み始めた。
先にある扉を彼が開いて、それに続くと歩廊に出る。
歩廊の先には前と同じように光が見える。
さらに奥からはリューナの圧も感じられた。約束の時間にはまだ早いはずだが、彼女がこの先で待っているのは明らかだった。
歩廊の中央まで進むと、霧生が足を止めたので、今度はレイラが前を進む。あの光のカーテンを潜る者はレイラのみである。
霧生の前に出てみれば、それはもうリューナと向き合っているのと変わりない状態だった。リューナの姿は光の反射で見えないが、彼女も既にこちらを意識しているのは間違いない。
「……え、なん、で」
もう一歩を踏み出して、レイラは膝が震えていることに気が付いた。
これがいわゆる武者震いなのかとも思ったが明らかに感じが違う。いやに慣れた感覚なのだ。
同時に息が苦しくなってくるのも感じる。
「振り返るな」
振り返ろうとした時、霧生が先手を打つように言った。
「き、霧生さん……」
喉から出る声まで震えていてレイラは情けなくなった。こうならないよう、ずっと気を張っていたのに。
ここへ来てまた、御しきれない恐怖を感じているのだ。
あの怒りはどこへ? 霧生と共に培った自信は? 想いは?
どこへ行ったのだ。
「怖いか」
霧生が尋ねて来て、レイラは息を呑んだ。
答えたくない。だが。
「こ、怖い……」
レイラは口に出した。
こんなところでまた弱音を吐いて、霧生に幻滅される。そんな不安すら押し寄せていた。
だがレイラは次々と口を滑らせる。
「……怖くて、踏み出せない。また負けたらって、そう考えると……震えが止まらないんです」
思い切り本音をぶつけたあの時のように、本当は弱いままなのかもしれないことを霧生に打ち明ける。上っ面だけ強く見せられるようになっただけなのかもしれないと。
「足りなかったらどうしよう……。及ばなかったら……。負けたくない、また負けたら……もう私」
──バチン!
「──ッ!」
背中に衝撃が走って、レイラは目を見開いた。
遅れて走る鋭い痛み。霧生に平手で打たれたのだ。
そしてたったそれだけで、震えは止まっていた。恐れを気力が上回っていた。
レイラの瞳にじわりと涙が溜まる。
「震えは止まったか?」
「霧生さん……私……本当に」
折れそうになっても。逃げ出しそうになっても。いつだって霧生は支えてくれる。前を向かせてくれる。
今でもたまには悪態をつくが、レイラは御杖霧生という男を心の底から尊敬していた。
それをどう言葉にしていいか分からず必死に言葉を探していると、先に霧生が口を開く。
「リューナは強いだろうな。今回も想像を超えてくるぞ、必ず」
「……はい」
「でもお前も俺の弟子なんだから、想像くらい容易く超えられるだろ」
「はい」
目元の涙をボロボロのローブで拭い、レイラはハッキリと返事をする。前へ前へと歩みを進めていく。足は重くない。次第に後ろの霧生が遠ざかっていき、光の扉が近づいてくる。
「負けるのが怖いって? だったら話は早い! レイラ!」
レイラはローブのポケットに手を突っ込み──
「絶対勝て!」
取り出した"必勝"のハチマキを額に巻く。
きつく、きつく、結ぶ。
歩みは止まらない。負ける気がしない。俄然勝ち気が湧いてくる。
「押忍ッ!」
そうしてレイラは光の向こうへ踏み出した。