第25話 リューナに求めること
丘の傾斜にバウンドし、リューナが吹き飛んでいく。ユクシアはそれで距離が開きすぎないよう、自身もまた地を蹴り追撃に迫る。そしてリューナが顔を上げるまで待ってから、模擬戦用の剣を振るった。
「参ったわ」
即座にリューナが降参することで、剣の進行は首のすぐ手前で止まる。
「もう一度」
ユクシアは淡々と踵を返し、距離を空け直す。背後のリューナは何か思うところがあるのか立ち上がろうとはしない。
「ねえユクシア、まだ怒ってるの? それとも私が成長してない……?」
足を止め、リューナに振り返る。
レイラとの一戦から一ヶ月が経っていた。あれ以来ユクシアの接し方が厳しいものになっていっているのは当然彼女も感じているようだった。
しかしその理由は今言ったようにリューナが懸念することではない。
レイラとの戦いは、ユクシアが喝を入れなければ間違いなく負けていたが、あの時の叱咤はあの時だけのもの。そしてリューナの成長は依然として凄まじい。
ユクシアの元でここまで真っ直ぐ伸び伸びと育つことのできる技能者は、世界中探しても中々いないだろう。
「最近全然手加減してくれない」
ユクシアから返答を急かすように、リューナが言う。
ここ最近の模擬戦はリューナの成長を確かめるものではなくなっているため、彼女は力を発揮することなく終わってしまう。
手加減というのは、そのことを指摘しているのだろう。
「リューナは成長してるし、怒ってもいないよ」
「じゃあどうして模擬戦ばかりやらせるの? 私はもっと他の術とか教えて欲しいのに」
成長を実感できなくなったリューナは焦っているようだった。
「状況が変わったから」
ユクシアは言った。
己で気付けないなら、告げて自覚させるしかない。
「リューナがこうやって強くなれるのはどうしてだと思う?」
「それは……ユクシアが教えてくれるから」
「そう」
まさしくその通りであるが、リューナはその事実を直視していない。
リューナには才能があり、向上心があり、飲み込みも早い。しかしそれらの要素をこうして十二分に発揮することができるのは、全てユクシアの指導があってこそのものである。
ユクシアがいるから彼女は壁にぶつからなくて済んでいて、本来得るはずだった苦悩や挫折も無く、ひたむきに前を見ているだけで手放しに強くなれるのだ。
レイラの様子を見た限り、霧生はそうした教え方をしていない。彼が何も考えずにレイラを勝てるようにしようとすれば、先の戦いはもっと見応えのあるものになっていただろう。
しかし霧生は想いの伴った勝利にこそ価値を感じている。だからただ強くするというよりは、勝利を追求させるようにレイラを鍛えて来たのだろう。
それが故意かどうかはさておき、レイラの意識が追従した時、恐ろしいことになるのは間違いなかった。
かえってリューナは違う。
「リューナは私に強くさせられてる」
叡智や力をユクシアから際限なく受け取っている。それだけだ。
「……それは」
「責めてる訳じゃないよ。このままだとリューナはレイラに負けそうだから、研鑽の趣向を変えただけ」
「私が、レイラに負ける……?」
リューナは目を丸くしていた。一度勝っただけでもうレイラのことなど忘れかけていたかのような表情であった。
だがリューナは勝ったのだ。霧生の弟子、レイラに、勝ってしまったのだ。
この事実を甘く見てはいけない。
必ず再挑戦が行われ、その時に対処する力を持っていなかったらリューナはとんでもない目に遭わされるだろう。
「だからどうすればそうならないかを、自分で考えないといけない」
「……言ってることがいまいち分からないわ」
リューナの研鑽は純粋な力への探求。
勝負を念頭においたものではなく、自身が高みに上り詰めるための研鑽。特段勝利を目指さなくとも、そうしていれば他者を上回っていけるという確信を持っている。
それは決して悪いことではないが、このままではリューナに勝つためだけの研鑽を積んでいるであろうレイラに気圧され、敗北する。そんな予感がある。
「リューナには敗北への恐怖が足りない」
つまり、勝つための努力が必要無い。
常に勝ってきたユクシアにも、勝つための努力は必要なかった。
ユクシアは勝利を恐れ、それでいながら不屈の挑戦を求める。
何度打ち倒しても己の勝利を絶対に疑わない強者に、こちらもまた何度でも全力で応え、互いの優劣を競い合う。そんな心躍る勝負を求めている。
リューナにも似たような感情があるのだろうが、彼女の才能はユクシアのように一から全てを理解できるものではないので、そこまでの達観に至る程、敗北との距離は遠くない。
だからこうして強行策に出ている。
「私にも負けたくないって想いはあるわ。ただ……」
「それは分かってる。でも」
リューナは強敵を見つけられていないのだ。
それを無意識に探しているから、レイラに希望を抱いた。だからあえて接戦になると予想される武術を選んで戦ったのだ。
結局レイラはリューナにとって強敵足り得なかった。そうなれば、リューナはひたむきにまた研鑽を続けていくしかない。
「たった一度で誰かを諦めるなんて、自信をつけ過ぎたね、リューナ」
ユクシアは言う。
きっと今の研鑽を続けていても、リューナはユクシアが理想とする良い弟子にはなれない。
そのために、"今"は重要であった。
険しい表情をするリューナだが、まだ現状の深刻さに理解は及ばないらしい。
ユクシアは続けた。
「ここのところずっと続けてる模擬戦だけど」
「……ええ」
「私は"次の"レイラを模倣して戦ってる」
霧生の育てるレイラの、最も強いイメージを再現している。
「……え」
リューナの表情が驚愕に染まっていた。
そして霧生もユクシアが育てるリューナに強大なイメージを抱いているだろう。
どちらがお互いの弟子を強くイメージできるかを考えてみると、ユクシアに幾度と無く敗北してきた霧生の方がおそらく上だ。
リューナは霧生の想像を超えなければならない。
そしてユクシアは、実力を伸ばす方向では霧生の想像を超えられないと踏んでいる。