第24話 跳ねっ返りの少女
自傷魔術による負傷を医療センターで手当てを受け終えると、時刻は深夜2時を回っていた。
ここのところはユクシアが絡んでいるために自傷魔術の発動回数が多く、大怪我にも随分慣れてきている。
負傷時における体の動かし方にも理解が進み、今では松葉杖が一つあれば十分で、車椅子も必須では無くなっていた。
そんな中、霧生が行くのは夜の学園である。ぼんやりと空を眺めつつ、霧生はリハビリを行うために第3訓練場に向けて歩みを進めていた。
歩きながら敗北の原因を考える。
まずは霧生の甘さである。レイラの成長を、彼女の自意識に任せっきりで促そうとしていた。
勝利に対する執着も甘かった。
レイラを勝たせるためになら、とやかく言わずに敵の研究を徹底し、確実な準備を行うべきだった。
あれ程の敗北を受けて、レイラはいつ戻るだろうか。
霧生は彼女が戻ってくることを信じているが、考えると不安にもなる。
逆に今回の件で、彼女を勝負から永遠に遠ざけてしまったのかもしれない。それを考えれば今すぐレイラの元へ駆けつけたくなるが、彼女に時間が必要なのは間違いなかった。
外壁に囲まれた第3訓練場が見えてきて、霧生はふと顔を上げた。
訓練場の中から、四肢が繰り出され、風を切る音が聞こえてくるのだ。失意のあまり周囲に漂う痕跡にも気がつかなかった。
中に、レイラがいる。
霧生は痛む体など気にせず、歩みを早めて訓練場へと急ぐ。
そして古びた大理石の門を潜り、少し掘り下がったグラウンドに下りると、そこではレイラが時折嗚咽をあげながら、演舞を繰り返していた。
長い間演舞を続けていたのだろう、第3訓練場の土はそこら中荒れ散らかされている。
訓練場を照らす街灯が彼女の赤く腫れた目を際立たせる。頬に止めどなく流れる涙が光っている。
「……レイラ」
遠巻きから声を掛けると、こちらに気がついたレイラはピタリと動きを止め、項垂れた。
「霧生さん……、涙が……止まらないんです。なんとか、なりませんか」
彼女の震えた声が静かな夜に響く。
それだけで、霧生の迷いが全て吹き飛んだ。
──俺は、馬鹿か。
己のせいで勝たせてやれなかったとしても、彼女を深く傷付けたとしても。
霧生だけは自信を持ってレイラの前に立っていなければならない。これまでのことを否定するなどもってのほかである。
でなければ、レイラはいったい何にしがみつけばいいのだ。
「……誰かが私を嘲笑う声がずっと頭に響いて、どうにかなりそうなんです。霧生さん、なんとかできませんか……?」
霧生は目に浮かんでいた涙を親指で拭い去り、表情を引き締めた。
悔しがってばかりいても前には進めない。こうなった時どうすればいいのか。前の向き方をレイラに教えられるのは、霧生しかいない。
「勝つしかない。レイラ、勝つしかないんだ」
霧生はそうしてきた。
才能があったからそれが出来た。そしてレイラはそうではなかった。
しかし今、彼女の側には霧生がいる。
「でも、……駄目だって思うと、目の前が真っ暗になって……体に力が入らなくなるんです……。もう私は……疲れました」
レイラは否定し続けることに疲れたのだ。いつでも気を張って、常に勝負から身を守り続けていたから。
ボロボロの彼女は、決して一人では立ち上がれない。
「俺がお前の支えになる」
霧生がそう言うと、他所を向いて項垂れていたレイラが顔をあげ、こちらに赤い目を向けた。
霧生はそんな彼女との距離をゆっくり縮めていく。
「俺はお前の努力を嘲笑わない。無駄だとは微塵も思わない。
辛くなったら全部俺にぶつけろ。怖くなったら、心が折れそうになったら、俺が背中を叩いてやる。
いつまで勘違いしてるんだよ。その想いはもうお前だけの物じゃないんだぞ。だって俺は──」
霧生はそう。
「お前の師匠だ」
弟子の目の前に立ち、言い放つ。
それは紛れもない事実であり、霧生の想いの丈であった。
「わ、私は……」
レイラは口を開く。
乾いた唇は震え、喉から言葉を出そうとしても中々出てこない。
「……、私はッ……!」
何度も口を開いては閉ざし、溢れ続ける涙をローブの袖で拭う。
霧生は彼女の言葉を待った。夜風が冷たい。
「……私は……、悔しい……ッ!」
そうして、レイラが感情を認めた。
ボロボロと流れる涙がその勢いを強める。
「悔しい、悔しい……!」
その本音が霧生に響く。突き刺さる。
「あんなに頑張ったのに……! 絶対に勝ちたかったのに……!」
努力したことを認める。勝利への渇望を認める。
「リューナちゃんに、見下されたッ……! 侮辱された……! 悔しい、悔しいッ! 悔しいよぉ……霧生さん……」
霧生は片手でレイラを抱き寄せた。
彼女はされるがまま霧生の胸に顔をうずめ、そのまま声を上げて泣き始めた。
「ひっ、ぐ、うぅ……うあぁぁぁぁ……!」
「よく我慢したな、今まで」
こんな激情を抑え込んで生きるのは大変だっただろう。並大抵の精神力ではない。
本来ならレイラは誰にも頼らず、一人でずっとこうして生きていくつもりだったのだ。こんな無謀なことが、他の誰にできようか。
そして一度栓を外すともう止まらない。レイラはずっと押し殺していた感情を次々と零し始める。
「霧生さん、私……、怖かった……! 頑張っても頑張っても強くなれなかったら……また見捨てられる……だから毎朝、霧生さんが迎えに来る度に、ホントは凄く安心してた……!」
「ああ」
「本当は……凄く嬉しかった……! 見込みがあるって言ってもらえて……」
「ああ」
ただ頷いて、子どものように泣きじゃくるレイラを霧生は強く抱き締め続ける。
「ごめんな、こんなに遠回りさせて」
霧生の言葉に腕の中のレイラは否定の表情でふるふると首を横に振る。
放り出されていた手を霧生の背中に回してしがみついてくる。
その力が思いの外強く、致命傷に響いた霧生は堪らず声をあげた。
「いってぇ!?」
「……馬鹿な魔術、使うからです」
レイラが掠れた声で言う。
それはその通りである。
「いやお前……力、強くなったな」
茶化すつもりで霧生はそう言ったが、レイラは力を緩めないまま、ずっと霧生にしがみついている。
ローブの胸元は涙で濡れ、レイラの吐息が熱い。
「……もっと強くしてください」
レイラは言う。霧生が頷く。
「どんな辛い特訓だって、もう文句言いませんから。だから……」
「ああ、俺がお前を最強にしてやる」