第26話 敵を見据える
──《森林迷宮》
どこまで進んでも森が続くその地の、丸一日以上ひたすら奥に進んだ所に、霧生達は新しい稽古場を構えていた。
天上宮殿にある大水晶の眼も届かず、誰の干渉も受けない霧生とレイラだけの空間である。
利便性に富んだ学園から離れ、簡素な環境に身を置けば、普段から考えられることは限られてくる。
激情を決して冷まさぬよう、リューナを討つことだけに集中したいと申し出たレイラのために、霧生は山籠りを敢行していた。
訓練にかける時間は前よりさらに増え、その凄絶さたるや、木々が生い茂っていたこの場所は獣も寄らない平地と化している。
「ツゥッ!」
霧生の拳を受け止めたレイラが吹き飛び、巨木の幹に衝突する。
彼女はその場に崩れ落ちそうになった所で踏み留まり顔を上げた。
その時には既に霧生は距離を詰めていて、レイラの側頭部目掛けて上段蹴りを繰り出している。
「うぅッ!」
両腕で受けることでかろうじて衝撃を和らげたレイラだったが、あえなく吹き飛び、また別の巨木に激突する。
そこで霧生は追撃を打ち止めとした。
「ぁ……かっ、は……」
今度こそ地に崩れ落ちたレイラはその場に血反吐をぶち撒ける。
その背後にある巨木がミシミシと音を立てて傾いていく。
霧生は木々の隙間から見える夕日を見ながら、ローブに付着した泥を払った。
「う、ぐ……ハッ……ハァッ……! ハァッ!」
「立てレイラ。もう一度だ」
喘鳴を繰り返すレイラに伝える。疲れ果てた彼女は息を整えるので精一杯で、返事もままならない。
それも無理はなかった。半日もぶっ通しで模擬戦を続けているのだ。
「もう一度だ」
しかし霧生は再度急かすように告げる。レイラは地面を見つめてひたすら息を吐き出していた。
霧生はレイラを最強にする。二度と彼女が否んで止まない敗北を味わわないように。
そのために、レイラにとっての最強とは何かを考える必要があった。
壮大な魔術を扱い、誰の目にも止まらぬ極技を繰り出す技能者は、それだけで彼女にとって最強か?
違う。
彼女が何より求める"強さ"とは、純粋な力ではなく絶対的な信念である。
何があっても折れることのない、己で否定することすら敵わない、不屈の想いだ。
そして勝利はいつだってそれに付随する。
ただ強くするだけでは駄目だ。それでいいのならもっと別の方法もある。
彼女に必要なのは歴史。
どんな時も立ち上がれる自分。折れない自分。諦めない自分。続けられる自分。
その積み重ねが確固たる自信を形成していく。
ならば、一切の甘えも許されない。
彼女と再び立ち合うため踵を返すと、背後から《気当たり》をぶつけられた。
足を止め、レイラに振り返る。
「ハァ……ハァ……」
肩を上下させながら顔を上げた彼女は、燃えたぎる瞳をこちらに向けた。
「流石は俺の弟子」
揺るぎない想いをレイラはもう拒まない。
きっとそれを続けていくだけで、レイラは最強のレイラになれる。
霧生は口元を吊り上げた。
ーーー
「始めるか」
日の出と共にガリッと大木の幹に新たな一本線を刻む。
これで霧生達が山籠りを始めてから丁度二ヶ月になる。同時に、頃合いでもあった。
レイラは技を学び、力をつけ、自信をつけた。
霧生はそんな彼女を止めるため、否、それでも止まらないかを確かめるため、風変わりな立ち合いを決行する。
「お願いします」
焚き火を眺めていたレイラが木刀を片手に立ち上がり、小さく一礼した。
普段より緊張したような表情でいるレイラは、霧生がいつもとは違うことを始めることに気付いているようだった。
何も言わないままに始めようかと思っていた霧生だが、あえて何を行うかを告げることに決める。
「今日立ち合う俺は、俺じゃない」
霧生は訓練用の木刀を投げ捨てる。
「リューナだ」
「…………」
「お前が次に戦う時のリューナを模倣して、俺は戦う」
レイラの表情に不安が現れ、それは一瞬にして消え去る。
「分かりました」
「この機会は一度だけだ。この戦いに勝っても負けても──」
その先の言葉を待たずに、レイラは言った。
「分かりました、霧生さん」
言葉の続きが必要無いと分かり、霧生は目を閉ざす。
霧生はユクシアが育てるリューナのことを常に想定しながらレイラとの研鑽に挑んでいた。
リューナを模倣した立ち合いは、本来であれば最初から定期的に行うのが良かったが、霧生はそうしなかった。
なぜなら、レイラにとってリューナは紛うこと無き"敵"でなければならないからだ。
繰り返し模倣戦を行えば、レイラはリューナに慣れる。ただの訓練相手になってしまう。
緩やかに彼女の燃える闘志と決意を削ぎ落とすことになっただろう。
「お願いします」
この戦いが不安になるか、さらなる自信になるか。レイラは気にしていないようだった。
霧生は深層心理へと立ち入り、リューナをイメージする。彼女の性格、理念、想いを思い至ること全てを掻き集め、そしてユクシアのことを思い浮かべた。
「レイラ」
やがてレイラを真っ直ぐに見据える。
レイラの雰囲気が変わる。構えを取り、こちらを睨み合けながらゆっくりと焚き火から離れていく。
距離を測り、タイミングを伺っているのが分かった。
霧生はレイラを見据えたまま動かない。彼女の所作には目もくれず、じっと見つめ続ける。
それは熱く燃えるようで、自分が上であることに揺るぎない確信を持っている視線。
「行くぞ」
霧生が言うと、レイラがギリと歯を鳴らした。
レイラもまた、目の前の霧生をリューナだと思い込んで挑んでくるのだろう。
「勝負だ」
ボウッ。
構えを所作術式にした蒼炎の魔術が、レイラが手に持つ木刀に纏われた《気》に燃え移った。