第21話 挑戦を命じる
「踏み込みすぎるなよぉ〜! リーチを考えてぇ〜!」
「ハァッ……! ハァッ……! こ、こうですか!」
「違うッ!」
バシン!
竹刀を低く構え、突っ込んできたレイラを霧生は片腕で弾く。
彼女は地面にバウンドして、即座に態勢を変えてまた突っ込んでくる。
「こう、ですか……ッ!?」
「違う!」
バシン!
序列戦初勝利からはや一ヶ月。
あれからというものの、レイラはそこそこ真剣に取り組むようになり、目まぐるしい成長を見せていた。
霧生が助け舟を出したからというものあるが、それでもやはり、この研鑽が自分で選んだものに変わったことは大きかったようだ。
よろめきながら立ち上がり、へこたれずにまた構えをとるレイラを見ながら、霧生は目を細めていた。
「じゃあ、こう!」
「そうだッ!」
バシン!
《技能》の飲み込みも早くなってきている。
彼女の成長を助長させるもう一つの要因も良く作用しているからだろう。
それは序列戦の存在である。
実戦は新たな発見や、何より欠点が見つかりやすいので、霧生はレイラに隔日で立ち合いの申請を行うように指示していた。するとそれが予想以上のバネとなり、レイラは勝負に対する意識を徐々に変えつつあった。
「霧生くーん、これ今日のー!」
模擬戦の最中、第3訓練場に現れて遠くから声を掛けてきたのはレナーテだった。
彼女は今や見物に留まらず、第3訓練場での研鑽を共にするようになっていた。そんな彼女が片手に掲げるのは、本日の学内新聞である。
「よし休憩だ」
「ぜぇ……ぜぇ……、は、はい……」
その場に膝をついたレイラを尻目に霧生はレナーテの元へ歩み寄る。
「どーぞ」
「助かる。どれどれ……」
レナーテが差し出す新聞を受け取ると、霧生は手慣れた手付きで新聞をバッと広げ、お目当ての見出しに目を向けた。
普段根も葉もない記事をでっちあげられている霧生は、正直この学内新聞をあまり良く思っていなかったのだが、最近は毎日の楽しみになるくらい愉快な記事が学園を賑わせている。
「だっはっはっは! 見てみろよレイラ! またお前のことが書いてあるぞ!」
『"下剋上のレイラ"、またも勝利』
そんな見出しの新聞を大袈裟に見せつけつつ、霧生は訓練場に高笑いを響かせた。
「だっさ……。その通名、凄く嫌なんですけど、私……」
肩で息をするレイラはうんざりとした顔だ。
しかし霧生はこれを非常に気に入っている。
「馬鹿言うな。めちゃくちゃカッコいいじゃねーか」
「どこがですか、暑苦しい」
そう思うのはレイラに成り上がりの意思が無いからだろう。下剋上など、霧生にとっては得難い機会なので心底羨ましい事この上なかった。
「まあ、私が地上にいた時のよりはかっこいいね」
苦笑いしながら言ったのはレナーテだった。
「へぇ、どんなだったんだ?」
「えー? もう何年も前だけど、……暴走才女、とかだった気がする……」
「お〜、しっくりくるなぁ」
「もぉ〜!」
レナーテが軽く背中を叩いてくる。
レイラに視線を戻すと、彼女は心底興味無さげに体を伸ばしている。
最近はこうして彼女の勝利が注目記事の一つとなることも珍しくはない。ここ2週間は毎日どこかに彼女のことが記されているのだ。
その理由は、レイラが序列戦において連勝に連勝を重ねているためであった。
最下位付近だった順位は現在968位となり、とうとう3桁の大台に突入している。
この新聞によるとレイラは異例の早さで序列を駆け上がっているらしく、その上未だ無敗であることを加味すると、注目を集めるのも無理もなかった。
辺りを見回せば、レイラの修行から何かを得ようとして、早朝の第3訓練場にまで駆けつけて見物を決めている生徒もチラホラいるくらいだ。その稽古の凄絶さを見るや、すぐに諦めて帰って行く者が大半であるが。
レイラが霧生の視線に気づき、目を合わせてくる。
「……? なんですか?」
じっと見つめると、かつては深海を思わせる程に暗く冷めた瞳には微かな熱を感じる。
勝利の実績が、他者を遥かに凌ぐ訓練の量、その質が、彼女自身を信じさせようしている。
「だいぶマシになったもんだ」
霧生は言った。
勝負に怯えているのには変わりないが、それでも勝利をもぎ取ってくる彼女をもう負け犬呼ばわりはできない。
「はぁ」
どうでもよさそうにそっぽを向いたレイラはレナーテから受け取った水を半分ほど飲み、残った分を頭にじゃばじゃばとかぶせる。
腕を組んで彼女の現状を吟味する。
技能者としての成長はもうリューナにも引けを取っていないのではないだろうか。
数日前からずっと、霧生は今が頃合いという気がしていた。
「レイラ、リューナと戦ってみるか」
聞くと、レイラはこちらに視線を戻した。
「ああ、確かに。そろそろ良いかもしんないね」
レナーテが霧生の内心に同調する。
「……リューナちゃんと、ですか?」
口を開いたレイラは明らかに乗り気ではない声色だった。熱を帯びていた目の色がみるみる沈んでいく。
隔日で行う序列戦の前も、彼女はこんな雰囲気を出す。訓練に積極的にはなったが、勝負にはいつまでも消極的であった。
そうでなくとも、レイラはどこかリューナを意識している節がある。定かではないが、霧生がユクシアを意識しているからかもしれない。
「嫌か?」
「まだ……ちょっと……」
レイラは歯切れ悪く答える。
せっかく波に乗っているこのタイミングでの無理強いは霧生としても気が乗らない。
それならまだいい。
そう口にしようとした時、第3訓練場に魔力が迸った。
それは転移魔術の前兆。辺りに散る濃い魔力はユクシアとリューナのものだった。
まるで見計らったかのようなタイミングに、霧生は眉を寄せた。
「あ」
レナーテが小さく声を上げるのと同時、咄嗟に霧生の腕に手を絡ませ、しがみついてくる。
「なんだよ」
「い、いいから、おねがい!」
レナーテは顔を真っ赤にしてそう耳打ちする。
その後、転移魔術が発動し、リューナは正面に現れたが、ユクシアはわざわざ霧生の背後を取るように転移してきたので霧生は予め振り返って置いた。
現れたリューナは驚いたようにレイラを見つめ、一方ユクシアは密着する霧生とレナーテに視線をやって、次にレイラへと目を流す。
霧生は、以前より遥かに洗練されたリューナの巡りには目を瞠っていた。この転移魔術も明らかに彼女のものだ。
それぞれの思考が重なり、5人が邂逅した第3訓練場には沈黙が訪れる。
しばらくしてから、沈黙を破ったのはリューナだった。彼女は霧生をおいて、真っ先にレイラに話しかける。
「久しぶりね、レイラ。見違えたわ」
「は、はい……。リューナちゃんも」
リューナが一目見ただけでレイラの成長が分かったように、レイラも彼女の異質とも言える成長を見て驚きを隠せずにいる。
「頑張ってるみたいね」
「っ、いえ、そんなことは……」
久しく見るレイラの擬態。そこに彼女が否定する感情が見え隠れしているのが、今なら分かった。
目を細めて二人のやりとりを見ていると、背後のユクシアが口を開く。
「そろそろかと思って」
「それで来たのか」
「うん、どう?」
やはりユクシアも同じ考えに至っていたようだ。
それとも彼女のことだから、霧生がそう考えることを読んで合わせてきただけかもしれない。
どちらにせよ返事には困った。
前に様子を見に行った時からそうだったように、ユクシアとリューナの道に食い違いはない。
リューナは強くなることを望んでいて、ユクシアはいかんなくそれに応えられるし、リューナもユクシアの望みに応えられる程の才覚と、極めて高い自意識を持つ。
しかし霧生とレイラの関係はそうではなかった。
お互いがお互いの信条のために妥協して、すり合わせて、衝突を繰り返して、それでなんとかやっている。
故に二人の立ち合いは、レイラが望むかどうかに委ねられているのだ。同じ方角を向くリューナとユクシアに対しては、霧生も足並みを揃えて挑みたいと思っている。
実力的には今だ。
しかし彼女の心はいつもその後ろにあった。決定的にレイラの心を動かす何かをずっと捜しているが、霧生は見つけられずにいる。
「それで、レナは何してるの?」
答えあぐねていると、ユクシアは霧生の腕にしがみついているレナーテを覗き込んでいた。
「くっついてる。あ、羨ましい?」
「少しね」
「……ユクったら、余裕ぶってたら痛い目見るよ」
「そうかな」
「あーあ、知らないよ。私、忠告したよ」
腕から離れグイと前に出るレナーテ。
勝負の話だろう。そちらで通ずる会話を始め出したユクシア達を他所に、霧生はまたレイラ達に目を向けてみる。
「凄いじゃない無敗だなんて。てっきり私は無理矢理やらされてるんじゃないかって思ってたんだけど、安心したわ」
「す、凄いのは霧生さんですよ……、私なんかを、ここまで……」
リューナ達のやりとりは傍から見るとどこかすれ違っているようで、久しぶりに話せて楽しそうなリューナに比べ、レイラの表情は優れない。
「霧生は凄いけど、レイラも凄いわ。私だったらそんな特訓絶対付き合えないし」
「………そんなこと」
「負けてられないわね」
友の成長に当てられ、瞳に熱い意思を灯すリューナからは才気が溢れ出すようだった。
求めていたのだ、リューナは。尊敬し合い、切磋琢磨し合える相手を。
「そんな、私は……リューナちゃんと張り合えるような……」
勝負の感動に飢えたリューナは止まらない。
レイラのか細い声すら聞き逃し、彼女はこちらの方を見た。
「ユクシア、私も序列戦に出たい。レイラと立ち合いたいわ」
リューナの瞳は恐ろしいくらい真っ直ぐで、霧生が自らその前に立ち塞がってやりたいと思う程だった。
レイラからは前にレナーテと口論を交わした時と同じように、内なる激情を感じた。
「リューナがそうしたいなら、そうした方がいいね」
当然こちらの事情をわきまえることなく、ユクシアは即答した。
「レイラに負けたくない」
「……うるさいな、うるさい!」
そして感情の発露があった。
怒鳴り声をあげたレイラに、リューナはビクンと肩を震わせる。
まだユクシアを睨みつけていたレナーテも驚いてそちらを見た。
「……レイラ?」
困惑した表情でユクシアからレイラへと目を流すリューナ。
「……黙ってくださいよ。私は……私はリューナちゃんの……」
初めてレイラの冷えた声を聞いたからか、リューナは呆然としている。
逆に霧生は小さく笑みを浮かべた。リューナの何がレイラの鎧をすり抜けているのかを察したからである。
口を閉ざしたレイラからは、それからいくら待っても言葉の続きを聞けることはなかった。
「帰ろうか、リューナ」
「で、でも」
ユクシアが言って、リューナが狼狽えた頃には、二人は第3訓練場からフッと姿を消す。
レナーテは気まずそうにレイラと霧生から離れる。
霧生は唇をかみしめるレイラに言った。
「レイラ、怒りは良いだろ」
──その力を持ってすれば、お前はきっと。
ーーー
その日の夜、地上序列戦の名簿に新たにリューナの名が加わった。
彼女の初期序列は568位。レイラの端末には、そんな彼女からの立ち合い申請が届いている。
足並みを揃えたいなどと、腑抜けた願いを抱いてしまっていたものだ。
霧生が今、彼女の背中を強く押してやらねばどうするのだ。
「レイラ、リューナに勝ってみろ」
霧生は師としてそう告げた。